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そして、それから半年後。
キャビン織物工場は、全工場フル回転で操業していた。
「バランディ商会から、また追加注文です。ハンカチ五万枚とショールを三万枚。納期は一ヶ月後だと言っています!」
「無茶を言わないでください! 今だって、いっぱいいっぱいで働いているんですよ。間に合うはずがないでしょう? 断ってください」
「ええっ! 無理ですよ! 俺に死ねって言うんですかっ!?」
連日の仕事で血走った目をしている工場の現場主任に「断れ」と言われた営業の担当者は、顔色を悪くしてブンブンと首を横に振る。
「使えない人ですね。……仕方ありません。シェーラ、あなたが行って断って来なさい」
突然言いつけられて、シェーラは渋い顔をした。
一介の女工だったはずなのに、いつの間にかシェーラはバランディ商会との交渉役になっている。
「またですか?」
「あのバランディさんに言うことを聞かせられるのは、あなただけです。仕方ないでしょう」
現場主任の言葉に、営業担当の男はコクコクと首を縦に振った。
そんなこともないだろうと思うシェーラだ。
傲慢で俺様なバランディだが、彼は決してバカではない。きちんと説明すればわかってくれるはず。
(他人の話を直ぐ遮る癖も、ちょっと脅し――――注意したら、あれから出なくなったし、あの程度の尊大さは可愛いものだわ)
少なくとも、皇国の肩書だけは立派だが中身がなんにもない穀潰しの貴族連中よりは、よほどまし。
自分の比較基準が、世の人々とかなり違うのだと気づかぬシェーラは、そう思う。
仕方ないなと動き出しながら、少し考えた。
「それでも断るのは無理だと思います。納期を延ばすくらいなら話を聞いてくれるでしょうけれど。……どのくらい延ばしてもらえばいいですか?」
シェーラの言葉に、現場主任は難しい顔で考え込んだ。
「そうですね。……できれば四ヶ月。最低でも二ヶ月半は延ばしてもらいたいところです。それでもかなり厳しいスケジュールですけれど。……でも、織物工場が潰れていたかもしれないと思えば、あまりわがままも言えませんからね。……まったく。半年前は、こんなことになるなんて思ってもみませんでしたよ」
工場の現場主任は、しみじみとそう話す。
風前の灯火だったキャビン織物工場は、いまやこの町――――いやメラビュー王国でも一二を争う売り上げを誇る織物工場になっている。
確かにこんなことを予想できた者は、シェーラ以外には誰もいなかっただろう。
(工場の方は、全て予定通りなんだけど――――)
現場主任に命じられ、バランディ商会に向かいながらシェーラはこの半年間を振り返っていた。
織物工場から一歩外に出れば、空は青く晴れ渡り、吹きゆく風は爽やかだ。
シェーラの茶色い髪が風になびき、サラリとゆれる。
この天気のように、キャビン織物工場は本当に順調だった。
まったく問題ないのだが――――それとは真逆に、シェーラの心境は荒れ模様。
(問題なのは、私の婚活の方だわ! 最近は、結婚話どころか、彼氏もできないってどういうことなの!?)
燦燦と輝く太陽を、シェーラは恨みがましく睨んだ。
今までシェーラは、最後のプロポーズで必ずフラれるものの、その前のおつき合いまでなら順調に進行するのが常だった。
メラビューには多い、茶色の髪と茶色の目という平凡な色の組み合わせを持つシェーラだが、彼女の容姿は、自分で言うのもなんなのだが、そこそこ可愛い部類に入る。
小柄で幼い感じがするため、絶世の美女とはとても言えないが、その分親しみやすさがあった。
このため、気に入ったフリーの男性を見つけてシェーラが告白すれば、相手はだいたいOKしてくれた。
もちろん、その後は恋人同士のおつき合いをして甘い時間を過ごしている。
(さすがに最後の一線はまだ越えたことがないけれど……軽いキスくらいまでなら普通にしていたのに)
ここ最近のシェーラは、告白にすらたどり着けていない。
(それもみんな、あのバランディのせいよ!)
見かけは二十代、実年齢は四十五歳。
男の色気たっぷりな美丈夫を、シェーラは忌々しく思い出した。
(いくら私のせいで自分の方針が変更になったからって、あの”嫌がらせ”はないでしょう?)
当初、織物工場の土地を売り払うつもりでいたバランディ。
しかし、彼はシェーラの提案を受けて、土地の売却を取りやめ、その上で借金棒引き、投資までしてくれた。
それら全ては、彼と副会長のフレディの話し合いの結果であり、彼らの意志だ。
結果として、バランディ商会も大きな利益を得たはず。
それなのに、なぜかバランディは、シェーラを面白く思っていないようだった。
そうとしか思えない仕打ちを、シェーラは受けている。
(……最初に、商会の男の子に勝手に声をかけたのが、気に入らなかったのかしら?)
仕事の打ち合わせやらお願いやらで、度々バランディ商会に足を運んでいたシェーラ。
その中で、彼女は、フレディが目覚めた時にバランディを呼びに来た自分と同い年くらいの少年と仲良くなった。
(悪徳商会なんかに居る割には素直で擦れていないし、何より顔が可愛くて好みだったのよね)
初対面の印象が悪かったのか、最初はシェーラに少し怯えていた少年も、彼女から積極的に声をかければ徐々に親しく接してくれるようになった。
(私が、つき合ってくださいってお願いしたら、ものすごく顔を真っ赤にしたし。……あれは、超絶可愛かったわ!)
しかしその赤い顔は、その後直ぐに真っ青になる。
そのタイミングで、シェーラの背後からバランディがのっそりと現れたからだ。
「ほぉ~? 俺を差し置いてそいつに告白するとはな?」
その時言われたセリフは……意味不明だ。
(差し置いてって何よ? ひょっとしてバランディって少年趣味だったの? 『俺の男に勝手に声をかけてんじゃねぇよ』ってこと?)
そう言えばバランディは、この歳でまだ独身だった。
知らなかったこととはいえ、意中の相手にポッと出の女が声をかけたのだ。
バランディが怒るのも仕方ないかもしれない……のか?
そう思ったシェーラは、丁寧に謝り身を引いたのだが――――バランディは許してくれなかった。
「お前、絶対”誤解”しているだろう?」
そんな言いがかりをつけながら、その後もシェーラが気に入った男性に声をかける度、邪魔してくるようになったのだ。
(男の嫉妬って醜いわね。……ああ、でも急がないと。今の私は、寿命の長い皇族じゃなくて普通の人間なんだから。“若さ”なんて、あっという間になくなってしまうわ)
シェーラは内心焦っていた。
彼女の両親は平民だ。
そして両親の家系には、何代遡っても貴族の血は入っていない。
シェーラは紛うことなき平民。
例え、年齢の割に外見が幼かろうとも、皇気が使えようとも――――平民に決まっていた。
シェーラはそう信じている。
そして平民は、皇族にとってはあっという間と思える間に年をとり死んでいくものだった。
(どこかにバランディの妨害なんて歯牙にもかけない男がいないかしら?)
そう考えたシェーラは、青い空を見上げる。
自分で作った幸運を呼ぶ図柄入りのハンカチを握り締めながら……願った。