終端そして生誕
「僕の目的を言います」
「ウソつくと容赦なく床ドンだからな」
「わ、分かってますって」
ニールは迷惑げに片眉を歪めて、ちらりと玲子を見た。
「そもそも僕は、ここに現れた抹消次元のユイくんの記憶デバイスから、ハイブリッドアンドロイドを仕立て上げるために来たのです」
「ハイブリッド?」
「本来はアカネさんをハイブリッドのユイくんとして作り上げ、最後のネブラ決戦に向かうところでしたが、その必要性はなくなり、別に『大いなる矛盾』に立ち会うというジャンクションになったわけです」
「うっせえ。ネブラが破壊されたんだ。だったらもう俺たちの仕事は終わりだ。そっとしておいてくれ!」
「せや。ユウスケの言うとおりや。なんでアカネをユイにしなあかんねん、ネブラはもう消えたんや。アカネはあのままでエエんや」
ニールは銀髪の下から青い眼玉をさ迷わせて、社長に何か言いたそうにしていたが、
「正直に言いましょう」
「このヤロウ。やっぱり今まで嘘っぱちを並べてたんだな!」
「まーって。ユウスケさん落ち着いて。もう興奮し過ぎです。顔が真っ赤ですよ。レイコさんも落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられないわよ。ユイがいなくなったと思ったら別の世界のユイが現れて、何がなんだか解らない上に、アカネにまで手を出そうとしてるし」
「手を出すって……。あのですね」
ニールはひと呼吸ほど鼻をすすると、
「とにかく時間が無い。仕事に入らせてください。こんなことを説明するだけで、17年も未来からやって来たのではないのです」
と言って視線を落すと、ニールは床に転がっていたテメエのレプリカに向かって命じた。
「ほら。ニール。描画モード開始して、自分の与えられてた仕事をするんだ。これに関して僕は未来人だ。過去には手出しできない」
床の上でゴミみたいに丸まっていた物体が、まるで糸で釣られた人形のようにふらりと起き上がり、人の気配を戻した。
仕組みや構造などまったく理解不能だが、それは本当に魔法のようだった。幕が引き上げられたみたいに、さっとレプリカのニールに戻った。
「やぁ。驚かせてすみませんね。僕はユイくんの後を継いで時空修正をしに来たニールです」
「ニール、ニールってうるせえんだ、その話しはこっちのニールから聞いたワ! このロボニールめ!」
「おや?」
ロボットのクセに深々とした目を俺にくれた。
「ロボニール。いいですね。ここに本物のニールがいますので区別がついてちょうどいいです」
マジでよくできたロボットだ。並んで立つともうどっちがどっちだか解からない。しかも饒舌で、かつ無駄口をたたくところまで瓜二つだった。
「このユイくんのメモリは記憶と感情があふれそうなんです。しかもレイコさんから受け継いだ精神情報データもあります。それをダウンロードしてアカネさんにアップロードします。じゃ。ユイくん準備してね。あー触らないでよ。次元サージが起きて火花が飛びますから。もしデータロガーが壊れたらコトですからね」
会釈と共に歩み寄る栗色の髪の優衣。
「ニールさん。ロガーをこちらに向けてくれますか。そちらへデータ転送を始めます」
いつもと何ら変わらない態度で接するその柔らかげな様子を、横から見ていた玲子が急いで歩み寄った。
「ねえ? あたし……ほんとうに死んだの?」
優衣の瞳に困惑の色がちらつく。
「ちょっと意味合いが違います。助かる道へ誘導したんです。ですから死んだわけではありませんよ。それより。これをアカネに渡してもらえますか?」
優衣は何かを手渡した。それは銀龍で使われているありきたりのメモリーチップだった。
静謐な瞳がチップから離れ、それからこう綴った。
「この次元のワタシはすべてを見透していました。アカネの記憶からですが……」
その言葉を聞いて、俺は思わず顔を上げた。
「そんなはずないだろ。自分の信念を貫くために、それとよけいな記憶に束縛されたくないから、アカネをここに連れてこなかったんだろ?」
「いいえ……」
俺の意見は間違っていたようで、栗色の頭が左右に振られた。
「アカネはこの顛末を記憶として持つことになります。それはこのメモリーチップをワタシがここで渡すからです」
「何それ?」
潤んだ瞳が再び玲子に移り、
「この中にアカネ宛てのメッセージが入っているので渡してくれと、こちらのワタシから託されました」
じゃあ、優衣はアカネの記憶からすべてを知っていて、承知の上でこの行動を起こしたのか。というより何か矛盾してね?
「異次元から現れたユイくんは何をやっても矛盾を生じません。それは別宇宙の存在だからです。それより……」
ニールはロボニールから受け取ったデータロガーを大切にポケットへ納めた。
「この子が消えずにこの次元にとどまる理由はもうお解りでしょ。ユウスケさん?」
「時間項か……」
「そう。まだちゃんとした役目を持っているから、宇宙はこの子を消し去るまでに猶予を与えています。でもどれぐらいの時間が残っているのか、それは僕にも計り知れません。急ぐことに越したことは無いですね。そのためにはもう一人の主役が必要です」
「アカネだろ?」
気色悪いウインクを俺へとぶっ放したニールは、
「時間項が何なのか、それを突き止めるには時間を動かすしか方法がありません。ですので僕は自分の仕事に従事しますよ。インタープリターとしてのね」
「何で、ここにアカネが出てきまんのや?」
不服そうに社長が割り込んだ。
「これまでの話、聞いて無かったんですか? アカネさんをユイくんに仕立てるのが僕の宿命でしょ?」
社長はまったく納得いかないようで、口をへの字に歪めている。
「なんでやねん。ネブラ破壊の仕事は終わったんや。そんな変なことせんでもええ」
不機嫌そうな雰囲気を満たした口調は変わらない。
「アカネはこのままや。進化させる必要はない」
「う~ん」
ニールは人差し指をメトロノームみたいに振って、
「まだ時空理論を理解してませんね」
「ユイにも言われたワ!」
社長はむっとして言い返し、ニールは気にも掛けず喋り続けた。
「エルフ族の少女のおかげでネブラはもういません」
「エルフ族って何だよ? 何だか頭の中がモヤモヤするぞ」
怪訝な顔をする俺を見て、ニールは道端でガムを踏んづけたみたいな顔した。
「その話はもういいです。つまり僕の歴史も変わったのです。あのネブラを破壊まで導くのはこの宇宙の僕らではなくなったのです。だからこの世界でのアカネさんは、もう時空修正のミッションはしなくていいんですよ。そういうジャンクションに曲がりました。でもね。時間項は決まっているんです。別の歴史に立ち向かうという時間項はね。そのために僕は感情を理解するクオリアポッド、それを制御する精神力の数値化に成功したんです。その二つを併せ持ったのが、アカネさんとユイくんのハイブリッドアンドロイドです」
「あかん。絶対アカネは渡さん」
言っとくが頑固だぜ、このおっさんは。
「では本人に決めてもらいましょう。ユイくん頼む。アカネさんをここに連れて来てくれないかな?」
「やめろ。ユイ! 時間を飛ぶとお前の固有時間を消耗しちまう。ユイはお前だけなんだ。無理するな」
「ユウスケさん……」
栗色の髪の毛が俺の横でサラサラと揺れた。
「固有時間が切れてワタシが抹消されることも、それからGトリプルゼロと一緒に消滅したワタシもすべて幻なんですよ」
ワタシ、ワタシって意味不明だ。
優衣は屈託のない笑みを浮かべ、
「だって本物のユイはただ一人しかいませんでしょ?」
ぬぉぉ。そんな顔で訊かれると息を飲んじまうぞ。
「ユイはお前だけだ」
「本物のワタシはアカネです。とにかく連れてきます」
フワリと柔らかそうな栗色の髪をなびかせて優衣が光の中に消えた。
「あ。ユイ……」
俺の言葉がひと呼吸ほど途切れ……。
「どーしたんですかぁ? どーしてわたしが呼ばれるんですか? どーして、このおユイさんがここにいるんですかぁ? こっちのおユイさんはどーしたの?」
光の中から現れた茜は相変わらずとぼけた感じで、ドーシテ星人に成り切っていた。
「やー。アカネさん久しぶりだね」
「この人、誰ですかぁ?」
「ほんとうはここでの出会いは無いんだよ。キミをユイくんに仕立てるのは3年後だったんだけどね。それとはまた異なる次元に分岐したんだよ……痛てて」
「もう、うるさい!」
玲子は喋り倒すニールを押しやって、
「まずこれを渡すわ。アカネ」
その手から渡されたのは、カエデと消滅した優衣から手渡されたと言うメモリーチップ。
「これ、なんですかぁ?」
「こっちのユイがあなたにって」
それだけで察したのだろう。茜は不安に満ちた面持ちで突っ立っている異次元から来た優衣を見つめた。
銀龍のコンソールに差し込み、点滅するインジケータへ目を落とす茜。
中に書き込まれていたのはMSKで圧縮された音声だった。内容に関しては俺たちでは理解不能だが、何らかのメッセージがデータ化されているに違いない。
すぐに深く重厚な音色がしとやかに広がり出した。
流れる優衣の歌声は音楽の域を遥かに超えており、部屋に繰り広がる音色が唸り、和音が鼓膜を震わせる。それは謳い綴られていく悲しい旋律が語られるかのように、耳にする者すべての心に深く沈んで行った。
「おユイさんのメッセージ……」
胸元で握られていた茜の両腕がゆっくりと下がり、長い睫毛が閉じた。その右眼からひと筋の光りが頬を斜めへ滴ると床で弾けた。
『機能不全でしゅ。潤滑油が漏れてる……』
玲子はシロタマを静かに抱き寄せて言う。
「いいの。感情の芽生えなのよ」
優衣が綴ったMSKは十数分間続き、途中、悲哀感は消え去り、新たに心を熱くかきたてて最後は静かに終焉となった。
いつの間にか機長とパーサーの姿もそこにあり、じっと瞬きの無い目が注がれていた。
静まりかえる司令室の中でアカネはいつまでも目をつむっていた。何かを考え込んでいるのか、これまでの出来事を回顧しているのか、とにかく身動き一つしない白い顔に瞼が重そうに閉じられていた。




