誘う罠
魔物の生息する森というのはどうも不気味に感じる。
昼間だというのに、森は暗く光が差さない。灌木も喬木も軒並み枝葉が多く、分厚く、まるで一切の光を拒んでいるようだった。
風音に木々が葉を揺らす。
亡霊のようにざわめく森は恐怖という感情の演出をこれ以上になく理解している。
足元の悪さ、入り組んだ道も悪感情に拍車をかけていた。
時折現れる魔物との戦闘で道があやふやになることもあった。
これらの条件が重なれば、誰でも愚痴を吐きたくなるものだ。
言葉は自然と漏れ出ていた。
「リーダー、もう十分なのでは?」
少女が表情に疲労を浮かばせながら言った。その額から玉状の汗が滴り落ちる。地面にひとつのシミが浮き上がる。
精神的疲労、環境による肉体的疲労。その両方が、この局面において少女だけでなく隊員全員に襲い掛かっていた。
俺が同期とリーダーを懐柔してから優に数時間は経過しているはずだ。疲労が蓄積するには十分な時間。
先頭のリーダーが息を落ち着かせながら背嚢を探る。
「……いや、まだだ。狩った魔物は8体だけ。これじゃあ帰還できない」
魔物を狩った証拠――魔物の体の一部――を苦々しく見つめるリーダー。これが言わんとしていることは分かる。
――この程度では成績に反映されない。
隊にもよるだろうが、戦闘に特化しているところだと20体以上は倒してくる。その半分もいかない俺らの成績は決して優秀とは見なされないだろう。
ならばどうするか。ことここに至れば、堅実な手段は慮外だ。加えて、極度の疲労状態にある状況ではまともな思考はできない。
……提案するならここだな。
「少しよろしいでしょうか?」
「あ、ああ! ノーチェか。何かあるのか?」
口を開いた瞬間、隊員全員の視線が俺に集中する。そこに嫉妬や恨みなどといった感情はなく、単純に期待に満ちていた。
俺はその視線に応えるように、ある提案を持ち掛ける。
「ここは効率化を図って、散らばってみてはどうでしょうか?」
「それは危険じゃあ……」
「今まで私たちは、小型、大型問わず魔物を倒してきました。ですが、大型の魔物を倒すのには人手も時間もいる。しかし、小型の魔物なら時間も人もあまりいらない。……標的を選ぶのです。そうすれば、より効率的に討伐数が増える」
「なるほど」
「大型の魔物に遭遇したら逃走し、小型のみを殲滅する。人数は2人くらいがちょうどいいでしょう。無論、規定時間も設けます。そうですね、月が浮かび始めた時まででどうでしょう? 時刻になったら、私が持ってきた発煙筒で皆さんに集合場所を知らせます」
一気呵成に捲し立て、有無を言わせない。帰還指定された時間は月が真上に昇るとき。つまりは夜半まで。現在が昼と夕刻の中間の時くらいなので、帰還するまでの時間を含めると9時間ほどか。
「いいアイディアだと思うぞ」
「私も賛成です」
穴だらけの案にリーダーと少女が賛同する。それをうけて、残りの隊員も諸手を挙げて賛成した。
「ありがとうございます。それでは、規定の時間になったらまたここに集まりましょう」
それでは、と同期のブランを引き連れて俺は部隊から離れた。他の隊員も気の合う同士で組み、都合三組が雄大な森の中に三々五々と散らばった。
まともな思考なら、行わないであろう軽率な行動。それが現実に行われているのを見て、俺は口の端を吊り上げた。
いっけん効率的に見えなくもないこの案だが、その実相当な危険性を内包している。
まず第一に、大型を超える魔物の出現時に為す術がないこと。ファングなんかに遭遇した日には並の奴なら死亡が確定する。次に、煙のような目立つものを使用すると、いらぬものまで引き寄せる恐れがあること。ここが森の中であることを加味すれば、条件はより悪い。極め付けには、発煙筒を所持している個人が死ぬ、或いは裏切りそれを使わなかったらそれだけで集団は危機に陥る。最後に、環境の悪さ。夜に近づけば、視界はますます酷くなるだろうし、足元の悪さは戦闘にも影響する。少人数だと全体を把握し辛いので、その可能性は大だ。
このように、大量の危険性を孕んでいるにも関わらず、皆賛同したことに失笑を禁じ得ないわけだ。
無論、俺もその影響を受けるわけだが――。
「ノーチェ、これから巻き返して行こうぜ!」
気炎万丈とばかりに燃え上がる同僚を一瞥して、一言口を挟む。
「その前に、ひとつ言っておきたいことがあるんだ」
「ん? なんだ?」
無防備に尋ね返す同期に、俺は指を突きつけた。
突きつけられた一本指。その指先に妖しい輝きが点る。
「少し、眠っててくれ」
「え?」
陽炎の如く揺れ、蜻蛉のように脆い光。その淡い光を消し飛ばすように、宣言する。
「木漏れ日に揺れる幻想を。『シュラフ』」
その言葉が呼び水となり、ブランの眼前で光が散った。
透明無色が様々に変色し、瞳を映し黒に濡れる。見開かれたブランの双眸が、鮮やかな色に魅せられていくように蕩けていく。まどろみに身を委ねた体が倒れ、地に落ちた衝撃に瞼が閉じられる。
一瞬の出来事だった。彼は何も知覚せずに意識を闇へと落としたのだ。
「疲れが溜まっていたからか、思った以上に効いたな」
出来すぎた結果に理由を添えて、眠りこけているブランを道の端へと追いやる。獣道から離し、別の魔法を起動させた。対人用の魔法ではなく、視覚を持つもの全てから対象物を隠す幻覚魔法だ。
隠蔽工作が終わったところで、人心地つく。眼下の少年を俯瞰し、自らが提案した作戦に思考を巡らせた。何故、あんな危険な作戦を提案したのか。
それは、俺が魔法使いだということに起因している。魔法使いには、一般常識は通用しない。俺だけが、自身の提案した危険な案に呑まれない。
魔法という武器がある以上、孤児院の誰にも負けはしないだろう。だが、俺も魔法使いとしてはまだまだだ。
いや、欠陥品だと言ってもいい。
「さて、そろそろ行くか」
足元に転がる同僚には目もくれずに、歩き出す。
目的地は、俺の根源に至る場所。
――姉さんの下へと。