大天才サカキバラ博士への道のり6
ウエハラ博士はいつも俺をこき使う。持ち込まれる膨大な研究データ。訂正差し戻しだらけの研究企画書や論文。でも楽しくて仕方なかった。俺が考えたものが実現していく。こんな体験滅多に出来ない。
「プーちゃん、そろそろバカンスを取ってくれ」
いつもの時間に食堂にやってくると俺の前に仲の良い同期が並んだ。ライアン、パーカー、ロナルド。友達が増えたのは食堂通いのおかげ。これを無駄とは言わせないぞアイカ。
「休みなら取ってるよ」
人より多い週休三日、俺は好き勝手に過ごしている。漫画を読み返して、図書館施設で借りた本を読み、タイムマシンの研究。
「そうじゃなくてバカンス。今年こそ取ってもらう」
俺が一番親しいライアンが一歩前に出た。みんなちょっと怒ってる。バカンスと言われても、俺は何処にも行けない。食堂に白衣を翻すアイカが現れた。
「バカンスは強制です。プーちゃんは三年間未取得。このままでは労働監査に引っかかります」
いつも以上にアイカは棒読みだった。こりゃあアイカの意思じゃない。大方、同期の俺が休まないと休みにくいとかそんなんだろう。いい迷惑だ。
「俺は研究員ではなくウエハラ博士の弟子だ。それに病気のおかげで週休三日もらってる。そして休日の研究は仕事ではなく趣味。みんなは好きに休みを取って、バカンスも楽しんでくれ」
するとアイカが俺に紙の冊子を差し出した。ライアンがニヤニヤしている。
「何これ。旅行?」
「ウエハラ博士に許可を取ったんだ!ノブ、間違えたプーちゃん俺らと旅行しようぜ」
ペラペラと冊子をめくると行き先は俺の実家になっていた。メンバーは俺、ライアン、パーカー、ロナルド。実家近くの村での葡萄摘み、ワイン造り体験が計画されていた。冊子の後ろにウエハラ博士とアイカ、そしてローハン博士の押印がされている。
「三年かかったんだぞ!その辺りをノブ、じゃなかったプーちゃんが過ごせるように手配するのに。行き先それしかないのは次回の為にってことで」
医学研究班のパーカーが胸を張った。俺は同期三人を眺めた。ぼんやり霞む。
「お前の家に泊めてくれよ!いつも自慢している天然の家!泣くなら一緒に泣いてやるよ。それに……」
俺は入社してから一度も実家に帰っていない。だってジイちゃんもトモもいない。誰もいなくて一人ぼっちだ。腫れ物を触るようにみんなが避けていたのは知っている。ロナルドが俺の脇腹を小突いてアイカに視線を投げた。
「バカンスは強制です。プーちゃんは三年間未取得。このままでは労働監査に引っかかります。メディカルチェックの結果と計画に不備がないので貴方にバカンスを与えます」
俺はすでに泣いていた。だってこんなん反則だろう。
「私も同行します。これからウエハラ博士に返事をしにいってもらいます。返事はYES以外認められません」
俺がポカンとしていると同期三人が大笑いしはじめた。アイカは無表情で俺を見つめている。パーカーが俺の背中を殴った。
「俺たちの監視役さ。お前の病気はなかなか厄介だから」
今度はロナルドが俺の肩を殴った。結構痛い。俺は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「発案者は誰だと思う?こんな事考えるとは驚きだったよ。お前の代わりにミス・アイカをヒューマンアンドロイドって言った奴はぶっ飛ばしといたよ」
ライアンがまたニヤニヤとしている。冊子に記されていた旅行の日付は俺の誕生日だった。そんなものこの三年間忘れてた。
***
森に囲まれた瓦屋根の平屋。広めの家庭菜園の畑。手作りのアスレチックとブランコ。昼寝用の大中小のハンモック。風呂は石造りでトトロに出てくるのと同じ形。キッチンは竃。俺の家は何にも変わっていなかった。
見た目は。
「ノブ!大丈夫か?」
ライアンが俺の体を揺する。酷い目眩がして上手く立てない。この家から逃げないと俺はヤバイ。なのに動きたくない。
「持ってきた科学防護服を。ノブを支えてください。運びます」
俺は全員の腕を振り払った。この家だけからは逃げたくなかった。死んだっていい。ここはジイちゃんが俺の為に作り上げた城。世界で一番安らげる場所。こんなの嘘だ。
「清掃業者がこっそり薬品を使用したんでしょう。他にも何か……」
アイカの声は珍しく不安そうだ。
「ノブ、大丈夫か?俺らがついている」
ロナルドが俺を支えてくれる。
「事前に調べたのに!訴えてやる!」
ライアンが顔を真っ赤にして怒りを露わにしている。
「早くノブを安全な所に!」
パーカーなんて泣いている。
三年かけて計画された旅行が台無しになる。いやもうなった。みんなの気分を害す。いやもう害した。毎日毎日何処にも行けない、こんなの嫌だ。どうして俺ばかりがみんなを辛い目に合わせる。こんな奇病、世界でたった一人だなんて、なんて最悪なクジ運なんだ。天才でも意味なんてない。俺はこんな人生に誰かを巻き込みたくない。
でも……
この時ついに俺の苦悩と苦痛が噴出した。ずっと目を背けていた感情が大噴火した。俺も普通に暮らしたい。友達と飲みに行って、好きな人をデートに誘いたい。休日はのんびり公園を散策。大好きな小説作品を映像で観てみたい。
コンコンコンコン
ゼーゼーゼーゼーゼー
本物の野球をスタジアムで観戦して盛り上がりたい。バカンスといったら海外旅行だ。俺には金がある。腐る程稼いでいるのに金のかかる娯楽なんて何一つ出来ない。最先端のパソコンで思いっきり研究したい。食べたいものを食べて、好きなところを散策したい。
痒い、痛い、目がチカチカする
意識が飛びそうだ
ふいに思い出が蘇ってきた。ジイちゃんとトモと面白おかしく、楽しく過ごしてきた日々。
社会に出るまで、自分の病気がこんなにも大変だなんて知らなかった。
二十年も元気いっぱいに暮らしてきた。
ジイちゃんはいつも傍にいてくれた。
俺が反応しそうなものは軒並み排除された家。食事、掃除、遊び。手間暇かかる事ばかりの生活だったに違いない。金もきっと莫大にかかっただろう。
大好きな野球を観ずに、ラジオを聴きながら手作りのスタジアム模型と人形で俺と試合の実況をして遊んでくれた。贔屓のチームが優勝するのも行けるのに、観に行かなかった。それすら俺は今思い知る。
いつもニコニコしていたジイちゃん。楽しそうだから考えもしなかった。そのとてつもない苦労を俺は今突然気がついた。何で気がつかなかったのか。
それはジイちゃんがそういう風に育ててくれたお陰だ。
早くタイムマシンを完成させたい。ジイちゃんはこんな俺が養子になって不自由で大変で、辛かっただろう。死に際に御礼も言えなかったなんて親不孝過ぎる。死んでも死に切れない。
もしも未来が変えられるのならばクジ運最悪な大天才ノブアキ・サカキバラ博士が相原隆に必ず最高の人生を作る。
俺の親じゃない、普通の子の親になってもらう!
***
俺は一週間目を覚まさなかった。
***
この日を境に俺はタイムマシン以外の研究から撤退した。部屋から出ず、ウエハラ博士としか接しなかった。心配されても俺は無視した。こんな奇病に付き合っていると周りの連中は苦労ばかりだ。付き合わない方が良い。アイカがメディカルチェックを要求してもウエハラ博士は撥ね付けて、俺の味方をしてくれた。
「プーちゃん、好きに生きるといい。答えはまだずっと先だ」
意味深な言葉だけを残してウエハラ博士はPURE7に全身全霊で打ち込んで、俺を放置した。彼なりの優しさなのか突き放されたのかよく分からない。どちらでも構わなかった。
そして一年経過して、タイムマシンの前身、物質を過去へ転送する装置が完成した。