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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第二章》時を制する少女
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  旋律偏移変調  

  

  

 過去のナナは来客を迎い入れたような口調で言う。

「今日はみなさんおそろいで、ようこそお越しくらさいました。ところでどの時間域からお越しなのれしょうか?」

「な……なにを悠長に……」

 一度こいつのCPUをバラして中を見てみたい。きっと蜘蛛が巣を張っているのに違いない。


「2年前よ。いや正確には2ヶ月かな?」

 玲子も迷いながら律儀に答えるが、これには理由(わけ)がある。

 俺たちはブラックホールに近づき過ぎたがために、相対的な時間のズレを経験しており。アルトオーネから見れば2年。銀龍から見れば2ヶ月足らずなのだ。


「じゃあ。無事に故郷へ帰ったのか。よかったなぁ」

「なんでここだけタメ口なんだよ」

 肩の辺りがずっしり重くなるのを感じたが、気にしてなんかいられない。


「あのな。そんなにのんびりしていられないだ。その点火チップをこっちに渡してくれないか?」


「でっもぉぉぉ。これを渡したら主宰さんに叱られますぅぅぅ」


 この語尾を延ばす喋り方……。イライラするぜ。

「お前、アニメ口調を治せって言ったろ!」

「えー? だってぇー。これはぁー。コマンらーの言語マトリックスがぁ~おかしいからでぇー。ワらシのせいではありませぇーん」

 ピンク色に染まった頬をぷくりと持ち上げて間の抜けた笑みをよこすが、その口調が気にいらないんだ。俺の思考パターンを潜在意識からコピーしたら、今みたいな口調になったと訴えるが、それだとまるで田吾と同類だと言うようなもんじゃないか。


「そうよ。そういうのを同じ穴のムジナ、って言うのよ。憶えておきなさいね。二人のナナさん」

「はっきり言ってくれやがったな、玲子。お前は未来のナナだけの教育係だ。過去のナナにくだらんこと教えるな」

「何言ってるの、どっちも本人だからあたしの管轄なの。ほっといてよ」

「うっせぇ。この子はこれからドゥウォーフの人らと旅に出る身だぞ。アニメ口調はどー考えてもおかしいだろ。あっちへ行った時、へんな言葉が広まったら困るのは俺なんだ。バカかおめえ」


「バカぁ? バカはあなただけで十分だわ。ドゥウォーフの人はもっと賢いのよ。ちゃんとわきまえてるわ」

「なんだと! じゃあ俺は分別(ふんべつ)がついて無いとでも言うのか!」

「あったりまえじゃない。あのね、」

「ちょ、ちょっとお二人とも!」


 喚きあう俺たちのあいだに未来のナナが割り込み、

「ユウスケさん。アニメ口調なんて完璧に治りますよ。ほら、ワタシを見てください」

 と言って手を広げて見せると胸を張った。

 やけに豊満なふくらみがプルンと揺れて、思わず息を飲んだ。あー飲んださ。悪いか。当たり前だぜ。

 だってよ。たゆんたゆんしてんだぜ。


 大きな声では言えないが、この揺れはとんでもなく、なよやかな証拠だ。


「恐るべし管理者ぁ! そこまで忠実に再現させたのかぁぁ!」


 ごんっ。

 俺の絶叫よりも大きな拳骨の音が響いた。


「うっさいワ。時間が無いってゆうてるやろ。お前、ちょっと引っ込んどきなはれ」

 ハゲ茶瓶はとっても怖い目で俺を睨んでいた。



「さ、このアホはワシが見張っとくさかいに、はよ行動を起こしなはれ」

「あ、はい」

 その返事の仕方は3500年経過しても何も変わっていなかった。やはりこいつらは同一体だ。認めよう。



 未来のナナは過去のナナに状況を説明する。同じ容姿だが言葉遣い以外に雰囲気もわずかに未来のほうが大人びている。


「じゃあ。これまでの経緯を伝えるわ。でも言語で説明する時間が無いの。データを直接あなたにアップロードするからポートを開けてくれる?」

「あ、はーい。データトランスポート開放。いつでも送信してくらさぁぁい」


 少し広げた両腕をナナへ突き出し、表に向けた両手のひらを大きく反り返し、どうぞ飛び込んで来て、の体勢だ。


 うおおぉ。押し倒したい。

 という衝動を急いで抑えつける。玲子が放つ殺人光線の起動を関知したのだ。

 目を逸らして、嵐が去るのを待つ、俺。


「んぁ?」

 いくら待ってもナナが動かなかった。指先を絡め、何かを躊躇(ためら)っていた。

「どないしたんでっか?」

「電磁波による通信手段は、未来で傍受される恐れがあるんです」

 不安げに尋ねた社長へ意味不明の説明。


「未来で?」

「電波は距離だけでなく時間も飛ぶのか? 初耳だぜ」

 つい社長より先に口出ししてしまって睨まれる。たぶん自分も同じことを言おうとしていたんだろう。


 ハゲオヤジは八つ当たり気味に俺の頭を拳の角でゴツゴツと小突きながら、

「説明は後や。おまはんは口を出すな。時間が無いちゅうとるやろ」

「ほんとですよ。あなたはこっちに来てなさい」

 玲子にまで睨まれちまった。



 社長と玲子の後ろに回された俺は、二人の肩越しにナナたちの行動を眺めた。

「いい? よく聞いてね」

「あ、はい」

 ナナはいきなり口先を尖らすと「ポォー」というフルートに近い音を出した。

 口笛ではない。喉の奥から聞こえるので声だと思われるが、それはとても複雑な音色でかつとても心地よいものだった。


 次に、いったん口を閉じ、勢いよく開きざまに「チャッ」と音を出す。

 それはハイハットの音だった。


 幼げな表情のまま注目していた過去ナナへ、未来のナナが伝える。

「最初がドミナント信号で、最後のがリセッシブ信号だからね。理解した?」

 過去ナナはコクリとうなずき、

「学習しましたぁ」と言うと、黒々とした瞳を向けた。


「いい。基本データを送るから」

 と言った後、未来ナナはリズミカルな音を綴った。それはほんの数秒の鼻歌に近いものだ。

「あ、はーい。基本プロトコル構築完了しましたよー」

「じゃあ。正式に送るからね」

 と言うセリフが閉じるや否や、俺たちは息を飲み耳を疑うことになる。


 二人で奏でるフルオーケストラさ。いや。セッションと言ったほうがいいかな。交互でやり取りをしたかと思うと、同時に心地よいリズムと音色とがぶつかって、それらが共鳴し合い空間を震わせた。


「ちょっと、なにこれ。音楽じゃない?」

「す、すごいがな。音楽でデータ通信をしてるんや。複雑な旋律を混ぜることでビット深度を上げとるワ。うぉぉ。どれだけのデータ量になるんやろ。周波数変調やないでこれは。何やろ。この変調方式。考えたことも無かったで」


 重厚な音圧が腹に響くと次に、柔らかい音が重なって呻りを上げる。美しい音色が部屋に拡大し壁に反射して、色鮮やかな光の粒が一斉に噴き出したような幻覚を覚えた。


 二人のデータ交換はその後すぐに終わった。

 しん、と静まり返った部屋で互いに見詰め合っていた。


「ナナ。今のは何や? どいう変調方式でっかや?」

 辛抱できずに社長が飛び付いた。

「メロディと音色を利用して情報をデータ化する、メロディアス・シフト・キーイング(MSK)、旋律偏移変調とでも呼んでください。レイコさんと行ったコンサートで閃いたんです」


「旋律偏移変調でっか……」

 社長は溜め息に近い吐息をして、

「人工生命体が閃いたって……。どないなってまんねん」


 さらに驚愕の度合いを高めたようだが、ナナは平然として答える。

「MSKだと遠くへ情報が漏れませんので、未来で傍受されることがありません」


「何で電磁波やと未来に伝わりまんの?」

 さっき俺に時間が無いと言っていたクセに、同じ質問をしてんじゃんか。

 とは言えないので、我がままオッサンの肩を突っつく。

「社長。先を急ぐようだし、質問は控えたほうがいいぜ」

「おう。ほんまや」


 社長が下がり、続いて過去ナナが動いた。

「ではこれ、点火チップれぇす。急がないとバッカルちゃんが戻って来まーす。彼は後一回点火をミスると、隣のスフィアにあるコロニーへ行くと言って道具を取りに帰っていますからぁ」


 今の音楽みたいなので、マジ通じたんだ。

 何なんだ、こいつら……。


 未来体のナナはチップを受け取り、システムへ差し込むとコンソールパネルのキーを叩きだした。

「大丈夫れすかぁ? このエンジンだいぶ変な癖がありますよぉ」

 肩口から不安げに覗き込む過去ナナ。そしてキーを叩く未来ナナ、つまりどちらもナナ。ああ、ややこしい──。



「このパラメーターがクセモノなのよ。こうでしょ。それからこうして、こうするの」

 手慣れた感じで、操作パネルの上で細い指を躍らせた。


「すごーい。ワらシもこんなことできるようになるんれすかねぇ?」

「だいじょうぶ。これから先、あなたはこんなこと、あと何百回もやることになるから」

 あこがれの人を見る眼差しで、過去ナナは未来ナナの指の動きを追いかけていた。


 そして準備が完了し、未来のナナが「行くね」と言い、

 過去ナナが、「行っきまぁぁぁす」とはしゃぎ、

「そりゃ。何のアニメだよ……」と、俺が大きく溜め息を()く。


 なにしろ俺はこいつら二人分のコマンダーになるわけだ。

 一人でさえ頭が痛いのに、二人になったらマジで困るかも、と本気で思った。



 俺たちの足元で、これまでにない轟音が響き、それは力強い振動となってハラワタを震わせた。

「うまくいったんじゃないのか? これまでとはだいぶ雰囲気が違うもんな」


 轟音はさらに甲高くなり、やがて耳に届く範囲の波長を超えたらしく、微細な振動しか伝わって来なくなった。

「未来体のアらシってすごいレす。きゃぁぁステキぃ」

 ナナは驚喜(きょうき)にまみれてナナに飛びつくが、それにしたって……俺は呆れ果てた。


「オマエらは……どっちも同じ自分なんだぜ」

「いいんですよぉ。ワらシもこの人も嬉しいのは同じれース」


「なんか。とっても付いて行けねえな」

「ちょ、ちょい待ちなはれや」

 肩の力を落とす俺の横で、なんだか社長が難しい顔をした。


「ここのエンジンを始動させたのは過去のナナでっせ。ワシらの記憶と異なった歴史になリまっせ?」

 目の前で動いた動いた、と手を叩いて踊るナナを見ていると、なんとも言い難い不思議な気分になる。


「あの……。悩まないでください。エンジンはワタシが掛けようが、この子が掛けようが問題はありません。どちらもワタシです。結果的にはワタシが掛けたことになります」


「もうエエわ。あんたら同じ顔してワシを見つめんといてくれまっか。なんやしらんけど、めまいがしませっせ」


 過去と未来のナナは嬉しげに声をそろえて社長に告げる。

「「ポイントは、最後の点火チップでエンジンを掛けるというところです」」


 まったく同じ声音で放った音波は空間で重なり、唸りを発して広がって聞こえた。


 コーラス隊顔負けだぜ……。

  

  

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