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それは、今から二年ほど前のこと。

たまたま通りかかった別の町の道端で、シシルは行き倒れていたそうだ。


(……どこかの社長の息子みたい)


借金を親に押しつけ逃げたあげく行き倒れた男を、シェーラは思い出す。

行き倒れなんて滅多にないことだと思っていたのだが……案外頻繁にあるものなのだろうか?


「俺たちが、シシルが倒れていた場所を通ったのは、本当にイレギュラーなことだ。前から予定されていたわけでもなんでもない、まったくの偶然。……だから、シシルが俺たちに接近する目的で、わざと行き倒れていたという可能性はない」


キッパリ言い切るバランディは、よほど確信があるのだろう。


「……そうなんですね」


ちょっとホッとして、シェーラは頷いた。

彼女だって、シシルが諜報員だなんて、あってほしくないと思っている。


(私の見る目も、そんなに曇っていなかったってことよね?)


そちらの意味でもシェーラはホッとした。

馬車を走らせながら、バランディは話を続ける。


「シシルは、たぶんどこかの貴族の“庶子”だと思う。助けた後で事情を聞いたんだが……あいつが暮らしていたのは、かなり大きな屋敷のようだった。召使い――――おそらく監視人も兼ねていたんだろうが――――そんな人間が数人居て、物心つく頃にはそこで暮らしていたそうだ。逃げ出す(・・・・)まで一歩も外に出たことがなかった、と言った」



「一歩も?!」


シェーラは驚きの声を上げる。

バランディは硬い表情で頷いた。


「ああ。要は“監禁”されていたんだろう。……もっとも本人に自覚はなかったがな。――――シシルは、子供が外に出られないのは当然なのだと思っていた。一緒に暮らしていた屋敷の者たちも、みんな親切で不満はなかったと。……なのに、ある夜、急に“ばあや”に起こされて『お逃げください』と言われたんだそうだ。夜道を、方向も何もわからず一緒に走ったが、途中で男の怒鳴り声が聞こえて、別行動をすることになったという。その後は、はぐれてしまって、探そうにも自分がどこにいるかもわからず、できなかったと泣いていた。……その“ばあや”に『誰にも見つかってはいけません』と言われたから、人目を避け、飲まず食わずで歩き続けて、ついには行き倒れたそうだ」



「それって――――」


思っていた以上に痛ましいシシルの事情に、シェーラは絶句する。

そのはぐれた“ばあや”が、追っ手に捕まってしまったのは間違いないだろう。


「ああ。……おおかた、シシルを閉じ込めて育てていた奴――――おそらくシシルの父親だろうが――――そいつが“庶子”の存在を本妻に見つかるか何かして、シシルが邪魔になったんだろうな。……それで、殺されかけたというわけだ」


バランディは、苦々しくそう言った。

彼の口から出る「庶子」という言葉は、やけに冷たく耳に響く。


(たぶん、バランディさん自身か……そうでなければ、彼の両親のどちらかが庶子なのかもしれないわ)


バランディは、皇族の血を引く貴族の先祖返りだ。

その彼が庶民だということは――――要はそういうことなのだろう。


(シシルは、バランディさんにとって昔の自分のようなものなのね)


だから行き倒れたシシルを放っておけず保護したのだろう。

シシルを不審に思ったシェーラに「大丈夫だ」と断言したのも頷ける。


「シシルは、常識も何もわかっていない子供だったからな。いろいろ教えるのに苦労した」


当時を思い出したのか、バランディはフッと表情を和らげる。

その笑顔が優しくて、シェーラはドキンとしてしまった。


「……シシルは、バランディさんに救ってもらえて幸せでしたね」


熱くなる頬を意識しないように早口でそう言えば、バランディは「どうだかな」と、呟く。


「もっとまっとうな(・・・・・)人間に拾ってもらった方が、あいつにとっては幸せだっただろう。誰に聞いたってそう言うに決まっている。俺だってそう思うからな。……だから俺は、シシルが回復したら、堅気(かたぎ)で信頼できる人間に預けるつもりでいた」


バランディは“悪徳商会”のボスだ。

そんな自分と一緒にいてもシシルのためにならないと思った彼は、シシルを別の人間に預けようとしたという。


「だがな。シシル本人が嫌がったんだ。あいつは、俺と出会えたことを『運命』だと言って、離れるのを嫌がった」



「運命?」



それはまたずいぶん大袈裟な物言いだった。


(まあ、命の恩人なんだし? ……そんな風に感じるのは普通なのかしら?)


シェーラが考え込んでいれば、少し馬車のスピードを落としたバランディが彼女の方に顔を向ける。


「ああ。“ばあや”のお導きだとさ」


そう言って、手綱から片手を放し、自分の目を指さした。



「俺の目が、時々おかしな感じで光を反射するのに、お前は気づいているか? どうも、この目がシシルにとっては“特別”らしい。……シシルを逃がしてくれた"ばあや"が言っていたんだそうだ。――――『瞳に光を持つ御方』を頼れと」



そう話すバランディの黒い目が、金色の光を弾いた。


シェーラの胸が、ドクン! と大きな鼓動をたてる。



(……それは)


バランディの黒い目に金彩が混じるのは、皇家の傍流の血が流れているからだ。

傍流、主流にかかわらず皇家の血を引く者は、瞳に何かしらの光を持っている。


(金、銀、青に紅……家系ごとに色が違っているのよね。金は、傍流の中でも武人を多く輩出する家系の色じゃなかったかしら?)


当然直系である皇帝の家系にも色はあった。

シェーラの前世である女皇は、美しい明け方の空の色の目の中に神秘的な紫の光を宿していた。



『瞳に光を持つ御方』とは――――つまりは皇族を呼び表す言葉なのだ。



(もっとも、目の中に光があるなんて余程近くにいかなければわからないから、高位貴族以上の者でなければ、そんな呼び方しないんだけど)


何故、それをシシルが――――いや、シシルを育てた“ばあや”が知っていたのだろう?


『瞳に光を持つ御方』を頼れということは、すなわち皇族を頼れということ。


ただの貴族の庶子が、皇族を頼っても相手にされる可能性は低い。



(……シシルは普通の貴族の庶子じゃないの?)



シェーラの胸に、もやもやとした疑念が広がった。

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