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血染めの魔王は勇者を嗤う  作者: 結城紅
プロローグ かつての夢
3/15

プロローグ かつての夢3

 事件が起こったのはその日の夜だった。

 季節は冬だということを思い出させるように、虚空には粉雪が舞っていた。村中の子供たちは歓喜し、大人たちは翌朝訪れるだろう雪かきに頭を痛くしていた。

 時刻は夕刻を過ぎ、月が顔を覗かせてきた頃、村中の大人たちが村の入り口に集まりだした。

 外は雪だというのにどうしたのだろうと思案する中、姉さんも様子のおかしさに気付き外へと出て行った。

 ドアが開けられた際に、誰かの話し声が耳朶に触れた。


「まだ村長が帰ってきてないんですって」


 村長が帰ってきていない。普段ならさして気にしないところだが、昨夜の一件もあり俺は不安を感じずにはいられなかった。


~~~~~~


 そうして夜も更けて深夜。俺は、姉さんから先に寝るように言われて寝床についていた。

 都市などと違い深夜の、それも平凡な村に灯る明かりなどあるはずもなく、ただ暗闇だけが村を包んでいた。

 隣には姉さんが寝ていて、静寂だけが家を支配していた。

 何の変哲のない一夜。

 月に見下ろされた世界は、何度となく繰り返した夜を迎える。そうしてまた朝が巡り、俺は姉さんの仕事を手伝って剣を振る。村は平和で、いつまでも今が続く。俺は立派な勇者になって、姉さんと一緒に幸せになる。そんな、漠然とした毎日を送る。

 ……はずだった。

 叫び声が聞こえたのは深夜を少し過ぎたあたりだったか。


「――え、え!?」


 寝耳に水とはまさにこのことだろう。平凡な日常に突如として割って入った異常は、即座に俺の意識を覚醒させた。

 反射的に上半身が起き上がる。

 飛び跳ねるようにして起きた俺を、隣の姉さんが冷ややかに見つめていた。

 真剣な眼差しが突き刺さる。


「ノーチェ。私は様子を見てくるから、ここで大人しく待ってるのよ。いいわね?」


「う、うん」


 戸惑う俺に突きつけるように言い放った姉さんは、飛び出すように家を出て行った。わけも分からないまま頷いた俺は、形容し難い不安に煽られ布団にくるまった。膝を抱えて、言い付け通り静かに姉さんの帰りを待つ。

 不安に胸が締め付けられる。グラスから水がこぼれるように、負の感情がふつふつとこみ上げてきて溢れそうになる。肥大化した感情に飲まれそうだ。ここ最近の異常と関係があるんじゃないかと勘繰ってしまう。……いや違う、そんなわけがない。きっと大丈夫。姉さんが待ってろって言ってたじゃないか。大丈夫に決まってる。だって、あの姉さんが――。


「アアァァァアアアアアァァァァッ!!」


「――ひっ!?」


 自分を鼓舞した矢先だった。

 絹を裂いたような金切り声。それが、何かが倒壊していく音と共に激しく耳朶を叩いてくる。

 押し寄せた不安が恐怖に転じる。

 布団を握る手が強張る。何かの聞き違いだと信じたかった。

 ふと、頬に温かみが灯る。無意識のうちに涙でも流していたのか。触れてみるが、涙なんて微塵もない。被っていた布団を剥ぐと、窓から陽が射していた。自然と視線が光源に逸れる。


「嘘だ……」


 目に映った光景。その有様は惨憺たるものだった。


「嘘だよ、こんな……」


 焼け落ちた家屋。道端に転がる死体。広がる血の海。

 瞳に映る赤、緋、朱。その全てが自分の言葉を否定しているようだった。

 視界がブレる、滲む、霞む。ちっぽけな嘘が瓦解し真実で埋まってしまう。

 先ほど聞いた音は、家が倒れた音だった。

 耳も、目も、口も。もう嘘をつくものは何もない。

 眼前に現実が突き出される。


「ね、姉さんは!?」


 誰かに頼る行動が先んじた。必然と眼球が馴染みの姿を追う。

 自身の生死が掛かっているからか、絶えず聞こえる耳を劈くような悲鳴がただの騒音と化していく。誰かが必死に上げる声が騒々しく思える。傲慢さが胸の裡から顔を覗かす。自分さえ助かれば、誰が死んでも構わないとさえ思えてきた。人類に共通する醜い生存本能が這い上がってくる。

 阿鼻叫喚の図の中、瞳が一人の少女を捉えた。熱風の中に靡くポニーテール。彼女は毅然と屹立していた。誰かと話しているふうにも見えたが、そんなことは関係ない。俺はすぐさま駆け出した。


「姉さん! 姉さん……!」


 扉を開く。途端、目を灼くような熱が襲ってくる。同時に、鼻を麻痺させるような腐臭が届く。

 外はあまりにも酷い様相を呈していた。視界は一面火の嵐。死体は無残にも放られている。血は既に黒く固まっており、皮膚は醜く焼け爛れていた。虚ろな眼球が宙を泳いでいる。それが彼の最期の光景だったのかと思うと遣る瀬無い。

 火を避けるようにして進んでいく。周囲の建造物は軒並み倒壊しており、火の勢いは増すばかりだ。とうとう我が家にも飛び火した。

 足元を注意しながら、ゆっくりと歩く。すると、突然皺がれた手が足首を掴んできた。


「ひぃっ!?」


「ノー、チェ……」


 ――エル婆だった。そこにいつもの柔和な笑顔はなく、表情は真剣な雰囲気を帯びていた。その身体には既に極大の火炎が燃えていた。他の人の比ではない。

 エル婆は宮廷に勤めていたほどの凄腕の魔術師。それが、何故……?


「ノーチェ。領主様の……援軍、は……来たかい?」


「ばあちゃん、そんなことより火が……!」


「いいからッ……!」


 双眸が開かれ、三白眼が露わになる。普段絶対に見せない顔。喫緊した状況と相俟って真剣味と緊迫感が伝播してくる。

 自分の下半身が燃えているのに、エル婆はさして気にした様子もなく問いを投げ続けた。


「援軍の総数は……?」


 領主様の援軍。

 俺が住んでいた村を中心とした幾つかの村々や集落を束ねる地方領主、その彼の保有する私設軍隊のことを指しているのだろう。私設軍は戦士団という名目で、有事の際はそれが出動して事態の沈静化を図るのだが……。


「ばあちゃん、来てないよ。援軍、来てない……」


 そんなものは影も見当たらない。

 自らの保有する領土が何らかの災害に見舞われた場合、是非もなく出動する規定と義務があるというのに、援軍は駆けつけていない。


「そうかい……そういうことかい……」


「え?」


 呟かれた言葉を拾うことはできなかった。

 エル婆がこちらに向き直る。


「いいかい、ノーチェ。あたしの言うことを……よく、聞くんだ」


「ばあちゃん、火が!」


 エル婆を覆う火の勢いが増していく。

 腰辺りに留まっていた炎が、焚き付けられたように背部を駆け上る。


「すぐに、お姉ちゃんを連れて逃げな……。村長も、みんないなくなったから。せめて、あんたたちだけは……」


「ばあちゃん、ばあちゃん!」


「何かあったら、あたしの家の地下に……」


 火が大口を開けてエル婆を喰らう。今にも夢に見る残虐な光景。

 目の前で、命が失われていく。何もできない自分が無力に感じて、喪失感だけが残される。


「ばあちゃん……」


 麻痺していた感覚が解け、思い出したように涙が零れる。

 子供ながら……いや子供だったからこそ、人の死と悲しみを敏感に感じた。大切な人の死に際を見届ける辛さ。何かを失ったときの感傷。それに浸るには、あまりにも早すぎた。

 しかし、事態は待ってなどくれない。ゆっくり人の死を悼む時間などありはしないのだ。

 眼前で焼けるものを一瞥し、俺はゆっくりと立ち上がった。

 頬に伝う涙を拭う。


 ――エル婆に姉さんを頼まれた。


 その事実に後押しされ、俺は再び遅い歩みを再開した。


「勇者になるんだから……泣いてなんかいられない」


 憧れを想起し、自らを奮い立たせる。

 こんなとき、勇者ならきっと泣かずに戦うだろうと信じて。

 少しでも理想に近づこうと、歯を食いしばる。

 夢に縋ることで、涙を堪え前進することができる。普通なら泣かずにはいられない場面で、勇者という虚像が俺を救ってくれていた。


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