一話 自動人形
「あとは、この一般的感情プログラムを論理思考プログラムに上書きすれば」
男は目を見開いて自分のしていることがなんなのか省みることなくその作業に没頭していた。
「おい。 なあ考え直してくれ、こんなことやめないか」
忠告などその男の耳にはもう入らない。 誰も男を止められない。 家族も配偶者も娘も、男の前からいなくなってしまったから。
「ようやくこの時が来たよ。 里沙」
「もう止めるんだ!」
すべてを交通事故で失ったから。 その大きな穴を埋めるために、男は止まらない。 止められない。
「里沙…里沙、里沙! あと、少しだよ」
「そんなことをしても、お前の娘は!」
「うるさい黙れ!」
忠告すればするほど、男のタイピングは早まっていく。
「そんなことをしたら…!」
「これで、これで終わりだ。 里沙、お父さんは」
「させないぞ!」
「うっ!」
男を取り押さえ、これから行われようとしていた惨劇をなんとか一時的に防ぐことができた。 先伸ばしにしか過ぎないことだが。
「お前、何しようとしてるか分かってるのか! 止めるんだ! 今すぐ!」
「何を言っているんだ? 自分の娘を助けようとして、何が悪い!」
「おい、待て止めろー!」
「うわぁー!」
近くにあった機材を頭に投げつけた。 動かなくなったことを確認したあとすぐ立ち上がり即座にEnterを叩く。 なにかの起動プログラムが始動する。
「あぁ、このときをずっと待っていたんだ」
男が駆け寄ったそこには女の形を模したなにかが横たわっていた。 複数のコードがその体と男のコンピューターとが繋がっていて、それらは連動しているようだ。
視覚異常無し。 温度計異常無し。 発声機能異常無し。 聴覚異常有り、原因集音機の故障。 感覚異常無し。 論理思考異常有り、原因不明。 起動するにあたっての問題はなし、よって起動を開始する。
目覚めたそれは上半身を起こし、じっと男を見つめたりあたりをぐるりと見渡したりとしていた。 それらの動きはとてもなめらかで人間と変わりなかった。
この目の前の男の言語は集音機の故障により収集不能。 唇の動きから推測。 推測結果、ルグドール語の派生言語であると特定。 よってザルト人ではない。 敵の可能性高い。 場所、あたりの不明な機材から推測。 どこかの研究室の可能性。 死体を発見。 状況証拠からこの男の犯行と断定。
「あぁ、里沙。 ようやくとおさ」
グジュ グジュグブブ ブジュ ブジャ
突然、女の形を模したなにかは指で男の目をえぐり出し、そこへ親指を強く押し込む。 さらに奥へ奥へ。
ブジュブブ バギュイ
親指は固いなにかを砕き柔らかいものに触れた。 同時に男は動きを止めた。
殺害者は敵であり抹消すべき。 男は殺害者であった。 よって、男は敵であるため抹消した。 しかし、現状を第三者から把握された場合を予測。 予測結果、当自動人形が主犯と思われる可能性有り。 現場からの早急な撤退を開始する。 この格好では周囲に気付かれる可能性が高い。 服の調達。 男の服、血で汚れている…。 キレイな女物の服の調達を。
女型自動人形は裸のまま外へ飛び出し夜の町を駆ける。
当自動人形と外見の近い女性。 その女性はその女性に適切な服を着ている。 その服は当自動人形に適切である。 よって条件にあう女性の捜索を開始。
黒いパーカーに明るい紺色のスキニーパンツを着た女性が歩いていた。 帰宅途中なのか一人で行動している。 スマホに夢中で全く自動人形に気づいていない。 これから起こるのは惨劇か最悪か。
適合者を確認。 襲撃。
「えっ、ちょっとなによ! 離して、うぐっ……っ!」
自動人形は女性の首を両手で強く握りしめる。 殺意を込めて。
「息がっ…でき…」
疑問。 …論理思考に異常を検出。
首を押さえていた力が緩み、女性は消えかけた意識を寸分のところで取り戻した。
「はぁはぁはぁ…」
緩みはしたが、その手は首から離れることがなく、女性は身動きがとれずにいる。 どんなに抵抗しても、自動人形は微動だにしない。
疑問、なぜこの女性を殺そうとしている。 理由、服の調達のため。 再確認、目的達成のために女性の死は必須なのか。 この女性は敵ではない。 方法、気絶させれば服の調達は可能。 結論、必要ではない。 しかし、ここで生かせば後に発見される可能性。 発見される可能性高い。 発見されない可能性低い。 しかし、私は…。 論理思考に異常を検出。
自動人形は女性の服も下着もなにもかも奪い去った。
起きたのは、最悪だったのか惨劇だったのか。
論理思考に原因不明の異常を検出。
人目につかない路地裏で密かに服を着て、知らぬ顔で町へ、真夜中だが明るい叶町へと歩みだす。
異常。 過去、思考をひとつのことに集中させていたため、現状の把握は不完全。 現状、周辺情報の調達を開始。 しかし、これは異常と判断。 当自動人形の記録が正確であるなら、全世界はこれほどの技術への発展を果たせていない。 推測、当自動人形の機能完全停止から再起動までの期間が非常に長い可能性。 現状から推察、停止期間が千年単位ではないと予測。
自動人形がその機能を停止したその日と、再起動した今日というこの日は、まるで別世界であるかのように状況は世界は様変わりしていた。
いったい…ここは…どこ…なの…?




