十月聖仮装症候群
ここはどこかの街の、どこかの場所で、夜だけ開業している、小さな診療所。
月のない、とても静かな夜。一人の患者が、診療所を訪れた。
「山下恵さん」
私は受診表を確認する。
大きな瞳で、すらりとした体つき。黒く長いドレスを着ている。頭には先のとがった帽子。そして、手には大きな竹ぼうきを持っていた。
「今日はどうなさいましたか?」
「カボチャが……囁くのです」
山下は怯えたような顔で切り出した。
「夜な夜な、カボチャが空を飛びたいと夢に出てくるのです」
「なるほど」
私は問診を続ける。
「大きな鍋に、食べられないものを入れて煮込んだりしてしまって……」
「失礼ですが、猫は、どんな子がお好きですか?」
「猫はアレルギーがあってダメなんですけど……黒猫、でしょうか」
山下は首を傾げながら答えた。
「医師!」
「大変だ。洋子君、すぐに入ってもらいなさい」
私たちは慌てた。これは、急患なのだ。
「はい」
私は山下を診察室へと案内する。
山下は、デュークの顔を見て、一瞬、固まった。
これは、女性患者ではよく見られる光景なので、不思議なことではない。
「一つ質問だが、鍋に何を入れたのかね?」
「革のカバンと、靴を。本当は、生き物を入れなくちゃ、って思ったんですけど……」
山下の声が震えている。
「うん。そこで踏みとどまってよかったね。君は、十月聖仮装症候群を患っている。大丈夫。きちんと治る病気だよ」
「本当ですか?」
山下の顔がぱっと華やいだ。
「洋子君」
「はい、医師」
私は、山下を別室に連れて行き、いつものように機械をかぶせた。
「準備できました」
私の言葉を合図に、デュークはスイッチを入れ、ディスプレイを見つめる。
「これは、FO-4-A『十月に魔女は来る』だね」
「これまた、古典ですわね」
私はファイリングを取り出し、デュークに手渡す。
「うん。間違いない。送還して」
「了解」
私は部屋のスイッチに手をのばした。オレンジと黒の光が明滅した。
「うん。処置完了。洋子君」
「わかりました」
私は、機械を外し、彼女を診察室に連れていく。
「あら?」
私は、彼女の耳の裏に近い首筋に、キスマークのような噛み傷があるのに気が付いた。
「医師」
「おや?」
デュークは私の指さした場所を覗き込む。
「山下さん、失礼ですが、その傷はキスマークですか?」
「え?」
山下は手を傷の場所にあてると、思い当たるふしがあったらしく顔を赤らめた。
「ふむ」
デュークは眉を寄せ、傷口をゆっくり観察し、そこへペタリと絆創膏を張り付けた。
「……念のため、この傷をつけた方に連絡が取れるようなら、近日中にうちを受診するように伝えてください」
キョトンとした、山下にデュークはニコリと微笑む。
「単純に、独占欲の強い恋人さんならいいのですが、そうでない場合はあなたと同じ病気を患っている可能性があります。これは十月に多い病気なのですよ」
「まあ」
山下は顔を青ざめさせ、慌てて帰っていった。
「吸血鬼と魔女。実にハロウィンらしいカップルだね」
デュークはふーっとため息をついた。
「まあ、あの首のラインにキスマークを残したくなる気持ちは、私も理解できるが」
「重いですよ、それ」
私は指摘する。
「うん。洋子君はそういうひとだから、やらない」
にっこりとデュークは微笑む。
「そうそう、来月は出雲の縁結大祭があるんだけど」
「出雲大社の縁結びの絵馬がもらえるやつですね」
旧暦の神在月に行われる、神々の会合に合わせて祝詞を捧げる祭りだ。
「ちゃあんと、申し込んでおいたから、一緒に行こう」
デュークはご機嫌だ。
「医師」
私は大きくため息をついた。
「……意味わかっていて、話してますか?」
「たぶんね。ほら、職場の慰安旅行を兼ねて」
私は頭を振った。
「慰安旅行を兼ねて、そういう場所に行くのは、どうかと思います」
デュークはくすりと笑う。
「島根ワインプラス出雲そばに、宍道湖のしじみをつけよう」
「奥出雲たたらと刀剣館に行くのなら、考えてもいいですわ」
「洋子君の、そういうところ、たまらないね」
デュークは嬉しそうに微笑んだ。