ヒキニートの俺が「入れ替わりスキル」で魔王討伐
トラックに轢かれたら、異世界だった。
目を開けると、木々が生い茂る森が広がっている。
天気は快晴で、青空が見える。
一見すると現実のようだが、木々の回りを走り回る小動物は見たことがない種だ。
うさぎのような、犬のような……。
自分の体、手足を見てみると、いつもと特に変わらない。
トラックに轢かれたはずだが……。
思案に暮れたそのとき、チクっとした頭痛と共に唐突に思い出した。
神様的な存在と出会い、スキルを与えられ、異世界の魔王討伐の命を受けたことを。
異世界に行き、魔王を倒す。
それが俺の役目。
さて、何から始めるか――と思った瞬間。
「お前が異界の勇者か」
地の底から轟くような、低い声が聞こえた。
何事かと辺りを見回すと、目の前に黒い影がもやとなって現れる。
影はやがて人の形になっていき――身の丈2メートルは越えようかという大男が現れた。
黒ずくめのマントに身を包み、頭には巨大な角が2本。
目は真っ赤にギラついている。一言でいうなら、まさに――
「ま、魔王?」
「いかにも。我が、魔王だ」
魔王だった。
早い、早すぎる。
異世界に来てまだ一歩目も踏み出していないのに。
「予言があってな。我を倒す異界の勇者が、この時この場所に現れると」
便利な予言があったものだ……。だが、
「俺があんたを倒すだって?」
「ああ。数多いる自称勇者は何度返り討ちにしてきたか分からぬが、我を倒すと予言に出たのはお前だけだ」
「こんなひょろっちい体つきの俺に、あんたを倒せるとは思えないがね」
「油断はできん。力をつけ、仲間を得たならばあるいは。その前にその命、摘み取らせてもらう」
最初の敵がラスボスとは、穏やかじゃない展開だ。
ただ、これで分かった。俺のスキルは、魔王すら倒せるスキルだと。
チャンスは、今しかない。
俺は魔王に右手をかざした。
「何をするつもりかわからんが、させんわ!」
魔王が向かってくる。
俺は間髪いれず叫んだ。
「チェェェンジッ!」
カッと光がほとばしる。
一瞬真っ白で何も見えなくなるが、ほどなくして光は収まった。
「……」
魔王は俺を襲おうと手を上げたポーズのまま、きょろきょろと自身の体を見回している。
「何事かと思ったが……、何も起こっていないではないか」
いや、違う。俺は体の感覚から、成功を確信した。
「いや、成功だ。ステータスを確認してみろ」
「ステータスだと……?」
神様的な存在が言っていた。この世界ではステータスが確認できると。
魔王が訝しがりながら、空中に手をかざす。
空中に文字が映し出された。
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名前:ぽむぽむ☆ぷりん
レベル:99
職業:ヒキニート
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「な、何だ! このヒキニートというのは!」
俺はむしろ名前の方が気になったが……。
とりあえず魔王の疑問に答えてやろう。
「引きこもりでニートの略だ。ちなみにニートとはNot in Education, Employment or Trainingの略で……」
「そんなことは聞いておらんわ! 我に一体何をした!」
激昂する魔王。だがヒキニートと思えば怖くない。
「俺の固有スキル『入れ替わり』は、手をかざした相手と俺の職業を入れ替える。俺はここに来る前、日本でヒキニートとして暮らしていた。お前はさっきまで魔王でレベル99だったようだが、今はヒキニートでレベル99だ」
俺の説明に、魔王は余裕の笑みを見せる。
「ふん、何かと思えば。要は貴様のまやかしの術ではないか。ステータスの表示をごまかしただけにすぎんわ」
魔王は邪悪に微笑みながら、続けた。
「予定に変更はない。貴様の息の根を止め、世界を永遠の闇に覆ってやろう。人間族は滅び、魔族こそが地上の支配者となるのだ」
物騒なことだ。だが、
「ちょっと待て。本当に俺を殺して、世界を支配したいと思ってるのか?」
「何を言っている? 当然だろう」
「本当に本当にか? 今日じゃないとダメなのか?」
「何を……うっ!」
魔王は急に言葉につまりだした。
「我は貴様を殺し、世界を……。いや、今でなくてもいいような気も……。なぜ今なのだ……? 思えば時間は腐るほどある……。明日でも、10年後でも変わらぬような気も……」
様子のおかしい魔王に、俺は確信する。
「発動したようだな……。クラススキルが」
「クラススキルだと?」
クラススキルとは、職業ごとに存在する、自動発動するスキルのことだ。
これも神様的な存在から聞いた。
「ヒキニートのクラススキルその①。『明日でいいや』。今日はやる気でないから、明日でいいや……という精神が具現化したスキルだ」
「何だそのくだらないクラススキルは! 我はそんな堕落した性格ではない!」
「長時間働かず、引きこもっていると時間が無限のように感じられる……。実際は時間は有限なんだが、それに気づけないのがヒキニートなんだ」
「我に向かって、何を偉そうに……うっ!」
魔王は急に目をしばたたかせた。これは、間違いない。
「もしかして眠いのか?」
「そんなわけないだろう! 魔族を統率する我が、このような昼間から眠くなるはずがない!」
「ヒキニートのクラススキルその②。『眠気』。昼夜逆転生活のせいで、昼間は常に眠気が発生する。さらにやることもないので、とりあえず寝とこ……と思ってしまう」
「なんだそれは! ただのクズではないか!」
元ヒキニートとして、耳が痛い。だが、今はお前がそのクズなのだ。わかってほしい。
魔王は目をこすりながら、
「わ……我が弱体化したことは認めよう。だが、我の配下はその限りではない。貴様の首をはねるのは、我の配下にやってもらうとしよう」
魔王は天に響き渡る声で叫んだ。
「出でよ! 我が配下! 魔王四天王よ!」
しかしだれもあらわれなかった。
しん、としたまま、1分は時間が経っただろうか。
「出でよ! 我が配下! 魔王四天王よ!」
「言い直しても誰も来ないと思うぞ…‥」
「なぜだ、なぜ来ない! あれほど忠実な我が配下が!」
「ヒキニートのクラススキルその③。『疎遠』。ヒキニートを続けていると、元々少なかった友人が、連絡を取り合わなくなり、更に少なく……。やがてゼロになる。諦めろ。もうお前の着信履歴はお母さんだけだ」
「ぬごおおおお! 何だがわからんが心に響く!」
俺の言葉がダメージを与えるまでになったか。
あと一歩だ。次の1手で勝負が決まる。
「魔王。俺の目を見ろ」
「な、何だ……」
俺は魔王をじっと睨めつける。見続ける。
やがて魔王は顔を真っ赤にして、手で顔を隠し始めた。
「や、止めろ! 我をそんな目で見るんじゃない! 何故だ……。人の視線が気になってしまう!」
「ヒキニートのクラススキルその④。『世間の目が気になる』。ヒキニートであることが情けなく、家族の目、近所の目、世間の目……。すべてに顔が向けられなくなる。もはや自宅からの脱出は不可能だ」
「ぬごごごごごご!」
魔王は頭を抱えて、地面に伏せた。
「もう駄目だ……。もはや我は、この世界に顔向けできぬ。どうすれば……」
「じたくへ かえるんだな。おまえにも ねどこが あるだろう……」
「そうだな……。魔王城こそ我が安息の地。引きこもっていれば怖いものは無い。世界の支配は今日でなくてもできる。1000年経ったら本気出そう……」
魔王の体は影に包まれ、そのままスーッと消え去った。
こうして魔王……いやただのヒキニートは討伐されたのだった。
これで世界に平和が――いや。ひとつ問題が。
「お前が魔王だな」
後ろから、ザッと足音と共に声がした。
振り返ると、勇ましそうな顔をした青年と目があった。
黒い髪はつんつんと尖っており、青を基調とした鎧を着ている。
そして、身の丈と同じくらいの大剣を手にしていた。
「そう言うあんたは?」
「ボクは勇者だ。魔王の魔力を感じて駆けつけたが、まさか人間に化けているとはな」
そう、そうなんだよなあ……。
討伐されたのは『ヒキニート』であって、今の魔王は俺自身なのだ。
どうしたものか。
とりあえず、誤魔化してみるか。
「魔王なんてとんでもない。俺は見ての通りの一般人だ」
「ボクの目は誤魔化せても、剣は誤魔化せない。ボクの剣は魔王の力に反応する。剣が言っているんだ。お前が魔王だと」
剣を構え、臨戦態勢の勇者。
これは困った。
レベル差は明らかだ。勝てる気がしない。
異世界に来たばかりなのに、死にたくはないのだが。
できることはしてみようと思い、ハッタリをきかせてみる。
「仮に俺が魔王だとしよう。だが、お前に勝ち目はあるのか? 魔王はすべての魔族を統べる強大な力を持っているんだぞ」
勇者は剣を構えたまま、鼻で笑う。
「ボクの持つ伝説の剣『チートソード』は、魔王が触れたら一瞬で消滅させる力を持つ。文字通り瞬殺だ。痛みは無い、覚悟しろ――」
「ちょっと待った、今なんて言った!?」
剣を振り上げた勇者に、右手をかざして静止する。
「痛みはない、覚悟しろ」
「その前!」
「魔王が触れたら一瞬で消滅させる……か? それがどうした。今更怖気づいたか」
俺は間髪入れずに叫んだ。
「チェェェンジッ!」
カッと光がほとばしり――
俺の前に、がらん、がらんと剣だけが地面に落ちて、転がった。
『魔王』は自分の言葉通り、一瞬で消滅した――手に触れていた自らの剣によって。
痛みはなかった……と思う。たぶん。
こうして、俺の『魔王討伐』は完了したのだった。