未来から来た調査員(会社にて)
お気に入りの女子と行くはずの楽しい社員旅行が、ケチらハゲと世紀末オンナの黒い策略により、3万6000光年の彼方へ飛ばされる遭難ツアーに変更を余儀なくされ、超新星爆発で噴き出した水素の濁流の中を遊覧しながら、ブラックホールを利用して過去へ飛び行く異星人が造った巨大宇宙船を観覧するという非常識なオプションまで付いた、数日間の恐ろしい旅行から無事帰還したと思ったら、こっちの世界では2年も経過していた。
どうだい。夢のような話だろ。ブラックホールに飛び込んで過去に戻る? がははは。マンガかって、言いたいね。ところが現実は一笑で済ますことができないんだ。あんな可愛らしい土産を持って帰っちまったからな。
もしかして俺はあの呪縛から逃れられないまま生涯を終えるのかな。
ああぁ。マナミちゃん。心のオアシス、女神様……。君だけがボクちんの支えです。
そうだ、さっそく女神様のもとへ行こうではないか。
てなわけで仕事が終えた俺はケチらハゲが経営する会社のロビーをひたすら歩く。目指すはエントランスの受付へ。
「ユウスケさん♪」
どこか甘えた感じがする声に呼び止められた。
ポンと肩に載せられた細い指の心地良い感触。
振り返らなくても誰だかわかる絶妙な力加減。
黙っているのもなんだから、とりあえず返事はしとく。
「おぅ。どうした?」
「こんにちは~」
遭難旅行で知り合ってから離れてくれない少女。名前をナナ。
これまでの人生で、最大級の謎を持った女の子──かな?
なにしろ年齢不詳、出身地……衛星の裏? とにかくなんだかよく解らない子なんだ。
ナナという名は俺が付けた。初めて会ったときに自分は『F877A』だと型番を宣言したので、そこから『7』を取って『ナナ』さ。
でも型番って、おかしいだろ?
そう察しのとおりこの子は人間じゃなくて管理者と呼ばれるどこかの進化した星に住む宇宙人が作った人造人間だ。
あー、いや。訂正しよう。
そんな不気味な言い方ではあまりに可哀そうだ。人工生命体、いやガイノイドでどうかな。女のアンドロイドのことさ。
なーんだロボットか、って思うなよ。その辺のおもちゃとか発展途上のギクシャクとした不細工なロボットを想像してもらっては困る。
容姿、口調、会話能力、運動能力どれをとっても生命体と寸分違わない。いやそれ以上かもしれない。いやいやいや、それ以上だと断言しておこう。彼女を作った管理者のこだわりは神様レベルなのだ。
その中でも、まず一押しは容姿だな。
「そう。オンナはスタイル!」
おっと興奮して声を出しちまった。数人の社員が怪訝な目で見て通ったぜ。
一度視線を向けるとしばらく目が離せなくなるほどのメリハリのあるボディは必見だぜ。理想的な『ボンッ』『キュッ』『ボンッ』だ。
原型となったモデルに会ってみたいな。管理者め、恐るべし異星人だ。このスケベ。
その娘が俺に言う。
「今からレイコさんにクラッシックコンサートとかいうのに連れてってもらうんですよ。ね。ユウスケさんも行きませんか?」
ロボットにはあり得んセリフと、上目遣いに見つめてこっちの胸中を探るべく生々しい感情表現に、俺はただただ凝然凝固の姿勢さ。
透明の光を満たした瞳から放たれた無垢な視線に吸い込まれそうで、俺は手を握り締めてそれに耐える。
「で……どうだ? 秘書課は慣れたか?」
「あ、はい。秘書って社長さんをアシストするんですね。ワタシのためにあるようなお仕事ですよー。こういうのをテンショクって言うんですよね?」
「あ。その発音だと『転職』になっちまう。意味が違う。『天職』な」
「天……職?」
小首をかしげるナナの容姿は襟の無いビリジアン色のハイネックスーツ姿。同じ色のタイトなミニスカートから、すらりとした美しい脚を惜しみなく曝け出した制服は世紀末オンナ、ようは玲子と同じ秘書課のものだ。
初めの約束ではナナは一般事務から会社に慣らしていく予定だったのだが、即日で玲子の目の届く秘書課に移動となった。
なぜなら、こいつのCPUから見ると人間の事務計算など園児のお絵描き以下なんだろう。瞬時に簿記をマスターして、会計士の舌を巻かせただけでなく、全課の給料計算から税務計算。はたまた株主資本変動計算書までをこなしてしまい。人間ではないことが暴露されかかったところを玲子がなんとかゴマかして、自分の手元に置いたというわけさ。社長決裁がすぐ下ったのは、ナナがアンドロイドだとバレることを懸念しての処置だ。
そらそうさ。俺たちの世界ではここまで進んだアンドロイド技術が無いからな。
そうそうナナが持って来た黄色いリボンの続報だが、社長が精密な年代測定をその道に詳しい業者に頼んだところ、少なくとも3000年以上は経過したナノチューブが織り込まれた特種リボン。つまり玲子の物と鑑定された。
これを手短にまとめると、ナナはウソを言っていないということと、管理者製のアンドロイドはなんて長寿なんだという驚きの事実さ。
となると……さーたいへんさ。
ナナはとんでもないことを暴露してんだ。
まず社長が救助した絶滅寸前の住民たちは、ナナを作った管理者の祖先だということ。
そして衛星の裏側に現れた謎の建造物は、先祖を助けた社長に対する感謝の印として贈られた物であること。
だけどここでおかしなことに気付くだろ。
助けた祖先の遥か未来の管理者がナナを作ったらしいが、その祖先が苦難していた惑星に俺たちを送り届けたのも何を隠そう、そのナナだ。だから惨状を見かねた社長が救助の手を差し伸べた。正確には今田薄荷の協力も得てだがな。
ナナが作られなければ先祖は絶滅だ。だったらナナは完成しないので衛星の裏に謎の建造物は出てこない。だってその調査にオレたちが出向いたのだからな。出てこなければ俺たちはそこへは行かない。なのに現れた。ということは祖先が助かったわけだ。だけどその時、俺たちはまだ救助に行っていない。
どうだい、頭が熱くなったろ。俺なんてこのおかげでずいぶん毛が薄くなっちまったんだぜ。どうしてくれんダ。
「よ、ユウスケ!」
と肩を叩かれて、飛び上がらんばかりに驚いた。意味不明の妄想をしていたから、そりゃ吃驚仰天さ。
振り返ると、俺と同じ部署の課長が立っていた。
「こんなとこでナナくんとイチャついてると、ほかの若手男性社員から恨まれれるぞ」
「ば……バカなこと言わないでくださいよ、課長」
俺より五つ年上の上司だ。
「課長。俺はですねー。社長の命令で世話してるだけで……」
音量を落として課長の耳元で囁く。
「俺にはマナミちゃんがいるんすよ。変なこと言わないください」
課長は眉根を少し寄せた。
「秘書課のエリート、玲子くんとも仲がいいし、ナナくんは寄り添って来るし、なんでお前みたいな男がモテるんだよ?」
「モテてませんて……」
モテるもモテないも、どっちもまともな女じゃねえし。片やロボット。片や鉄の女だぜ。ついでにマナミちゃんに関しては、まったくの一方通行だし。
「ま。うまいことやってくれ。じゃな」
課長は笑いながら肩をすくめると、片手をポケットに突っ込み、残りの片手で宙を払って歩き去った。
ひとまずナナがロボットだということはバレていない。しかも玲子が世紀末オンナだということもな。
うちの会社は、バカばっかりだな。
しばらく課長の背中に小さな手を振っていたナナが、再び黒髪を翻した。
「ワタシ『音楽』に行くの初めてなの。うれしいな」
「お前、音楽って何だか知ってんのか?」
「あ、はい。知らないです」
ためらいも無く返事しやがって。肯定してから否定すんなよ。若い奴らと同じだぜ。
「あのな……ま、いいや」
こんなところで俺が親父臭い文句を言っても始まらない。こういうのは教育係のあいつが悩めばいいのだ。俺はコマンダーだからメンテナンスしかやらん。しち面倒臭いことやってられるか。
ところでコマンダーというのは……。
ま、いっか。その話は後回しにしよう。
「レイコさんが音楽は美しいって言ってましたから、きっと綺麗な物を見に行くんでしょう? ねえ一緒に行きましょうよ」
「いや俺はいい。クラッシックは性に合わん」
「え~~~? 行きましょうよぅ~」
柔く肩だけを左右に振るが、やっぱりこいつは完全に誤った認識をしてやがる。『見に行く』って、美術館か何かと勘違いしている。玲子もたいへんだぜ。
「お待ちどうさま……」
高級そうなコートを羽織り。芳しい香り撒き散らしたとんでもない美人が現れた。
出たな。世紀末オンナめ。こいつから腕力とクソ度胸を取り上げたらミスワールドも夢じゃないんだが、いかんせん格闘技世界チャンピオンだからな。しかも男女混合のな。
「く──いい匂い」
こいつがハゲの専属秘書、玲子だ。ナナの教育係を自ら買って出た秘書課のチーフさ。
チーフだからと言って、別に年を取ったお局さんではない。ナナが幼く見えるため、どうしてもそう見てしまうが、大勢控える秘書の中では若手で、最も美しくスタイルも抜群なのだ。
とか聞いて鼻を伸ばしてっと、ひどい目に遭うからな。
こいつは社内で最も威勢のいいオンナで、あらゆる武道の達人さ。運動神経、度胸、そして男を男と見ない度も社内一で、その喧嘩早い性格が災いして、社内では高嶺の花どころか、猛獣的存在だ。だから怖がって近づく者はいない。なにしろ人を殴るとき笑ってやがるからな。恐ろしい女なんだぜ。
「あ、レイコさん」
ナナは黒髪を風になびかせながら全身を旋回させた。艶やかで細い髪の毛が俺の鼻先をすり抜けたので、こっちでも深呼吸する。
それは高級そうなシャンプーの香りだった。
ロボットのクセに風呂に入るのか?
どうやって体を洗うんだろ?
いや。洗い方なんかどうでもいい。どんな格好をしてだな……。こほん。こほん。
こういうことを考えると必ず玲子は感づいて首を絞めてくる。くわばらくわばらだぜ。
「あなた、まだ会社の制服着てるの?」
「あ、はい。ワタシこれしか着るもの無くて…」
「そっか……。お給料が出たら、付き合ってあげるから買いに行こうか」
ナナの教育係を自ら買って出ただけあって面倒見はいいようだが、ついでに金ぐらい出してやれよ。金持ちのクセにケチなオンナだ。
「それがレイコさん。ユウスケさんも誘ってるんですけど。行かないって言うんですよぅ」
ナナは口先を尖らせて不服感を前面に押し出すが、玲子は鼻で笑った。
「こんなバカが行くわけないじゃん」
バカで悪かったな、アホ。
「クラッシックよ。そうね。たぶん5分で寝ちゃうわね」
3分だ。
「音楽って眠りに行くのですか?」
不眠治療にはもってこいさ。
「あ。時間がないわ。こんなヤツ放っておいて行くわよ」
「同じヒューマノイドなのに行動を共にしなくていいんですかぁ?」
「人間には好みっていうのがあってね。この人は呑みに行くことしか頭に無いの」
「お前だって、そっちのほうを優先するじゃねえか」
と口答えする俺をあっさりスルー。
「はい。おっ疲れぇー」
俺とタッチすると、玲子は戸惑って瞬きを繰り返すナナの腕を引いた。
「さ。行こう。タクシー待たせてあるのよ」
俺は引き摺られるようにして離れて行くナナに向かって、悔し紛れに言い放つ。
「これが個性というものさ、覚えておいても損はねえぜ」
ナナは振り返り振り返り首をかしげた。
「個性って……なんですかぁ?」
まぁ、あいつが混乱するのも無理はない。『個性』なる単語一つで、片づけられてしまうほど単純なネットワークで生命体は構成されていないからな。それにしても音楽会へタクシーで乗り込むとは、やっぱ金持ちだな。俺なら地下鉄で行って、余った金でビール飲むな。
「ふっ──」
玲子の言うとおり、結局、呑むことしか頭にないことを改めて気付かされた。
次の日、ナナから音楽についての報告を受けた。
なぜ前日の出来事をいちいち俺に報告をしに来るのかと言うと、学習結果をコマンダーに報告するのもガイノイドの義務らしい。
あー。またコマンダーという言葉が出てきたな。致し方ない。補足情報で悪いが説明を加えておこう。
俺はナナのコマンダーとか呼ばれるワケの解からない役に従事することとなった。無理やりにな。
事の発端は衛星の裏で見せつけられた長距離転送装置、ハイパートランスポーターを試すにはそうしないといけない規約があるようで、勝手に決められただけの話だ。
ついでに聞いてくれ。コマンダーって言うから、なんだか特別な役割を与えられたような気がするだろ。でもそれは大いに勘違いだぜ。ただの雑用と代わらない。そのひとつにナナのメンテナンスを定期的にしなければならんのだ。会社にあるコンピューターのメンテナンスですら億劫でやったことないのにだぜ。
さらに釈然としないコトがある。それならせめてコマンダーの命令に従うのが道理だろ。それがアンドロイドだろ。
それなのにこいつは玲子や社長の言うことばかり聞いて、俺さまの命令なんざ、ちっとも聞いてくれない。
ま、ここで愚痴っていても始まらん。で、その報告なのだが──。
ナナはコンサートで初めて経験した『音楽』と呼ばれる情報形態に圧倒されたらしい。
最初は視覚情報を伴うものと想像していたのだが、これは大きく外れており、聴覚のみの形態にもかかわらず、これほど幅広い情報量があるとは思っていなかったらしく、彼女は驚愕に震えたという。
そしてその膨大な情報量は彼女の処理能力を一時的にオーバーしてしまい、しばらく視覚と皮膚感覚情報を遮断して対処したと言った。でも周りの人間も同じように情報遮断状態(トランス状態)に陥っていたので、誰も自分の異常には気付かなかったのだと嬉しそうに報告した。
どちらにしても音楽は非常に興味深かく、経験の無いインスピレーションを得て大いに感動したらしく、それに対して意見を求められた。
感動って──。
ロボットがインスピレーションって言いやがったぜ。
マジで理解してんのか?
俺だって上手く説明できないのにな。
「え? って、おい、俺の意見を待ってんの?」
妖しげで、かつ熱い視線を俺に据えて、じっと言葉を待つナナにたじろぐ。
メンテナンスって体の隅々に油を注したり、お風呂に入れてやったり、てなことを当初は想像していたのだが、不埒な妄想はもろくも崩れ去るのさ。
こいつの言うメンテナンスとは、学習結果に対して適切な感想やアドバイスをしてやり、アンドロイドの記憶デバイスに正しくデータを蓄積させることだそうだ。簡単に言うと、話し相手をするんだな。これが……。
ばーか。それならメンテナンスって言うな。勘違いするだろ。
「めんどくせえな」
「え~。そんなメンテナンスワードダメですよー」
「じゃあ。音楽聴けて良かったね、でどうだ?」
「もう。感情が入ってませ~ん」
ナナはぷうぅと膨れて見せ、俺をさらに仰天させた。
マジでこいつロボットなのか?
人工生命体が俺に向かって感情が無いと言い切りやがったぜ。
もはや俺の前では生気溢れる一人の少女だった。




