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血染めの魔王は勇者を嗤う  作者: 結城紅
序章 領主 ランドルフ・ハイター
10/15

☆悪魔の契約者


 ――白濁とした視界が一気に晴れる。

 失明していたかのような体感と奇妙な浮遊感が失せ、軽い倦怠感が残る。

 網膜を貫くような光量に思わず目を細めた。同時に鼻を劈くような異臭が香る。

 薄く開いた視界には、想像通りの光景があった。


「おい」


 整然と立ち並ぶ備え付けの本棚の列。図書館のような部屋からは、本来ならば書物独特の芳醇な匂いしかしないはずだが、それをかき消すような異質なものが混ざっていた。

 臭いのする方へ視線を向ける。目線を上げると、半分閉まっている戸口に黒色の背が見えた。

 整然と並ぶ本棚の間を縫うようにして木戸に手をかける。視界が開け、ソレの背が瞭然となる。

 赤と黒を色調としたゴシックのドレス。所々を縫うように走るドレープ。全体的にヒラヒラとした印象を受ける。膝元まで覆うドレスを纏ったソレの背は微動だにしていない。


挿絵(By みてみん)


「おい、悪魔」


「なんじゃ小僧」


 悪魔と誰何されたことを意に介さずに少女が振り向く。無表情が顔に張り付いたまま、垂れ目がちな双眸が俺を見据える。返答も早々に、再度問いかける。


「何をしている。この異臭は何だ。お前、俺がいない間に何をしていた?」


 俺の怪訝な表情、問いかけにも顔色ひとつ動かさず悪魔はそれを見せてきた。


「何、簡単なことじゃよ。お前ら人間もよくやるじゃろ?」


 肩越しに視界に入ったものは、虚空に浮遊するよく焼けた何かだった。元はピンク色だったのだろう、端々にその肉々しい色合いを覗かせている。全体的に蛇行するような形状を取るそれは、傍目から見ると蛇のようにも思える。しかし、それには尾がなければ頭もなかった。生物ではないことは自明の理。


「小僧、お主が余に味覚をくれたじゃろ? ならば食事は不必要であるとしても、とってはみたいと思うのが道理じゃ。故に、料理とやらをやってみた」


「ただ焼くだけを料理とは言わない。それに……」


 微かに笑みを浮かべる悪魔から視線を外し、彼女が食物とのたまった物を一瞥する。

 異臭、ピンク、形状。正体を看破するには素材は十二分に出揃っている。


「さすがだな、悪魔。人の内臓を食らうとは。悪食にもほどがあるぞ。まさに悪魔の面目躍如といったところだな」


「そうじゃろ?」


 笑いながら言うと、彼女は口端を吊り上げて笑った。

 皮肉のつもりだったのだが。いや、皮肉で返されただけか。

 俺は笑みを崩し、彼女の横を通り抜ける。


「不愉快だ。そういう悪趣味なことは、俺のいないところでやってもらおうか。それと」


「分かっておる。図書には引火させぬよう注意する」


「理解しているようで何よりだ」


 悪魔に視線を合わせ、備え付けの椅子に腰を下ろす。テーブルに頬杖をつき、改めて悪魔を一瞥する。

 まさか、〔帰宅〕早々におぞましいものは見るとは。予想だにしていなかった。

 見かけは童女だが、その本質はやはり悪魔か。


「ああ、そういえば、ノーチェ」


「……なんだ? パイモン」


 思惟に耽っていると、出し抜けに声が掛かった。視線を上げ、目線を彼女と合わせる。


「お前、何人騙した?」


 宙に浮かべた食物を片し、彼女が問いかけてくる。

 ふざけた口調ではないということは、真面目に尋ねてきているということか。

 俺は右眼を閉じ、瞼を揉むようにしてほぐす。


「騙した、というのは人聞きが悪いな」


「事実だろう」


「まあ、そのとおりだな」


 右眼から指を離し、目を見開く。パイモンが僅かに身じろぎした。パイモンの双眸に映る俺の眼は鮮烈なまでに紅く輝いている。異様なまでに異彩を放ち、威圧していた。


「物は試しと、三人ほど魔眼の餌食にさせてもらった」


「なるほど。流石だな、悪魔と契約するだけはある。お前の方がよっぽど悪魔らしい」


「ひとまず褒め言葉として受け取っておこう。それで、何故そんなことを聞いてくる」


 パイモンは、微笑を零すと壁に寄り掛かったまま答える。足を組み換え、艶然と笑う。


「決まっておるじゃろう。お主が早く強くなってくれないと、余としては退屈じゃからな」


 ……所詮は悪魔か。快楽主義者め。急に真面目ぶったと思ったらこれだ。


「早いところ、その【欺瞞の楔(イクリプス)】で強くなり、余を楽しませてくれ」


「分かっている」


 机に手をつき、立ち上がる。派手な音が鳴った。

 もどかしい。焦慮が心中を満たしていく。悪魔に言われなくても理解している。俺には勇者を殺せるだけの力はない。まだ、足りない。才能も、技量も、魔力も、全て。

 部屋を見回す。石造りの壁と床、書庫、照明が全てを淡く照らしている。俺とパイモンに混じり、どこか懐かしい匂いがする。


「エルばあちゃん……」


 この部屋は、彼女が俺に残してくれた遺産だ。

 村の地下に位置する、元宮廷魔術師たる彼女の研究施設。魔術に関する本から有名な童話、歴史本まで幅広く、種々雑多な書物で満たされている。俺が、身を隠し力をつけるにはうってつけの場所だった。幸い、食料も一年分は貯蔵されていた。俺は村が焼けてから一年の時をここで過ごした。


 エルばあちゃんは、俺に魔術師の素養があると言っていた。その言葉に嘘偽りはないと信じ、俺は血が滲む思いで文字、数学、歴史、魔法、ありとあらゆるものを身に着けていった。そして、絶望した。

 魔法使いたるもの、理を得るのが一番の目標であり、夢である。魔術師と、魔法使いの差は理への理解、それに尽きる。理、つまり魔法の精髄と魔法それ自体の構造全てを理解できれば、理へ至り果ては自ら魔法を創造することもできる。

 俺は、理へ至った。俺は、天才だった。だが、同時にどうしようもなく出来損ないだった。

 魔法には属性というものがある。印術(ルーン)ならば、火水風土雷、精霊術も同様、魔術はそれらに加えて光と闇がある。魔法使いは、生まれながらにして使える属性が限られている。これは、どんなに努力しても覆せないものだ。


 そして、俺が使える属性はたったひとつだけだった。闇の属性のみだ。正確に言えば、どの属性にも属さない無属性という誰でも使える属性も扱えるが、それは個性足りえないので割愛させてもらう。

 無論、魔法使いとして生きるだけでは十分だ。魔法が使えるというだけで希少性は高く、一属性だけでも極めれば強力無比なものになる。しかし、それは勇者を殺す力足りえない。

 闇は、勇者の光とはあまりにも相性が悪いのだ。加えて、俺の体内の魔力量は平均的な魔法使いの半分にも満たない。


 不良品にもほどがある。


 絶望した俺は、禁術と呼ばれる外道に手を出す決意をした。復讐を、諦めるわけにはいかなかった。

 力を手に入れるため、才能の限界を超えるため、俺は禁術を隅から調べ、そして悪魔の召喚を見つけた。過去に、悪魔と契約し理に至った魔術師がいた前例があったのだ。

 召喚術に属性はない。しかし、即効性もなく下準備に時間もいる。それに加え、召喚対象を束縛する術もなければ何が出てくるかさえ予測不可能。俺は、天運に任せ召喚を実行した。悪魔と契約を交わせば、現状を打破できるのではないかと考えた。

 召喚に応じたのは、童女の外見をした悪魔。パイモンだった。


「余を呼び出しのは其方か。何だ、ただの子供ではないか」


「言ってくれるな悪魔。だが、召喚した者が子供か大人なんて関係ないだろう? 俺と契約しろ」


 経緯を説明するなり彼女は笑いだし、退屈しのぎには丁度良いと契約を承諾。二つの新たな素養を俺に寄越した。

 ひとつは、魔力量の限界突破。魔力という概念を納める器そのものが大きくなったと考えれば良い。数字に例えるなら、分母そのものが上昇したようなものだ。

 もうひとつが、先ほど悪魔が述べた異能。【魔眼 欺瞞の楔(イクリプス)】、人を騙すことで発現する、才のない俺のための能力だ。


 契約を交わし、これらの能力を手に入れたが、無論無償というわけではない。悪魔は天使ではない。善意では動かないのだ。俺は能力と引き換えに、味覚と幼さを失った。もう、何を味わうこともできず、年相応の感情を持つことさえ許されない。我儘を言うこともなければ、やがて訪れたであろう思春期特有の不安定な精神に悩まされることもないのだろう。

 俺は、人間性を欠き、ノーチェという生涯変わることのない存在になってしまったのだ。

 肉体面では変化するだろうが、その本質は決して変わることはない。

 ある意味、心や魂を売り渡したと言える。

 そこまでしてでも、俺は勇者(あいつ)を殺したいのだ。

 

 背後にパイモンの視線を感じつつ、俺は奥の戸に手をかけた。

 瞬間、身が冷気に晒され震え始める。俺はすぐさま戸を閉めると、部屋の中央のそれと向き合った。

 室内は四隅にある魔法の込められた魔具により完璧に冷凍されている。あまり長居はできない。

 部屋の中央には、クリスタルと形容するに相応しい氷の彫像が台座の上に屹立している。威厳を示すかのように、依然と変わらない姿で佇んでいた。


「久し振りだね」


 俺は、それに語り掛ける。

 自然と目元が緩んだ。一言が、軽い。


「姉さん」


 氷像の中には、あの日と変わらぬ姉の姿があった。


感想等あると嬉しいです。

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