嘯く魔術師
ちょっとした情報戦です。
状況は混沌としていた。理解が十全に追いつかない。
眼前の男は品定めするような目で俺を眺めている。その網膜に映る俺は、男の指に嵌められた指輪に視線が釘付けになっていた。
魔術の術式を見慣れた俺には、一目でそれが魔具であることが理解できた。俺の指輪に装着されているものと類似したものだ。魔力と術式展開、魔法の位相空間の固定、それらを効率的に補助してくれる、魔法使いにとっての必需品。彼が、魔法使いだという何よりの証左である。
男の視線が俺の双眸に止まる。何を思案しているのか、口角が思案気に曲線を描いている。男が何を考えているのかは知らないが、絶好の機会だった。
俺の銃弾を防いだ手段が見つからない以上、交戦するのは危険だ。加えて、アドバンテージは向こうにある。
――基本的に、魔法使いというのは三つに分類される。印術を使う印術師、精霊術を使う精霊術師、そして、魔の理を理解し自在に多種多様の魔法を作成し行使することのできる魔術師。絶対数の少ない、希少な術師だ。
また、それぞれが行使する術により戦い方も異なってくる。それは裏を返せば、行使する術が分かれば対処がしやすいということだ。そのため、通常、魔法使いたちは自分たちの力をあまりおおっぴらにひけらかさない。種が割れれば、攻略される可能性が出てくる。
そして、この場面、現状。俺は、相手の魔法使いより先に自分の術を公開した。そのうえ仕留めそこない、防御された手段の見当もつかない。
情報戦に於いて、俺が圧倒的に不利。地の利はあるとはいえ、相手の使う魔法の体系が分からない以上それがどれだけ俺に味方するかさえ分からない。
故に、俺は逃走を選択する。男が盗賊だという俺の認識が覆された今、彼にとってこの村は何の価値もないはずだ。特殊な技術を持ち重宝される魔法使いが、食うに事欠き盗みに走るなどといったことがあるわけがない。物が目当てではないならば、この村にとって害はないはずだ。
唯一気になるのは、男が俺のことを誰何した点。どうも、俺に関する何かを知っているふうだった。しかし、そんな人間がいるはずがないのだ。母は俺が物心つくまえに病床に臥せり、死に、同じく父は魔物との戦争に駆り出され死んだと姉さんから聞いている。俺の記憶の中に二人はおらず、俺を知るのは既に故人となった村の人々と姉さんだけなのだ。
……俺を動揺させるためのはったりなのか? いや、そもそもこの男が俺と戦うメリットがどこにある。理由はあるのか。そもそも、何故この廃村に訪れた?
情報が不十分すぎて、推測すら不可能。だが、やるべきことは分かる。
ここで俺が取るべき行動は、逃走。そして、できる限りの情報を相手から引き出すことだ。
少しずつ、俄かに分からないように音をたてずに後退する。頭中にエル婆の地下工房までの最短距離の道程とこれから取る行動を想起させる。
まず、背後の建物に身を隠し、男の直線上から俺の姿をなくす。次いで、工房まで行き最速で認識阻害の魔法をかける。仮に魔法の存在に気づかれたとしても、直ぐには解除できないはずだ。俺の認識阻害魔法は何重にも術式を編んである。術が解かれる前に、対魔法使い用の装備を整えれば問題はない。
脳内での試算は十分だ。あとは、それを実行に移すのみ。
男の出方を窺っていると、再び視線が絡んだ。彼の口元が緩む。
「――賢明な判断だ」
「……何?」
俺が空けた距離を詰めるように、悠然と男が歩んでくる。
「未だ手の内を晒さぬ私を前に、君は逃走を選択した。恐らく、君は私が何故ここにやってきたのかと考えたはずだ。私の盗賊としての格好に釣られ、おびき出された君には皆目見当がつかなかったのだろう。情報は不十分。リスクとメリットを天秤にかければ、結果は一目瞭然だ。こんな戦いは無意味だと」
「……」
動悸が激しくなる。眼前の男の威容が増していく。
男が悠揚と両腕を広げた。口元には笑みを張り付けたままだ。
「私も無意味な戦闘は避けたい。私が考案した策が功を奏した今、君に関する情報も少し割れた。あとは、君から少し話を聞けばいいだけだ」
男は俺がこの土地に縁のある者だということは理解している。盗賊の格好は、仮に廃村に縁のある誰かがいたとしたら、その者を義憤に駆り立てることができるし、乞食や本物の盗賊が見ても盗賊としてしか見られない。男の格好は、絶好の隠れ蓑であると同時に、陥穽でもあるのだ。あとは、俺自身の個人的な話を聞ければ男の目的は達成できるのだろう。しかし、男の物言いは……。
「まるで、脅迫だな」
「そう取られてしまっても仕方がない。私としては戦闘を避けたいが、君が自分の情報を喋ってくれないのであれば、それを辞さない覚悟だ、とだけ言っておこう」
「そうか。なら、仕方ないな……」
緩慢に動く口とは裏腹に、頭中は神経が焼ききれんばかりの速度で思考を張り巡らしていた。現在自分の置かれた状況と、彼我の情報。男の挙動には一切の隙がない。現状では逃亡は不可能。パイモンを繋がれた魔力回路で呼び出したとしても、彼女が協力に応じてくれるとは限らない。寧ろ、高確率で断られるだろう。パイモンが俺に協力する理由なぞないのだ。それに加え、パイモンと連絡する際、男に魔力を感知されたら問答無用で先制の攻撃をくらう羽目になるだろう。今、俺に許されているのは口頭での情報伝達のみ。ならば、取れる選択はひとつ。
「俺がここに来たのは、この村に魔術師の工房があると聞いていたからだ」
――嘘で男を動揺させる……!
俺という個人の情報の価値が男にとってどのようなものなのか分からない以上、それを口にすることは躊躇われる。村の生き残りだと割れたら、非常に面倒なことになりかねない。故に、俺の語る言葉は全て偽りに塗りたくられている。その嘘が、僅かでも男に隙を生じさせる契機になれば……!
「ほう、しかし何故そのような情報を君が所持していたのか。それ以前に、私は君が誰だと問うているのだが?」
「それは――」
男の指輪が陽光を反射して輝く。まるで俺に対する示威行為のようだ。視線を上げれば、男の双眸が俺に続きを促すように細められていた。淀みなく二の句を継ぐかのように、表情を崩さず口を開く。同時に、声帯が発する音を賢明に探していた。
男の虚を突く一言を、脳の隅々まで思考を駆け巡らせ構築していく。彼の物言いは、推測だがかつてのこの村について知っているようなものだった。俺の家に、少年が住んでいたというのも。魔術師の工房があると聞いて動揺しなかったのは、エル婆の存在を知っていたからなのだろう。
男は、この廃村に対する十分な知見を持っている。知らないことなどないとでもいう顔だ。俺の言葉の端々まで矛盾がないか吟味して聞いているに違いない。ならば俺は、そこに奴が知りえない情報を矛盾せずに投じてみせる。
「――俺が、元宮廷魔術師エルの弟子であり、彼女の遺産を受け継ぐことを許されていたから」
――男が、僅かに瞠目した。
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