大天才サカキバラ博士への道のり4
目を覚ますと薄暗い所だった。そうだ、俺は世界最先端研究施設と呼ばれる「ウエハラ私設研究所本部」の入社試験に主席合格した。それでどうしたんだっけ?
「いきなり倒れるから驚きました」
無表情のアイカがベッドサイドに椅子を置いて座っていた。この部屋に越してきてまだ一週間の慣れない部屋。しかし見慣れたゆらゆらとした薄明かり。
「俺、倒れたの?」
「ええ。もう三日経ちます。入社早々病欠です。まあ貴方は通常の研究員とは違うので関係ないですが」
本来は白い肌がゆらゆら揺れる橙色に染まっている。すごく綺麗だ。アイカはやっぱり作り物みたいに美人。三日間寄り添っていてくれたなんて、と俺の胸は異様にドキドキした。
「ずっと居てくれたんだ。ありがとう」
「いえついさっき来ました。忙しくてそんな無駄な時間ありません。主治医のパスツールを呼びます」
前言撤回、こんな顔だけの薄情女はゴメンだ。言葉だけならともかく、少しだけど笑っていやがる。
「光源をロウソクに変更しました。その方が安全です。勤務より前にやはり貴方の疾患データを集めます。パスツール医師が失神原因を特定出来ていません」
第一研究室の巨大モニターの光のせいではないのだろか。主治医といっても俺は殆どパスツール先生と会ったことがない。ジイちゃんが俺の症状や体調を記録して報告していたのは知っている。世界に一人だけの奇病だと言われても、俺が重症になったことはなかった。ずっとジイちゃんに守られてすくすく育ったのだと今更実感する。
「俺、早速お荷物なのか。この部屋で考えたりは出来るから頑張るよ」
立ち上がったアイカはまだ笑っていた。ほんの僅かに口角を上げているだけだが、今度は柔らかい表情に見える。
「元々貴方は脳です。この部屋と紙とペンさえあれば研究できます。自由の為に自分で励んで下さい」
自分の事は自分で守れって事か。
「言われなくても当然だ。こんなんじゃタイムマシンなんて作れない」
俺の夢への道のりは遠そうだ。
「有益だと思えば手伝います。これを預かっていました」
白衣のポケットからアイカが取り出したのは掌サイズの薄い木箱だった。開けてみる。
【ウエハラ私設研究所本部皆大好きシン・ウエハラ博士のひよっこ弟子ノブ】
木の板に掘られた黒色に塗られた文字。何だこれ。
「貴方の肩書きだそうです。正式な場ではこれを名乗って下さい」
「はい⁈こんな変ちくりんな肩書きとかあり得ねーよ!しかも俺の名前全部入ってないし!」
「貴方は妙な言葉を使用します。無駄です。ウエハラ博士も無駄ばかりです。私も揃いの肩書き板を渡されました」
反対側のポケットからアイカが別の木箱を出した。アイカは大事そうにそっと木箱を開いて中身を出して俺に差し出した。
【ウエハラ私設研究所本部皆大好きシン・ウエハラ博士の専属助手アイカ・ミタ】
こっちの方がまだマシだ。アイカが勝ち誇ったように微笑んでいる。
「貴方が倒れた日、ウエハラ博士は弟子をとったと記者会見を開きました。テーブルの上に記念品が置いてあります。では時間ですので仕事に戻ります」
くるりと俺に背を向けて、白衣を翻してアイカが部屋から出ていった。テーブルの上を見に行くと写真と紙が置いてあった。付箋に「サイエンス記事の写し」とカクカク、ヨタヨタとした字が書いてあった。
***
常に世界を牽引する科学者シン・ウエハラ博士が一番弟子を指名。本年度のウエハラ私設研究所本部入社試験にて決定したという。その人物はかの有名なノブアキ・サカキバラ(20)であった。世界で一人しか確認されていない奇病「過敏性人工光源症候群」を患う少年として知っている方も多いだろう。現代社会の光や科学物質を受け付けない病気である。
〜以下略〜
文明社会では生きられず旧文明で養父と共に慎ましく生きる深窓の美少年。病気のために旧文明を生きていた彼の華々しい文明社会デビュー。
そんな文章と共に添えられた写真はジイちゃんが旧式カメラで撮影した俺の写真。中でも大人しそうな写真ばかり使用されている。印象操作とは恐ろしい。
こうやって突きつけられて俺は気がついた。元気一杯、すくすく育ったと。大きな発作はなく、ましてや死にそうになった事など一度もない。「病気って本当?」と俺が聞くと身の危険が分かるように、ジイちゃんは少しだけ人工光源や化学物質に触れさせた。来客があると持ち込まれた物質で大抵体調を崩した。だから病気の自覚はあった。しかし日々の生活では何一つ危険は無かった。
早く立派な科学者になって、俺がいかに幸福な人生を歩んできたか知らしめてやろうと思った。
翌週にはウエハラ博士により各所に俺の紹介も行われた。記者会見が出来ないからと俺の簡単なプロフィールにウエハラ博士の紹介文の三つで構成された記事が配信された。
「皆大好きシン・ウエハラ博士の弟子をよろしく。ひよこのノブちゃんはいつか鶏になる!」
ペンギンパジャマのウエハラ博士に肩を組まれる、ひよこパジャマの俺。ずんぐりむっくりした中年男と色素がないから指輪物語に出てきそうなエルフみたいな俺。満面の笑顔の男と苦笑する青年。解せない。
タイムマシンを開発して大天才ノブアキ・サカキバラ博士として歴史に名を刻む予定なのに、未来永劫残される俺の科学者としての始まり。それがこんなだとは、納得いかない!しかしウエハラ博士には逆らえない。生きて行く為にも、タイムマシンを開発するにも俺には何の力もない。
今はまだ。
俺はジイちゃんの仏壇にひよこパジャマで撮影させられた写真を並べて誓いを立てた。
とっとと鶏になって逆襲してやる。見てろよウエハラ博士!