33
それは、今から二年ほど前のこと。
たまたま通りかかった別の町の道端で、シシルは行き倒れていたそうだ。
(……どこかの社長の息子みたい)
借金を親に押しつけ逃げたあげく行き倒れた男を、シェーラは思い出す。
行き倒れなんて滅多にないことだと思っていたのだが……案外頻繁にあるものなのだろうか?
「俺たちが、シシルが倒れていた場所を通ったのは、本当にイレギュラーなことだ。前から予定されていたわけでもなんでもない、まったくの偶然。……だから、シシルが俺たちに接近する目的で、わざと行き倒れていたという可能性はない」
キッパリ言い切るバランディは、よほど確信があるのだろう。
「……そうなんですね」
ちょっとホッとして、シェーラは頷いた。
彼女だって、シシルが諜報員だなんて、あってほしくないと思っている。
(私の見る目も、そんなに曇っていなかったってことよね?)
そちらの意味でもシェーラはホッとした。
馬車を走らせながら、バランディは話を続ける。
「シシルは、たぶんどこかの貴族の“庶子”だと思う。助けた後で事情を聞いたんだが……あいつが暮らしていたのは、かなり大きな屋敷のようだった。召使い――――おそらく監視人も兼ねていたんだろうが――――そんな人間が数人居て、物心つく頃にはそこで暮らしていたそうだ。逃げ出すまで一歩も外に出たことがなかった、と言った」
「一歩も?!」
シェーラは驚きの声を上げる。
バランディは硬い表情で頷いた。
「ああ。要は“監禁”されていたんだろう。……もっとも本人に自覚はなかったがな。――――シシルは、子供が外に出られないのは当然なのだと思っていた。一緒に暮らしていた屋敷の者たちも、みんな親切で不満はなかったと。……なのに、ある夜、急に“ばあや”に起こされて『お逃げください』と言われたんだそうだ。夜道を、方向も何もわからず一緒に走ったが、途中で男の怒鳴り声が聞こえて、別行動をすることになったという。その後は、はぐれてしまって、探そうにも自分がどこにいるかもわからず、できなかったと泣いていた。……その“ばあや”に『誰にも見つかってはいけません』と言われたから、人目を避け、飲まず食わずで歩き続けて、ついには行き倒れたそうだ」
「それって――――」
思っていた以上に痛ましいシシルの事情に、シェーラは絶句する。
そのはぐれた“ばあや”が、追っ手に捕まってしまったのは間違いないだろう。
「ああ。……おおかた、シシルを閉じ込めて育てていた奴――――おそらくシシルの父親だろうが――――そいつが“庶子”の存在を本妻に見つかるか何かして、シシルが邪魔になったんだろうな。……それで、殺されかけたというわけだ」
バランディは、苦々しくそう言った。
彼の口から出る「庶子」という言葉は、やけに冷たく耳に響く。
(たぶん、バランディさん自身か……そうでなければ、彼の両親のどちらかが庶子なのかもしれないわ)
バランディは、皇族の血を引く貴族の先祖返りだ。
その彼が庶民だということは――――要はそういうことなのだろう。
(シシルは、バランディさんにとって昔の自分のようなものなのね)
だから行き倒れたシシルを放っておけず保護したのだろう。
シシルを不審に思ったシェーラに「大丈夫だ」と断言したのも頷ける。
「シシルは、常識も何もわかっていない子供だったからな。いろいろ教えるのに苦労した」
当時を思い出したのか、バランディはフッと表情を和らげる。
その笑顔が優しくて、シェーラはドキンとしてしまった。
「……シシルは、バランディさんに救ってもらえて幸せでしたね」
熱くなる頬を意識しないように早口でそう言えば、バランディは「どうだかな」と、呟く。
「もっとまっとうな人間に拾ってもらった方が、あいつにとっては幸せだっただろう。誰に聞いたってそう言うに決まっている。俺だってそう思うからな。……だから俺は、シシルが回復したら、堅気で信頼できる人間に預けるつもりでいた」
バランディは“悪徳商会”のボスだ。
そんな自分と一緒にいてもシシルのためにならないと思った彼は、シシルを別の人間に預けようとしたという。
「だがな。シシル本人が嫌がったんだ。あいつは、俺と出会えたことを『運命』だと言って、離れるのを嫌がった」
「運命?」
それはまたずいぶん大袈裟な物言いだった。
(まあ、命の恩人なんだし? ……そんな風に感じるのは普通なのかしら?)
シェーラが考え込んでいれば、少し馬車のスピードを落としたバランディが彼女の方に顔を向ける。
「ああ。“ばあや”のお導きだとさ」
そう言って、手綱から片手を放し、自分の目を指さした。
「俺の目が、時々おかしな感じで光を反射するのに、お前は気づいているか? どうも、この目がシシルにとっては“特別”らしい。……シシルを逃がしてくれた"ばあや"が言っていたんだそうだ。――――『瞳に光を持つ御方』を頼れと」
そう話すバランディの黒い目が、金色の光を弾いた。
シェーラの胸が、ドクン! と大きな鼓動をたてる。
(……それは)
バランディの黒い目に金彩が混じるのは、皇家の傍流の血が流れているからだ。
傍流、主流にかかわらず皇家の血を引く者は、瞳に何かしらの光を持っている。
(金、銀、青に紅……家系ごとに色が違っているのよね。金は、傍流の中でも武人を多く輩出する家系の色じゃなかったかしら?)
当然直系である皇帝の家系にも色はあった。
シェーラの前世である女皇は、美しい明け方の空の色の目の中に神秘的な紫の光を宿していた。
『瞳に光を持つ御方』とは――――つまりは皇族を呼び表す言葉なのだ。
(もっとも、目の中に光があるなんて余程近くにいかなければわからないから、高位貴族以上の者でなければ、そんな呼び方しないんだけど)
何故、それをシシルが――――いや、シシルを育てた“ばあや”が知っていたのだろう?
『瞳に光を持つ御方』を頼れということは、すなわち皇族を頼れということ。
ただの貴族の庶子が、皇族を頼っても相手にされる可能性は低い。
(……シシルは普通の貴族の庶子じゃないの?)
シェーラの胸に、もやもやとした疑念が広がった。




