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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第二章》時を制する少女
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  記憶の彼方へ    

  

  

 可愛らしい仕草で、ナナが指をパチンと鳴らした。ただそれだけだ。特筆することは何も無い。

 幾分目まいがした気分が残るが、最初に社長が立ち上がった。

「さて。もうええな、ナナ。解散しまっせ」

 ひとまず好きにやらせたのだから、これで(しま)いだと、出口に向かおうとするハゲオヤジ。船内は静かなもんだった。


「さぁ。昼飯食いに行くか」

「駅前に新しいラーメン屋ができたんダすよ」

「あ。ラーメン、いいわね」

「ほな。ワシがおごったるから、全員そこへ急行や。ナナも、もうええから一緒にどないや?」


「うほっ、やったぜぇ」


「おごるのは餃子一人前だけや」

「なんとっ!」

 それをみんなで分けろと?

「一人一個もあるがな」

 け、ケチらハゲめ。


 あまりのドケチ振りに立ち尽くすメンバー。

 社長はニタニタした笑みのまま、機長とパーサーへ船内通信のボタンを叩こうとした、その刹那。突如として通信ランプが(とも)った。


《社長! 大変なことになっています!》

 聞こえてきたのは上擦った声で叫ぶ機長だった。


 機長が興奮するなんてことは、5年前の誕生日にサプライズパーティを企画して以来見ていない。ただあの時は花火の音に驚いただけだがな。


 社長が押そうとして止めていた手の動きを解いた。

「どないしたんでっか?」


《び、ビュ、ビューワーを》

 顔色まで見えそうなほどの震え声だった。


 司令室の正面に滑々とした大型のスクリーンがある。各部署や船外の様子をここから観察できるのだが、今は消えている。それは俺の前で黒々とした平面を曝していた。


「点けてくれまっか」

 社長が玲子にアゴをしゃくる。

 それを点けたところで映し出されるのは会社の駐機場の広場で、今日は天気がいいから陽射しがきついはずだ。


「ん?」

 いくら待っても、画面は暗闇のままだった。

「社長。故障みたいです」

 と言って半身を振り返らせた玲子が、長いポニテを重そうにゆらゆらさせた。


「そんなアホな。整備不良でっか? メガごっつい高い整備料払ろてまんねんで」


「故障じゃないですよ」

 部屋の中央で孤立していたナナが、ゆっくりと近寄って来てそう言った。


「そやけど何も映らん……」

 ようやく気がついた。駐機場の青空を期待していたので、誰もが真っ黒の中に銀の粒が一面に散らばっているなんて思ってもいなかった。


「これってピクセル落ちしてんだ、社長。画面の故障っすよ。メーカーはどこっすか? 今度俺が文句言ってやるよ」

 社長は俺をぎろりと睨んだ。

「メーカーはうちや。わが社の製品を見極められへんのか、おまはん」

「あ? え? あーだったらピクセル落ちじゃねえや。カメラのほうっすよ。カメラ」

「カメラもうちの商品や」

「あぅ……」

 行き場を失った俺は黙り込み、社長は目を細めて画面を見た。


「それより……この夜空みたいな模様、どこかで見たことおへんか?」


 ナナがコンソールパネルに手を触れ、

「右側面の景色に替えますね。こっちのほうが記憶に新しいでしょ?」

 画面が切り替わった。見るとそこはどす黒い赤色だった。


「のぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 俺の大絶叫だ。他の連中は声も上げることができずに喉の奥をおっ広げて石化。

「──── っ!」

 肺の中の空気をすべて出し尽くして、もう何も出ない。


「ぶっふぁぁぁぁぁぁぁぁぁー」

 今度は死ぬほど息を吸う。


 呼吸をも止める驚愕の光景。それはビューワーのセンターに映っていた巨大な物体だ。

 誰の脳裏にも焼きついて離れない強烈な赤黒い光の威圧感。あの時見た、赤色巨星の姿だ。


「超新星爆発する前の、あの赤い星、ガイヤですよ……でも爆発して消えたんですよね」

 ようやく気を取り戻した玲子が、ビューワーを指差したまま再び固まった。


「こ、これは……あ、あ、あ、あ」とケチらハゲ。

 社長は言葉が出てこない様子だった。

 それにしたってこんなことは絶対にあり得ない。何か仕掛けがあるはずだ。


 何度も言う。時間の跳躍などできっこない。夢物語なのだ。しかも指をパチンと鳴らしただけで、このでかい銀龍を2年過去に移動させたというのか? しかもだ。3万6000光年彼方に?


 あははのはっ、だ!


 俺は冷静だったね。すぐにピンときた。たぶんナナと田吾あたりが仕組んで、社長を脅かす気なんだ。年寄りを脅かして楽しもうってわけか。今日は社長の誕生日だっけ?


「落ち着いてくれよ。社長」

「これが落ち着けまっかいな。裕輔。おまはんにはあれが何に見える?」

「そりゃ忘れもしないさ。これは3万6000光年彼方にあったあの赤色巨星だな」

 ナナたちのイベントを成功させるためには、ちょっと淡々としすぎたかな?


 幸い社長は気づかずまだ本気だ。喉の奥を震わせて言う。

「ほうやな。ワシにもそう見える。夢か? これは夢なんか?」

 勢いよく船内通信のボタンを拳の腹で叩くと、マイクに向かって怒鳴り上げる。


「タイムスケーラーのスタンプはどないなってますんや?」


《時間も2年前のあの時に戻っています》


「なるほどな……」

 珍しくパーサーもいっちょ噛んでいるようだ。その緊迫した演技はたいしたもんだぜ。

 となると機長も共犯者か……。


 知らないのは社長と玲子だけだ。

 ふむ。知らされずに気づいたのは、聡明な俺さまだけということだ。


 だがナナよ。こんなの子供だましだぜ。


「しゃ……社長ぉ。もう一つの銀龍の無線を傍受してるダ」

 田吾が通信機のヘッドセットをむしり取って半身を強く(ひね)った。ついさっきまでそこではしゃいでいたヤツが()だし……おぉーお。あの萌えしかないブタオヤジが迫真の演技をするとは、こりゃ驚愕に値するね。ナナのためなら必死になるんだ。すごいな。一途って。


「な……ナナ! どこや!」

 社長はあまりのことで、ナナの存在をすっかり忘れていたようだ。

「ナナ!」

 慌てふたく社長を楽しそうに観察する一人の少女を見つけて、ハゲオヤジは飛びつかんばかりの勢いで迫った。


「これはどういうことでっか!」

「はい。見たままです。あの日のあの場所ですよ。皆さん覚えてますでしょ?」

「ね……燃料代は誰が払いまんねん?」

 おーい。社長。あまりのことで、何かおかしくなってますよ。


 ナナは困った風に片眉を歪めた。

「え~っと。費用は頂きません」

「タダでっか?」

 苦笑いを堪えたおかしな笑みを浮かべてうなずく。

「はい。タダでけっこうです」


「ほうか。タダか。ふぅぅ……よかった」


 額を拭いながら、自分の座席に沈んだ。

 脳ミソ焼けたんじゃね?


 が──。

「アホなっ!」

 ようやく思考力が戻ったのだろう。頓狂な声を放って再び立ち上がった。

 忙しいオッサンだな。


「ほんまに3万6000光年の移動を終えたんでっか? ほんまでっか?」

 ほんま、を二回も繰り返したよ。こりゃだいぶ慌ててんだな。仕方ない、余り深みにはまると心臓に悪い。種明かしと行こう。


「社長。ちょっと落ち着いてくれよ。これはナナの手の込んだトリックだって」

「トリック?」

 これ以上続けると、バレた時に烈火のごとく怒るに決まっている。瞬間湯沸かし器という別のあだ名もあるぐらいだ。


「どうゆうことでんねん?」

「銀龍は駐機場から1ミリも動いてねえよ。ビューワーに作った映像を流してんのさ」


「でも。もうひとつの銀龍からの無線も傍受してるダよ」

 田吾も血相を変えて訴えるが、もう下手な演技はやめろって言いたい。


「もういいって田吾。これ以上はイタズラでは済まなくなるぜ」

「何言ってるんダす? 本当に受信してるっす」

 俺にヘッドセットをぐいっと突き出した。


「あ、そうか。お前も玲子側の人間か……」

「何よ……?」

 玲子の尖った視線もこちらに移動。

「いやいい。お前らは知らないほうが自然な演技ができる」


「何言ってんスか?」


 田吾と玲子も蚊帳の外ということは、ナナとパーサーらが仕組んだのか。そうすっと、もう少し高度な仕掛けがあるな。


「だいたい。裕輔は何に対しても疑り深いんダすよ」

「そうよ、そうよ!」

 不機嫌な声で外したヘッドセットをぞんざいにあしらう田吾と、剣呑な目付きで俺を睥睨する玲子。


 だがお前らごときに怯む俺さまではない。

「あのな。聞こえてくる音声は転送室辺りからパーサーが悪戯(いたずら)して電波で飛ばしてんだ。なんならその通信に答えてみろよ」


 俺の提案にうなずき、田吾が無線機のパネルに手を掛けようとするその行為をナナが慌てて止めた。

「あぁ。だめです田吾さん。そんなことをしたら、歴史に齟齬(そご)が発生します」

「ほうら見ろ。録音されたもんだろ。そりゃ返事なんて無理だわな?」


 ナナの目がわずかだが吊り上がり、きらりと光った。

「これまでに未来の銀龍から通信を受けたという歴史が刻まれていません。やめてください」


 成り切っているナナを感心と呆れの気分で窺っていたが、忠告するのもコマンダーの役目だ。


「そろそろ終わろう、ナナ。潮時ってのが大人社会にはあるんだ。いつまでもその世界が存在すると思ってんのは、ガキって言うんだぜ」

「ユウスケさん……」

 微妙に悲しそうな顔をした。


 ナナを大人に仕上げるのは俺の役目だ。玲子が教育係ではまともな大人にはなれん。体育馬鹿になっちまうのが関の山だ。ならば。ここはコマンダーとしてガツンと言ってやろう。


「ここが本当の宇宙空間だと言う証拠でも見せてみろ。なけりゃこれで終わりにする。結構俺も驚いたし、みんなも楽しめた。これでいいだろ?」

 なぜだか熱くなった玲子が俺の言葉を遮った。

「いい方法があるわ。格納庫のハッチを開けてみたらいい」

 と奥の部屋を指差した。


 司令室を船尾に2ブロック進むと4つの格納庫が奥に向かって並んでいる。いちばん手前がもっとも大きな格納庫で、食糧や水を搬入するために開け閉めできるハッチがある。


 有言実行を標語とする玲子はすぐに行動に移した。まっしぐらに格納庫へと司令室を出て行った。

「ちょ、ちょっと待てって」

 俺もその後を追いかける。ナナと社長も一緒だ。


 第一格納庫と書かれた扉がエアー音と共に小気味よい勢いで開き、玲子が風のように中に呑み込まれた。

 目指すはその奥にある黄色地に黒斜線の縞模様が引かれた大きなハッチだ。


 前に立つと玲子はレバーに手を掛けた。俺は飛んで行って少々乱暴な言葉を掛ける。


「お前はバカかっ! 本当に短絡的だな」


「止めないでよ。外に駐機場が広がってんなら、ここを開ければお日様が射して来るはずよ」

「お前は冷静に物事を考えることは無いのか。いつもそうやって熱くなって喧嘩を売っちまう損な女なんだ。ちょっと落ち着け」

「お言葉ですけど裕輔さん。あたしは常に冷静です」

「……さん?」

 こいつが俺をさん付けで呼ぶときは、マジになっている証し。ここまでして自分の信念を貫き通すなんて驚きの単純バカ女だ。ここでハッチを開けたらどうなるか。理解していないのだろうか。もちろん駐機場なら何も起こらないし、清々しい風でも入ってくるぐらいだろうけど──万に一つもないが、マジで宇宙空間だとしたらとんでもないことになる。


「賢い奴はこんな方法は取らない。もしここでハッチを開けてみろ。ほんとうに宇宙空間だったら、即行で俺たちは真空の宇宙に吸い込まれるんだ。それぐらい解るだろ?」


「そんなこと当然だわ。あたしだって特殊危険課のリーダーよ。銀龍の操作マニュアルぐらい読んでます」

「解かっていてその行動はおかしいだろう。リーダーさんよ。社長、何とか言ってくださいよ……はれ?」

 気付くとケチらハゲはニヤニヤしていた。


 何だその表情。はれぇ?

 俺が騙されてんのか?

 何が何だか分からなくなってきた。


「あなたはそこで飴でもナメて見ていなさいね」

「ば、バカ野郎!」

 飛びつく間もなく玲子はハッチを開錠するレバーを倒した。


 社長の薄ら笑いの意味は解らないが、宇宙空間という緊急事態を考えて、俺は咄嗟に非常用防護スーツのあるロッカーへ走った。

 ハッチが開けられると巻き上げる室内の空気は怒り狂ったように渦を巻き、外に向かって飛び出してしまうはずだ。


 通常の力で走っても吸い込まれる。なので俺は両脚に思いっきり力を込めてロッカーへ飛びついた。


 ドガガガガガーン!


 大きな音を上げてロッカーに頭をしこたまぶつけ、ついでに扉をへこました。

「痛ぇぇぇぇぇー」

 頭にできたコブを押さえ、床に座り込んだ体勢で振り返ると、ハッチの前で玲子と社長が真剣な顔をして開閉レバーを睨んでいた。


「何だよ玲子。開ける真似をするだけなら先に伝えてくれよ。おぉ痛てぇ」

 コブを擦りながらハッチのそばへ四つん這いでにじり寄る。

「見ろ。コブできたぞコブ」

 はぇ?

 ハッチを凝視したまま玲子は震えていた。

 そしてつぶやく。


「外は真空だわ……」


「何言ってんのお前?」


「裕輔な……」

 尻を床に落とした俺をじっと見下ろし、諭すように言う社長。

「おまはんも玲子を見習って銀龍の操作マニュアルでも読んだらどないや」


「どゆこと?」


 気の毒そうに、俺の額にできたタンコブに手を添えてナナが続ける。

「真空になると格納庫のハッチは特別な処理を通さない限り、中から開けることはできない構造なんですよ」


「お前……知ってたのか?」


「あ、はい。マニュアルはすべて覚えました」

「万が一を考えてのことや。真空中で間違ってハッチが開いたら、ほんまにえらいことになるやろ」

「もう。えらいことになってますよ」

 コブのあたりがよけいズキズキしてきた。


 玲子はハッチの前で腕を組み、黒と黄色のシマシマに塗装された鉄板を睨み倒していた。

「……お前、ハッチのこと知ってたの?」

 困惑した顔をこちらに捻り、俺の前で開錠レバーを何度も上下に動かして見せた。もちろんハッチはうんともすんとも言わない。


「この意味が解りまっか、裕輔?」と、問う社長に。

「外が真空だということっすね。となると、あの映像も本物?」

「そうやろ。だいたいな。銀龍のタイムスタンプを誤魔化したり、ウソの報告をしたりすると、航空法で罰せられるんや、あのパーサーがそんなことするワケないやろ」


 俺はこくりと顎を引き、

「このタンコブはどうしてくれるんすか?」

「知らないわよ。それより損な女で悪かったわね」

 玲子はコブをぽんと叩いて、俺を飛び上がらせて面白がると、ナナを連れて格納庫から立ち去った。


「落ち着かなあかんのは、おまはんのほうやな」


 俺は落ち着いている。だから防護スーツのロッカーへ飛んだんだ。

「ハッチが開かないなら先に言えってんだ」


 しかし、じわじわと沁みてきた。ロッカーでぶつけた傷じゃねえぜ。

 ナナは本当に3万6000光年彼方の、あの赤色巨星が輝いていた過去へ俺たちを連れてきたのか?


 い~や。まだビューワーの映像が本物だという証拠がねえ。


 背中で腕を組んでトボトボ司令室へ戻る社長の後から疑り深い俺はコブを擦りながら付いて行くのだった。

  

  

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