狙撃手感知症
ここは、どこかの町のどこかの片隅にある、小さな診療所。
寒い冬の凍てつくようなこんな夜にも、患者はやってくる。
その患者は、ここに来る患者としてはかなり高齢だ。
「古川彰さん」
私は、受診表を確認する。
少し流行から外れた、外套に鳥打帽。どこか、陰のある雰囲気の中年男性である。
部屋の中に入ったというのに、襟は立てたままだ。
「今日はどうなさいました?」
私の質問に、男は、周りを見回した。
「その……狙われている気がするのです」
「いつからですか?」
「ひと月前からです。物陰が怖くて」
古川は、その冷静な外見とは裏腹に、乙女のように震え、そう言った。
「喫煙、飲酒はされますか?」
「どちらもしません。しませんが、気が付いたら、煙管を買っていました」
古川は、ポケットから煙管を取り出してみせる。
「挑戦状をもらったら、受けて立つ方ですか?」
「え? わ、わかりません」
古川は、戸惑いを隠せない。
「好きなゆで卵の、ゆで具合は?」
「半生……やや、柔らかめ、でしょうか」
「なるほど」
私は問診表に記載していく。
「洋子君、入ってもらいなさい」
デュークが診察室からそう言った。
「はい。医師」
私は、古川を診察室に入るように言った。
古川は、こそこそと何かに隠れるかのように壁に隠れながら診察室に入った。
「それで、物陰が怖いとは?」
デュークの問いに、古川は「はい」と頷いた。
「この一か月、夢で……夢なのですが、何者かに狙われている夢ばかり見まして」
古川はぶるぶると体を震わせた。
「ふむ」
デュークは引き出しから、赤いレーザーポインターライトを取り出した。
真っ赤な直進性のある光をデュークが私の額に向ける。
「あぶないっ、お嬢さん!」
突然、私は、古川にとびかかられて、押し倒された。
「やあ、ごめんごめん」
古川を私から引き離すかのように立ち上がらせてから、デュークは、私を助けおこした。
「うん。間違いない。君は狙撃手感知症だ」
デュークは、そういって、にっこり笑った。
「大丈夫。これは、かなり昔からある症例で、治療法は完全に確立している。すぐによくなる」
「本当ですか!」
古川は、とてもうれしそうに目を輝かせた。
よほど悩んでいたのだろう。
「洋子君、では例の部屋に」
「はい。医師」
私は古川を別室に案内し、例によって機械を頭にかぶせた。
「準備できました」
私の言葉を合図に、デュークが手元のスイッチを入れる。
「うん。これは14-d909 『銃弾は霧のかなたに』だな」
デュークがディスプレイに表示されたタイトルを読み上げる。
「古典ですね」
私は、ファイリングナンバーの最初のほうにあるファイルを、デュークに手渡した。
「うん。間違いない。送還しておいて」
「了解」
私は部屋のそばのスイッチに手をのばす。
「終わりましたよ」
私の言葉に、古川は、ほっとしたような笑みを見せた。
「さて、と」
デュークが再び、私にレーザーポインターを照らしたが、今度は動かなかった。
「うん。君は大丈夫だ。安心したまえ」
「ありがとうございました」
古川は、丁寧に頭を下げて、帰っていった。
「医師」
私は古川を見送って。
「診断に必要とはいえ、見知らぬ男に床に押し倒され、のしかかられるというのは、特別手当に値すると思うのですが」
「ああ、ごめん」
デュークは抗議した私を壁に押し付けて、あごに手をかけた。
「ちゃんと、上書きしておこうか」
にっこりと、艶やかにデュークが微笑む。
私は手にしていた問診表をデュークの顔にパシンと押し付けた。
デュークは、ふぅっとため息をつく。
「壁ドンも、顎クイも、効かないとは……つくづく洋子君は手ごわい」
私は、デュークの顔をにらむ。
「特別手当は、現金か、食事でお願いしますわ」
「……食事はありなんだ?」
うれしそうに、デュークが笑った。