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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第一章》旅の途中
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超光高遊覧飛行

  

  

 ドック内は銀龍の出発を受けてすぐに退去命令が出された。司令室のスクリーンに機体から離れる係員の姿が映る。

 格納庫の巨大な扉が左右にゆっくり離れて行くと、庫内に柔らかな陽射しが広がっていく。まるで灰褐色のコンクリートに白い海がジワジワと浸透していくようだ。


 数分後──。


「底部のカメラに切り替えてくれまっか?」

 社長の指示で玲子が切り替える。

 これぐらいのことは、こいつだってできる。そう書いてあるボタンを押すだけだ。全自動の洗濯機より簡単なんだぜ。

 ちなみに玲子はその洗濯機の操作ができない。全てメイドさんまかせだという。


 言っとくが洗濯ができないことに驚ているのではない。家にメイドさんがいるほうが驚きなのだ。そのうち分かると思うが、こいつは超大金持ちの娘だってことさ。





 ややもして、銀龍の底部から白い霧状物質が吹き出てきた。

 不安げに社長を見つめる玲子に、

「反物質リアクターのグラビトンゲージに弾き飛ばされていく不純物や。気にせんでええ」

 俺もよく知らないが、重力を打ち消す装置が起動したらしい。


 そのうち霧が透明になり、時を同じくして銀龍の巨体が浮き上がる。何とも心地の良いふんわりとした浮遊感が伝わって来た。

 底部カメラを見ると数十センチ浮いていた。だが何の音も聞こえてこない。完璧な無音状態だ。

 空気の噴射や化学燃料を激しく燃やして、その反発エネルギーで重力を打ち消すのでは無く。これが反物質リアクターの威力さ。


 格納庫の扉が完全に開くと、そこからゆっくりと銀龍が外へ出た。氷の上を滑るような出だしはとんでもなく気持ちが良いもんで、何の振動も無くそのままブレインタワーの脇まで移動すると静かに停止。


 最後の点検を行うための一時停止さ。

 数十センチほど宙に浮いた巨体がわずかに揺れるのを底部カメラが捉えていた。でも体へは何も伝わって来ない。


「揺れてるわ……」

 玲子の質問がどこか怯えるように聞こえるのは、理解できないモノに対する恐怖なんだ。ようするに、こいつは理科系音痴なのさ。剣術や格闘技などとは縁遠い科学系には極端に怯え慄くんだ。


 そう、コイツの歪んだ科学知識は洗濯機の操作どころではない。ショットガンに銃弾を入れるのは平気なくせに、リモコンの電池交換ができないらしい。

 電気とか電子とか文字が入ると、もう別世界の物のようだ。俺にしたら銃刀剣類の扱いに馴染んでいるほうが別世界だと思うんだが。


「失礼ね。じゃあ、なんで銀龍が揺れてんのよ」


 俺は鼻から息を吐きつつ答えてやったね。

「重力を完全に相殺してんだよ。だからわずかな、そうだな。例えば風がそよぐだけでも巨体が揺らぐのさ」と。

 その答え方で間違っていないのは、社長の目が穏やかに笑ったところを見ればいい。



《では、いくでしゅ》

 シロタマの声が司令室のスピーカーから響いた。


 歯茎にギュッと力を掛ける。じわっと熱い唾液が口の中に広がった。

 だけど拍子抜けだ。

 どかーんと飛び出すのかと思って気張っていたのに、銀龍はブレインタワーに沿って、ゆったりと螺旋状に回転しながら上昇を始めたのだ。もちろん音もまったくしていない。


 次にカメラが映す景色に(もや)にも似た薄煙が広がった。


「なんや! どないしたんや機長!」

 続いて腹に伝わる鈍い音がして船全体が白煙に包まれた。

「火災でっか?」

 緊迫した空気で司令室内が満たされる。急いで各方向のカメラに切り替えるが、どこにも炎は映っていない。でも銀龍は煙に巻かれていた。


《大丈夫です、シーケンスの一部だとシロタマが言っています》


 落ち着いた機長の声で、ようやく力を抜くことができたのだが、社長の怒りは収まらない。

「何を考えてまんのや。あのタマっ子は。銀龍を(もてあそ)んどったらしょーちしまへんで、ホンマに!」

 ここまで改造されて、もうじゅうぶんに弄ばれていると思う。



 白煙に包まれた銀龍はゆっくりと速度を増していった。

 粘り気のある動きに連れられて、大気も引きずられ白煙が渦を巻く。加速が増すほどに白煙は濃くタワーを包み込み、見た目の派手さは無いが、船自体が巨大であるだけに、まるで竜が雲を(まと)って空へゆるゆると昇って行く雄大な姿にも見える。


 いかんせん動作がのろい。これでは遊園地の安物のアトラクションとそんなに変わらない。

「エンジンのパワーもたいして無いのに、なんや無駄な動きでんな。大勢が見てはんのに失敗したらエライ恥でっせ」


 社長が疑惑を膨らますのもしかたがない。大地が行かせまいとする引力の呪縛から逃れるには、何かしらの反動が無ければ重力圏を抜けることはできない。たんにビルの側壁に沿って蛇みたいにぐるぐる螺旋を描いていても、この速度で行けば、成層圏に達するまでに数日かかるのではないだろうかと思わせるだけの、ノロノロした動きだった。


「ふぁぁぁ~」

 田吾がたまらず大あくびをかました。

 いつもなら不謹慎なヤツめと、カミナリを落とす社長が黙認したのは、いつまでたっても速度が上がらないからだ。

「ちょー。もう5分ぐらい経つんちゃうんか、ほんま」

 本当はまだ3分なのだが、正す理由がない。


「大丈夫でっか、シロタマ?」

 我慢できずに声を荒げる社長。不信感丸出しだ。


《あと少しでしゅ》

 シロタマからは余裕の返事だ。


「やれやれ…」

 主発直前のまでの緊張感は吹き飛ばされ、今は気の抜けた炭酸飲料を口にした、みたいな気分だ。


 白煙を巻き付けつつ、ようやくタワーの最頂部へ機体が到達した。ほんとうにようやくといった感じだ。頂上の設備、空調ダクト類が見え、遥か下に縦横に走る滑走路や建物の屋根が見える。


「はあぁあ。成層圏まで、まだそうとうあるで……」


 ぁぅ──っ!


 社長が漏らした声が不意に遮断された。

 猛烈な閃光がタワーの天辺でほとばしり、不可視の力に鼓膜が圧され一時的に視力と聴力が麻痺した。


 意味不明、理解不能の強い衝撃が髪の毛、いや皮膚、いやいや何だか分からんが全身を突き抜け、一拍遅れて襲ってきた強烈な圧力に屈せられ、俺の顎がコンソールパネルに押し当てられようとしたのだが、それに抗えることができない。


 力尽きた途端、ガンっ、と派手にぶつけ、ついでに舌を噛んだ。

「アガガガッ!」

 突然に襲ってきた状況は人間を驚愕させ、かつ困惑させた。コンソールパネルがいきなり下から突き上げてきたのかと思ったぐらいさ。


 さらに続く驚くべき事態。

 ギシギシと機体が軋む音がして、今度は床に叩きつけられた。さらに加速度が高まったのだ。あり得ん。苛烈極まる加速だ。


「く、首の骨が……」

 喉を震わせて声を出したのか、思考の中で叫んだのか、それすらもよく解らない。もの凄まじい重力は全身をがっしりと押さえつけ、まったくピクリとも動かせない。うんうん唸っていると、


「あふぁぁあ~」

 玲子のとぼけた声が漏れて、俺にも伝わった。

 今度は直前の圧力が忽然と消えたのだ。押さえつけられた時も一瞬だったが、解放の時も瞬時だった。


 まるで無重力に晒された感が残るのは、加えられた重力が甚大だったからで、

「裕輔! 慣性ダンプナーを起動せえってゆうたやろ」

 怒る社長に強く否定する。

「最大パワーで動いていたんだ。マジだって、ほら」

 コンソールパネルにある加速度計が振り切った状態で固まっており、震える指で示しながら社長が怖い言葉を俺にくれた。


「ほんまや。ダンプナーが無かったら、人間ノシイカができとったな……」


 腰や肩を回しつつ、あるいは「痛ててて」と摩りつつ席に戻り、数分前を顧みる。

「玲子。タイムラプス映像は見れまへんか?」

 彼女はいくつかの操作をするが、頭を振ってから体を椅子ごと旋回。

「加速のショックでカメラが停止したようで、何も映っていません」


「どうなったんダす?」

 ワケが解らずオロオロするクルーの前で、スクリーンが明るくなり、


《ゲイツ! すばらしい成果ではないか。まるでショーを見るようじゃったぞ》

 破顔した藩主が映った。だいぶ興奮しているらしく、ヒゲと髪の毛に埋もれた皮膚が赤くなっていた。


「すんまへん。吃驚(びっくり)してもうて……よう見てなかったんですワ」

 苦々しい笑みを漏らすのが精一杯の社長へ、


《なんじゃ。ならばこちらで撮影した映像を送ってやる。いやしかしすごいな。これならほんとに数分でイクトへ到着じゃな。ゲイツ頼むぞ》


「なに言うてまんねん、そんなん無理やって言うたんは藩主はんやがな」

 笑いながら手を振る藩主が消えて、ブレインタワーの頂上付近にまで登り詰めた銀龍の映像と切り替わった。


 説明するまでも無く、数分前の俺たちの姿で、退屈してあくびをおっぱじめていたあたりだ。

 記憶の通り、少ししてタワーの頂上で閃光が上った。ここまでは知っている。


 閃光と同時に刹那の間が空き、上空に浮かんでいた白い雲に突としてドーナツ型の大穴があいた。それは間違いなく何かが瞬時に突き抜けた跡で。つまりタワーの頂上から忽然と姿を消した銀龍が残したモノだ。


 しばらくカメラは渦を巻く穴の縁を彷徨っていたが、間もなくして轟音と稲光りが空を裂き、凄まじい勢いで上昇気流がブレインタワーを襲った。

 タワーを包み込む上向きの空気の流れはきわめて力強く、ありとあらゆるものを吸い上げる大型の竜巻にも似たものだ。まるで巨大なサイクロン式掃除機で吸い上げられようとしたみたいに建物を軋ませて消えた。


「ふぇぇぇぇ、すごかったんだぁ」

「ちょい待ちいや。パーサー、銀龍の現在位置は?」

 のんびりした玲子の感想と、緊迫した社長の声。


《社長! ここはどこですか?》

 パーサーにしては間の抜けたセリフだった。


「知らんがな」

 呆れ気味に応え、

《失礼しました……少々お持ちください》

 咳払いと共にしばらく間が空き。すぐに驚嘆の声が返る。


《こ……光速のコンマ4パーセントに達しています》


 くすん、と玲子が笑ったのは、いまパーサーが告げた速度がどれほどのモノか理解していないからで、

「うそっ!」

 と仰天した社長が最も正しい反応で、キョトンとする田吾も、まぁ。正しいかな。


《ほ、本当です。秒速1200キロメートルに達しています》


「イクトまで何時間だよ?」

 つい口を挟んだ。

 社長は俺の態度に怒るでも無し、ただ震えた声を出した。

「ろ、6分や」

「マジかよ」

 それだと不動産屋が表の看板に出している格安物件の駅までの所要時間より短いじゃねえか。


「……………………」

 なに食わぬ顔で部屋に戻って来たシロタマを驚愕の眼差しで仰ぎ見るのは致し方の無いことだ。


「ほんまに数分でイクトに行ってまうがな……シロタマ…………」


 機嫌を損ねぬように下から覗きこむ社長へ、ヤツは平然と言う。

『正確には361秒ですが、減速の時間を考慮するともう少し掛かります』

 と女性の声で報告し、

「そろそろ減速シーケンスに入るでしゅ」

 と舌足らずの口調に戻すと付け足した。


 俺は信じないぞ。そんな速度に達するなんぞ、夢の話だ。何をたわけたことを抜かしやがる。

「俺たちは43万キロ離れた衛星目指してきたんだ。チャリンコで近所のコンビニへ行くより近く感じるじゃねえか……って、マジに速度を落としてんのかよ!」

 体に前向きの力が掛かった。


 再び、

『慣性ダンプナーを最大レベルにすることを推奨します。減速時にも強い重力が掛かります』

 という報告モードの忠告に、慌ててコンソールパネルに飛びつく俺だった。

 加速があれだけあったからには減速もすげえはずだ。


 その間、相も違わず、玲子はポカンとしていた。


 バカなオンナめ。




 見る見ると近づいてきた衛星の姿に驚きを隠せず、クルーは思い思いの感想を述べていた。

「こんなのどーってことないわ」

 玲子はヤセ我慢丸出しだし。

「なんだか。これだと旅行の気分がしないダな。着くまでに『ののか』ちゃんの足のとこ削る予定だったのに、何もできなかったダよ」

「お前は何しに行くつもりなんだ。フィギュアを拵えるのなら家でやれよ」


 田吾は無線技士よりもフィギュアのモデラーのほうを重要視してやがるし。


 俺は……。

「これなら水を1トンほど積んで来ても余裕で飛び出せたな」

 田吾の赤いツールボックスを見ながら言い、社長は罰悪そうに目を逸らしてから空中に浮かぶ球体を探して尋ねた。


「どうやってこんな加速ができたんでっか?」

『ブレインタワーの屋上にディフレクターと同じものを3機置き、大量の重力子を集中的に放射しました』


「なるほど。宇宙船の推力を当てにするのではなく……そうか、ゴム鉄砲の原理か……。考えもつかんかったワ。おまはんにしてはアッパレでんな。ほんで、あの煙はなんや?」

「ただの花火だよ。そのほうが派手でしょ?」

 と言いつつも、

『煙に包むことで、重力子の衝突面積を増加させることを考慮しました』


「ええがな、演出と実益を兼ねてまんねんな。あんさんには感心しましたで。そやけどこれだけの加速や、空気の層が逆にものすごい抵抗になるんちゃうんかいな?」


『それを無効にするのがディフレクターです。負の重力波は質量があるものを弾き飛ばす働きがあります』


「なんやよう分からんけど、すごおますんやな、ディフレクターちゅうのは……」

 シロタマの話に付いて行けるほうもすごいと思うけど、


『ディフレクターと言うのは、ただの振動板だと考えて問題ありません。可聴域の音波から可視光、ガンマ線、重力子までをカバーします』

「ほうほう。そーかー。ええがな。すごおますなー」

 すっかり社長は異星人技術の虜になったようだ。




《社長。まもなく通信圏の外に出ます》

 パーサーの声だ。爽やかな声音でそう伝え、玲子が首を伸ばした。

「なんで無線が途絶えるの?」

 科学オンチ、玲子ならではの疑問である。

「それはだな……」

 俺は知っているが、ここはこいつに答えさせよう。

「田吾、無線技士なんだから、玲子に説明してやってくれ」


 四角いメガネブタはこくりとうなずき、

「銀龍がイクトの裏側へ廻り込むと、地表に電波が反射してアルトオーネとの通信が途絶えるんダすよ」


 ほう一端(いっぱし)の無線技士だな。間違っちゃぁいないね。

「困るわね」と玲子。


「まあな。普通はリピーターと言って間に通信中継機が入って途絶えないようにするんだが、今回は準備できなかったんだ……ろ?」

「んダす」


 玲子は気に入らないのか、しかめ面。

「なによ、えらそーに」

「んだよぉ」

「田吾は通信士だから別にいいんだけど。あなたが口を出すことはないわ」

「お前が訊くからだろ」

「あたしはねぇーー。田吾に聞いたの。あなたじゃないわ!」

 強気に口を尖らすもんだから、つい大きな声になる。

「なんだとぉ!」

「なによっ!」

 このオンナはまったく怯みもしない、むしろ喰いついてくる。


「せやけどなー」

 気の抜けた声を漏らしたのは社長で、俺は玲子と揃って首を捻った。


「おまはんら顔を合わすと喧嘩しとるなぁ……それはやっぱ仲がええ(あかし)なんやろな」


「「はぁぁぁ?」」


「なるほどなー。息までぴったりやがな……」

「社長……」

「これはですね……」

 俺と玲子のあいだにシロタマがつーっと下りてきて、

『まもなくW3Cとのリンクが途絶えます。対ヒューマノイドインターフェースはスタンドアローンに切り替わり、分析能力が45パーセント低下する模様です』


 とーっても事務的なヤツだった。

 やれやれだぜ。

  

  

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