ようこそ宇宙(そら)へ【後編】
ひとまず悪いようにはしないからと社長からは言いくるめられ、玲子から受けるお色気作戦には太刀打ちできず、
「とにかく俺は社員旅行だと思って行くんだからな」
と無理やりな宣言をすることで、何とか俺は落ち着きを取り戻していた。
そんな矢先――。
《ゲイツ……どうじゃ? 準備はできたのか?》
「よっしゃ。特殊危険課の任務を果たすで。ほんでがっぽり請求するからな」
「オラたちにもボーナス頼むダよ」
「大丈夫や、田吾。相手は藩主はんや。ケチケチしてへんで」
その藩主が通信してきているんだが……放っておいていいのだろうか?
《おーい。ゲイツ……》
国家の最高権力者が自ら連絡をしてきたと言うのに、そっちへ尻を向けて今度は吠えまくる社長。
「それより誰や勝手にこの道具箱を積み込んだんワ!」
赤いツールボックスを高々と上げて、ついでに目尻も吊り上げた。
「手荷物は無しや、ってゆうたやろ。全部事前に積み込んどるんや。お前ら手ぶらで来いっちゅう連絡行ったはずや」
「え? その道具箱はオラのだスけど……。何か?」
「何やコレ?」
「フィギュアを作る時の道具ダす」
「なに考えとんねん! ワシらは遊びに行くんちゃうデ!」
「何でよー。これは社員旅行だと言ってたじゃないか。だったら遊びに行くんだろ?」
田吾を助けるつもりは無いのだが、つい横から口を挟みたくなった。
「ぬ……」
案の定、ハゲオヤジは飴玉を飲み込んだ毛の無いチンパンジーみたいな顔になり、
「う……宇宙船はな、1グラム何ぼの計算で飛ぶんや。こんな私物を持ち込んだら無駄なエネルギーを使うやろ」
言い換えやがったな、おっさん。
《ゲイツ。聞こえないのか!》
「社長。藩主様がさっきからずっと呼んでますよ」
ようやく小声で知らせる玲子。
ズームアップしたヒゲモジャの藩主が、映像のあっちから俺たちを覗いていた。
穏やかな丸い瞳をクリクリさせ、終始微笑んでいるのが、この国の王様で藩主様だ。
黒々とした髪の毛が顎ヒゲにつながり、毛むくじゃらの顔はどう見ても熊だな。
初めて会った時は怖い人かと思っていた。王様だからな。でも慣れてくるとただの気の良いおっさんだ。
あ、そうそう。説明が遅くなってすまない。ここが銀龍の司令室さ。船のほぼ中央に位置していて、元はでっかい会議室だったんだ。
白を基調にシンプルだがちゃんとしたブリッジとしての機能が備わっていて、意外とキレイに仕上がっていた。
大型のビューワーを側壁に備え付け、あらゆる場所に取り付けられたカメラからの映像を見られるだけでなく、通信相手とも対面して会話ができる双方向ビューワーだ。その映像投影部分。早い話しがスクリーンだな。そこに今は藩主のでっかい顔が映っていた。
何事も無かったように体を旋回させて、社長がスキンヘッドをぺしゃりとやる。
「すんまへん。いろいろおましてな……準備万端でっせ。とにかく行ってきますワ、土産話を楽しみにしといてや」
《いいかゲイツ。話だけではイカンぞ。何か持って帰ってきてくれ》
キッチリと釘を刺されてやがんの。
「ちっ、見透かされてまんがな。話だけやったらタダやのに……」
舌打ちを隠した手をしゃっと掲げて、出発の合図とした。
「ほな。藩主はん、行きますワ……ここにおっても一銭にもならへん」
《そうか……それじゃぁ、頼んだゾ》
ドケチを露呈する発言に藩主は渋そうに眉を歪めて、大きな手の平を振り返した。
耳の奥をくすぐるような小さな音と共に藩主の姿が消え、代わりに船首から見たドックの大きなゲートがビューワに映る。
大型ジェット数機分の巨体を誇る銀龍をさらに格納するドックだ。ちょっとした山ほどの広さがある。
「さぁぁ、行きまっせぇ」
意気揚々と出発を宣言する社長。その声を聞いて緊張の糸がぴんと張るのは当たり前さ。これから宇宙に出るのだからな。
先に言っておくが、別に史上初の重力圏脱出でもない。アルトオーネでは何十年も前から衛星探査は始まっているし、人工衛星だってブンブン周回してんだ。そうじゃなくて銀龍が宇宙へ出るのが初めてなんだ。しかも異星人のテクノロジーで固められた装備と訳の解らないシステムで制御されてだ。深呼吸して気持ちを静めようとするのは当然で、この作戦を裏で操るシロタマがさっきから天井をウロウロしていりゃあ、なおさらだ。
社長は天井の隅を移動中だった球体をすがめながら、部屋の中心にある自分の席に尻を据えると船内通信のボタンを押した。
「機長どうでっか? 操縦できそうでっか?」
すぐに明るい返事が戻る。
《何も違和感がありません。ほんとうに宇宙船に改造されたんですか? それに宇宙へ出るまで何もしなくていいっていう指示ですが……》
機長は途中から声に不安を滲ませていた。その気持ちはよく分かる。初のマッハ越えのジェットエンジンを試験するパイロットと同じ気分でいたら、遊園地を回るお猿さんの電車に乗せられた、てな感じだろう。戦闘機を操縦していたパイロットに何もするなと命じるのは屈辱だよな。お気持ち察しますぜ。
「イクトぐらいまでなら、誰だって飛ばせるでシュよ」
いきなり天井付近にいたシロタマが降りて来て、パイロットの気持ちを逆なでるみたいにぬかしやがったので、ここは一発かましておかないと舐められる。
「そんな言い方すんな。衛星は遠いんだぞ」
「なんでだよぉ。アルトオーネとイクトは直線で43万キロしかないんだぜぇ。まっちゅぐさえ飛びゃあ。ちゃんとちゅく(着く)んだよ」
「なんか嫌な言い方だな。それだとまるっきりロケット花火じゃないか」
シロタマはまだ言い続ける。
「こんな最新しゅき(式)の宇宙船でしゃいんりょりょ~にいけるなんて、あんたら運がいいれしゅね」
こいつは機械のくせに嫌味も言えるんだ──。
そんなことより、まだ『社員旅行』って言えねえでいるけど、マジで大丈夫なのかこの宇宙船。途中で分解するんじゃないだろうな。
だんだん心細くなってくるこっちの気持ちなど一顧だにせず、シロタマは得意げに丸いボディをゆっくりと回転。部屋の隅々を見渡す。
「全機能正常値。オールグリーンでしゅ。さっさと行くでしゅ。おしゃる(お猿)さん」
「シロタマっ! ワシの頭の上に来るな言うてますやろ。何か無性に気になりまんねん!」
こいつはそこを定位置とする気なのか?
「毛が無いから、ここがいちばん安全」
毛が無い……怪我無い。
出発前の先制攻撃にしてはちょっと古典的だ。こいつはW3Cの対ヒューマノイドインターフェースとして存在するのだが、いったい何とインターフェースしようとしているのか未だによく解らん。人をからかって怒らすことだろうか。インターフェースの定義とは何なのだろうか。
「う、うるさいわ! このアホタマ!」
掴み降ろそうと立ち上がったが、ヤツの逃げる速度のほうが勝っていた。
「みんなのジャマになるから、こっちへいらっしゃい」
これ以上放っておくとまた社長の怒りが頂点に達すると察した玲子が手を振って呼び込んだ。
奴にだけは従順なシロタマは、素直に戻って来る途中で『ハーゲ!』と悪態を吐いて、玲子の長い黒髪の奥へ潜り込んだ。
「ハゲてなんかないでっ!」
おーい。誰か鏡を持ってきて見せてやりたまえ。
ひそかに目を合わせて冷笑する俺と田吾。そしてまたもやシロタマ。
「そうでしゅ、忘れてまチた」
玲子のうなじ辺りから、もそもそ顔を出したタマは、ついと空中へボディを滑らすと、ぴゅーん、と飛んでいっちまった。
自由奔放にも限度がある。もうすぐ出発だと言うのに。
「どこ行ったんやアイツ! それより機械が『忘れた』って、どういうことでんねん、アホかホンマ」
こっちは機嫌悪そうだし。
「何か聞いてまへんか? 玲子?」
「さぁ? 何も聞いてません……」
社長は首を傾げる玲子から俺へと目を転じる。
「ま、ええわ。で、こちらの準備はどうでっか?」
「準備完了。シールド100パーセント、ディフレクターもいつでも起動可能」
どうだ。結構様になってんだろ?
……というより意味を理解して報告していない。目の前のディスプレイがそう言えとばかりにメッセージを並べ立てるからさ。まるでこっちが機械だ。これが対ヒューマノイドインターフェースっていうことなのかな。とにかくシロタマの設計は驚異的なフルオートを実現している。
かと言って目をつむって操作するのも怖いので、
「社長。ディフレクターって何すか?」
玲子も俺と同じ目をして振り返った。
このメンバーの中で唯一電子工学系の専門家なのだから、このハゲ茶瓶だけは理解している。
社長は、ああ、とうなずいてから、
「負の重力を進行方向へ放射して宇宙に浮かぶゴミを弾き飛ばす防御装置らしいで」
よけいに解からなくなった。
玲子と目が合ったので、
「負の重力だ。マイナスさ」
適当に言ったのに。
「へー」とか言ってカタチのいい顎を引いた。
たぶん何も解っていないはずだ。
「せやけど……。そんなモンで重力子をコントロールするやなんて、理屈どおりにいきまんのか? 計算ミスでもあればデブリが機体を貫いて、この銀龍は瞬間にでっかい棺おけや」
なんと怖いことを言うんだ、このハゲオヤジは。
鼻歌混じりでヘッドセットを耳に当てようとした田吾がその言葉を受けて固まった。不安げな視線をゆっくりと社長に当て、またゆっくりと俺たちへ移動させた。
「だいじょうぶよ。シロタマは自信満々だったし……」と玲子が答え、
「そうダすか、よかった……」
田吾がちっとも良かない顔をしたのは、玲子は自分に言い聞かせるようにつぶやいたのに、それに気づかず安堵した自分を悔やんだからさ。ようするに傷の舐め合いだと解ったんだろな。
俺の後ろではケチらハゲの独白が続いていた。
「もう一つワカランのが、シールドとかゆう、磁場フィールドを出す電磁コイルや。銀龍は乙女なんや。その柔肌にあんなぶっさいくな磁場発生チューブを這わせやがって。せっかくの美貌が台無しやで……」
機長も同じことを言っていたが、乙女の柔肌のまま宇宙に出そうとするほうが、どうかと思うがな。
しかし不思議なのは、シロタマだけでなくW3Cもそうだ。異星人製のマシンなのでどんな理屈で機能しているのか理解できないクセに、それを信用するアルトオーネの人種ってどこまでおおらかなんだろ。バカばっかりなのかな。
俺たちが知っていることは、百年前に突然現れた異星人がW3Cのシステムを作って、なぜか王国に寄付したという史実があること。
その異星人の名前は『スン』と呼ばれている。
正確にはスン博士って言うらしいが、なぜアルトオーネにそんな人物がいたのか、なぜW3Cみたいなとんでもないマシンを進呈したのか、今となっては誰も知らない。
でも前々国王がW3Cを絶対的に信用しており、王国内が認めて国民も納得してんのが、アルトオーネの不思議なところなんだ。スン博士がどこの誰で、その後どうなったのか、かれこれ百年が経とうというのに何もかもが謎のままなのだ。まったくのんびりした人種だぜ。俺も含めてな。
中にはW3Cを利用して異星人が侵略して来るのではないかと、ひねくれたことを言いだす輩もいたが、作られて百年以上経つが何も起きず、何の変化もなく世の中は太平なままだ。むしろ混乱が起きそうになるとW3Cの出す勧告は的確で、すぐに治まる。王国としては手放したくないマストアイテムだろな。
ま、それはそれとして、最大の謎はなぜ異星人がこんな立派なものを俺たちに与えてくれたのか。
な? 首を捻っちまうのが本音だろ?
このあたりは時間が解決してくれると思うよ。それまで気長に待っていてくれたまえ。
それじゃぁ話を戻そう。
「ほんで、そのシールドちゅうもんの動きはどうやねん?」
「効果は実際に宇宙へ出てみないとわからないけど、とにかくいつでも起動可能だって表示がここに出てんだ」
「どこ?」
「ここ……」
「ほんまや……ならしゃあない」
はは。どいつもこいつも他力本願だし。
「やっぱし腑に落ちんなぁ……」
口を尖らしつつも、社長は田吾へ訊く。
「おまはんは?」
不機嫌な口調は続行中だ。
「無線は問題無いダ」
丸い瞳をメガネの奥でくるりと回した田吾に、社長はこくりとうなずくと、
「ほんで」と口に出し、もう一回俺へ、
「重力プレートも起動してまっか? 重力圏を出た途端、体が浮いてしもては仕事になりまへんで」
仕事じゃねえ。旅行だ。と胸の中では叫びつつ、喉からは別の言葉が、
「大丈夫、すでに起動してる……ってここに出てる」
いったい誰がこの船を制御してんだって話だぜ。マジでフルオートだな。
寸刻の間を空けて、社長が鼻から息を抜いた。
「よっしゃぁ。しゃあない行こか」
おいおい、嫌々なのかい?
だったら、こんな探査任務辞めてイライザでも行く?
社長は顔を苦々しいカタチに歪め、
「アホ……」とひと言でいなし、船内通信のボタンを叩いた。
「ほな行きましょか、機長。今回は藩主のお墨付きや、派手に発進してええデ」
しかし何故か機長からすぐに返事がなかった。
──少し間が空いて。
《……社長。いまシロタマがこちらに来まして、社長の喜ぶ派手な発進シーケンスを提案したいそうです》
「「「「ええっ!」」」」
司令室内の全員が声を揃えた。
「なんや嫌な予感がしまんな。あいつの派手は尋常やおまへんからな」
そう。あいつは限度を知らない子供みたいなところがあるから、本気で要注意なんだ。
「ほんで何をやらかしまんねん?」
《ゲイツの大好きなことれしゅよ。むふふふ》
通信機から漏れるシロタマの声は異様にはしゃいでいた。
「ワシの好きなこと?」
《そうだよ。ほとんどコストが掛からずに一気に宇宙へ飛び出すの。むふ》
その含み笑い何とかならんのか、ロボットのくせに。
「なんでや。イオンエンジンでちんたら行くんちゃうかいな、タマよ?」
訝しげに首を捻じってスピーカを凝視。次の言葉を待った。
《半分は当たりだよ。でもね、その後がしゅごいの。慣性ダンプナーのパワーを最大にセットして対処しちぇね》
「まともに口も利かれへんクセに……何をする気や?」
一抹の不安が滲む声を漏らして俺を顎でしゃくり、俺が起動ボタンを押すのを待って操縦室との通信を終えた。
ちなみに慣性ダンプナーっていうのは慣性力を打ち消す装置のことで、アルトオーネでは数年前から満員電車向けに実用化になった代物さ。
社長は自分の席に座ると再び操縦席との通信回線を開き、
「とりあえず、行きましょか機長……」
決意の言葉とした。