大天才サカキバラ博士の旅立ち
タイムマシンでジイちゃんの最後を看取る。そこに俺の人生の答えがある。ロゼに癒されてちょっと前向きになった俺は、兎にも角にもジイちゃんに会いに行ってから考えることにした。死ぬのは、消滅するのはいつでも出来るが生きるのは今しか出来ない。
「よし。ロゼの薬オーケー。フィルムコンタクト問題なし。神経修復薬も持った。戦闘服は白衣!」
懐かしい我が家へ科学防護服で行きたくない。約五年前に俺が会った俺と同じ格好をする。ここで服を変えたら未来は変わるのか?現段階では確かめようがない。
「ウエハラ博士から伝言。五年前電話をもらってワクワクした。しかしノブはお子ちゃまだから迷子になった。行き先に君が欲しい答えがあるよ。何の話だい?」
ふーん、あの狸ジジイは何か隠している。ずっと俺に隠し事をしている。知るか知らないかは後で考えよう。しかしウエハラ博士め、ロゼのような優秀な男を伝書鳩にするとはいい度胸だ。いつかアイカとロゼに泣かされてしまえ。
「ロゼ、アイカを頼むよ」
タイムマシンに乗り込むと体がムズムズした。やっぱり科学防護服なしはちょっと厳しいかも。でもやっぱり生身でしょう!ドラゴンボールで登場したタイムマシンを模して設計した俺のタイムマシン。俺って独創性は無いんだ。
「嫌だねあんな女。僕のこと大嫌いなんだ」
吐き捨てるように告げてロゼが唇を尖らせた。ウエハラ博士はロゼをアイカの為に発明し、俺はアイカと手を繋ぐようにと祈った。なのにこれ。この姉弟達ときたらトコトン仲が悪い。
「アイカは不器用だから誰からも息を吸うように嫌われるだけさ。本音では君のこと好きだよ。器用な君が近寄ってやらないと」
信じられないというようにロゼが目を丸めた。俺はニヤリと笑って電源スイッチのレバーを下ろした。唸る回路、時空を切り裂けタイムマシン!ロゼが「サヨナラ父さん」と言うのが耳に残って燻った。
***
見慣れている、そして懐かしい実家の庭に無事到着した。目眩が酷いし嘔吐しそうだ。やっぱり科学防護服は必要だった。柔らかな木漏れ日に少し湿った空気。寝室で俺と手を繋いで眠る養父。相原隆との五年以上ぶりの再会。そして大切な初めての友達、トモの姿。俺は胸が一杯で今にも泣きそうだった。
「何時だろう?」
目を覚ました二十歳の俺がジイちゃんから離れてトモと書斎へと去っていった。俺ってあんな幼かったっけ?素早くジイちゃんの側へ移動した。死んだように眠る、痩せ細って枯木みたいなジイちゃん。こんなに小さかっただろうか?
「新型認知症に対する神経修復薬を開発したんだ。治験段階だけどもうすぐ認可。ジイちゃんクジ運悪いから効くかな?」
ジイちゃんの上半身を起こして、粉末状にしてゼリーに混ぜてきた神経修復薬を飲ませた。
「ジイちゃん、ノブだよ。ノブアキ」
ぼんやり虚ろな灰色がかった黒目は俺の顔を通り過ぎたまま。人が死ぬとき走馬灯が見えるという。俺との思い出を懐かしい、幸せだったと感じていてくれていれば良い。
「ジイちゃん。俺親不孝だから死に目に会えなかった。だからタイムマシで会いにきた。俺、大天才だったんだ」
宙を彷徨っていたジイちゃんの目線が定まった。俺の顔を凝視している。俺はますます泣いた。
「ジイちゃん。ずっと会いたかった」
入院前のしっかりとした顔付きでジイちゃんが俺にうんうんと頷いた。皺だらけの指が俺の細い白髪を掬う。
「ノブアキ。俺に最高の人生をありがとう。楽しかった」
満面の笑みを浮かべたジイちゃんが俺の頬を撫でた。もう酷く冷たい。雪合戦してみたいって言ったら、かき氷器で大量に氷を削って投げ合いをさせてくれた。あの時以上に冷たい。
「本当に?大変だっただろう?俺何も知らなかった。こんなにこの病気が大変だなんて全然知らなかった」
「知ってた。それでも俺はな……ゲホゲホ。……ったんだ。ノブアキ、いつか楽しい人生が待ってる。タイムマシンがあるなら……旅……。お前はもう……じ……」
少しずつ炎が削られていって無へ近づいていく。ジイちゃんの体を強く抱きしめてから俺はジイちゃんを寝台に横にした。俺の時は間に合わなかったけど、今二十歳の俺は間に合うかもしれない。親の死に目には絶対会ったほうが良い。俺は涙を拭いて書斎へと向かった。
ぐにゃんと柔らかいものに躓いて俺は倒れそうになった。態勢を整えると目の前に人が立ってた。隣にトモが倒れている。
俺だ。
「あの日俺を引きずった俺?」
「これからトモを誘拐する俺?」
ハモった。同一時間軸に同一人物大集合が問題ないのは身をもって証明している。理論での証明はまだだけど。
「このトモは俺が連れて行く。早くあっちのトモを連れて旅に出ろ。世界初のタイムトラベラー!めっちゃエキサイティングで感動的だ!」
そう言う割には未来の俺は心底辛そうだった。
「野球観たの?」
「さあ、どうでしょう?」
悪戯っぽく微笑んだ未来の俺が帽子のツバを得意げに掴んだ。ジイちゃんが贔屓にする日本球界のチームロゴが入っている。白衣の代わりにユニフォーム。どう見たってバレバレなんだけど。
「俺はジイちゃんと会ったら帰るから。二十歳の俺をちょっと引き止めといて。自分が泣いてる所は何度も見たくないし」
つまり俺が泣いてる所は見ていたってことね。この後の俺の行動は簡単だ。
リリリリリと電話が鳴った。
ほらね。
居間の方から「ジイちゃん使ってみたかったんだ」という昭和ぐらいの黒電話の模型。リリリリリリリと澄んだ音が居間に響き渡る。俺は未来の俺に手を振って寝室から出た。
「御用件は?」
つっけんどんな二十歳の俺から電話の受話器を奪い取る。
「え?」
「博士。約束通り成功しました。アイカはロゼの姉。これで信じてくれますか?」
電話の向こうのウエハラ博士が息を飲んだ。この時代では超極秘、ウエハラ博士の頭の中にしかないロゼと誰にも知られていないアイカの正体。"物質タイムマシン"でウエハラ博士に送りつけた手紙にこう書いておいた。到着時刻は今朝の七時。ウエハラ博士の起床時間。
「ふむ。頭が良いのは知っていたがここまでとはね。アイカとロゼは元気か?いや、やめておこう。自分の目で見たい」
ウエハラ博士はそういう人だ。タイムマシンに興味が無い。今が大切、そういう男。手紙の内容にどれだけ関心を示したのか想像もつかない。
【タイムマシンを信じるかい?みんな大好きシン・ウエハラ博士の弟子のノブアキ・サカキバラだ。今日の夜、タカの家に電話してくれ。俺が電話に出る。パスワードが合っていたら現代の俺を弟子にしてくれ。そしたら五年後にタイムマシンの完成を見られるよ。歴史的瞬間を見たくないか?同じ未来へ進もうではないか】
歴史的瞬間を見たくないか?これがウエハラ博士を擽る一言。俺って五年間の弟子生活で割とウエハラ博士の弱点見つけてるんだ。残念だけどウエハラ博士はタイムマシン初動時に国際アンドロイド学会に出席している。アイカにレモンイエローのワンピースなんてプレゼントした報いだ。こっそり見送ったアイカの嬉しそうな微笑みに対する俺の小さな復讐。とんでもなく似合っていた。
何も知らない二十歳の俺が目を白黒させている。いや、俺の瞳の色でいえば紅白か。これがドッペルゲンガー?って白い顔に書いてある。
「ドッペルゲンガーじゃ無くて未来の俺ね」
俺の笑い方をジイちゃんそっくりと感じた事を思い出す。
「何で--……」
「五年経ったら分かるよ。俺、タイムトラベラーになったから。トモは連れていくよ」
涙が湧いてきたので俺は一目散に書斎へ向かった。男の泣き顔をこれ以上晒してたまるか!しかも自分に!書斎で座り込んでいたトモをきつく抱きしめる。ずっと会いたかった。トモは俺が誰かを即座に認識したようだ。しかしそのせいで混乱している。
「ミタ・トモカ。使用者変更」
使用者は現在ジイちゃんのはずだ。
「認識コードを要求します」
「コード入力。136875jtpjm3985wpjwmga346j38aptnjadwp36872jwgmw」
ロゼに盗ませたPURE6トモカの認識コード。アンドロイドが盗人になれるって本当にどうなの?何てプログラム、プロミラングを開発したんだ俺の師匠は。全然思い浮かばない。
「パスワードを要求します」
「クジ運最悪な俺は超ラッキー!」
ジイちゃんの謎の口癖。
「パスワード2を確認しました。以後パスワード2は使用不可となります。使用者を変更します」
「よっし正解!ジイちゃんらしいな。やっぱり俺もジイちゃんと同じで勘が冴えてる!よし行こうトモ。何処に飛ばされるか分からないけど今よりマシさ。大丈夫でしょ!」
トモが大きく頷いて俺の手を握った。俺の為に特化して作られた人工皮膚。ふと思った。アイカの皮膚をこれに変えたら俺はアイカに触れられるのか?しかしそうすると"よく見ればアンドロイドのトモ"と同じになってしまう。うん、それは嫌だ。ウエハラ博士がアイカの人工皮膚を改良はすれど、俺の為に変更しないのはこれだろう。
「ちょっと俺!トモをどうするつもりなんだよ!」
二十歳の俺が激しくドアを叩く。あの日、このドアを殴りまくって拳に血が滲んだ。気づいたのはジイちゃんが亡くなったのを見てからだった。
「タイムマシンを作ったんだ!俺って天才!いや大天才サカキバラ博士の誕生だ!こんな窮屈な世界から旅立つんだよ!お前には五年間愉快な友達がいるからトモとはお別れな!」
この日のこの言葉は辛い時の支えだった。嘘は何一つもない。病気でも友達、引きこもっても友達のライアンにパーカーにロナルド。次の次にタイムマシンを使用する時はあいつらとだ。謝らないと。アイカに恋しロゼの育ての親になる俺の愉快な友達たち。でも俺は自分の時代には帰らない。未来の俺は帰るらしいからちょっと旅するだけだ。ゴメン!俺はトモと窓から屋外へと飛び出した。素早くタイムマシンに乗り込む。
「げっ、時代設定出来ない。これ本当に帰って来れるのか?修理するのか?まあいいか。帰って来るみたいだし」
過去干渉で未来は変化するのか?答えは白紙。ここから先の未来を俺は知らない。二十歳の俺がタイムマシンの前に立ち尽くした。発作が出てても動かなかったのは、未来を知りたかったからだ。
「家に戻りな。あと早くジイちゃんの所に行け」
「俺、マジでタイムマシン作ったの⁈」
「もちのろん。ヤバっ。博士のダサい台詞出ちゃった。最悪」
最低最悪。これだけは言わずにいたかった。もちろんと言うとチョップが振り下ろされてきた。習慣って恐ろしい。
「博士っ--……」
この先は未来の俺に任せる。ほらっ、二十歳の俺が未来の俺にズルズル引きずられて遠ざかっていく。何処へ行くのか分からない。初めての旅行がタイムトラベル。ロマンチックだろう?意地を張らずに、素直に共に悩んでアイカを連れて来れば良かった。でもやっぱり大親友のトモを差し置いて他の同行者はノーサンキュー。タイムマシンは二人乗りだ。
「いつか楽しい人生が待ってる」
未来は明るいって信じるから信明。忘れてたよジイちゃん。
俺は期待を胸に大海原へと舵を切った。