悪役令嬢症候群
ここは、どこかの街のどこかの片隅にある、小さな診療所。診察時間は夜間のみ。
一種独特な思考にとらわれたひとびとがこっそり訪れる専門医だ。
「はい、小鳥遊由紀恵さん」
私、山野洋子は、初診受付表をみながら、待合室に声をかけた。
「はい」
返事をしたのは、お嬢様学校の制服を着た女の子だった。
漫画のような縦ロールな巻き髪。さりげに巻いたマフラーはブランド物だ。
「こちらへ」
私は、診察室の前にある椅子に彼女を案内して、簡単な問診をはじめる。
「今日はどうなさいました?」
少女はきつそうな目をしているにもかかわらず、おどおどした様子だ。
外見と、にじみ出るものに違和感がある──まあ、ここの患者にはよくあることだ。
「半年前から変な夢をよく見まして。どちらが正しいのかよくわからなくなってきたのです」
「そうですか」
私は彼女を観察する。
「その髪型はいつからですか?」
「三か月ほど前からです」
なぜそんなことを聞くのか? というような顔で彼女が私を見たが、私は問診を続けた。
「ポテチ、タコ焼き、ラーメンなどはお食べになりますか?」
「え? 食べません」
びっくりしたように彼女は顔を上げる。
「ファストフードはご利用に?」
「いえ」
「ホテルの喫茶店などは?」
「行かないです」
私は問診表のチェック欄をうめていった。
「では、少々、お待ちください」
少女にそう伝えた後、私は診察室に入り、問診票を医者であるデューク・藤原に渡した。
「ふむ」
カルテをみながら、デューク・藤原が顔をしかめる。
一応、4代前までさかのぼっても大和民族らしく、本名は藤原幸太郎という名だ。
しかし、彫りがとても深く、欧州系ハーフと言われたら、納得してしまう顔立ちである。飛行機に乗ると、客室乗務員に必ず英語で声をかけられる。
日常生活でも、明らかに外国人扱いされることが多い。
それで、ふだんはデューク・藤原と名乗っている。本人曰く医師名前らしい。
感覚的には、筆名とか聴取者名みたいなもののようだ。
変人ではあるが、私としては、きちんと、給料を払ってくれれば、彼がどんな民族の血を引いていてもどんな名前を名乗っていても、問題はない。
「典型的な感じだね。入ってもらって」
私は頷いて、少女を診察室へと招き入れた。
少女は、無言で頭を下げながら入ってきて、デュークの姿を見て息をのんだ。
デュークは『超絶』という言葉のつく美形のため、たいていの女性は彼を見ると固まる。
いつものことなので、私は、事務的に彼女に座るように言いながら、デュークの傍らに控えた。
少女は、ポーっと頬を赤らめて呆けている。
「小鳥遊さん?」
デュークは少女に話しかける。
彼女は、我に返ったように、「はい」と頷いた。
「半年前から、変な夢を見ると?」
問診表を見ながら、デュークが口を開く。
「あの……私、最近、変なのです」
彼女は、恥ずかしそうにうつむいた。
「幼馴染の男の子がいるのですが……なんだか、彼と『婚約』しているって夢で」
「婚約?」
デュークの目元がキランと光る。
「はい。それで、えっと。クラスメイトの女子をいじめたって、『婚約破棄』されるって夢です。それを何度も見ていて、なんかとても変な気持ちがして。だんだん何が本当かわからなくなってきたのです」
小鳥遊由紀恵はそう言った。
「君と、その『彼』との関係は?」
デュークは机の上のパソコンのキーボードに触れる。
「幼馴染です。でも、つきあってもいません」
「ふむ。それで……そのクラスメイトの女子は?」
「仲良くはしていませんけど、いじめたりしてはいません」
カタカタとデュークはカルテを記入していく。
「そのクラスメイトの女子は、モテるかね?」
「ええ。まあ。とても」
「君の幼馴染と付き合っていたりしないかい?」
「いいえ。でも、夢を見るようになってから、彼が彼女を好きなのかなと思い始めました」
そういってから、少女は首を振った。
「でも、私、二人が付き合っていてもいなくても、どうでもいいと思うのです。ただ、夢で何度もみているうちに、それを邪魔しなくちゃいけないような気がしてきちゃって。何が正しいのか……」
彼女は、瞳を伏せた。
「ふむ。きみは、悪役令嬢症候群だね」
デュークは、少女ににこりと笑いかける。
「ええっ!」
少女の顔が驚愕にゆがんだ。
「最近、非常に多い症例だ。心配ない。これは、治療法が確立しているから」
「本当ですか!」
「洋子君、あの部屋へ」
「わかりました」
私は少女を別室に案内した。
部屋は密閉空間となっていて、昔懐かしいパーマをするときのおかまのような機械『アームドライヤー』を彷彿させる機械がある。
私は、彼女を椅子に座らせ、その機械を彼女の頭にかぶせた。
「大丈夫ですよ、数分で治療は終わります」
「そうですか」
私は少し不安そうな彼女を部屋に残して、外に出た。
「準備できました、医師」
私の言葉を合図に、デュークが手元のスイッチを入れる。
ごごごっという唸る重低音の機械音がした。
私のそばにあるデータベースサーバーのランプが激しく明滅する。
「うーん。これは、35-28A-n63 乙女ゲーム『その冬を温めて』だな」
デュークがディスプレイに表示されたタイトルを読み上げた。
「非主流派なところですねえ」
私はため息をつく。
診察室の壁面に並べられた、ファイリングの中から、私はそのタイトルを探しだして、デュークに手渡した。
「うん。間違いない。じゃあ、送還しといて」
「了解です」
私は、部屋のそばのスイッチに手をのばした。
部屋から、七色の光が放たれる。
「うん。処置完了。洋子君」
「わかりました」
私は、部屋に入る。少女は、眠ったように目を閉じていた。
「小鳥遊さん」
少女は、私の声にこたえて、目を開ける。
「終わりましたよ」
「はい」
「今後は、その髪型はなさいませんように。再発するおそれがありますから」
私の脇に立ったデュークが、くるくると美しくまかれた縦ロールをしめしてそういった。
「そもそも、その『小鳥遊』という苗字の漢字も、遠因です。便宜上、『高梨』と名乗られる方が、無難かもしれません」
「苗字、ですか?」
「キラキラネームや、難読漢字の名前のかたは、かかりやすい病なのです」
「まあ」
少女は目を見開いた。
「気を付けます」
小鳥遊、改め高梨由紀恵は、喜んで帰っていった。
「医師、さすがに苗字の変更は……」
私の言葉に、ポンポンと問診表をたたいて見せた。
さきほどまで「小鳥遊」とあった苗字が「高梨」にいつの間にか変わっている。
「これで、あの子は、高梨由紀恵として、普通に生きていけるだろう」
「では、苗字も?」
「ああ、異空間干渉の後遺症だろう。まったく、最近の異世界ときたら」
彼はそう言って、大きくため息をついた。
世間で言われる厨二病というのは、異空間の干渉をうけた人物が発症する。
これといって害はないのだが、重度になると先ほどのように自分とは違う次元の記憶と経験がもとの人格をのっとりはじめるという、一種の病原菌疾患だ。
「今日はこれでおわりかな。洋子君、コーヒーを頼む」
「珈琲ですわね」
「洋子君は、あいかわらず振り仮名病が治らないね」
そういって、デュークはにやりと笑ったのだった。