連れ去ったものは
“The Madness out of Time”より
6月10日
明日のことを思うと、心配で夜も眠れない。
大丈夫、このために万全の準備をしてきたのだから。
私の愛を、あの作家さんに伝えなきゃ。
このあいだまでは凄く面白い小説を書いてくれてた。それなのに、ある日ぱったりと作品を書かなくなってしまった。
きっと心無いクソ評論家に、作品をこき下ろされたのに心を痛めたのよ。
あの作家さんが書いた本は、いつもいつも常識はずれの素晴らしい作品だから。凡人には理解できないんだわ。
だから私がつきっきりで励まして、愛を囁いてあげなきゃならない。
そうしたら、きっとあの作家さんは元気になって、またあの素晴らしくどす黒い小説を書いてくれるに決まってる。
そのためにすべきことも考えた。準備もしっかり整えた。
大丈夫、私ならできる。
6月11日
思ったよりも簡単に計画は終わった。
作家さんが、生活必需品をすべて通販に頼ってるのは知ってた。だから、通販業者のひとりに成りすまして――かわりに、本物には永久に眠ってもらったけど――作家さんの家に入ることが出来た。
作家さんの家はヘンテコな作りだったけれど、中に入ってしまえば関係ないものね。ドアから普通に入ったところで、薬で眠らせて、それでおしまい。
すっごいドキドキしたけれど、やってみたら何のこともなかったわね。
あとは車に押し込んで、ここまで連れてくるだけ。それも簡単にできたし。
今はまだ薬の影響で眠ってるけれど、明日になったら目が覚めるかしら。
6月12日
どうしちゃったのかしら。
作家さんは目を覚ましてから、しばらく呆然としていた。だから私は真っ先に状況を説明してあげたわ。
そうしたら、作家さんは顔を真っ青にして逃げ出そうとしたのよ。
分かるわ。知らない人にいきなり連れてこられたんだもの。びっくりするのは仕方ないこと。
でも私、べつに監禁しようってわけじゃないのよ?
身の回りの世話は何だってしてあげる。必要なら、夜の世話だってできるわ。作品さえ作ってくれるのなら、ここから出してあげたっていい。
それなのに、私が一生懸命になって説得しようとしても、あの作家さんったら全然耳を貸さないんだもの。ただひたすら半狂乱になって「家に帰してくれ」ばっかり。
あんまりしつこいから、灰皿で二、三回くらいひっ叩いたら落ち着いてくれたわ。
それから私はゆっくり、もう一度今の状況を説明してあげた。作家さんはぼーっとした様子だったけれど、頬をつねったら返事してくれた。
ま、しばらくはゆっくりさせてあげるのも必要なのかも知れないわね。この家に来たばっかりなのだし。
落ち着ける環境で、作家さんにはじっくりと執筆に取り組んでもらいたいもの。
今夜は彼を休ませてあげた。
明日から、私も頑張らなくちゃ。
6月13日
昨日は私もちょっと悪いことをしたと思う。
いらいらしたとは言っても、灰皿で叩くなんて良くなかったわね。
それに、彼も反省したのか、昨日までと打って変わってパソコンに向かいはじめたの。何を書いてるかはよく見てないけれど。
「あいつが来る前に……」って呟いてたけど、それって私のことよね。
怖がらせちゃったのは、ほんとうに悪かったと思う。だから、作品が完成するまで私もあんまり手を出さないことにしたの。ひとりにしてあげた方が、集中できる時もあるわよね。
いつになったら完成するかしら。でも、こういうわくわくした感じ、たまらない。
何もかもいい方向に進んでる。
今夜はぐっすり眠れそうだわ。
6月21日
しばらく日記を書くような気分じゃなかった。
とりあえず書いておくのは、私自身の気持ちを落ち着けるため。
何が起きたのか、私にも分からなかったもの。
一週間前の朝、 私は期待に胸を躍らせてわくわくしながら彼の部屋へ行ったの。
そしたら、彼の姿はどこにもなくて。
代わりに、部屋がそこらじゅう血だらけになって、べとべとに汚れてた。
自殺?事故?
そもそも彼は何処に行ったの?
何が何だか分からなくなっちゃって、しばらくぼうっとしてた。
とにかく部屋の血だけは綺麗にしたけれど、それからずっと眠れなかった。
彼がどうなったのかも分からないし、もし彼が外に出ていたとしたら――施錠していたから、ありえない話だけれど――もしそうだとしたら、きっと警察に通報されちゃう。
私、彼に怖がられてたもの。
でも警察も何もこなくて。
代わりに、部屋の隅から変な気配を感じるようになった。
じぃっと見られてるような。嫌な感覚。
でも、この家には私以外誰もいない。だから気のせいなんだろうけれど……。
もしかして、彼がまだ生きてて、何処かから私を見ているの?
もう怖くて、怖くて、あれからずっと眠れてない。
今夜は安心して眠れるかしら……。
「――で、これが部屋にあった、と」
「はい。自宅で不審死をとげた女性の家にあったものです。この女性は、先日行方不明になった男性作家の作品を好んでいたようで」
「何か関連性がある、と?」
「さあ……日記の内容も常軌を逸していますし。ただの妄想の類なのかも知れません」
「いずれにせよ、捜査はこれからだ。もう一度現場に向かうぞ」
「分かりました、警部」
ティンダロスの猟犬をモチーフに選びましたが、いかがだったでしょうか。
ミザリーのような、ちょっと病んだ女性を登場させたのは初めてです。
話の展開も含めて、先に揚げた2作品より、ちょっとだけクトゥルフ感が出たかと思いますが、どうでしょう。
ご感想、ご意見など頂けましたら幸いです。