ナチグロン
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「死んだ?」
ショートしかけた頭の回線がやっと繋がった頃、金髪のナチュラルドレッッドにsupremeの厚手のTシャツを着て、リーバイス501を腰履きしたナチが、不自然な黒さをした顔を一層引き立たせる真っ赤な唇でアイスコーヒーをストローで啜りながらおどけた感じで言った。
「ああ、終わったよ。真っ白になった」
と、neweraのヤンキースの黒キャップを頭から手に取り、シンゴは漫画「あしたのジョー」のセリフ風に言ってみた。
無論、ナチはその言い方が「あしたのジョー」風ということに気づきもしない。
幼少の頃から、ナチは漫画にはあまり興味が無く、みんながジャンプだのマガジンだのを必死で読み漁ってる頃から、世界地図とか図鑑を読んでるような少年だった。俺は、そんなナチに幼心にとても関心があったので友達になった。
2011年夏
何時しか一日の最高気温が35℃を超える日を”猛暑日”という呼び名になり、そんな日が当たり前のように10日と続く夏。うだるような暑さが当たり前の日常になり、あちらこちらでraggaeが聞こえ、気分は南国のラテン系。
それでも、働き者の俺たちはガテン系の労働者。
シンゴはファミレスで、団地のゴミ捨て場から拾ってきた、レトロなラジカセの修理に必死だった。
HipHopのレコードのジャケットに出てくるような、でかいラジカセだ。
今は、普通の電気屋には売っていないが、マニアには人気なのだ。
しかし、隣りであざ笑うかのようにナチがニコニコしながら、アイスコーヒーを啜ってる。
齢30台中盤いわゆる中年層に差し掛かった・・・いや、わかりやすく言って「オッサン」二人が日曜日の家族でごった返すファミリーレストランで、古臭いラジカセを弄ってる。
この光景はどこからどう見ても気色悪い。
しかし、いいのだ。
なにしろ、渋谷、原宿とかのファミレスではないから。
ここは、地元の錦糸町だから。
錦糸町にはWinsがあって、日曜ともなれば競馬好きなおっさんでごった返す町なのだ。
ファミレスもパチンコやも喫茶店も。
だから、ファミリーに混じって汚らしいオッサンが2人でファミレスに居てもなんの違和感も無いのだ。
錦糸町。
東京の下町の代表的な歓楽街。
墨田区 江東橋近辺である。
夜になると、フィリピン、ロシア、コロンビア、中国と様々な蝶達が下町のオッサンどもの金という蜜に群がる。
また、不良が多く田舎的な雰囲気もある。
最近、第二東京タワー「東京スカイツリー」を建設中で、2012年完成に向けて、墨田区長は錦糸町の治安の改善に大忙しらしい。困るのは不法滞在の外人達と、彼らの雇い主の家業の方々だ。
しかし、一斉摘発でなんだか錦糸町の活気もぐっと下がった気がする。
なんだか、町全体がどんよりした。
俺はどちらかというと、昔のダークでダーティーで国際色豊かだった錦糸町が好きだった。
そんな錦糸町を舞台にこの物語は進んでゆく。
「おい、おいナチ!コレが壊れたらまずいよ!」
俺は半ばキレ気味、半ば諦め気味に言った。
「いーじゃないか♪」
ナチは腹の立つほど呑気な言い方で返事をした。
そんな陽気な、この気候のせいでラテン系になってしまった友人の頭の具合を考慮して、俺は諦め笑顔で返した。
「そーだなぁ...はぁ。」
ナチの笑顔でいくらか気分が良くなったのは事実である。
ナチの笑顔は「笑顔」のそれとはかけ離れてるのだ。ナチを知らない人に言わせれば「引きつった笑顔」や「苦笑い」の部類であることは間違えない。
ただ、シンゴにとってはナチの笑顔は特別なのである。
一見その辺のB-boyに見えるが、頬はコケ、痛々しいほどに血管が露出した腕なんかはジャンキーそのものだ。
そう、ナチはジャンキー。
というのは嘘で、本当はただの引きこもり。いや、「元」がつくけど。
ナチというのはモチロンあだ名で、バリバリの下町っ子でシンゴとは幼馴染。きちんとした硬派な名前があるけど、ここ地元ではナチで通ってる。
なぜ「ナチ」かって言うと、小さいころから色黒で髪の毛の色が薄かった。おかげで厳しかった中学の先生は髪の毛を脱色してるんじゃないかと何回も疑った。
高校生になったナチは、「どーせなら」ってことで、金髪にしてしまったらしい。
そんな姿を皆「キン肉マン」に出てくる「ナチグロン」に似てるってことから、略してナチと呼ぶようになった。
ナチは、ある事件がきっかけで20代前半から「引きこもり」をしている。
引きこもりって言っても、最近の若者のそれとはちょっと違う。
高校卒業後、地元の小さな鉄工所に就職して、18歳から今までキチンと仕事はこなしている。
むしろ、腕利きの職人なのだ。
しかし、その「ある事件」がきっかけで、仕事以外は一切友達関係とも連絡を絶ち、家でPCをいじって過ごしていたのだ。この歳になってシンゴと再会するまでは。
今、アイスティーをがぶ飲みしているのがシンゴ。
昔は、皆シンゴウ、またはシンゴーとか呼んでいた
名前が眞吾ということもあるが、友達が言うには
「赤」「青」「黄」とこの三原色ばかりの服装を好み、物事も「黄」の曖昧な部分は一瞬で
てきぱきと「赤」=待て 「青」=GOと決めるからだそうだ。
親との関係が上手くいかず、家出がてら、30まで地元をはなれ群馬でレジャー施設の仕事をしていたが、最近東京に帰ってきて広告代理店でサラリーマンをしている。
仕事は適当にやっつけ、土日は遊びほうけるという生活に飽きた頃、偶然地元の「オリンピック」でPCの部品を買っているナチと再会する。
ナチが引きこもってることを噂で知っていたが、俺は何の気なしに呑みに誘った。
モチロン最初は断られたが、昔の友達が心を病んでるのが気にかかったので、おせっかいと解りながらも、実家を何度も訪ね、遊ぶようになった。
ナチもその頃、親父さんが倒れ町工場の給料では苦しくなっていた頃で、俺は慢性的な金欠だった為、時代の波に乗って、土日だけの「リサイクル業」を二人で趣味がてらするようになった。
そう、世の中はどこもかしこも「エコ」をうたい文句にする時代で「リサイクル屋」が沢山できていたのだ。
俺は早速、余暇で古物商の許可を個人で取り「衣類商」をいう形だけは作った。
そう、何事も形から。
仕事内容は、ナチが得意のPCで情報と経理を
俺が、行動を。
という形で一応やってみることにした。
まず、ナチがインターネットでフリーマーケットの情報を集め予約をしたり、粗大ゴミの出る情報を拾ったり、夜逃げの情報を拾ったりする。
ありとあらゆるゴミの情報を拾い集め、使えそうな情報をまとめ、俺に渡す。
そこから、俺の出番。
俺は学生の時から友達とあらゆる物を盗み万引きはかなり上手くなっていた。しかし上には上。地元一の「怪盗」と呼ばれる師匠に盗みのノウハウを色々と伝授された。
今では窃盗こそしていないが、その時のノウハウを活かし、ゴミ拾いと同じく、窃盗ギリギリ・・いや、窃盗してる時もある。
そうこうして、沢山の品物を集め、ネットオークションやフリーマーケットで売りさばくのだ。
「リサイクル業」といっても店舗はなく、ネットのなかに形だけの「店」があるだけだ。
稼ぎは月給3万がイイトコロ・・・
仕事とは呼べない。
そんな「遊び」と「仕事」を趣味としてやり始めて半年が経ったある日。
そう、まさに話をもどすが、家族と競馬のおっさんがごった返すファミレスで「商品」のCDラジカセを修理していた時。二人に大きな大きな出会いがあった。
ここでの出来事がすべての始まりで、「RBN」の始まり。