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(嬉しい? ……って、何が? まさか私に叱られて?!)
レオの爆弾発言を聞いたシェーラは、唖然としてしまう。
(レオったら、この前もそんなことを言っていたけど……本当に本当の被虐趣味になっちゃったの?)
背中に、ダラダラと嫌な汗が流れ落ちた。
(昔は普通だったのに……私が死んでから、レオの身にいったい何があったのぉ~!)
声なき叫びをあげて、ジッとレオを見つめる。
当のレオは、幸せそうに笑み崩れていた。
(くっ! こんな時でも可愛いなんて……さすがレオだわ!)
美しすぎる笑みに、シェーラは内心悶える。
心配したり悶えたりと大忙しな彼女の心情に気づく風もなく、レオはどこかうっとりとシェーラを見つめた。
「不思議だね? ……君の言葉は、私の胸に何故か真っ直ぐに響いてくる。君が、本当に私のことを心配して言ってくれているってことが、ちゃんとわかるんだよ。――――こんなことは、家族以外では君がはじめてだ」
それは――――シェーラが厳密には“家族以外”ではないせいだと思われた。
「前に会った時も、君に叱られると胸がドキドキ高鳴るって言っただろう? ……今も同じなんだ。――――私の言動に腹を立てながらも、真剣に私のことを思って、私のために叱ってくれる君の姿に、胸が熱くなる。……こんなこと、家族の中でも伯祖母さま以外には、なかったのに」
それは――――シェーラがまさしく、その“伯祖母さま”だからに相違なかった。
しかし、まさかそう言うわけにもいかない。
「……伯祖母さま?」
なので、シェーラは素知らぬふりで聞いてみた。
レオの“伯祖母さま”なんて存在は知らないという設定なのだから、聞き返すのが普通だろう。
レオは頷き、白い頬を微かに赤く染めた。
「ああ、そうだよ。――――私の伯祖母さまは、とても素晴らしい女性なんだ。……私の“全て”であり“唯一”でもあられた。……でも、お亡くなりになってしまわれて……以来、私の胸は、ずっと冷えたままだったんだ。……なのにそれが、先日、君に叱られて久方ぶりに温かくなった。でも、そんなはずがあるわけないから、きっと勘違いしたのだと思っていたのだけれど――――勘違いでは、なかったんだね」
悲しみと喜びが入り混じった複雑な笑みを、レオは浮かべる。
シェーラの手を握る長い指が優しく動いて、彼女の手の甲を撫でた。
シェーラは――――大きく顔を引きつらせる。
(“全て”で“唯一”なんて――――大袈裟すぎでしょう!? まったく、レオったらなんて甘えん坊なのよ!)
心の中で怒鳴った。
しかし、どうやらレオは被虐趣味ではなかったようで、そのことにはホッとする。
とはいえ、このままにしておくわけにもいかなかった。
(胸が高鳴るだなんて――――まかり間違って“恋愛感情”だとでも思いこんだら、たいへんだもの)
その前に釘をさしておくべきだ。
「正真正銘、間違いなく“勘違い”です!」
シェーラは、きっぱりと否定の言葉を告げた。
「ええっ!?」
レオは、ものすごく不満そうに口を尖らせる。
(くっ! レオったら、拗ねた顔も可愛い――――って、悶えている場合じゃないわ!)
今度は悶える前になんとか気持ちを立て直したシェーラは、ピンと背筋を伸ばした。
「レオ……さまは、きっと今まで私のような平民女性から叱られたことがなかったので、その驚きのドキドキと胸の高鳴りを混同していらっしゃるんです!」
絶対そうに違いない! それ以外は考えられない! と、シェーラは強く思う。
同時に、レオの手の中から自分の手を、スッと引き抜いた。
残念そうな顔をするレオは、見ないふりをする。
「不敬は謝ります。……今後、私は二度とレオさまを叱ったりしませんので、レオさまもこれ以上勘違いしないでください!」
そう言ったシェーラは、謝罪の意を込めて深々と頭を下げた。
「勘違いなどではないと思うのだけ――――」
「勘違いです!」
話しはじめたレオの言葉をすかさず遮り、シェーラは力説する。
「そんなことはな――――」
「あります! 絶対! 完全に! 間違いなく! 勘違いです!!」
反論を、これでもかと封じ込めた。
頑なな彼女の態度に、ついにレオは、形のいい眉を情けなく下げて降参だと言うように両手を上げる。
「そこまで言い張られたら仕方ないね。……わかった。“今は”勘違いだということにしておいてあげるよ」
なんだか微妙な返事をして、両手を下ろした。
(“今は”って、何?)
ムッとするシェーラを、レオは眩しそうに見つめてくる。
「本当に、君は変わった娘だね? 普通、君ぐらいの少女なら、私が微笑みかけただけで、なんでも言うことをきいてくれるものなんだよ?」
心底不思議そうにレオは話す。
その様子を見たシェーラは、またカチン! ときた。
(そうやって甘えてばかりじゃいけないって、ずっと注意していたのに! ――――レオったら、やっぱりそこも直していなかったのね?)
呆れてしまうが――――しかし、もう二度とレオを叱らないと宣言した手前、我慢するしかなかった。
「……私のことは放っておいてください。それより、お話を進めましょう。私は、このカフェで町を回る計画を立てるものだと思っていたんですが……それとバランディさんがどう関係するんですか?」
気を取り直してシェーラは真面目に質問した。
丁度そのタイミングで、カフェの店員が注文したコーヒーを運んでくる。
音は遮断したレオだが、人の動きまで制限したわけではないようで、店員はチラチラとレオを見ながらコーヒーを二人の前に置いて下がっていった。
このコーヒーは、カフェのオリジナルブレンドなのだそうで、深い香りが動揺した心を静めてくれる。
そのままストレートで飲みはじめたシェーラは、目の前で角砂糖をこれでもかとコーヒーに入れるレオに苦笑をこぼした。
(やっぱり、甘党なのも変わらないのね)
レオは、本当にヴァレンティナが知っている彼そのものだった。
ヴァレンティナが死んでもうすぐ二十年。
寿命の長い皇族にとって二十年など短いものだが――――それにしても、レオは不思議なくらい変わっていない。
(まるで、変わってしまうのを拒否しているみたいだわ)
先ほどレオは、ヴァレンティナが死んでから、ずっと自分の胸は冷えたままだったと言った。
ひょっとしたら、彼は胸だけでなく全てを凍りつかせていたのかもしれない。
コーヒーの苦みに子供みたいに顔をしかめるレオを、シェーラは複雑な気分で見つめた。
(……ううん。今はそんなことを考えている場合じゃないわよね。それよりレオの意図を知らなくちゃ)
シェーラがバランディのお気に入りであろうがなかろうが、町を回るのには関係ないはずだ。
バランディは悪徳商会の会長だが――――そんなことを”レオ”が気にするとも思えなかった。
もう一個、角砂糖をコーヒーに足したレオは、スプーンでカップの中をかきまぜながら話しはじめる。
「君に町を案内してほしいと頼んだのは、親しくなる口実だよ。私は君からジルベスタ・バランディの情報を聞き出したかっただけだからね」
あっさりとそう暴露した。




