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――――吉兆学という学問が、皇家にはある。
吉兆というのは読んで字のごとく良いことがある兆しで、吉兆学は偶然と考えられるその兆しのデータを収集解析する学問のこと。
(要は、長命な皇族の暇潰しなのよね。答のない、いわゆる時間の無駄遣いみたいな研究であればあるほど、みんな喜んで取り組むの)
シェーラは、心の中でため息をついた。
長命種には長命種なりの悩みがあるということだ。
吉兆学は暇潰しが一番の目的であるため、学問の成果を誰も期待していなかった。
ところが、どんな神のいたずらか、原因は何一つわからぬものの描けば必ず吉を招く紋様が発見されたのだ。
(瓢箪から駒っていうのはああいうことよね。もっとも紋様は発見されても原因がわからないから、研究していた皇族たちは誰も喜ばなかったけれど)
吉兆学の研究の醍醐味は、結果ではなく原因の究明である。
原因がわからぬ時点で、この研究は失敗となった。
それに加えて、紋様の効果も、吉と言い切るには今ひとつのささやかなものだった。
(吉を招くと言うよりも、ほんの少し強めに引き寄せるって感じなのよね? タイミングが早くなるとか、努力の結果が早く出るとか)
おそらくこの紋様があってもなくても起こる事象は同じなのではないかと、吉兆学の専門家たちは言っていた。
ただ起こるべくして起こる吉を、紋様は少々早めに引き起こしてくれるのだと。
長命種で時間を持て余している皇族にとって、そんな時間短縮はまったく意味がない。
この紋様が発見と同時にお蔵入りになったのは、当然の結果だろう。
(起こりようもない奇跡なんかはどうあっても起こらなかったもの。努力もしていない効果は絶対出ないし――――死者を生き返らせることもできない)
第一、そんなに大きな奇跡が起こるのであれば、シェーラはとっくに結婚しているはず。
自分がいまだにフラれ続けているという事実が、この吉兆紋の限界を示している。
(でも、それで十分なのよね。あんまりスゴイ効果のあるものなんて売っちゃたらとんでもないことになるわ)
小さな吉を呼ぶ紋様を図柄として織り込んだ布で作る品々。
それをシリーズ化して販売しようとシェーラは思っていた。
きっとそれらは織物工場の救世主となる。
(どうせこんな吉兆紋、皇族の誰も覚えていないだろうし。……一番の問題は、この効果をどう信じてもらうかなんだけど)
不信感丸出しのバランディをシェーラはチロリとうかがう。
彼がシェーラの言葉を信じていないのは間違いない。
(言葉は面倒よね。論より証拠といきますか)
そう結論付けたシェーラは、机の上の布をバランディへと差し出した。
「ちょっと持ってみてくれますか?」
バランディは顔をしかめる。
「……呪いの紋様ではないんだろうな?」
「あら、幸運を呼ぶ紋様は信じないのに、呪いの方は信じるんですか?」
シェーラがクスリと笑えば、バランディはムッと顔をしかめた。
「貸せ」
引ったくるようにして布を手に取る。
そのまま図柄に目を落とした。
「確かにキレイな図柄だが――――」
見ただけでわかれば苦労はない。
しかし、
「大丈夫。効果は直ぐに出ますから」
自信たっぷりにシェーラはそう言った。
「は?」
「手に取ったその瞬間、もうこの時点であなたには良いことが起こっています。もっとも、それがいつ判明するかはわかりませんけれど――――あ? でも、案外直ぐにわかるかもしれませんよ?」
皇気のおかげかどうかはわからないが、彼女は普通の人よりも耳が良い。
そのシェーラの耳に、二階のドアがバタン! と勢いよく開けられ、バタバタと慌てたような足音が階段を降りてくる音が聞えてきた。
「いい加減なことを言うと――――」
不機嫌にバランディが凄みはじめたと同時に、足音の主は部屋に飛び込んでくる!
「ボス! フレディさんが! ――――副会長が目を覚ましました!」
大きな声が、部屋の中いっぱいに響いた。