謎の物体X
とてつもない物が俺の前に突っ立っていた。
「なんだぁこれー?」
上空から見た時はピラミッド型をしていたが、防護スーツのマスク越しに眺めるとそれは完璧に壁としか見えず、巨大な水色の隔壁が漆黒の宇宙を突き刺す勢いでそびえ立っていた。
《おおきいぃぃねぇー》
のんびりと悠長な声を漏らしたのは玲子だ。ほとんど首を直角に曲げており、
《あいたたたぁ。ダメ、立ってらんない》
バランスを崩して降り積もった細かな砂の上に尻餅をついて倒れ込んだ。
それは人類史上初の女性の尻跡────以下同文。
悪いが省略させてもらう。そのほうがいいだろ?
とにかく何か見つけて来い、と社長から厳命を受けたのだが、ハタと困った。
何を持って『何か』と言うのか、俺にとってはここの砂粒一つでも、何かに匹敵する。海の砂ではない、衛星の砂だぞ。じゅうぶん『何か』だろ?
とか……ウダウダ言ってたら叱られるので、適当にそこら辺をうろつくことにしたのだが、いやー。これがとんでもなく歩きにくいのだ。
重力が小さく普通に歩くと宙に浮きそうになる。下手をすると腹ばいにつんのめることになり、何度か地面に手を突いた。
ところが人間の環境順応力は大したもんで、すぐに慣れた。地面を蹴って歩くのではなく、シューズの底で砂を擦って移動すると上手くいくことに気が付いたのだ。
とかやって数十分後。社長たちのつまらなそうな声が無線器を通して聞こえてきた。
《どこにも入り口らしいものはおまへんな》
《ですねぇ。だいぶ遠くまで調べましたけど、ずっとこんな感じです》
「あー腹減った」
《裕輔! 非現実的なことばかりゆうとらんと、入り口を探さんかい。見つけるまで食事抜きやで》
俺の主張のほうが現実的だと思うのだがな──。
それよりおっさん。社員旅行だと偽ってこんなところまで連れ出し、挙げ句の果てには食事抜きだとほざく、あんたは鬼軍曹か!
いつまでも社長面してっと、反乱を起こすぜ!
──とは言えないので、とりあえず。
落とし物を探してウロウロしている酔っ払いにしか見えない二人から、遠く離れた位置へ移動して、ちょっと鬱憤を晴らすことにした。
マスクの中で深呼吸し、胸を張ると水色物体を正面にして、
「腹が減ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
と大声で叫んだ。
《うるさーい! 鼓膜がどうにかなるでしょ!》
玲子に叱られた。そりゃそうだ。離れていても無線で繋がっていたのをすっかり忘れていた。
すごすごと振り返った先、かなりの遠方で、今度は社長が叫ぶ。
《おー、なんや! 今の大声で隙間が空いたデ!》
《せぇぇーいっ!》
玲子が砂ぼこりを上げてみごとな跳躍を披露。十数メートル離れた社長のもとへ、ぴたりとたどり着いた。
重力が小さい衛星ならではの移動方法だが、何とも運動神経の発達した奴だ。上手くやらないと、あらぬ方向へ飛んでしまうか、空中で体勢が崩れて頭から着地、なんてことになるのに、まったく安定していた。美しいガゼルの跳躍だな。いやほんと。
玲子は一回の跳躍で、俺はモタモタと冬眠明けのカエルみたいにおぼつかない足取りで、とりあえず社長のもとへ。
……なるほどな。
ガラス板みたいな表面に、縦二本、その上部を横に繋ぐ形で一本、早い話が、コの字を縦にした、つまり『 冂 』こんな感じに切れ目が走っていた。
《裕輔が叫ぶと同時に亀裂が走ったんや》
「うそだろ?」
《ウソはゆうとらへんけど、まぁ偶然やろな》
〔叫びと同時に亀裂が走る確率は七千万分の一です〕
後ろから現れたのはシロタマだ。
「おい、ほんとかよ?」
〔ウソです〕
ずりっ。
防護スーツでずっこけるのは至難の業だぜ、バーカ。
《機械がウソを吐くって、どないやねん》
〔これは嘘ではありません。ユーモアと呼ばれる会話を円滑に行うためのテクニックで、ヒューマノイドが時々使用するのを目撃しています〕
「くだらんものを観察してやがるなぁ……」
《ほんで、おまはんどこにおったんや?》
〔建造物の頂上です〕
《何かおましたんか?》
《なんにもなかったよ》
《役立たずなやっちゃな、ホンマ》
とつぶやいてから、もう一度、物体の前で仁王立ちする社長。
亀裂に指を引っかけて力まかせにこじ開けようとするが、防護スーツの手袋ではそれはムチャな話で、
《あかんワ。裕輔。もういっぺんなんか叫んでみぃ》
これもまたムチャな命令だし。
《あなた何て言ったの?》
「へ?」
《屁やないデ》
あのな、おっさん……何度も言うなよ。
「えっと。腹が減った、だったかな……」
首肯して玲子が続く。
《お腹すいたわぁぁぁ!》
『減った』だけど。ま、いいっか。
もちろん何も変化が起きないのは当たり前のことで。たまたま偶然に決まっている。
《あたしの声じゃだめなのかな》
そんな問題ではない。俺たち人類が作ったのではない建造物だ。しかも謎だ、ナゾ。そんな単純な音声で開くなんてマンガじゃないか。マンガならそれなりのセリフっていうものがあるもんで、
「よくみてろよ。こいうのは定番のメッセージがあるんだよ」
亀裂の前で首を捻じる玲子を横に離して、手の平で口を囲み大声で叫ぶ。防護スーツのマスク越しなのでなんの意味も無いのは承知だが、こうしないと大声が出せない。
「世紀末オンナのバカヤロぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
ドンと腹に響く振動と共に、細かな粉塵が舞い上がり亀裂が十数センチ後ろに下がった。
「うそだろ……」
《動いたがな!》
驚愕してたじろぐ社長の前で、さらに亀裂が大きく左右に開き、中から水色の壁が出現。
「世紀末オンナと、バカヤロとで、どっちのワードで開いたんだろ?」
俺たちは丸い目を向け合って黙り込んだ。
後に解ったことだが、ここまでは誰だってできたのだ。つまり大声を出せばいいだけさ。でも真空にもかかわらずにだぜ。その理由が分からんのだが、そんなことを気にする必要はない。だってこの先でもっとワケのわからんことに遭遇するんだからな。
それよりも、まずはこれだ。
《なんやろな、これ?》
社長が指差す先に並んだ記号らしき文字。まったく見たことも無い物だ。
水色の表面に深く彫ったもので、幾何学的な模様とも思えるものだが、興味本位から手を出して、さらに上塗りされた驚きの事実にビビりまくる。
「うおっ。不気味!」
指でなぞった部分の形が変わるのだ。
「何だこれ。生き物を触るみたいで気味が悪い」
防護スーツの手袋の上からでも感じ取れるほど深く刻まれているのに、触るたびに形が変化する。まるでゼリーに指を突っ込んだみたいだが、表面はガラスのように硬質なのだ。
《何かのメッセージやろな》
「なんだ。入り口じゃないのか……」
《いや、まだ気を落とすのは早いかもやで、ここの開け方を示してるんかもしれへんデ》
ケチらハゲの言ったことが正しいという証拠は何も無いのだが、疑う理由も無いわけで。
《ふ~ん。何やろな? 文字やっちゅうのは解るワ。触っても変化せん模様もあるからな》
社長はまるでパズルゲームを楽む子供みたいにカタチの変化する彫り文字を執拗に触っていた。その指の動きを横から見つめていたシロタマがぽつりとこぼした。
〔W3Cのデータベースに同じ文字の記録があります〕
《ほんまかいな。さすがシロタマや。役に立ちまんがな》
さっきは役立たずと言ってたぜ。
玲子に文字を変化させ、シロタマは上から観察を続け、
〔これは亜空間理論についての問い合わせです。亜空間理論が理解できない発展途上の知的生命体には触れさせないような仕組みです。それについて何点か問い掛けてくる文章があります〕
《問い掛けるって何や?》
〔ここに入るためのウィザードだと推測されます〕
《おおぉ。やっぱり入り口の開け方なんや》
「ちゃんと質問に答えたら中へ入れるのか。そしたら飯にありつくんだな?」
《この中が食堂とは限らないわ》
「ここは謎の建造物。うどん屋じゃないことぐらい見りゃ解る。暖簾が出ていない」
腹の虫がグゥと鳴る。
「あー、うどん喰いたくなってきた。どーしてくれるんだ」
腹をすかしていたのは俺だけのようで、
《でも社長。亜空間って何ですか?》
《知りまへんデ》
おーい。無視かい……。
「言いたくないけど、俺たちは発展途上の種族なので開けちゃだめなのさ。さぁとっとと帰って飯でも食おう」
〔W3Cには亜空間に関する資料が有ります。しかし現在リンク遮断中でダウンロードすることができません〕
《ほんまでっか。リンクが何とかなったら、ここを開けられるんやな?》
俺を完全無視の社長は通信チャンネルを銀龍へ合わせる。
《田吾、機長に伝言や! W3Cのリンク圏内までアルトオーネへ戻るようにと。圏内に入れば銀龍を中継にして、W3Cとシロタマの通信を復旧させることができんるや》
《何でそんな面倒くさいことするんダすか?》
こいつも上司に向かってまともな会話ができないタイプだな。
《うっさい!! 言われたとおりにやれ!》
瞬間湯沸かし器となってしまった裏には、案外俺たちが原因しているのかもしれない。
すぐに銀龍が飛び立った。地面が明るく照らされ、数十秒後には再び暗闇に戻り、俺の昼飯がまたもや遠ざかって行く。
「腹減ったよ~」
ここで俺の守護神から、次のお告げが下りてきた。
このまま行けば飢え死ぬ────。
な?
完璧な予言だろ?




