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44(別視点)

大小さまざまな五つの塔から成るメラベリュー王城の、最深部にある一室。

自分に与えられた、国王の部屋よりも豪華な部屋に戻ったレオは、コートを脱いで脇に控える従者に渡す。


「ゲンの様子はどうだ?」


革張りのソファーにドサリと腰を落としながら、そうたずねた。


「ゲン王国軍一万が、現在メラベリュー国境付近を目指し進軍しています。定期的な軍事訓練ということで、皇国、メラベリュー王国それぞれに正式な通知文が届いております。――――また、それとは別に国王の親衛隊三千が秘密裏に動いています。こちらは、通知はなく、自軍にさえも知らせていないようです」


ゲンの自軍でさえも知らないはずの情報を、従者は淡々と答える。

背は高くも低くもなく、細身の体を黒い執事服に包んだ従者は、まったく目立たない容貌だ。若者のようにも年寄りのようにも見える、捉えどころのない男だった。


「双方ともゲン国内から出ていないんだな?」


「はい」


従者の返事を聞いたレオは、頭に手をやり、クシャリと自分の金髪を掴む。秀麗な顔を曇らせた。

例えどんなに怪しい秘密裏の行軍でも、それが自国内の動きであれば、皇国が文句を言う筋はない。


「“うち”が隠密行動を指摘したところで、自軍への不意打ちの訓練だとでも言い逃れるつもりなのだろうな」


「――――御意」


従者は、(あるじ)にお茶を淹れながら静かに頭を下げた。

レオは、大きなため息をつく。


「“うち”の方はどうなっている?」


一客だけで目の玉が飛び出るような値段のしそうなティーカップを無造作に持って、そう聞いた。


「近衛兵五千を既に派兵しております」


「……五千か。兵の質の差を考えれば妥当な線かな?」


ゲン軍総勢一万三千に対し、皇国軍は、その半分にも満たない五千。

普通に考えれば、圧倒的に不利な戦力差だが、皇国の近衛兵は一騎当千の皇気を使える騎士がほとんどだ。メラベリューの王国軍の戦力も考えれば、五千は多いくらいの兵力だった。


「指揮は? 誰が執ることになった?」


レオは、落ち着いた様子でコクリとお茶を一口、口に含む。




「…………ラガルト元帥です」


珍しく、少し間をあけて従者が答えた。

レオは、危うくお茶を吹き出してしまいそうになるほど、驚いてしまう。


「それは?! ……いや、確かに適任だが……意外だな。元帥は引退したんじゃなかったか?」


ラガルト元帥は皇族の一員。女皇ヴァレンティナ時代より戦ってきた歴戦の勇士だ。二百六十歳と年齢は高めだが、まだまだ実力は十分。何より多くの騎士の尊敬と憧憬を集めている。

このため、十数年前、彼が引退を申し出た時には、皇帝直々に、なんとか元帥職にとどまってほしいと依頼したほどだった。

しかし、ヴァレンティナに心酔していたラガルトは、彼女の死と同時に戦う意欲を失い、依頼を蹴って引退したはずだった。


従者は、何とも言えぬ複雑な表情を浮かべる。




「……実は、今回の派兵が決定した際に、皇帝陛下と皇妃殿下が、それぞれ自分が指揮を執ると言い争われまして――――」


「……はあ?」


レオは思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。


「争ったぁ? おじいさまとおばあさまが?」


いつもは『陛下』、『皇妃さま』と、きちんと呼ぶのだが、思わず子供時代の呼び方に返ってしまう。



「はい。……それを皇太子殿下がお諫めになったのですが――――『そんな! 私だって行きたいのを我慢しているのに……父上と母上が、そんな抜け駆けをなさるのなら、私は皇位継承権を捨てて出奔しますよ!』――――と逆上されて、諫めるどころか三つ巴の争奪戦になったのです。私欲に塗れた言い争――――コホン、三者会談の結果、痛み分けとなりまして、御三方が納得して指揮を任せられるラガルト元帥の指揮が決まりました」



――――従者の、皇太子の口真似が異様に上手くて、レオはドン引きする。まるで、見てきたような再現は、どういうことだろう。




「……どうして、そんなことになったんだ?」


「そんなもの。どなた(・・・)かが、定期連絡の端っこに『伯祖母(おおおば)さまに似た少女に会いました』と自慢げに書かれたからに決まっていますでしょう」


呆れたような従者の答えに、レオは頭を抱えた。


「あんな一言(・・)で。……おじいさまたちは、いったいどれほど“拗らせて”おられるんだ?」


呟くレオに、従者の冷たい視線が刺さる。


「一番“拗らせて”いるお方が、何を仰っているんですか?」


「……自覚はあるから、指摘してくれなくていい」


「それは失礼いたしました」


完璧な角度で一礼して謝る従者に、レオは再び大きなため息をついた。





確かに、彼には拗らせている自覚がある。


(……だって仕方ない。私は伯祖母さまに、本気で恋していたのだから)


生まれた時から側にいた伯祖母に、いつからそんな恋情を向けるようになったのか? レオに明確な記憶はない。

ただ、気づいた時には、どうにも諦められないくらいに“好き”だった。

伯祖母と姪孫という関係で、血の濃さ的にも問題はなく、成人したら口説き落として結婚してもらうつもりでいたのだ。


(いや、既に口説いていたんだけど……伯祖母さまには、どうにも通じなくて――――)


どんなにレオが真剣に口説いても、ヴァレンティナは楽しそうに笑って「はいはい」と受け流すばかり。


(あげく、あの柔らかい胸で、私の頭を抱き締めてくるのだから――――何度、このまま襲ってしまおうと思ったことか!)


成人前の若い青少年だったレオにとって、あの欲望をこらえるのは、女皇ヴァレンティナがプロデュースした、皇国騎士団の猛者たちも泣いて中止を懇願する『地獄の特訓フルコース』に耐えるよりも、辛かった。


(しかも、こらえきれずに、いざ実行に及ぼうとすると、必ずおじいさまか父上の邪魔が入って――――)


ヴァレンティナ以外の皇家の者たちは、みんなレオの想いを知っていた。

歳の差や、ヴァレンティナ自身の結婚したくないという気持ちを理由に、何度も諦めるように説得されたのだが、それでもレオが諦めないと知ると『成人後、ヴァレンティナに頷いてもらえたら』という条件付きで求婚することを許してもらっていたのだ。


(おじいさまと父上は、本当に渋々だったけど)


自分が成人するその日を、指折り数えて待っていたのに――――ヴァレンティナは、その前に儚くなってしまった。



(世界が色褪せるっていうのは、本当にああいうことを言うのだと思い知ったな)



その日以降のレオは、生きる屍同然だった。

何をしても、何を見ても、何を聞いても――――心の動くことはなく、ただ淡々と生きているだけ。

それは、心配した皇帝が、ヴァレンティナの思い出がたくさん残る皇宮を離れろと命令するくらい。


丁度、ゲンの怪しい動きもあって、レオは属国メラベリューにやってきた。


まさか、メラベリューで運命的な出会いが待っているなどと思いもせずに。



(たまたま、ミームの町を拠点としている“先祖返り”のバランディという男のことを知って、注視していたら皇家の吉兆紋を使った商品の販売があって――――そして、調査に行った先で“彼女”に出会った)



あの時、何が起こっても決して動かなかったレオの心が、シェーラのたった一言で――――ドクン! と脈打った。


(なのに、彼女にはあっさりフラれて……自分の心の動きにもいまいち確信が持てなかったから、その時は引き下がったのだけど)


時が経てば経つほど、レオの心の中で、たった一度だけ出会った少女の存在は大きく膨れ上がっていった。


(彼女の仕草。戸惑った顔も、怒った顔も、すべて色鮮やかに思い出されて……どうしてもまた会いたくなった)


我慢のできなくなったレオは、バランディに付けていた間諜が首になった件にかこつけてシェーラに会いに行ったのだ。


(今日会って、ますます確信した。……彼女は、本当に伯祖母さまに生き写しだ)


姿形は、まったく違う。

ヴァレンティナは、豊かな金の髪を高く結い上げた、まさしく女神のごとき神々しい美しさを持つ大人の女性。

対してシェーラは、平民にありふれた茶色の髪を無造作に流した、可愛いけれど威厳も何もない小柄な女性だ。

例えるならば、ヴァレンティナは大輪の薔薇で、シェーラは野に咲くすみれ。

あるいは、湖に佇む白鳥と小枝にとまるすずめと言うべきか。


しかし、シェーラの明るい笑みと、ヴァレンティナがふとした拍子にもらした優しい笑みは、不思議なくらいぴったり重なった。


(私を見つめる眼差しも、まったく同じだ)


何より、レオ自身の心が、二人の魂が同じものだと、痛いくらいに訴えている。





「――――シェーラ・カミュは、間違いなくミームの町の平民なんだな?」


「はい。生まれも育ちも何一つ不審な点はございません。……まあ、普通の平民と言うには、いささか多すぎる武勇伝をお持ちではありますが」


それがどんな武勇伝なのか、いつかシェーラ自身から聞いてみたいと、レオは思う。


「年齢の割に容姿が若すぎると思わないか? ……まるで、皇族みたいに」


「貧しい家庭で栄養不足気味に育った平民には、よくあることです。……少なくとも現時点では、その判断はつきかねます」


つまり、可能性はあるということだった。


(伯祖母さまが、お隠れになる時、おじいさまは、己の持つ皇気の限りを尽くして伯祖母さまを”この世に引き止めよう”とされたと仰っていた。その力が、伯祖母さまの魂を完全無垢な形で、生まれ変わらせてくれた可能性は、ある)


そうであるならば、生まれ変わった者が、例え平民であろうとも、皇族の力と寿命を持つことも十分あり得ることだった。


そして、例えそうでなかったとしても――――もう、レオはシェーラを諦めることなど、できそうにない。





「……バランディ商会のシシル・ヴェストルについて、詳しく調査しろ。ゲン国王の目的は、ほぼ間違いなく彼だ」


レオの言葉に、従者はわずかに片眉を上げた。

彼としては最大限の驚きの表情である。

そのまま黙って頭を下げると、配下に命令すべく部屋を出て行った。



レオは、ソファーに深々と体を沈める。

目を閉じ、脳裏にシェーラの姿を思い描いた。

ドクドクと高鳴る鼓動と共に。



(彼女の側に、危険を近づけたままにしておくわけにはいかない。……シシルも、バランディもだ)



絶大な権力と力を持つ第三皇子は、心に強く決意したのだった。


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