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シェーラの願いが聞き届けられたのは――――春と言うにはまだ寒く、曇り空が広がる日の午後のことだった。
昼休憩が終わり、自分が担当する力織機の調整をしていたシェーラを社長が呼び出したのだ。
いくら工場を救うアイデアを出したとはいえ、シェーラはただの女工。
工場の現場主任や工場長などからは、ちょくちょく呼び出されるものの、社長直々に呼ばれることなど滅多にない。
いったい何事かと急いで駆けつければ、客室の入り口から一番遠いソファー、いわゆる上座に一人の男がゆったりと座っていた。
背中でゆるく結んだ豪華な金の髪。
険しい山々に囲まれ神秘的に輝くカルデラ湖のごとく限りなく澄んだブルーの瞳。
完璧なシンメトリーを描く整った顔。
長い手足は、座っていても男がかなりの高身長だということを教えてくれる。
彼が纏う衣服は、織物工場に勤めるシェーラたちでさえ滅多にお目にかかれないような極上の布で作られたオーダーメードだった。
誰もが認める最上級の男を一目見た瞬間――――シェーラの胸はドキリと高鳴る。
だって、仕方ない。
(レオ……大きくなって)
その男の名は、レオナルド・クリシュティア・セオ・レーベンスブラウ。
皇国の皇太子の三男であり、現皇帝の孫。
シェーラの前世である女皇ヴァレンティナの姪孫(姉弟の孫)だった。
生涯独身で自分の子や孫がいなかったヴァレンティナにとって、愛する弟の子供は我が子も同然。
もちろん孫も同様だ。
中でもレオナルドはヴァレンティナによく懐き、ヴァレンティナ自身も目の中に入れても痛くないほどに可愛がっていた子供だった。
ジ~ンと、痺れるような懐かしさに浸っていたシェーラだが、ハッと気づいて慌ててその場に両膝をつく。
深々と頭を下げた。
(今の私は平民だもの。皇族、しかも皇孫を前に立っているなんてあり得ないわよね!)
そう思ったのだが――――
「は? ……カ、カミュさん? 急にいったいどうしたのかね?」
戸惑ったように、部屋の中――――ドアの脇に立っていた工場長が聞いてきた。
「……え? あ、だって、その……皇孫殿下の御前で立っているわけにはいきませんよね?」
シェーラの答えを聞いた工場長と社長が「ふぇっ!?」と、変な声を上げる。
「こ、皇孫殿下!?」
恐る恐る顔を上げてみれば、二人は驚愕の表情を浮かべて固まっていた。
畏れ多くもレオナルドの向かいの席に座っていた社長などは、ダラダラと冷汗を流しはじめる。
(え? ひょっとして社長も工場長もレオの正体を知らないの?)
目をパチパチと瞬かせるシェーラの方に、レオナルドが視線を向けた。
「私は、皇孫殿下ではありませんよ」
しれっとしてそう言った。
「……はい?」
「あなたは殿下――――おそらく、レオナルド殿下でしょうが、その絵姿でも見たことがあるのですか? 確かに私を殿下と似ていると言う者もいますが……それはとても畏れ多いこと。私は貴族ですらありませんからね。どうか止めてください」
レオナルドの言葉に、社長と工場長はホッとしたように息を吐いた。
「ああ、なんだ。そうだったのか」
「カミュさん、驚かさないでください。――――こちらは、セオ・クリシュさま。我が国メラベリューの流通を管理する部署の文官でいらっしゃいます」
額の汗を拭きつつ社長が納得し、安堵を声ににじませながら工場長がレオナルド――――いや、文官セオ・クリシュの紹介をしてくれる。
シェーラは、再び目を瞬かせた。
(ああそうか。レオはお忍びなのね? ……でも、いくら皇気を隠しても、レオが属国の一文官なんてあり得ないと思うけど。雰囲気からしてまるで違うわよね? ……まあ、でも社長と工場長が納得しているなら問題ないのかしら?)
田舎町のミームには皇族や王族はもちろん、彼らに仕える官吏すら滅多に訪れない。
だから、以前シェーラの通っていた学校に下っ端貴族が来た時も、大騒ぎだったのだ。
そんな住民たちにとっては、皇族も王族も貴族も官吏も――――全員が自分達とは住む世界の違う天上人。
区別なんてつかないし、つけなくとも支障ないのだろう。
それにしたってと、シェーラは思うが――――可愛い姪孫のレオが身分を隠したがっているのなら、シェーラが暴くわけにもいかなかった。
「立ちなさい」
レオナルドから声をかけられ、シェーラは、渋々従う。
「仕事中にわざわざ来てもらって悪かったね。……今回、私がこの工場を訪ねたのは、この品について聞きたいことがあるからだ」
そう言ってレオナルドが見せてきたのは――――幸運を呼ぶ図柄の入った例のハンカチだった。
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