イミテーション・ニール
優衣が戻って来たと思ったのだが思惑は大きく外れ、俺は光の中から姿を露わした男に目をこらし、現状を認識しようとした。
「お前は誰だ!」
想像も及ばない人物がそこにいた。
「ニールどういうことだ……。例外処理が起動したじゃないか! ここまでうまくいっていたのに、何だよ、いったい?」
そう言って一歩足を出したのもニールだ。ニールがもう一人。双子か? クローンか?
こっちのニールは?
「ぬぁ――っ!」
さらに最高レベルの驚愕に打ち震える。
さっきから不気味な空気を漂わせて固着していたニールから人の気配が消えていた。そう、人じゃなくなったのだ。顔カタチがただの卵型の白い物体に変化し、ボディも衣服が消えて手足の付いた、まっぱのマネキンとなんら変わらぬ姿のまま、俺の前で膝から崩れ落ちた。
「驚かせてゴメンなさい。そっちはイミテーションです」
光の中から現れたニールが銀髪を掻き上げながらそう言い、
「突発的なことが起きて例外処理が起動したんですよ」
「何言ってんの? 俺は、お前は誰だと訊いてんだ?」
「ニールです」
震えた指で、床のマネキンを指す。
「じゃ、じゃあこれは何だよ?」
「僕のイミテーションドールですよー」
「フィギュアだスか?」
こういうところには敏感に反応する田吾。
「フィギュアとは違うけど、まぁ超リアルなレプリカと言うか、僕の分身ですね」
「偽物のあなたが、あたしたちの周りをうろついていたの?」
玲子が怖い顔して睨む。
「あたしたちを騙していたのね」
「やー、怖いなレイコさん。そんな人聞きの悪いこと言わないでください。この頃の僕は、クオリアポッドの研究をするために超多忙でしてね」
「この頃……だと? じゃあ、お前はこの時代のニールじゃないのか!」
玲子と一緒になって噛みついた。
ニールは両手のひらを降参と小さく挙げ、数歩逃げながら、
「ご名答。僕は17年先から来ています。ある任務を背負ってね」
「言う割りに年食ってないのは?」と玲子。
「僕たちはゲノム編集をやってましてね。長寿命なんです。中年と呼ばれるのは百歳を越えてからです」
「羨ましいわね……」
「そんなところで感心してんじゃない。それよりこれは本当にロボットなのか? 俺からしたら魔法にしか見えない」
「理解不能のテクノロジーは魔法と呼ぶしかないでしょう。でもね、しっかり地についた理論ででき上がっているんです。適当な呪文を唱えるだけで生まれてくる、お子様向けのファンタジーじゃありません」
高説たれやがって、何だかむかつく奴だな。
「ロボニールが現れた理由は? まだ聞いてねえぞ」
「ロボニール? あはっ、それいいですね。いただきます。あわわわ」
玲子に怖い顔で迫られ、ニールは慌てた。
「あ、あのですね、ユイくんの使命はこの後、一件を残して終わりです。ロボニールはそのフォローをするために派遣されたんです」
まだ何か言ってやろうと思ったが、気になる言葉を聞いてそっちは呑み込んだ。
「今、ユイの使命が終わると言ったな。それじゃこれで俺たちは故郷へ帰っていいんだな」
「えーっと。どうでしょ。まだユイくんが戻ってきませんし……最後の一件が終わらないことには……ちょっと」
「最後の一件って……ネブラは葬ったわよ?」と玲子が尋ね。
「えっとですね」
困ったふうに顔をしかめて手を振るキザな素振りの向こうで、虹色の光がほとばしった。
「ユイだわ!」
玲子の喜びの声どおり、光の塊は優衣の姿。そしてもう一人、カエデだった。
「ユイ、カエデ。作戦は大成功だったぞ。それよりザリオンが出てきてよー。もうムチャクチャだったんだぜ!」
迎い入れようとする俺を光の中の優衣が見つけ、にっこりと微笑んだ。
二人は俺たちの前で実体化。くしゃり、と小さく響かせた。
それはちょうど胡桃を踏みつぶしたような音だった。
「ユイ?」
あまりのことに思考が停止。
優衣とカエデが実体化と同時に、一瞬にしてぺしゃんこになり、細々とした部品のクズと化して音を立てて床に降り積もったのだ。
「え? ユイ?」
玲子が茫然と突っ立ていた。俺だってそうさ。田吾も社長もみんな動けなかった。
「どういうこと?」
目覚めた子猫みたいに玲子が飛びつき、戸惑いに揺れる眼差しをくれたが、俺だって意味不明だ。
「ユイ! なんだこりゃ?」
膝からダイブして部品の散乱する中に飛び込み、数個の部品を握りしめた。それは手の中で元の形を維持できないようで、瞬時に粉砕した。
「言いましたでしょ。これで彼女の使命は終わりだと」
「…………」
言葉が何も出てこない。真っ白だった。だけど、
「どういう意味や、これは! どー言う意味やねん!」
社長が激高した。
「おまはん何をたくらんどる! 言わんかっ!」
「ちょ、ちょっと社長さん、落ち着いて。く、苦しいです」
ニールの首っ玉を鷲掴みにして振り回す社長。
ミカンが間に飛び込み二人を引き裂いた。
「きゅりゃりゅらゃる」
「そ、そうですよ。興奮しないでくださいよ」
「何でユイが破壊されな、あかんねん。今の現象は何や!」
頭の天辺まで真っ赤になった社長が喚き散らし、その鼻の先にシロタマがふわりと浮かび出た。
『優衣のレベル5の構造維持フィールドは銀龍に取りつけられたままです。それ無しで時間跳躍をすると実体化と同時に占有空間から膨大な圧力を受けることになります』
「あっ!」
恐怖に硬直する俺たちに投げかけられたにしてはあまりにも冷然とした説明だったが、そのことを誰もが忘れていた。
「そうや。メッセンジャーに時間を止められて銀龍が押しつぶされそうになったのと同じ現象や」
俺はやっとの思いで言葉をひねり出した。
「それなら何かひと言伝えてくれたら対策が打てたんだ。なぜユイは黙っていたんだ!」
「せや! そんなアホな話があるかい。こんな初歩的ミスをユイがするわけないやろ! なんやこれは!!」
襟元を直しながらニールが言う。
「彼女は使命を全うするようにプログラムされたアンドロイド……えっと」
途中で言葉を飲み込み、言い直した。
「彼女はみなさんを元の空間に戻すことを優先させ、そしてGトリプルゼロの時間規則を守るために自ら身を挺したのです」
「ユイ……」
玲子は悲痛な面持ちで優衣の残骸に手を出そうとし、ニールが急いで止めた。
「あ、レイコさん。触れないほうがいいですよ。宇宙の全質量に圧し潰されたのですから、いかなる物質であろうと分子レベルまで粉砕します……」
「あんた、何しに来たの?」
ブンと振り返ってから喰らいつく玲子。
「あ、いや。これは歴史上の一つのノードにしか過ぎない出来事でして……」
ニールは俺に助けを求めてきたが、それを無視。くしゃくしゃになっちまったユイの部品の前にひざまずくと、中からひと房の黒髪を取り出し、そっと手のひらに置く。するとパウダー状にばらけ、微細な粉末となって消えていった。
ずっと頭の隅で抱いていたもやもやとした不安がこれだと悟った。悔やんでも悔やみきれない。こういう運命を歩むことを知っていたので、優衣はカエデを許したのだ。なのに俺は何も考えていなかった。ただ単にカエデの豹変振りに踊らされていただけだ。
「何やってたんだ……俺」
自責の念に押し潰されそうだった。
「何を落ち込んでいるんです?」
「当たり前じゃないか。ユイは自分を犠牲にしてだな」
急いで自分のセリフを噛み殺した。
犠牲と言う言葉から、俺の脳裏に異次元へ行ってしまったもう一人の優衣のことが思い浮かんだのだ。玲子を助けるために身を投げた抹消次元の優衣。あの子もその一人だ。
「そう。このユイくんの存在と同じですよ」
意味ありげなニールの言葉に誘導されて視線を振った。すぐに虹色の光が広がり、聞き慣れた声が。
「同期が途絶えましたね」
「ユイぃぃ!」
嬉しそうに飛びついたのは玲子だ。だが俺は一歩も動けなかった。
なぜって、それは決まっている。そこに現れたのは栗色のボブカットの優衣だったからだ。
「よかったよー。もう脅かさないで! 心臓に悪いじゃない」
飛びついた玲子の指先で、パシッと火花が散った。
「あうっ」
驚いて離れる玲子を引き寄せる。
「この子に触れたらダメなんだ」
「どういうこと?」
俺には解る。次々と心の底から答えが湧き出てくる。この優衣は別の次元から来た別の優衣さ。
「ユウスケさんならご存知ですね、抹消間際の存在ですね」
「このヤロウ! 軽々しく言いやがって! ニール。見学のつもりでいやがるとぶん殴るぞ!」
凄む俺の腕を社長が引き止めた。
「それより。まだ理由を聞いてないで。おまはんのコピーがなんで例外処理に切り替わったんや?」
「そうそれですよ。ユイくんの使命はここまでで、この先はロボニールとこのユイくんの出番だったのです」
「ユイが二人いるの?」
玲子が首を捻るのも解らなくないが、あまり公にしてほしくない。
だがニールは俺の目を見たまま、平然と柔和に微笑む優衣を指差し、
「このユイくんは、愛するレイコさんを救うために自らの命を投げ出したのですよ」
「玲子の前で言うな!」
「あたしを救う?」
怪訝に俺を見る様子にちょっと戸惑った。でもすがりつきそうな目で俺を見る玲子を前にして、もう黙っているわけにはいかなかった。
「ああぁ。お前は一度死んでるんだ」
「ば……バカなこと言わないでよ」
俺は、柔らかげな茶色の髪をなびかせる優衣を見つめて説明する。
「この子は別の宇宙から来たんだ……お前を助けるために今の歴史に切り替えてくれたんだよ」
「別の宇宙?」
「別次元と言いましょうか。多元宇宙と言う意味の次元でして、この子は異次元同一体と呼ばれます……あ。ごめんなさい」
玲子はペラペラ軽いニールを睨みつけ、胸元で指を絡めていた優衣は涼しげな視線で玲子を見つめた。
「久しぶりですね。レイコさん」
そして小さな声で言った。
「元気そうで、よかった……」
「よかねえよ、ユイ。お前の残された時間は?」
「あと1秒ほどです」
小さな声だった。
「ここまでは史実のとおりですね。ここからが大変だ」
ニールの軽率な言葉に、またまたむか腹が立って来た。
「またワケの解からないこと言いだしやがったな!」
強く抗おうとする俺の鼻先をニールが人差し指で示し、
「この次元のユイくんが受け持った最後の使命が、Gトリプルゼロの時間流を元に戻すことで、ロボニールの使命はこのユイくんとある行動をとってネブラ崩壊へと進むはずでした」
「崩壊って……もしかして今回のネブラ破壊は失敗していたのか……」
「ん……失敗と言うよりも、崩壊までの道筋を立てた、と言ったほうがより正確ですかね。Gトリプルゼロもネブラの時空修正によるもの。この時間域に存在してはいけませんからね」
怪訝とも戸惑いとも言えない顔で社長がニールを睨みつけていた。
「失敗するのを解かってて、ワシらはおまはんの口車に乗ってネブラの中枢へ行ったんでっか?」
「口車って……。ロボニールの演技力の勝利ですよ」
「つまり、これも時空修正?」
「そうです。17年後の世界でもネブラは実在します。ただしGトリプルゼロが抹消され、みなさんの活躍のおかげで、ずいぶん規模は縮小しますけどね」
「じゃあ、俺たちのミッションは一体なんだったんだ。無駄骨か?」
ニールは首を振った。
「みなさんのミッションはユイくんがGトリプルゼロを抹消するところで、次の段階に入る予定でした。ところが計算違いが起きたのですよ」
「もしかして、それがエルか?」
「そうです。まさかエルフ族の少女があそこで現れて歴史を変えてしまうとは考えも及ばない事態です。次元が逸れてしまい予測が不能となり、ロボニールのプログラムが異常終了したというワケです。それで僕が飛んで来ました」
「エルは俺たちに協力してくれたんだ。歴史なんか変えていない」
「あの子が自分の命を使い切ってくれたおかげで……あうっ」
ニールは社長の憤怒にまみれた真っ赤な顔に睨まれ、途中で息を飲んだ。
「どういう意味や! その言葉、取り消しなはれ!」
「い、いやだって、エルくんが19日と短命なのは。この日のために……」
俺は社長より先に怒りを爆発させた。
「このヤロウ! 無責任なことを言うな! 俺たちはネブラなんかどうでもよかったんだぞ。それよりもずっとエルと一緒にいたかったんだ」
「首絞めるわよ!」
「おわーっと。レイコさんにユウスケさん。興奮しないで。どうしてエルフ族の少女になるとあなた方は目くじらを立てるのです?」
「あたしたちはエルの故郷を救う約束をしてるの。よく考えたらここでネブラを破壊したんでは約束を守れないわ」
と玲子が言いだし、俺も重要なことを思い出した。
「ネブラが誕生しないという俺たちのミッションを成功さないと、あの惑星は破壊されたことになってしまう」
「ほんまや。ロボニールのせいや」
「ちょ、ちょっと、社長さん。話が逸れてます。違いますよ。みなさんは平面的に考え過ぎです。エルフ族が住む惑星を襲ったスケイバーは、今から3年後のネブラから発進したモノなんです」
「何で解るんだよ?」
「だって、僕はそのさらに14年未来から来ていますし、僕だってアーキビストのインタープリターの称号を持つものです」
と言ったあと、
「ランクで言えば、Sランクのユイくんよりだいぶ上です」
「なら、エルは……」
「もうすぐ記憶の書き換えが始まって、エルくんのことはすべて忘れるでしょうけど。念のため説明しますよ」
ニールは面倒臭そうに肩をすくめてから、
「エルフ族の惑星を破壊したネブラはここで断ち切ったわけですから、エルくんは自分の生涯をみなさんと共に守ったわけです。つまりネブラ消滅に伴ってすべてがやり直しとなり、エルフ族の惑星は健在です。だからエルくんは時間剥離症候群を発症しません。そういう新たな歴史をみなさんが作ったのです」
「よかったぁ」
玲子は安堵の息を吐くが、新しい疑問が突いてくる。
「また問題を複雑にしたんでっか? ワシらはどうなりまんねん」
「だから。僕が来たんですよ。すべてを収めるためにね」
話が堂々巡りをしてさっきから一向に進んでいない。
「このジャンクションを作ったのは明らかにエルくんです。そのエルくんをここに導いたのは誰か……」
「誰だよ」
「ふふふ。分かっていらっしゃらないんですね。あなたですよ」
「へ? 俺?」
「あなたに、玲子さん。社長さん。銀龍のみなさんですよ。別のパラドックスが誕生したのです。これだけ入れ子になったパラドックスも珍しい」
「入れ子?」
「そうです。ドゥウォーフを滅亡から救ったのはドゥウォーフが未来で作ったアンドロイドです。だけどその原因を作ったのはあなたたちです。エルフ族の惑星を破壊から救ったのも最後のエルフ族の少女。それを導いたのもまたあなたたちです。すべてが、みなさんよくご存じの『大いなる矛盾』から始まっています」
「ああ、そうだ」
ニールはドライな笑みを浮かべて問う。
「見に行きませんか?」
「何をでんねん」
「なぜ大いなる矛盾が起きたのか、社長さん。興味あるでしょ?」
「無いとは……言えまへんな」




