押し寄せるネブラ・エリプス
気が遠くなるほどに緊迫した空気の中で、玲子は最後の質問をした。
「ここでネブラを破壊して、ユイとカエデは無事に避難できるの?」
「未来で会う約束をしてんだ。とっくに避難してるさ。それよりお前こそ外すなよ」
玲子は、うん、と明るく首肯するとヘッドマウントディスプレイをもう一度頭から被って気張った。
「よし。いっくわよ。ネブラ!」
ところが――。
照準マーカーが動き出しトリガーを引く寸前だった。ネブラの様子が変化した。大きく広がったネブラの表面が蠢いたのかと思うほどの数のエリプス艦が、魚の鱗を剥がすようにして本体から離れて俺たちの前に広がり始めた。とてつもない数の攻撃艦が飛び立ったのだ。それはどれだけ強靭な精神力を持った人物であってしても怖気づく数の船影だった。
視界を埋め尽くすエリプス艦隊。ネブラ本体を守るべく俺たちの前に覆い集まったその数……数万。いや数と言う値では推し量ることができない。宇宙が黒く隠された。
「うあっ! ま、待て、玲子! 中止だ、中止」
「あ、アカン。この数、無理や!」
「な……なんダす、これ?」
「ネブラの再起動が完了したんですよ……だ、だめだ。もうだめです」
ニールは途方に暮れた声を出すが、玲子は動じない。
「とにかく撃つわ!」
気合を込めてトリガーを引いた。
腹に響く発射音を残して飛び出した高エネルギーシードが、黒く覆い尽くすエリプス艦の海を突き進んだ。
だけどとてつもない数の艦船が防波堤となってネブラ本体までたどり着かない。途中で力尽きてシードは消滅した。
《なんという数だ……》
《こんな数……見たことも無いぞ》
ザリオンであってしてもたじろぐ光景だ。輝いていた星々が黒く消えていた。暗黒星雲の中に迷い込んだのかと思わせる数の総攻撃だった。
自らの身を挺して本体を守り抜く、まるで敵に襲いかかるスズメバチの大群だ。ぶ厚い防御壁がそそり立ち、たとえパワーブーストされた粒子加速シードであってしても、それを突き破って標的まで到底届かない。
「こんなディフェンスは想定外や、あかん! 撤退すんで! ザリオン全艦に通達や!」
焦った社長がデスクを叩いて立ち上がった、まさにその時。ふいに頭の中に可愛らしい声が渡った。
〔――あたしが手伝ってあげるよ〕
記憶の中から簡単には揮発することの無い少女の声だった。
「エルだっ!? エルが来たぞ!」
「なにゆうとんのや、おまはん?」
社長の言うとおりだ。何を言ってるんだ、俺。
「そうっすね。空耳だよな
と言う俺を玲子がキョトン顔で見つめていた。そして言う。
「あたしにも聞こえた……」
「マジで?」
「この状況や、無理もない。それはストレスからくる空耳なんや」と社長が言い。
「エルってエルフ族の少女ですよね。もう亡くなったんですよ。それは間違いなく幻聴です」
ニールも賛同するが、あの子の場合、何となくしこりが残ったままなのだ。
〔ゆーすけ……〕
「また聞こえた! 確かにエルの声だ」
鼓膜からではなく脳に直接響いた。
〔レイコねえさん〕
「はっきり聞こえる。あの子よ。エルが時空を飛んできてくれたんだわ」
しかしニールは怪訝に社長へ疑問をぶつける。
「この二人はいったい何を言ってるんですか?」
「ワシにもよう分からん。せやけど誰かの声を聞いとるみたいや」
首を捻った社長だったが、
〔ゲイツさん。道はあたしが開けてあげるから、すぐに撃って!〕
「な――っ!」
驚嘆に満ちた表情に一転した。
「ほんまや、ワシにも聞こえるがな! エルや。エルが来たんや」
「エルちゃんダすよ!」
「な、なんですか? みんなおかしくなったんですか。こんな時に冗談やめてくださいよ」
『クルーは正気です。現在とてつもなく不可解な現象が進行中です』と頭上から告げるシロタマ。
「シロタマさんまで……いったいどうしたんですか」
「そうよ。エルよ。はっきり聞こえるわ」
〔とっておきのプレゼントだよ。みんなの未来はあたしが終わらせない! 抗うものは全部消してあげる〕
「エルだっ! 間違いない。これがあの子の言うプレゼントなんだ」
余命19日で命を絶ったあの少女がここで俺たちの手助けをしてくれる。メラメラと胸の奥から熱い物がこみあげてきた。
赤ちゃんだったエルが入れられていた耐熱性カプセル。その中に大切に保管された、まだ新品のベビー服が視界の端に映る。
決して忘れることのできない熱き思いだ。
「よーし。玲子、いくぞ! これがラストチャンスだ!」
大きくうなずき、玲子はみたびヘッドマウントディスプレイを被るとVRCの銃を構えた。俺もビーコンの指定位置へとフォトンレーザーの照準ポイントを合わせる。
今となってはエリプス艦に覆い尽くされた黒い海の深部へ向かってだ。黒一色に塗り固められたスクリーン内に黄色のマーカーがゆっくりと伸縮を繰り返していた。
そこへ忽然とタマの忠告が入った。
『フォトンレーザーを粒子加速銃のVRCと完全同期をとって発射すると威力が倍増します』
「今ごろそんなことを言うな。どうやんだよ?」
タマは素に戻り。
「レイコとタイミングを合わせればいいんだよ、バカ」
「だからどうやって?」
「息を合わせて撃ちゅの!」
「くのやろ。この期に及んでそんな原始的なことしか言えねえのか」
かと言って今さらじたばたできない。
「よーし。玲子。これが終わったら一杯付き合え。いいな、美味い酒を飲むぞ」
「いいわね。じゃああたしが合図を出すから、しっかりついて来るのよ」
「へっ。いつだって俺はお前のシモベだぜ」
玲子は俺に向かってにかっと笑い、キャプチャグローブを嵌めた。
「さ――っ! これで終わりよ。ダルマ野郎っ!!」
玲子の腕が静かに持ち上がり、その動きに合わせて十字のマーカーと三つの角が集まりつつあった。
こっちの照準ポインタも固定された。あとはタイミングを合わせて撃つのみだ。
「エル……たのむぜ」
「裕輔。いくわよ」
「ああ。いいぜ」
隣で玲子の黒髪が揺らぎ出したのが俺の視野に入った。
こいつが精神統一すると必ず現れる不可視のエネルギーの揺らぎによるものだ。それが俺の腕にまで漂ってくる。柔らかい羽根の先で触れられているようだ。
「3、2……」
腕から浸透してきた意味不明の揺らぎを通して、玲子が見るマウントディスプレイ内の映像が素通しになった。今あいつの精神波と渾然一体となったと感じた。その寸刻の後、その中で水色の十字と三つの頂点がしゅっと回転して一点で収束したのを感じた。いや視たと言っておく。
「てぇぇ――っ!」
俺の腕の筋肉が無意識に反応した。玲子がトリガーを叩く瞬間とピッタリのタイミングだった。
ドンと言う鈍い音を出してパワーブースト付きの高エネルギーシードと、蒼光のフォトンビームが銀龍から放たれた。さらに反動で機体が後退するのを機長が阻止し、こっちも宣言どおり、同期した動きで船はピクリとも動かなかった。
シードとビームが融合し、青白い流線型の火の球と化したエネルギーの塊が進行を妨げようと群がるエリプスの海を突き抜けて行く。
「すげぇぇ!」
奇跡は確実に俺たちの目の前で起きていた。
空間をえぐって突き進むエネルギーの光球。その先端が阻止しようと現れたエリプス艦に触れることは無く、すべてがその寸前に蒸発していく。あたかもネブラ本体までの道先案内をするかのように、あるいは抗うモノすべてを排除するかのように蒸発発散して消えて行くのだ。
『あり得ません。シードのプラズマ輝線の先端で原子核の崩壊が起きています』
そうさ。タマ、説明は不要だぜ。エルが助けてくれているんだ。こんなことができるのは宇宙広しと言えどもエルだけだ。
《その武器の詳細ヲ述べヨ!》
ネブラだった。無機質な声だが、あきらかに焦りに満ちた気配で満載だった。それに向かって俺は力いっぱい叫ぶ。
「知るか! ネブラ、死にやがれ!」
「エルーっ! ありがとう!」
最後は玲子の叫び声で綴られた。
新型粒子加速銃から撃ち出された高エネルギーシードとフォトンレーザーの融合したプラズマの光球は、覆そうとして次々現れる障壁に触れることなく空間を貫き、奥深くに潜んでいたネブラの重力制御システムの中心を正確にぶち抜いた。
瞬間の静寂、そして続いて起こる爆発。それはこれまで見てきた破壊シーンとはまるで異なっていた。
猛烈なエネルギーを外部に噴き出し、何もかもをぶちまけて木っ端微塵に吹き飛ばすのではなく、構造維持を司るタガが外れたのだ。全ての物体が一点に向かって、凄絶な速度で沈んで行く。だがしかしネブラの膨大な規模から比較すると、それはまるで針の穴だ。そこへと向かってすべてのモノが吸い込まれていったのだ。
いびつではあったが、一光年ほどに膨れ上がる広大な物体がくちゃくちゃと丸められていく姿は到底信じられない光景で目が離されない。
《ゲッダッハゥヌ……》
ザグルが放した驚きを意味するザリオン語が心地よく耳に渡って来た。
「さすがやな。玲子と裕輔の息はぴったりやったで」
溜め息混じりで絶賛する社長に俺は苦笑いを返すしかなかった。俺は単に玲子の気のパワーに引き摺られただけなのだ。
「それが同期したちゅうことや。つまりやな……」
社長は笑いながら俺と玲子の肩をパンパンと叩き、
「玲子の気を感じるほど、あれやっちゅうことや」
「あれってなんだよ?」
「このニブちんめ。アホやなこいつ」
何が言いたいんだ、このおハゲちゃん。
誰もがこれで終わったと弛緩した空気が流れ始めたその中で、
「だめです! ギンリュウを下がらせて! ザリオンの人たちにも全員退去を命じてください!」
突然ニールの絶叫が引き裂いた。
「な、なんでや。ネブラは崩壊したデ?」
反転する気配を感じとり、焦りを露にした社長へ、ニールが血相を変えて言い叫ぶ。
「斥力の跳ね返りが来ます。急いで!」
奴の慌てようは異様だった。さすがに社長も驚いて通信機に飛び込んだ。
「特殊危険課本部からの通達や! ここにおるザリオン艦船は直に退去。衝撃波が来るデ。すぐに全艦離脱!」
「ユウスケさんは慣性ダンプナー最大!」
後退が始まる。崩壊へと突き進むネブラが加速的に凝縮していった、次の瞬間。
「なんやっ!?」
ほぼ点にしか見えなくなるほど収縮した白い物体がもの凄まじい光を放出した。
「レイコさんビューワーを切ってカメラ格納。シロタマさん銀龍をシールドで包んで!」
何が起ころうとしているのか、困惑の海で揉まれていたら、いきなり床が俺の頬を激しく圧し付けた。
何で床が俺の頬を叩く?
その疑問はまったくの逆だった。頬のほうから床に張り付いたのだ。俺の意思に逆らってな。
「痛ってぇぇぇ! 何だ? なんだよ!」
意味不明だった。まさかこの期に及んで玲子から床ドンを受けたのかと思ったが、そこまでこいつはバカじゃない。
「ぐぇぇぇぇ!」
頬を叩いた床がさらに俺を締め付けてきて、顎の骨がギシギシ鳴った。
何度か世界が廻った後、強烈な光が銀龍内を貫いて通り、そして訪れる今度はあり得ない静寂。
どれぐらいの時間が経ったのか……。
『ニュートリノ放射が収まりました』
と告げた報告モードの冷然とした声で我に返った。
「な、なんやったんや今の?」
ごそごそと起きる社長の声は震えてはいたが、無事なようだ。
「びっくりよー」
「んだ……」
とりあえず全員が自分の持ち場に戻った。
シロタマは俺たちの行動を見守るように一巡してから、
『今のニュートリノ放射は、爆縮による圧力を中性子の斥力によって反射させられた衝撃波です』
「ネブラはどうなったの? ねえシロタマ?」
『消滅しました』
「やったぁー。エルのおかげよ!」
「エルちゃんが手を貸してくれたんダすよ!」
「お前の言ったように、これはとっておきのプレゼントだったよ、エル。感謝する! ありがとう」
それぞれに同じ言葉繰り返すクルーに戸惑いを隠せないのはニールだ。
「みなさんは何を騒いでるんですか? エルってあの時間剥離症候群だった薄幸の少女でしょ、お気の毒だとは思いますけど、何でここに出てくるんですか? それよりもシロタマさんが叫んだ原子核の崩壊ってなんですか? なぜあれだけのエリプス艦を高エネルギーシードが突き破れたのですか?」
「ぎょうさん質問しなはったな。あんな。ひと言で説明するとな。宇宙は謎に満ちとんのんや」
「あー、俺のセリフ」
俺は社長に指をさし、ニールは腕を組んで固まる。
「一体何が起きたんだろ?」
「へへ。悩みやがれ。エルの特殊能力はお前らには計り知れないんだ。なんでもかんでも知ったかぶりをする未来人には教えてやんねえ」
ほくそ笑む俺の前でスクリーンが明るくなり、
《ゲイツ艦長。無事か?》
バジル提督の末裔だった。
「何とか持ちこたえましたで……」
ハゲオヤジは嬉しそうにバジルに手を振って見せ。
《そうか。それならよかった。ボロ舟だったから吹き飛んだかと思ったぜ》
「よう言いまっせ。おまはんらかて一目散やったやないかい」
《がははは。お前の命令に従っただけだ。特殊危険課の本部となると、オレたちの上司に当たるのだからな》
「従順なザリオンや。世の中変わりましたんやな」
《がははは。何とでも言いやがれ。さて、オレたちはネブラ破壊のニュースを持って故郷へ帰る。よければお前らも寄ってってくれ。歓迎するぜ。あのネブラを倒したんだ。英雄じゃないか》
「何言ってんの。みんなでやっつけたのよ。特殊危険課、全員の功績なのよ。自慢しなさい。報酬は無いけどね」
《報酬はいらん。ダイヤで懲りた。あんな量のダイヤを寄こしやがって、持て余した俺の一族は庭石として使ったんだぞ》
《うははは。お前ん家はまだいいほうだぜ。オレっちは細かく砕いてガキの砂場を作ったぜ。ダイヤモンドの砂だぜ。いくら盛ったって山になんねぇんだ。ガキが遊ばなくてよー。いつの間にか飼い猫の便所になっちまった》
どはぁ……。ダイヤモンドに対する冒とくだぞ。価値が下がるにしてもそこまでひどいとは。
《ヴォルティ・レイコ。今度はどの時代へ飛ぶんだ?》
「さぁね。まだ決まってないわ。ザグル」
《そうか。実は一つだけ頼みたいことがある……》
「いいわよ。今回は無報酬だしね。で、なに?」
《もしガナ爺さんと出会ったら謝っといてくれ。大切にしていた一族の宝だったブラッドワインを全部飲んだのは、あんたの孫だとな》
「いつの話?」
《オレが5才の時だ》
「5才でボトル空けてんのか。さすがザグルの子孫だな」
《ボトルじゃねえ。樽だ!》
「ば……化けもんめ」
《がはは。ザリオンのガキならそんなもんだ》
《ザグル、それぐらいにしておけ。そろそろ仕事に戻るぞ。Mクラスの太陽に沈んだ貨物船の引き揚げ作業中だろ。早く向かわないと熔け出すから、ここらで失礼する》
スクリーンが細かく分断され、全員が整列した。
《特殊危険課のますますの繁栄を願って……ゲルダザッグ! そして……》
聞き覚えのあるザリオン語をそれぞれに発し、そのでかい胸を張った。
《ヴォルティ・レイコ。また会おう……ダッフ!》
《《ダッフっ!》》
たしか『ゲルダザッグ』は、感謝、感激を意味し、最後のは忠誠を誓う言葉だったと思う。
いつものように愛想もそっけもなく通信が切られたが、司令室は充実感があふれるゆったりとした空気に満ちていた。
ネブラが崩壊したのは確実なのだ。何にしろその場所には輝く星が一つぽっかりと浮かんでいる。500兆のデバッガーを一点に圧し縮めた中性子星の誕生だ。
「たぶん議会は大騒ぎやろな。どないする? 寄って行きまっか?」
「やめておいたほうがいいぜ。あいつらメンドクサイもん。それにビールも飲めねえぜ。管理者は全員が下戸なんだ」
「つまらん星やな。ほなワシらだけで乾杯でもしよか」
「優衣が帰って来たら、すぐに元の時代へ戻ってもらって、アカネと一緒に騒ぎましょうよ」
「オラはビール掛けしたいダ」
「優勝記念パーティじゃないんだぜ」
「アホ! そんなもったいないことできまっかいな」
「ちょっと。優衣はいつ帰ってくるのさ、裕輔」
「攻撃終了に合わせて時間を飛んで来るって言ってたんだけどな」
「少し遅れてるのかな。まあ優衣のことだから大丈夫だと思うどさ。それよりコイツどうする?」
玲子が顎をしゃくって示すスクリーンの真ん前。
ネブラ消滅に我を失くして固まったままのニールがいた。
「おい、ニール。終わったぞ」
だが返事がない。妙な空気が流れていた。人の気配が消えていたのだ。
そこへ虹色の光が空間に広がった。
「ほら。ユイとカエデのご帰還だ」
だと思ったのだが。
「ニール。例外処理で停止するとは情けないな。そんなオマエに作ったつもりはないのに」
現れたのは優衣ではない。
「ぬぁ――っ!」
目前で展開するあり得ない現象を目の当たりにして、俺は石化した。




