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血染めの魔王は勇者を嗤う  作者: 結城紅
プロローグ かつての夢
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プロローグ かつての夢 夢の終結

 やがて、一人の少女の姿が目に入った。姉さんだ。彼女は、何かを必死に訴えていた。


「お姉ちゃ……」


 幼い女子の声に混じって、男の声が聞こえる。俺は反射的に声を押し殺し、近くの焼け落ちた家屋の影に隠れた。

 位置的には、ちょうど男の後ろ。端から少し顔を覗かせ、聞き耳を立てる。


「本当に君達は馬鹿なことをしたよ。愚の骨頂、ここに極まれりってやつかな」


「でも、だからってこんな仕打ち……!」


 鮮やかな金髪に、背中に佩いた白銀の剣。白を基調とした、一国の王子を彷彿とさせる清廉な服。その装備はこんな状況にあるにも関わらず、煤ひとつ付着していなかった。剣と相俟って神秘的な印象を受ける。

 俺の位置からだと後姿しか窺えないが、男の格好にはどこかデジャヴを感じていた。


「私に逆らうということは国家に対する反逆に等しい。国民がようやく得た安寧に唾を吐きかけるような行為だ。国を裏切るような行いには相応の罰が必要だろう?」


「私たちはそんなことしてない! いえ、仮にそうだったとしても法の裁きが待っている筈! こんな、虐殺行為が認められるわけがない!」


 及び腰になりつつも、姉さんが懸命に反論する。その言葉の端に違和感でも覚えたのか、男の肩が僅かに震えた。


「そんな無粋な言い方はよしてくれよ。それじゃあ、まるで私が殺人鬼みたいじゃないか」 


「――ッ! よくもそんな口が……」


 憎悪を剥き出しにした表情が露わになる。その形相を一瞥して、男が肩を震わした。笑っているのが後ろからでもよく分かる。

 俺は思わず右手を握り締めた。ともすれば、声を荒げて出て行きそうになってしまったからだ。

 子供でも分かる。あの男が村のみんなを殺したのだ。エル婆も、あいつの所為で死んでしまった。だが、今ここで俺が出たところで何の解決にもならない。隙をみて姉さんと逃出すことだけが頭中を満たしていた。

 強く歯を噛み締め怒りを抑える。  


「おいおい、そんな顔見せないでくれよ。責めるなら、彼にしてくれ」


 愉悦が滲んだ台詞を吐くと、男はおもむろに左手に握っていた何かを放り投げた。男の身体の影になっていて見えなかったものが明らかになる。

 ドサッと重たい音が響いた。音の割には重厚感のない、虚しさが漂う音。

 嫌な予感がした。


「全ての咎は彼にある。違うかい?」


 地に横たわる死体。その顔には見覚えがあった。

 つい先刻別れたばかりの男の顔。優しい声音が印象的で、何かと俺や姉さんの世話をしてくれた人物。


「エイラさん……」


 ――村長だった。


「へぇー、エイラっていうのか。彼がランドルフなんかの言葉を信じて、他の村人たちに反逆を促そうとするからいけないんだよ。私は悪くない」


「だから、私はやめようって言ったのにッ……!」


 姉さんの唇が悔しげに引き結ばれる。

 そんな彼女の様相を見て、男の右手が嬉しそうに動き出す。素人目にも分かる、幾万回と繰り返したであろう流麗な動作で右手が背部の剣の柄を掴む。露わになった白銀の刀身が揺れる炎に反射して妖しく輝く。

 ここに来て明確に膨れ上がる男の殺意に、俺は動揺と恐怖を禁じえなかった。姉さんが殺される……!

 生命の危機を感知して、姉さんが一歩後退する。それを追うように男が距離を詰めた。


「君は自分たちの愚かさを分かっていたみたいだね。じゃあ、最後にいいことを教えてあげよう」


 一気に引き抜かれる剣。シャリンと、鈴のような涼しい音色が鳴る。刀身を見せ付けるように剣が振り上げられる。

 ――姉さんが死ぬ。

 脳裏に過ぎったのは、数多の死体とエル婆の末期。動かなくなった人々の姿。

 今、ここで出なければ姉さんは確実に死ぬ。明確に、残酷に、現実に、俺の目の前で命を散らす。いや、出たところで意味はないのかもしれない。でも、そうしないと……。

 俺は動くことを決意して、立ち上がる。

 しかし……。


「ハァ、ハァッ、ハァッ――!」


 動かない。手も、足も、自身の支配する全てが思い通りにならない。

 俺は恐怖という楔に縛られて、指一本動かすことすらままならなくなった。

 悔しさと安堵に目の端が滲む。


「――!?」


 不意に、姉さんと目があった。

 男の剣が振り下ろされる。その最中に彼女の口唇が震えた。


 ――に げ て。

 

 呼吸が止まった。

 刀身が空を走る。


「過度な正義は身を滅ぼす! 世の中そう甘くはないんだよお嬢ちゃん!」


 男の宣言と共に、姉さんの身体が袈裟懸けに斬りつけられた。右肩から左腰まで一直線に女体が裂かれる。噴出する血の濁流。虚空に咲く紅い華。

 時が止まったかと思った。

 目に映る光景の中で、姉さんが徐々に倒れていく。

 深々と刻まれた瘢痕。致命傷は避けられない。倒れ行く中で、姉さんの瞳は俺だけを捉えていた。

 それは、俺を許す慈悲か、それとも怨念の意思か。

 視界が色を取り戻していく。

 現実に立ち返り、俺は姉さんの死を悟った。


「――ッ!」


 声を出して泣いてはいけない。気取られてしまう。

 滂沱と溢れる涙を飲み込んで、喉を締める。その瞬間だった。


「これで終わりか、あっけないね」


 男が振り返る。飛び込んできた相貌はあまりにも衝撃的なものだった。

 俺は即座に身を引いた。

 泣いていたことも、声を出すことすら忘れて呆然とする。

 目が抉られたと錯覚するほどの痛烈な一撃。デジャヴが明確なものへと変わっていく。

 違うと言いたかった。嘘だと声高らかに叫びたかった。でも、真実だった。


「ゆ……ゆ……」 


 喘息にも似た掠れ声しか出ない。

 彼は――。


「本当に馬鹿だよ。この勇者()に逆らうなんて」


 俺の、憧れだった。

 理想が音を立てて崩れていく。


「勇者ー、お疲れー」 


「お疲れさん」


「疲れましたねぇ」  


 不意に、勇者以外の声がした。

 村の誰のものでもない。この状況の中、余裕をもった不自然な声音。

 一気に意識が浮上し、ぼやけた視界が鮮明なものへと戻る。

 俺は慌てて近くのベッドの下に潜り込んだ。


「三人ともお疲れ様。それじゃあ、帰ろうか」


 僅かに見えた視界は、勇者の他に三人の姿を捉えた。

 戦士、魔術師、神官。勇者に付き従い、魔王の討伐に貢献した偉人たち。

 三人は、自分達が行った行為に何の違和感も覚えていないかのように平然としている。いや、そうなのだろう。彼らも勇者となんら変わらない外道なのだ。

 怒りよりも恐怖が先行した。

 身勝手なことに、俺は自分の命が惜しかったのだ。だが、それでよかった。

 彼らは何も調べもせずに、直ぐ村を立ち去ってくれたのだから。

 おかげで俺が見つかることはなかった。

 息を潜めていた俺は、勇者たちが消えた頃合いを見計らってベッドから抜け出した。

 おぼつかない足取りで姉さんに駆け寄る。


「お姉ちゃん。ねえ、お姉ちゃん……」


 姉さんの身体を揺さぶる。きっと寝ているだけに違いないと、今は意識がないだけだと心中で反芻する。


「俺、ちゃんと大人しくしてたよ……。家は焼けちゃったけど、待ってたんだ。嘘、なんだよね……? 死んでる振りだよね? ねえ、お姉ちゃん?」


 姉さんの肩を掴みガクガクと激しく揺さぶる。瞳孔は開いたままで虚空を見つめている。

 死んでいる振りにしては現実的すぎた。


「お姉ちゃん、ねえ、ねえ! お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんおねえちゃんおねえちゃんおねえちゃんおねえちゃんおねえちゃんおねえちゃんおねえちゃんおねえちゃんおねえちゃんおねえちゃん!!」 


 壊れた機械のように何度呼びかけても返事はない。手を握っても、いつもの温かみはそこになかった。

 愕然とし、手を離そうとすると、吸い付いたように姉さんの手が引っ張られた。


「あっ! やっぱり生きて……」


 プーンと、場違いな羽音が聞こえた。

 見れば、姉さんの眦に一匹のハエが止まっていた。反射的に動くはずの瞼は瞳を閉じない。

 ……完全に死んでいる。

 俺は引き攣った笑みのまま、持ち上げた手を落とした。冷たい手が吸い付いて離さない。

 固まった姉さんを見て、俺は右手にへばりつく手の正体をなんとなく理解していた。

 死後硬直。後に、俺が知ることになる現象だった。

 最早認めるしかなかった。姉さんは死んだのだ。

 それはおろか他の村人も全員、塵殺の憂き目にあったのだと自覚する他なかった。

 涙は出なかった。

 ただ、あまりにも非現実的な現実を幼子は受け止め切れなかったのだ。

 明瞭に理解できたのは、最愛の人物が死んだ事実のみ。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」 


 狂った叫び声が地獄に木霊した。

 引き攣った笑みが弧を描き、目が飛び出すと思えるほどに吊上がる。


「嘘だったッ! 期待していたことなんて全部! 明日も、この国も、勇者も! ……勇者なんていなかった。元からなかったんだ。嘘だった嘘だった嘘だった嘘だった!!」


 激しく頭を掻き毟る。視界が狭まり充血する。

 息が荒い。側頭部を殴られたかのような鈍痛が響く。

 それでも、叫んだ。

 狂わずにはいられなかった。


「勇者なんて殺してやる!!」


 俺は――


「魔王になるッ!!」


 二度と戻ることのできないあの日。俺は確かに誓ったんだ。

 魔王になって勇者を殺す、と――。

 姉さんが13、俺が7つのときに起きた出来事だった。


 そして、この日を境に全てが変わる。


回想終了です。

誤字など御座いましたら、言ってくださると幸いです。

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