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(レオったら、乙女心をなんだと思っているの!? ……そう言えばレオは末っ子。甘やかされて、ちょっと失言しても謝れば直ぐに許してもらえるからって、ズケズケ言いたい放題のところがあったわね)
可愛い姪孫の“玉に瑕”を、シェーラはようやく思い出す。
(ずっと結婚しなかった前世の私に『どうして結婚しないの?』って、いつまでもしつこく聞いてきたのも、レオくらいだったわ)
大人は全員彼女の事情をわかっていたし、最初はわからない他の子供たちも、ヴァレンティナや他の大人たちが困った表情を浮かべれば、そこは察して引いてくれた。
そんな中、レオだけはいつまでも理由を聞き続けたのだ。
そしてついには、
『結婚するお相手がいないの? だったら、僕が伯祖母さまと結婚してあげる!』
そう高らかに宣言したのだった。
(あの時のレオは、本当にまだまだ幼い子供だったのよね。だから、みんな苦笑して――――私も一緒に笑ったわ。……そう、確か『大人になって、とびきりのいい男になったらね』って答えたんじゃなかったかしら? …………でも、レオはもう五十七歳。あの時とは違うのに! 言っていいことと悪いことの分別くらいつくはずでしょう!)
シェーラは、キッ! とレオナルドを睨む。
「……『フラれた』『フラれた』って、何回も! 私の男運が悪いから、なんだって言うんです!? デリカシーがないのにも、ほどがあるでしょう!!」
腰に両手を当て、胸を反らせ、シェーラは怒鳴った。
部屋の入口近くに立っている彼女は、座っているレオナルドを勢い見下ろす形になる。
可愛いらしい外見の少女に、遠慮なく怒鳴られたレオナルドは、呆気に取られたように形のいい唇をポカンとあけた。
信じられないものを見るような視線を、シェーラに向けてくる。
そんなレオナルドの前に座っている社長は――――可哀そうなくらい顔を引きつらせていた。ピキッと動きを止め、少し広めな額にポツポツと汗が浮き出はじめる。
壁際に立っていた工場長は――――顔色を青ざめさせ、カタカタと震え出した。
二人の様子を見たシェーラは――――ハッ! として、自分の失敗を悟る。
(やばっ! レオは、メラベリューの文官って設定だったわ。国の役人を町工場の女工が叱りつけるなんて、絶対まずいわよね)
今更ながらにシェーラは、自分のしたことに青くなった。
普通の平民女性なら、絶対やらない失態だろう。
慌てて腰に当てていた手を下ろし、レオナルドに対し頭を下げようとした。
そこに――――
「……ああ、そうか。そんなつもりはなかったのだが。……私はまたやってしまったのだな。陛――――祖父に、いつも注意されているのに。いつまで経っても私はダメだな」
レオナルドの低い声が聞えてきた。
なんだか弱々しい声で、シェーラは思わずレオナルドを見てしまう。
目があえば、情けなく眉を下げた美しい男が、ためらいなく頭を下げてきた。
「不快な思いをさせたのなら、すまなかった」
清々しいほどの謝りっぷりである。
これに慌てたのは、社長と工場長だった。
「そ、そんな! クリシュさま、どうかお顔を上げてください! 謝らなければならないのはこちらの方です! 当社の工員がたいへん失礼をいたしました!」
ギクシャクと立ち上がった社長は、その場で九十度の角度で頭を下げる。
「本当にその通りです! まことに申し訳ございません!」
続けて工場長が叫んだ。
「カミュさん! 君も早く謝りなさい!」
ものすごい勢いでシェーラの側に駆け寄ってきて、命令してくる。
もちろん、シェーラもそうするつもりだった。
はっきり言って自分が悪いとは欠片も思っていないのだが、身分や立場等を考えれば謝らないわけにはいかないだろう。
そう思っていたのに――――
顔を上げたレオナルドは、慌ててシェーラと工場長を止めた。
「止めなさい。悪いのは私だ。彼女に謝らせる必要は、どこにもない」
「し、しかし――――」
「私が“いい”と言っている」
レオナルドの声に、ほんの少し皇気が混じった。
それだけで、社長と工場長の体が、ビクッと震える。
――――次の瞬間、その皇気はフワッと跡形もなく消え去った。
空気が軽くなると同時に、レオナルドが艶やかに笑う。
「キツイ言い方になってしまってすまないな。しかし、可愛らしい少女に謝らせるなど、私にはとてもできないのだよ。……わかってくれるだろう?」
この世の者とも思えないほど美しい男に、優しく微笑まれ、なおかつ懇願され――――社長と工場長は頬を真っ赤に染めた。
コクコクとひたすら首を縦に振る。
(……あざとい。やっぱり末っ子だわ。レオったら、体は大きくなったけど、性格は子供の時のままなのね)
わがまま放題で好き勝手に振る舞うレオナルド。
皇家の問題児であった彼は、しかし皇族一の甘え上手でもあった。
レオナルドの言動にどんなに腹を立てた者も、彼が青い目をパチパチさせて『ごめんなさい』と殊勝に謝れば、たちまち許してしまうのだ。
『レオには敵わないな』が、皇族間の共通認識になっていた。
時を経ても変わらないレオナルドの言動に、シェーラは懐かしさを覚えると同時に呆れてしまう。
とはいえ、彼に謝らなくてもよくなったことに、ホッともしていた。
(どう考えても悪いのはレオだものね)
レオナルドは、美しい笑みをシェーラに向けてくる。
「私を許してくれるかな?」
「はい」
頷く以外のことなどできるはずもなかった。
シェーラの立場的に考えても当然だろう。
仕方ないなと思っていれば、立ち上がったレオナルドがシェーラの方に近づいてきた。
「ああ、よかった。君のような“好み”の女性に嫌われてしまったらどうしようかと思ったよ」
大袈裟なほどにホッとして、笑顔をますます輝かせる。
「…………はい?」
シェーラは、キョトンとしてしまった。
社長も工場長も、ポカンとする。
今、レオナルドは、とんでもないことを言わなかっただろうか?
(え? 好みって、レオが“私”――――シェーラを?)
あまりに驚きすぎて、シェーラは動くことができない。
レオナルドは、そんなシェーラの真正面に立った。
「私は、君のように意思のしっかりした女性が“好み”なんだ。君に叱られた時は、胸がドキドキ高鳴って、不覚にも動きが止まってしまったよ。……それで、先ほどの話をまた蒸し返して悪いんだけど、君は、今は誰とも付き合っていないんだよね?」
ニコニコニコニコ、レオナルドは、天使もかくやという笑顔を惜しみもせずにシェーラに向けてくる。
(……叱られて胸が高鳴ったなんて……レオったら、まさかの被虐趣味なの!?)
あまりに衝撃的な話を聞いて、シェーラは思わず「はい」と正直に答えてしまった。
これ以上はないと思ったレオナルドの美しい笑みが、ますます光り輝く。
「ああ、良かった! では、シェーラ・カミュさん。私と、つき合ってくれませんか?」
とんでもなさもここに極まれり! といった発言を、レオナルドはした。
シェーラはピキリと固まる。
社長と工場長は、口をパカンとあけすぎて顎が落ちてしまいそう。
社長室の中が、シンと静まり返る。
「…………お、お、お断りします!!」
甲高いシェーラの声が、静寂を破った。
――――フラっと体を傾げた社長が、ソファーの上にバタンと倒れ気絶する。
ガタン! と音がして、見れば工場長が椅子の背に手をかけて必死で体を支えていた。
全力で断ったシェーラは、絶対自分は悪くないと心から思った。