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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第一章》旅の途中
31/297

ワタシの名前はF877A。コマンダーからナナと名付けられたアンドロイドです

  

  

「亜空間跳躍でっか。ここに並んでいる機材を拝見させてもろた時から、進化した種族やとお見受けしてましたんや」

 感嘆めいた口調の社長。この人とは息が合うと感じたのか、ジイさんの青い瞳が輝きを増した。


「ちと尋ねるが、外のカタパルトは見られたかな?」

「カタパルト?」

「地上にあったじゃろ。三角形の物体じゃ」


「えらい大きなモンでしたな」


「遅かれ早かれ我がガイヤ……あの恒星のことじゃが、あれは超新星爆発を起こし、故郷が蒸発することは予測しておった」

「まさか……」

 早鐘のように鼓動が高鳴った。あれが宇宙船だと言う気だろうか。

 もしかすればアルトオーネまで乗せて行ってくれるかもしれない。それが無理だとしても、この星で野たれ死ぬよりマシだ。

 都合のいい憶測はみるみる広がっていく。


「しかもじゃ。近所の惑星へ避難するぐらいではこの問題は解決せん。ガイヤから数光年の空間は重力が狂い、死の灰も降り注ぐじゃろう。となると別の星系まで一度に大規模な移動が必須となる。じゃから自然とそちらの技術は進化するというもんじゃ」

「あの三角形の建築物は何かのモニュメントかと思てましたけど、あれが宇宙船やったんでっか?」


「ふぉふぉふぉ。勘違いなされるな。カタパルトと言ったじゃろ」


「宇宙船はどこに?」

 落胆めいた疑問を投げかける俺に、ジイさんはニヤリと笑って見せ、

「もう乗船しとるではないか」

 じっと目の奥を探ってきた。


「乗船って?」と玲子。

 ギシっと椅子が軋み、ジイさんの目線が天井へ移動する。


「ここ……?」

 再び玲子が小首をかしげ、少しの間が空いて社長が叫んだ。


「まさか。この地下空間。これ地面の中とちゃうんかいな。えーっ。これが宇宙船? ほなこれ方舟でっか! な、なんとっ!」

「お主が言うハコブネがどのようなものか、よう解らんのじゃが、我々はスフィアと呼んでおる」


「ちょ、ちょっとでかすぎないか?」

「ほな。さきほど言うてた、バイオトープ船って……」

 社長は絶句、俺は適切な言葉を並べたのだろうかと、意味のよく解らない反省をし、ジイさんは楽しげに口元をほころばした。


「ふぉふぉふぉ。大きすぎることは無い。元々、このスフィアは300人規模が数百年間孤立することを計算した循環環境システムになっとる。今は百人を切ってしもたがな」


「なんでそないに人口が減ったんでっか? あ、いや。すんまへん。要らんことを訊きました」

 ジイさんの顔色が重苦しくなったのを察して、社長は急いで言葉を途切り、

「ほな。長距離航行が可能なんや。すごいもんでんな」


 咳払いひとつで気分を反転させ、ジイさんは明るげに説明する。

「普通の方法では数年航行したぐらいでは1光年も進まん。だが我々は新たな航行技術を開発させたんじゃ。超新星爆発から大量発生するニュートリノを利用してカタパルトで飛び込む」


「飛び込む? どこへ?」

 再びジイさんの視線は天井に固定されており、さらに上を示して人差し指を立てた腕を二度、上げ下げさせてからこう言った。


「超新星爆発の後にできるブラックホールの中じゃ」


「ば、バカな!」

 絶句するに値する説明だった。それは自殺行為だ。


 その時、息を呑みこみ沈黙する俺たちの脇から黄色い声が渡った。


「あー。テトリオンリアクターですね」

 一斉にナナへ視線が集中する。何を言い出すんだ、こいつ、とな。


 だがナナはこともなげに応えた。

「でも超大型じゃないレすかー。こりゃすごいワ」

「知ってまんのか!」

 社長が喰いつくのも無理は無い。


「知ってるも何も。小型のものは7260番がそうです。コンベンションセンターにありました。でもすごい量のニュートリノが必要なの。あーそっか、だから超新星爆発を利用するんだー。わぁエライなー」


 エライことなんかあるか、俺はバカじゃねえのと言いたい。ブラックホールに飛び込んだらどうなるかぐらい、小さな子供でも既知の事実だ。玲子は除くがな。


 社長も同感のようで唖然とし、玲子は予想どおり違う意味でポカンだ。

「せやけどご老人。あのでっかいカタパルトがどんなもんか知りまへんけど。ブラックホールに飛び込むのは……ちょっと無茶でっせ」


「ふぉふぉふぉ。そうか、テトリオンリアクターを知らんようじゃから。超亜空間理論も確立しとらんのじゃな。それならこの話はおしまいじゃ」


「え、え。なんででっか?」

「ワシらは異星人に対して干渉しないことにしておる」


『異星文化の非干渉規約第32条です』

 ずっと黙り込んでいたシロタマが社長とジイさんのあいだに降下して、冷やっこい口調で説明。


「何やそれ?」


『異星世界の政治に介入したり、進んだ技術力をその時の都合によって教えたりすることは、従来の進化の過程を狂わせる恐れがあるため、むやみに介入しないことを誓う条約です』


「マジでここの人らの科学技術は進んでるんだ」

 これは俺の正直な気持ちだった。服装だとか仕事だとか、うわべだけで判断していた自分が超恥ずかしい。


「どれ。湯が沸いた。お茶としようか。この話はこれでおしまい。次にお主らの話をしてくれ。それによっては続きの話をしてやってもよいぞ」

 湯気を噴き出し始めたポットに気付いたジイさんが火を止めに立ち上がった。


「あ、おジイちゃま。ヤケドします。ワタシが持ちますから」

「すまんのぉ。最近手に力が入らんでな。いい子じゃな、お主……」


 ナナの動きは滑らかで安定しており、熱湯が入った容器を持たせても不安感を抱かない。このような仕事に従事することを目的として作成されたアンドロイドであることは容易に見て取れる。片手でポットを持ち、片手でジイさんを介添えしながら戻って来た。


「お……お?」

 湯気をモクモクと昇らせた茶瓶から流れ落ちる物体。沸騰する前に見せていたゼリー状ではなく、色も完璧な透明となり、サラサラした馴染みのある物質に変化していた。


「ささ。熱いうちに飲みなされ」

「ほぅ。熱すると粘度が下がるんでんな」


「お主らの星では違うのか?」


「へぇ。水は常温でもこのようにサラサラしてますんや。ここにきてその粘度にびっくりしてまっせ」


「そうか。星が変わるといろいろ問題があるんじゃな。この星では水はこういうもんじゃ。でもいったん沸かすと、冷えても元の粘度に戻らんのでな。農作物にもいったん沸騰させてから使っておる」

「非可逆性なんや。へぇ。せやけど、沸かしてしまえばワシらの星と同じや。こりゃ助かった。いや、おおきに。頂きます……」


 あのゼリーは飲む気にはなれなかったが、これだと美味そうだ。なんったって喉の渇きは限界に近い。


 ふうふう息を吹き掛けて一口すする。

「どひゃぁー」

 思わず口を三角形にして舌を引っ込めた。熱いからではない。油臭さに顔を背けたのだ。


「熱いぞ。火傷(やけど)しなさるな」

 ジイさんは俺たちの振る舞いを見て、そう取ったようだが。


 熱するとサラサラにはなるが、口当たりと臭気はなにも変わらない。舌に弾く油みたいな感じだ。

 俺たちは苦笑いを向け合い、そそくさとカップをテーブルに置いた。


 ところが──。


 ずずずずずず。


 ジイさんと一緒に美味そうな音をあげる人物が一人いた。


「え? おい、マジかよ」

 思わず二度見する。ナナだ。彼女の赤い唇へ視線を滑らせて、改めて息を詰めた。


「…………マジかよ」

 お茶をすすりあげた瞬間をハッキリと捉えた。流し込むではない。空気と共に水溶液を吸い込む姿。なんら俺たちと変わりない。

 俺が受けた驚きは呼気をも止めた。アンドロイドが物を口に入れるなどあり得ないのに、こいつは平然とやり遂げやがった。

 飲んだお茶はどこへ消えるのか。その疑問はいずれ明かされるが今はそれどころではない。


「ワタシはー、ネコ舌ではありませんので……ずずず。あー美味しいです。いい葉っぱ使ってますねぇ。おジイちゃま」


「ほうぉ。この味が解るか? 繊細な舌をお持ちのようじゃ」

「あ、はーい。数千のセンサーが味覚を検知して……」

「センサー?」

 青い目が滑り込み、ナナは言葉を綴じ、俺は躊躇する。

 ここまでヒューマノイドを完全コピーしたアンドロイドがいただろうか。どうやってこの人にそれを説明する?


「あのさ。この子は」

 ロボットなんだ。と言いたかった。本当はな。

 でも。


 ずず、ずずー。

 両手の指の先でカップをちょんと持ち、美味そうにお茶をすすっているナナの澄んだ黒目がこちらを向いた。

 ……だよなー。誰が信じるんだよ。


 だんだん面倒臭くなってきた。なので適当な会話に切り換えた。

「お前、火傷(やけど)、ピーーーー」


 な、何だ今の音?。


 火傷するからゆっくり飲め、と言おうとした俺の声がかき消された。ナナには聞こえなかったのか、

「え? やけどなんかしませんよ。ワタシの耐熱温度はー」

 つるりとした顔で、こともなげに言い返すので再び黙らせる。


「喋らず、静かに飲むのがマナーだろ」


 ようやく察したようで、

「あー。ども」コクンと顎を落とし、ずずずずー。とやってから天井に向かい、

「はあーー」と温かそうな息を吐いて収めた。


 なんちゅうヤツだ。


 管理者製のアンドロイドが持つ仰天の仕様に声も出なかった。



 社長も同じ気分なのだろう。目を丸めてナナの行動を窺っていたが、ジイさんは何も知らない。俺の行為は少女が行ったマナー違反を咎めただけのことで、ナナを見守る笑みには慈愛の光り以外、何も含まれていなかった。


「……ふむ」

 ずずっと、ひと口お茶をすすり、ジイさんは皿に乗った乾燥野菜チップにも似た茶菓子を目の前に突き出して、俺たちの顔色を覗き見た。


「お主らは漂流者だと申しておったな?」

「はい。救助の見込みはおまへんのや」

「色々と訳がありそうじゃな。視たところ島流しにあった様子も無さそうじゃし」

「冗談やめておくれぇな。ワシら犯罪者とちゃいまっせ」


「うははは。冗談に決まっておろう。コミュニケーターには嘘偽りを言おうとすると翻訳を停止する機能が付いておるから簡単に判別できる」


 まずい。さっきの現象だ。


 案の定、ジイさんは俺を青い目で睨んだ。

「お主は……何か隠しておるじゃろ?」

 すげぇ怖い眼だった。ぞくっと背筋に寒いモノが走り、硬直した。


「いま、この女の子のことをごまかそうしたな。確かにお主らとは少し違う。肌の色だけでなく、テトリオンやカタパルトのことを知っておる。それにこっちのタマっ子は非干渉規約第32条と言っておった。しかも3万6000光年という遠方から亜空間跳躍でここまで来たと言っておるのに、お主らはその原理さえも知らない。なのに仲間みたいに親密な関係を持っておる。どういうことだ? 説明してもらえないかな」


「ご老人。ワシらは何も悪意はおまへん。ごまかす気も無いんや。でもただ一つ説明しにくいコトがおましてな」


「ふぁふぁふぁ。脅してすまんの。ワシは敵対するグループの差し金かと思ったもんでな」

「敵対するグループ? 他にも方舟がおますんか?」

「いや。ワシの考え過ぎじゃ。すまん」

 と言ってから、ほとんど肌色になった頭頂部を平手でぺしゃりとやった。見慣れた振る舞いに思わず社長へ視線を滑らせる。


「考えすぎとは?」

 俺たちの完全スキンヘッドが尋ね、ドゥウォーフ族代表の半スキンヘッドが応答する。


「スフィアはいくつもあるが、皆んな全滅したはずなんじゃ。50年以上連絡が取れん」

「全滅……?」

 なんとも不気味な言葉だ。


「よっしゃっ! わだかりを持ったまんまでは話は進展しまへん」

 社長は膝を打ち、笑顔を振りまく。


「そちらにも色々と事情がおありのようでんな。ほならまずはワシらの話からはじめるのが筋や。少々ややこしいけど、聞いてくれまっか?」


 ジイさんはさっと剣呑な気配を押し殺し、楽しげにカップをかたりと置いた。

「すまんな、我々は長いあいだ孤立しとるでな。いくぶん用心深くなっておる」


 俺も観念した。もしかしたらこれからもこの人たちの世話になるやも知れない境遇なのだ。

 まずどこから話しを切り出すかが問題だったが、手っ取り早くするにはここからだろう。


「実はおジイさん……この子。人間じゃないんだ」

 すべてを話す決心をした俺は、ニコニコしてお茶をすすっている銀髪の少女の背を押した。


「この子はアンドロイドだ。人工生命体とでも言ったほうがいいかな?」


 瞬間。ジイさんは青い目を見開いた。ウソを言っていないのは翻訳器がちゃんと通訳してくれたのだが、それが信じられない、そんな驚きの顔だった。



 ジイさんの視線はナナに釘付けとなり、お茶を飲む手も止まった。


「こんにちは、おジイちゃま。ワタシはF877A。ユウスケさんからナナと名付けられました。ユウスケさんは決してウソつきではありません。ただとてもモノグサでぇ、ぐーたらなんです」


「こ、このやろ……」



「ふぁふぁふぁふぁ……」

 いきなりジイさんが笑い出した。


 楽しそうに大口を開けた破顔を俺たちに曝すと、ナナを指差し、

「こんなふうに美味(うま)そうに茶を飲むロボットなど、ふぁふぁふぁ。あり得んじゃろ」

 と言いてのけ、ふふふんと鼻を鳴らした。


 だよな。これが正しい反応さ。

 こっちだってそう思うさ。でも違うんだ。


「あのさ。吃驚(びっくり)するかもしれないけど、この子は俺たちでは作れないテクノロジーが詰め込まれた未知の人種が作っ……ん?」

「ふぉふぉふぉ。あのな。ユウスケくん」

 高笑いを続け、ジイさんは途中で手を広げて俺の会話を遮った。


「コミュニケーターはウソの判別をするが、冗談はさすがに無理じゃ。アルトオーネという星の人は冗談がお好きなんじゃ、会話に余裕がある。さぞかし裕福なんじゃのう」


「いや。あの。ご老人。この子はワシらよりも、もっともっと科学技術の進んだ種族が作ったアンドロイドなんですワ。知り合ったのはついこのあいだで、まだまだ仰天させられてまんねん」


 目は笑ったまま、ジイさんは天井付近をうろつくシロタマを杖の頭で指し示し、

「あのタマっ子はお主らの友達のようじゃが?」

「そうでんねん。このガイノイドと同じ人種が作ったんですわ」


「その人らはどうしたんじゃ?」

「はぁぁ。それですけどな……」


 社長は大仰に溜め息を吐き、

「よう解らんのです。何百年も前からの付き合いみたいやねんけど、彼らと会えるのは王室関係者だけで、他は誰も知らない状況ですワ」

「まぁ星系が近ければ、科学技術が進んだ上位の種族が訪問して来ることはあるじゃろうが……」

 湯飲みを脇にかたりと置き、ジイさんは指を組んで膝に乗せた。


「そんなもんでっか?」

「この星でも昔から何度か訪問を受けておる。そしてその影響を受けて大きく技術が進歩するもんじゃ」


「侵略されることはおまへんのか?」


 ニタリと口元を歪めてジイさんは言う。

「こんな爆弾を抱えた惑星なんか誰が欲しがる?」


 あの恒星のことだ。超新星爆発を起こすことが分かっていてわざわざ侵略に来るバカはいない。でも希少価値の資源があれば別の話だ。

「資源はとうの昔に尽きておる。だからこうして農作業をやっとるんじゃ」

 シワの寄った手で湯飲みを掴み口元に運びつつ、ひとうなずきした。


 納得させられる説明だった。

 ずずず、と最後までお茶を飲み干した老人と目が合った。その視線が俺から離れ、ナナ以外誰も手を付けようとしていない湯呑の列を胡乱な目で一巡させるので、俺と玲子はあたふたとカップを口元に持って行った。


 ぷーんと機械油に似た臭いが漂い。そろってえずいた。


 俺たちの行動を横目で見つめつつ、目もとに笑みを浮かべたジイさんはこう主張する。

「お主らの言う上位種族が侵略目的なら必ず主導権を握ろうとする。じゃが我々のように非干渉を貫く種族なら、近寄って来ないのが普通じゃ」


「そういう意味では干渉してるかもしれまへんけど、付かず離れずで科学技術を与えることも無いんですワ。ま、進み過ぎていて理解すらできまへん。ワシらからしたら魔法やからな」


「雲をつかむような話じゃな。その種族の目的が不明じゃ。何も求めて来ないのか?」


「へぇ。数百年経ちますけど……何も……ずずず……んげっ!」

 たぶん習慣だろうな。社長は気付かないうちにお茶をすすってしまい、砂利を噛んだ後みたいな顔をした。


「無理せんでもいいぞ」

 ジイさんは薄ら笑いを浮かべ、今度は乾燥野菜を薦めてきた。

「こっちはどうじゃ?」

 興味本位から手を出すと、意外と美味かった。少し油臭さは残るが、香ばしさに混ざってわずかな土の風味が口に広がるさっぱりした味だ。

 俺が美味そうに食べたのを見届けると玲子も手を出し、「美味しい」とひと言、目の色を変えた。


 社長もゆっくりと手を出し、

「どれ? ご馳走になります」

 パリパリと乾燥した音をさせた。


「ほうぉ。これはいけまっせ」

 ようやく肩の力が抜けたパーフェクトスキンヘッドオヤジは、自分の頭の天辺を平手打ちし。

「たすかりました……」

 俺たちに生色が戻った。あとは水分補給に慣れるかが課題だ。


「いくらでもあるでな。遠慮なされるな」

 ジイさんはチップが盛られた皿を押し、社長は続けてチップを頬張り、声のトーンに深みを入れ、話の先を綴った。

「──ところがここに来て、急に接触を試みてきたんですわ」


「ほう……」

 二杯目のお茶を注いでいたジイさんが動きを止め、興味深げに身を乗り出し、社長は黙って会話に耳を傾けているナナを顎の先で示した。

「ワシらの星にも衛星が一つおましてな。その裏に忽然と自らの存在をアピールして来たんですわ。たまたま無人でしたが、そこにこの子がおったちゅうワケでんねん」


「お主らは上位種族から監視されとるのではないか?」

「監視でっか? それこそ理由が解りまへんがな」


「干渉はしないが、付かず離れず、いつもそばにおる……監視じゃろ? 守られているとでも言ったほうが安心ですかな?」

「むぅ……なんでワシらが守られるんやろ?」

 社長は腕を組んで(うな)りあげ、ジイさんは楽しげに付け足す。


「それとも何か宇宙的な難業を成し得るのかもしれませんぞ。それを期待して見守るというのはありそうじゃ」

「ワシらがでっか?」

 社長は滅相もないと手を振り、俺を指差した。

「ま、こいつなら宇宙的規模の恥じをかくかもしれマヘンけどな」

 失礼な……。


「ふぉふぉふぉふぉ」

 ジイさんは笑いながら椅子に座り直すと、ナナと対面する。


「…………ぇ?」


 水槽の金魚を観察する目で覗き込まれたナナは、一旦、視線を俺に移して物問いたげに首をほんのわずかに傾けてから、元の角度に戻すと数回瞬いた。


 今の素振りには覚えがある。玲子だ。あいつが疑問を浮かべた時によく見せるクセの完全コピーだが、超自然に振る舞いやがった。学習タイプのアンドロイドとはこいうことを言うのだろうか。昨日シロタマが言っていたセリフを思い出した。


 感慨めいた表情を浮かべる俺の前でジイさんは、

「にしてもこの子がアンドロイドとは一概に信じられん。こんな生き生きしたロボットがあるのか? 手の込んだ冗談じゃろ?」


 意外と頑固なジイさんだが、気持ちは分からないわけでもない。こっちだって生命体だと宣言させてもらったほうが気が楽だ。でもこいつは人造人間だ。


「おい、ナナ。背中を開けて見せてやってくれよ。お前の胸の内ってヤツを」

「おや、ま。大胆なお言葉」

「またおちょくってんな。コマンダーの命令だ。背中を開けろ」


「もお。ちょっと正式にコマンダー契約を済ませたからといって、ワタシを自由にするなんて……」

 馬鹿な言葉を吐きながら、ナナはジイさんから貰ったばかりの貫頭衣を脱ぎに掛かる。

 焦る俺。そりゃ焦るさ。真っ白で艶々した背中が目の前で裸出されたのだ。


「ば、ばか。おジイさんに変な誤解されるだろ。おかしな言い回しするな」

「ふぉふぉふぉ。もうよいって。無理してワシを楽しませてくれなくてもよい。会話で人を楽しませる。そちらの娯楽なんじゃろ?」

「い、いや。じゃなくて、ほらさっさとしろよ」


《承認コードを述べてください》


「え? なに?」


 戸惑った。聞こえて来たのはナナの声でもなく、ましてや玲子でもない。明らかに女性の声だが、聞いたことのない無機質な感じで、どちらかというと報告モードだな。彼女の背中から聞こえてきた。


「承認コードなんか聞いてないぞ」

 とにかく言い返す。


《初回に限り、声紋認証に切り換えます。以後承認コードを発行しますので、当ガイノイドにお尋ねください》


「ふぉふぉふぉ。おもしろい。楽しい余興じゃ」

 楽しげに笑うジイさんの前で、ナナの白い背中が左右に開いた。


「のぁ──っ!」

 ジイさんは一瞬で硬化した。


 小さな金属音と共にさっき地下室で見せられた複雑な構造が曝け出されたのだ。何度見ても正体不明の部品ばかりだ。


 あの時の俺と同じさ。中を覗いたジイさんも思考停止。

 白ヒゲの奥で数本歯が抜けた口が黒々としていた。


「…………っ!」

 茶器を持つ手が震え出し、目と口は大きく開き、完璧に石像状態だった。


「ね。この子ロボットなのよ」

 玲子が気を遣い手を出そうとした、その刹那。


「マトス…………白神様じゃ! 正真正銘の……のぁぁ!」


 あり得ない姿勢で、ぴょんと後ろに下がり、床の上にひれ伏した。

 何が起きたのかてんで意味不明だ。動転した俺たちも立ち上がり、

「ど、どうしたんだ? ちょっと中止。ナナ。背中閉じろ」


 急変したジイさんの態度にこっちも驚く驚く。ナナとそろってオロオロした。

「ど、どうしましょ。コマンダー」


「ぬななな──っ!」

 老人は泣き声にも似た叫びをあげ、

「白のマトスじゃ。異国のマトスに白神様が降臨なさったんじゃ! だからか……」

 さらに目を見開き、床の上からスキンヘッドをもたげて、震えた声を出した。

「──だからテトリオンリアクターのことを口に出されたのじゃ!」


「あ、あの……おジイちゃま?」

 膝でにじり寄るナナだが、

「うぉぉ。あまくだりじゃ! こ、これは大変なことになる」

 またもや額を床に貼り付け、ひたすら突っ伏し狼狽する老人。


「コマンダぁ?」

 困惑し、助けを求めて俺にすがるナナ。


「お前は下がっていたほうがいい」

 彼女をいったん引き離し、

「ショックを受けたんだろ? でも見たろ。この子は正真正銘の機械人間で……おーい、何だ?」


 ジイさんは、慰めようと肩に掛けた俺の手を勢いよく引き剥がすと、

「皆さん。そこにおられよ。どこにも行かないでくれよ」

「いや。行くとこ無いから……」

 と言う俺の言葉など聞く耳持たず、立て掛けてあった杖を引っ掴んで外に飛び出して行った。




「どうしたんレすか?」

「わからへん」

「きっとショッキングだったんだろ。俺だって最初は仰天したからな」


「マトスって言ってたわ……。シロタマ。マトスってなに?」

 テントの上部に戻っていたタマがふんわり玲子の肩に着いて説明する。


『マトスとはガイヤが赤色巨星の終盤になる頃に、この惑星の外からやって来ると、村人が口々に告げています。そのあたりを鑑みますと、信仰上の登場人物であると推測されます』


「神様みたいなもの?」

「いわゆる、伝説ちゅうヤツでっか?」

「あのー。ワラシが伝説っすか?」

「おおよ。俺たちを3万6000光年彼方へ飛ばしてくれた上に、自分までくっついて来たんだ。それだけでも十分伝説だろ?」

 ニコニコして見上げるナナの銀髪に手のひらを当てて、ワシャワシャしてやる。


「何だか光栄ですね」

 ナナは嫌がる様子もなく笑い顔をひけらかした。


「光栄じゃねえよ。伝説のバカだと言ってるんだ」





 時間にして5分ほど経過。

 最初に一人の若者がテントに飛び込んで来た。


「よかった。まだここにおられる。みな安心しろ!」

 とても慌てた様子で後ろに翻って叫んだ。


「主宰様の部屋ではみすぼらしい、怒って帰られてはコトだ。もっといいお部屋に移ってもらうんだ」


 別の男性が参入して叫び、続いて入って来た老婆が床に突っ伏した。

「おぉぉ。このお方がマトス様か。ほんに白いのぉ。白神様が御降臨されるのは時間の問題じゃ。ああぁ……」


 感極まって泣きじゃくる老婆の後ろに子供を抱いた女性が現れて、その場でひざまずいた。

「生きていてよかった。伝説の御降臨に立ち会えるなんて……」

「まさかあのお方に白神様があまくだったの? あぁ。ほんと神々しいマトス様だわ」

「いやまだ御降臨まではなさっておらないという話だ」

 次々と人が訪れて老婆を先頭にひざまずきひれ伏していく。意味不明の言葉と共にだ。


 しかし中には訝しげな意見も聞こえる。

「オレはヒューマノイド型ではないと思っていたんだが。あれでは普通の女の子じゃないか。ほんとにマトス様なのか?」

「主宰様がウソを言うか! それにあの慌てようだ。真剣だったぞ」


 そうジイさんはとんでもなく慌てていた。

「白神様となるマトスじゃ。ど、どうしたらいいんじゃ。こりゃ本物じゃぞ。ついにその時が来たのか。ワシはどうしたらいい?」

 テントを囲む集団の後ろで湯呑を持っておろおろしている。さっきまでの凛々しい姿は無かった。出産を待つ夫の振る舞いとそれほど違わない。


「おジイさん。マトスって何だよ。ちゃんと詳しく説明してくれ」

 ジイさんは心ここにあらず。ブラックホールの奥底を彷徨って這い出せないようす。


「あのさ、異国の人……」

 代わりに一人の青年が人懐こい目を俺にくれた。


「マトスは白神様の仮の姿なんだ」


 何だぁ?

 仮面の忍者か?


「テトリオンリアクターの理論は間違い無いのだが、本格的なテストはまだ済んでいない。解るだろ? テストのしようがないから超新星爆発が起きた時の一発勝負なのさ。怖いだろ? だからその日が近づくと住民が疑心暗鬼になりだす。でもそこへ異国のマトスが現れて白神様が降臨なさるんだ。そして不安を募らせ始めた民衆の前に立ち、こう言い放つ……」


「──だいじょうぶですよー。超新星爆発が放出するニュートリノは膨大です。じゅうぶんテトリオンリアクターを駆動させることができまーす。超亜空間跳躍は成功間違いなーし」

 テントの中から出てきたナナが、真夏のハイビスカスみたいな笑顔を振りまいていた。


「聞いたか、みんな! マトス様の口から直々に下さった白神様のお告げじゃ。スフィアは飛ぶことができるんだ!」

「我々の進むべき道は誤っていない!」

 先頭の老婆が両腕を派手に掲げて、大きく泣き崩れた。

「おおおぉ。我らが行き先を見失うとき、迷い寄りし異国のマトスに白神様が降臨する……言い伝えのとおりじゃ」


「白神なんかいねえし。こいつはただのバカだぜ?」


 婆さんはキッと俺を睨み倒した。

「何を言う。オヌシ、伝説をバカにするのか! このマトス様に必ず白神様が舞い降りるぞ。そして我らを導いてくださる。うぉぉぉ。この方こそ正真正銘のマトス様じゃぁぁ。皆の衆! あとは御降臨されるのを待つだけじゃぞ!」


「「「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」」」」


「え、え、え?」


 集団が作り出したムードは俺の思いと大きくかけ離れ、驚嘆を越え狂喜乱舞に近い状態にまで盛り上がってしまい、

「いぇ──い。旅立ちれーす」

 一緒になって手を掲げてはしゃぐナナの腕を引き下ろし、社長は怯えた目をする。

「ちょ、ちょう待ち! 挑発するんやおまへん。この人ら本気にしてまっせ」


「だぁって理論は間違ってませんもの。管理者がそう言ってたのをワタシ立ち聞きしたんですよー」


「立ち聞きって……、ちょっとあなたこっちに来なさい」

 急いでナナを黙らせる玲子。俺もこの状況はまずいと思う。


「おまはんなー!! ちょう、黙りなはれ!」

 社長はナナをテントの陰に連れ込み、

「テトリオンリアクターって何や知ってまんのか?」

 ナナはこくんとうなずき、

「テトリオンとグラビトン量子を束ねて細いビーム状にして亜空間を作り出すんです。そのためにはオミクロン分子が必須なの。でもそれが難しいんですって……ま、管理者の受け売りですけどね。それがあの三角形をしたテトリオンリアクターなんですよ。きっと」


「きっと、って……」

 社長は死んだ、てな顔して天を仰いだ。


「そんな薄っぺらな話を堂々と知っている(てい)で、こんな大勢の前で宣言しやがって。どーすんだこの騒ぎ」

「でもみんな喜んでくれてますよー」

「意味が違ぁぁう!」


 ナナはジイさんに貰ったワンピースの裾を翻して民衆の前に戻り、

「回転するブラックホールのセンターに正確に乗れば、スフィアは安全に別空間に飛び出しまーす」


「じゃあ。この計画を進めても問題無いんですな?」


 ナナは胸を張って言い切る。

「あ、はーい。成功間違い無しでぇす。あががが」

 バカの(もと)へ飛んでいって、その口を押さえた。


「こら! これ以上、扇動するな。失敗した時に袋叩きにあうぞ」


「ほんまやで。それより管理者はその超亜空間跳躍ちゅうのを成功させたんでっか?」

「よく知りましぇーん。ワタシはお茶くみですから」

「おわー。万事休すだ」


 慌ててシロタマを呼び寄せる。ヤツなら何かしらの忠告をしてくれるかもしれない。


「コイツの話は本当なのか?」

『地上のカタパルトは、このスフィアを跳躍させるのにちょうどいい大きさだと推測されます』


「おおお。従者の(かた)のお墨も付いたぁぁ!」

 火に油を注ぐ結果になってしまった。


「さすがマトス様じゃ。従者の方も神々しい」


 んなワケねえだろ!


「マトスを奉れぇぇ。白神様が降臨されるぞぉぉ!」

 歓声をあげた集団にまたもや囲まれた。


 やっべぇぇ。振り出しに戻っちまったぜ。

  

  

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