進撃のドロイド
床の上で寝たわりに目覚めはすこぶる快調で、休肝日の翌朝を迎えた満足感と達成感が入り混じった爽快な気分を抱きながら背伸びをする。よく見るとテントの中は俺一人だけだった。
ついでに辺りが騒がしい。
「どうしたんだろ?」
口々に何か喚きながら大勢の人が走り回る様子がテントのぶ厚い布を通して聞こえてくる。
外を覗こうと出入り口に近づくのと、ナナが飛び込んでくるのとが同時で彼女の頭がオレの胸にドシンと当たった。
「コマンダー! ドロイドが壁の外に集結してるんです」
「痛ててて」
衝突のショックで俺は尻餅を突くが、こいつのキネマティックコントローラは性能がいいらしく、体勢を維持した体はピクリとも動かないでいた。
「お前、こんな朝早くからどこ行ってたんだよ?」
「レイコさんとジュジュちゃんとでお散歩です。そんなことより、は、や、く」
「ぐげぇぇぇ!」
外見は可憐な少女でも中身はアンドロイドだ。今度はクレーンみたいなパワフルさで俺を引き摺って外に飛び出した。
「来たぞ! 今回の規模も大きい。大軍団だ!」
「急げっ! ラジカルを早く第三櫓に運ぶんだ」
村人はそれぞれに緊迫していた。
「みんな、何してんだ?」
「ここで待っててくらさーい」
慌ただしくナナはどこかに消え、
「こぼすな、ゆっくりやれ。ショックを与えてはならんぞ!」
杖を振り上げ、檄を飛ばす主宰が現れ、続いて玲子が液体の入った容器を担いで俺に駆け寄った。
「裕輔もこれ運んで!」
いきなりだが、渡されたのは水だ。ここの水ではない。俺たちに馴染みのあるサラサラで透明感のある液体さ。
「これなに?」
「説明は後や。とにかくこの子について行きなはれ」
社長も同じ物を持ち、そこへ人の倍の量が入ったバケツを両手にぶら下げて飛び帰って来たナナの姿。
「こっちです、コマンダー」
「おい。これは何だよ?」
「これはラジカルと呼ばれる液体らしいです。何をするのかは行けばわかります。急いで、コマンダー」
「ゆっくりやれ。ショックに弱い液体じゃからな」
白ヒゲのジイさんは同じ言葉を繰り返して杖を振り、檄を飛ばす。
「落ち着け。いつもの訓練どおりでよい。時間はまだある!」
水ではなく何らかの薬品だとは理解したが、こんな物とあの黒いロボットと何の関係があるのだろうか。
ひとまず住民にと一緒になって走るナナの後を追いかけ、森の中へ飛び込み、朝モヤがまだ薄れぬ葉むらを縫うようにして続く小道をひたすら液体の揺れを気にしながら走った。
「あそこの櫓の下まで持って行ってくらさい。ワタシはもうひと往復してきます」
まるで馬車馬だな。
猛烈なパワーで森の中を駆けて行ったかと思うと、すぐにトンボ返り。モタモタと運んでいた俺の横を素通り。
「おーい。これ何だよ?」
誰もからも説明無しだ。みなバケツをぶら下げて忙しなく走っていた。
とにかく行くか。
「何をなさるんじゃ。白神様がラジカルなんぞを運んではならんぞ」
「えー。でも、今は大変な時なんですよー。おバアちゃまそこをどいてください」
「手が汚れるじゃろ。おぉぉ、白い手がこんなに汚れてしもて……」
「こんなのは洗えば取れますヨー」
昨日の世話焼きバアさんにナナがとっ捕まっていたが、あいだに入ると面倒臭いので背を向けた。
現場に着いて納得した。謎の液体を櫓の上から撒くために、あちこちの住民が借り出されて運んでいるのだ。
リレー形式で運んでいた男性の肩を突っつき尋ねてみる。
「あれは何をやってるんですか?」
クソ忙しいのに声を掛けるな! と叱られるかと思いきや、男性は振り返りざまに一礼し、
「これは白神様の従者の方ですね。あれはフェライトの壁を乗り越えてくるドロイドにラジカルという液体を撒いています」
意外と紳士的な言葉が返ってきた。
「はぁ。ラジカルっすか。それよりこんな高い壁をドロイドはどうやって登って来るんすか?」
「ならここから見てみるといい」
フェライト製の壁に取り付けられた小窓を開けてくれた。ここに入る前にビールのプルトップでこじ開けようとしたヤツだ。内側からしか開かない構造で、とんでもなくぶ厚い物だ。プルトップなんかで何とかなる物ではないと確信した。
「ラジカルを満遍なく撒くために、ここから監視しながら櫓に指示を飛ばすんです」
という説明を背に受けつつ外の光景を目の当たりにして凝然となった。
「何だ、この数!」
これまでに俺と対面したドロイドは単独だったが、目の前で騒然と蠢いていたのはそいつらの大群だ。
「この壁のおかげで時間稼ぎができるようになって、助かっています。以前はこの集団で襲われると対処のしようが無かったんですよ」
後ろで説明してくれる男性の口調は落ち着いていて、淡々と説明してくれるのだが、俺はひどく焦った。百を軽く超えるドロイドが押し寄せて来ている。まるで黒い津波だ。
「これがドロイドか……」
主宰が説明してくれたとおり、殺人ロボットで溢れかえった世界が目の前で展開されていた。不安が現実味を帯びた瞬間だった。群れを目前にして猛烈に怖くなってきたが、全体から見ればこんなのは針の先ほどの数なのだ。
「そうです。このスフィア内だけでこいつらが数千ほどいます」
男性の言葉を聞いて背筋がぶるると震えた。あり得ない。こんなのが惑星上に数千万以上に渡ってはびこる……。信じられない世界だ。なぜならこいつらは無秩序に動き回る昆虫の群生とは全く違うんだ。
そう悟った途端、猛烈に怯えた。こいつらは本能だけで動き回る虫ケラではない。個々に知能を持っていて、互いに連携し合い統制の取れた動きをする。カタチが不細工だとか古臭いデザインだとかで、俺は舐めてかかっていた。
今だってそれが見て取れる。壁面に到達した順に各々のボディを組み合わせて足場を作っていくのだ。それは頂上を目指しており、動きはとどまることなく次々と下から上へとよじ登って行く。
それも──。
「こ、これは……」
俺の驚きが男性に伝わったようで、
「小賢しい連中でしょ。ほんの2年前まではよじ登ることすらできなくて、村人は安心していたんですが、徐々に賢くなり、去年は仲間の体を利用して高い位置まで上がる事を覚えました。でも一番下のボディが重さに耐え切れず崩れて失敗。ところがどうですか、半年ほど前からピラミッド型を形成して這い上がれば、重量を分散できることを考え出してしまったんです」
その人の説明どおりに、ドロイドが組み上げていた物体がキレイなピラミッド型だと察するまでに完成されてきた。このままだと壁を乗り越えて来るのは時間の問題だと思われる。
なのに、この男性が平静なのはどういうわけだろうか。画期的な対抗策でもあるのか。このラジカルとかいう薬品がそれなのだろうか。
色々と疑問が湧くが、確認のためもう一度外を覗いてみる。
撒かれた液体は派手に滴り落ち、下のほうで土台となったドロイドまでもびしょ濡れだ。だがそれが何の障害になるのだろうか。今もまた小窓の向こうを朝陽に艶々と輝く黒いボディのドロイドがよじ登って行った。
油で滑らすワケでもないし、どう考えても連中の行動を阻害する液体だとは思えない。
「ほいほい。持って来ましたで。あ、こら! 裕輔。サボってる場合ちゃうで。ほんま! ちょっと目を離したらそれや、おまはん!」
まるで会社のまんまだ、このハゲオヤジめ。サボっていたんじゃない。観察していたんだ。
「社長も見てみなよ。寒気がする光景だぜ」
覗き窓を代わってやると、
「うぉぉ。ほんまや。なんちゅう数や。主宰はんの言うとおりや、数百はおりまっせ」
小窓から目を離して背筋を伸ばした社長の下へ、ジュジュを連れた玲子も現れた。
「社長。ジュジュちゃんが言うにはあまり壁に近づかないほうがいいらしいです」
「どういうことやろ?」
社長が膝を折り、背を低くして幼女に尋ねる。
「ジュジュちゃ~ん。これからどうなるのかなぁ?」
ジュジュは恥ずかしげに玲子の後ろに隠れ、足に絡みついてモジモジするだけ。
こりゃそうとうに人見知りが激しい子だ。
社長はジュジュからの回答を諦め、
「あの薬品は何でんの?」
近くにいた青年に尋ねた。
「まぁ見てなって。始まるぜ」
この青年もやけに楽しげに、壁を登り切った最初のドロイドの姿を人差し指で示すだけだ。
櫓の上からそいつの顔面に薬品をぶっ掛けた青年が大声で叫んだ。声は順繰りに送られ、伝言ゲームみたいに人々が声を掛け合う。
「な、なんだ? 何が始まるんだ?」
「なんかを焼くとか言ってたわよ」
空虚な面を曝して立ち尽くす俺と玲子の袖を小さな指が下から摘まんで引いた。
「ん……? ジュジュちゃんどうしたの?」
ふわふわと柔らかそうな栗色の巻き毛を揺らした幼い女の子。見開いた純真無垢な丸い瞳が何かを訴えている。
「なぁに?」
暖か味のある柔和な表情を浮かべた玲子が小さく屈んで顔を覗き込むが、幼女は沈黙のまま小さな手のひらを自分の両耳に当てる姿を見せた。
「何が言いたいんだろ?」
痺れを切らしたのか、ジュジュは誘うように地面に屈み込み、下から玲子の腕を引っ張った。
「ここに座るの?」
玲子はさらに首を捻り、俺はぼんやり櫓の上へ視線を振る。ちょうど青年が火のついた松明を放り込む寸前で、
「あーっ!」
こっちの頭にも一閃が走った。
「伏せろ! バクハツ、」
爆発するんだ、と叫んだ俺の声がとんでもない轟音で掻き消された。
腹を揺さぶる爆音が森を突っ切り、同時にフェライトの壁が揺れた。一拍おいて熱風が驀進。森の木々が激しく揺さぶられ枝葉が舞い上がり、ついでに俺の体も押し倒して行った。
「どわぁぁぁぁ」
地面を二回転、後頭部を立ち木にぶつけてようやく止まった。
「なんだこりゃ! 耳が……」
鼓膜が麻痺して、頭の中で数千匹のセミが鳴き騒ぐようだった。続いて、頬に異様な熱気を感じて、痺れた上半身を無理に捻って見上げる。
「うぉぉ!」
壁の反対側から青白い炎が立ち昇り、ドロイドの山が燃えていた。
「すげぇ威力だな、ラジカル」
「この子が教えてくれなかったら、耳がおかしくなるところだわ」
地面の上で背中を丸めていた玲子がジュジュとそろって立ち上がった。
「こっちはおかしくなったぜ!」
耳の穴に指を突っ込んで出し入れしてみる。ちゃんと、ゴソゴソと音が聞こえた。
よかった。鼓膜は無事だ。
戻りつつある聴力に安堵し、轟々と燃え上がる炎を見上げる俺と玲子の前に、主宰に付き添ったナナが茂みを掻き分けて出て来た。
白ヒゲを指先に絡めながらジイさんは得意げに言う。
「ラジカルの実力はこれからじゃ。よく見てくれ」
杖の先が示す壁の向こうで立ち昇った青白い炎は衰えることなく轟々と燃え、熱風となった空気が渦を巻き、天井を焦がす。その熱はこちら側にまで伝わり、壁の表面が赤く色付き始めてきた。
「まだ動いてるぜ!」
猛烈な熱射にもかかわらず、それでもドロイドの進撃は止まっていなかった。次々と壁の頂上に顔を出すと乗り越えてくる。
全身を炎に包まれたものの、連中は壁面を乗り越え、地面に下りる準備に入る。手足を繋ぎとめ鎖状に連なり、今度は下に向かっての行進が始まった。
「なんだよ、全然平気じゃないか!」
熱射は留まることなく、驚きと恐怖を煮詰めたスープに浸けられた気分だ。
あれだけの爆発とこの炎にも平気なドロイド。打つ手無しかと思い込んで足がすくんでしまった俺なのに、村人は平然として一か所に集合し、連中の進軍を睨み続けるだけだ。でも誰も諦めの表情は浮かべていない、どころか期待を秘めた目を輝かせ、櫓の頂上でも同じだ。青年たちは青く燃え上がったドロイドの進撃を静観していた。
何かのチャンスを待って見澄ます村人。ジイさんが言うようにまだ何かあるんだ。
ほどなくして、櫓の上で連中の行動を見守っていた青年が大きなハンマーを持ち上げ、じっと主宰の様子を窺った。
「………………」
言葉なんか無いさ。意味不明だ。だけど子供たちまで好奇の目でその瞬間を見据える、ちょっと異常な空気だった。
ジイさんが動いたのは、燃え盛る鎖となったドロイドが地面近くに下りて来た時だった。
「やれ!」
杖を振り上げて合図を送る主宰。
「せぇぇーの!」
ハンマーを持ち上げて待機していた数人の青年が、杖の動きに同期して、燃え上がったボディのまま進軍して来るドロイド目掛けて振り下ろした。全員が息を合わせてだ。
ギャンッ!
硬質な物が軋む音が混じった変な波動と音がして、ショックが伝わった。
次の刹那。俺の驚愕は最高点に達する。
忽然と気配が反転したのだ。冷気が吹き荒れ、まだ熱く焼けそうになっていた周辺の木々が急速に冷やされていく。
「炎が凍ったわ!」
俺が今まさにそう叫ぼうとしたセリフを玲子が奪った。
「そんなバカなことあるか!」
目の前で起きていく現象を否定するしか言葉がない。
轟々と燃え上がっていた青白い炎が、みるみる蒼い氷山へと転じていくのだ。
「ありえへん!」
あっちからも社長が見上げて叫んだ。さっきから俺のセリフが奪われて行く。今だって叫ぼうとしたところだ。
「ふぉふぉふぉ。これこそがラジカルが真価を発揮した姿じゃ。よく見ておれ、始まるぞ」
まだこれで終わりじゃないの?
冷静に観察を続けると、どういう状態なのかよく見えてきた。
青く燃え上がっていた炎が氷になったのではなく、気化した物質が凍って霧状になっていただけだ。
炎が凍る、などあり得ない。
氷結していた霧は見る間に消え、お湯に溶ける角砂糖みたいに、元のカタチを足下から崩して蒸発して行った。
その中にドロイドの軍団が取り残されていた。連中は青白い氷に閉じ込められ停止した状態だった。
「進撃が止まった……」
時間までも停止したかのような気配が漂うが、まだ住民は何かを待っていた。
さらに十数秒経過。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
一カ所に集まっていた民衆から、掛け声ではない、怒号ともいえる大声が轟いた。強い音圧が鎖状に組み合わさったドロイドにぶつかる。人々はさらに大声を張り上げた。小さな子供までも一緒になって。
「うわおぉぉぉぉぉぉぉぉ」
石像と化していたドロイドから微細な破片が弾けだし、放射状にひび割れが走る。それは大声が衝撃波となり、凍りついたドロイドの筐体を蝕んでいく姿だ。
連中の表面が粉々に飛び散りバラバラと崩れ、最初は小さな破片だが連鎖は止まらない。ついにはガラガラと大きな音を出して鎖状になっていたドロイドが崩れ落ちた。状況は壁の裏側でも同じこと。
「あいつらのボディは金属っぽく見えるが、そうじゃなく、どちらかと言うとガラスに近いんじゃ。錆や摩耗を少なくするためじゃがな。じゃから温度差に弱い。過去では欠点だと指摘されておったが、今じゃ不幸中の幸いじゃ。功を奏しておる」
フェライトの壁に取り付けられた扉が大きく開かれ、歓声を上げた住民が外に飛び出た。先を争ってドロイドを踏みつけ、あるいはハンマーで叩き回った。
熱せられた後に急速冷凍されたボディは溜まったもんじゃない。カチコチに凍った筐体は簡単に砕け散る。
「おほぉ。こりゃおもろい」
意外と気分のいいものだった。
笑顔を浮かべた青年が寄って来て、楽しげに声を掛けてきた。
「な、おもしれぇだろ?」
「ああぁ。うっぷんを晴らすには丁度いいや!」
楽しくって足踏みをしながら、笑い返した。
「せやけど、あの薬品は何んでんの?」
「ラジカルのことかい? あれは温度が1200℃に達した後、強いショックを与えたら状態が反転して、今度はマイナス150℃になるのさ」
「へぇ。不思議な物があるんだ。宇宙は謎に満ちてるな」
――宇宙は謎に満ちている。
このフレーズが初めて俺の口から出た瞬間だ。憶えておいて損は無いぜ。




