捨て駒
カエデはマントの脇から白い腕を上げて叫んだ。
「すぐにこの二人を捕らえなさい!!」
「なっ! なんだお前、汚ねえぞ、コラ!」
「なんだ、ではありません。情報さえ貰ったらお終いでしょ」
「卑怯だぞ! 今度はそっちが約束を守れ!」
「これが答えです。従ってもらいます」
つんとそっぽを向くカエデ。
開いた口が塞がらんぞ。このヤロー。
「カエデさん。あなたはネブラの中枢なんかじゃありません。単に操られた存在です。気が付かないのですか?」
突き上げられたカエデの腕が、やにわに下ろされた。
「何をです?」
視線だけが優衣を彷徨い、そして俺にも何か言いたげな気配を漂わせた。
「お前は何度も機能停止してんだ。今だってけっこう長い時間止まってたんだぞ」
「どれぐらいの時間ですか?」
「ああ、1分ほどだ」
「それは異なことを? それだけの時間、機能停止すればカーネルで認識できます。人間だってそうでしょ。意識が飛べばそれなりに違和感があるはずです」
「それはカーネルが自立していないからです」
と言い切る優衣へ食って掛かるカエデ。
「何を言うの! 自立しているのに決まってます。それが証拠に……」
《交渉ハ無意味ダ。新たな情報ヲ提供シロ》
カエデは拳を握ったまま目をつむってホールトしていた。
優衣はその手を取り、拳の隙間に自分の指先を突っ込ませた。
《インターフェースに接触ヲ試みてモ無駄ダ。ただちに生体解剖室へ連行スル。従ウのだ》
「そんな恐ろしげな場所には行く気はねえし、お前ら卑怯だぞ。約束が違うだろ。こっちの要求を呑めよ」
ネブラから返事は無く、代わりにカエデが目覚める。
「何を言っても無駄です。我々は人の命令など聞きません。そんなことよりユイさん、ワタシに何をなさったの?」
指を離した優衣の素振りに、カエデは怪訝な眼差しを送り、優衣はそれへと平淡に答える。
「あなたを診断させてもらいました」
「診断?」
「カエデさんはネブラのシステムからDMA(Direct Memory Access)接続されて、都合のいいように弄ばれているだけです」
「まさか……そんなはずありません。ネブラを操っているのはこのワタシなのですよ。このあいだも自己診断したばかり。もちろん異常無しですわ」
「アドレス3ADE・35C6のアイオー空間をスーパーバイザーモードで覗いてみてください。自分の物とはあきらかに異なるデバイスを見つけることができます」
「スーパーバイザーで?」
「はい、ノーマルモードでは見えない工夫が施されています」
「まさか……」
次の間、カエデはホールトしてネブラと入れ替わった。
《入れ知恵をシテも無駄ダ。現時点ヲモッテ、対ヒューマノイドインターフェースヲ切断し、破棄スル》
同時にカエデの瞼がゆるやかに上がり、そこへ待機していたデバッガーが数体、俺たちを取り囲んだ。
その行為をキッと険しい目で睥睨するカエデ。
「下がりなさい。下がるのです!」
だが連中は命令を無視。じりっと包囲の輪を縮めた。
「ワタシの命令が聞けないの! 下がりなさい!!」
叫び声に近い金切り声だった。
「カエデさん。無理です。たった今、あなたはネブラから外されました」
「違います。これはただの機能不全です。一部のシステムが暴走しただけだわ」
「そこまで言うのなら、こいつらを止めてみろよ」
いきなり俺を襲おうとしてきたデバッガーが方向を変えてカエデを標的にした。3メートル近い体躯が小さな少女の前で仁王立ちする。
「下がるのです!」
デバッガーは無言だった。スローモーションみたいな動きで、振り払うようにしてカエデを横に薙いだ。
「きゃっ!」
大きな音を上げて通路を数バウンドして壁に激突。
「大丈夫かっ!」
そのショックはもの凄まじいもので、叫ばずにはいられない。
「ふんっ!」
鼻息一つの返事。無用な心配だったことを思い出した。
管理者製のアンドロイドは人の数百倍は頑丈なのだ。あの茜でさえ、ザリオンが放った手榴弾の爆発を体で受け止めたって平然として立ち上がったのだ。
「これは何らかの機能不全です。たぶん顔認証処理のダイナミックリンクが不具合を起こしてワタシが見えないだけです」
パタパタと乱れた衣服の裾を叩きながら、言い訳じみた言葉を並べたくるカエデ。
「まだそんなことを言ってるのか! さっきはっきりと、お前を切り離すって言ってたんだぞ」
俺の言葉を信用する気配は無いが、ショックは大きかったようで、カエデは怒りで眉を吊り上げて奥歯をぎりっと噛みしめた。
「……まったくもって汚らわしい。機能不全を起こしてワタシに手を出すとは侮辱そのものです。故障した部分を破壊して再構築する必要がありますわ」
「おー。初めて意見が一致したじゃないか」
カエデは忌々しげに俺を見た。
「一致などしてません! 不具合を起こした部分を破壊すると言っただけです」
「この際だ。全部ぶっ潰そうぜ。手を貸すぜ」
「バカなこと言わないで。ネブラがどれだけ巨大なのか、まだ理解していないのですか? あなたの力で全崩壊などできません」
「だからお前にも手伝ってもらってだな……」
カエデは力強く俺の言葉を遮る。
「黙りなさい! ネブラはワタシのかわいい僕なのです。誰が……」
両腕を振り上げて今にも襲いかからんとするデバッガーを睨みつけ黙りこけた。
「ほら、よく見てみろ。お前にも敵意むき出しだぜ」
カエデは怖い顔をして、マントの端っこを力強く握り締めていた。
「どうした?」
「嘘か真か……ネブラのシステムと再接続を試みてみます」
「やってみろよ」
悔しげに唇を噛んでいたが、カエデは半歩足を開いて目をつむった。
少しして、
「だめです。まったく静かなものです」
柔らかそうな頬をたゆませた面立ちが、ひどく青ざめていた。
「そういうことだ。もうネブラから切り離された。お前は捨てられたんだよ」
「そんなバカな。信じられません。ただ黙しているにすぎません」
何の前触れもなくデバッガーの太い腕がぐいっと伸びてきた。
俺は咄嗟に避けたが、狙いは俺ではなくカエデだった。そいつは無抵抗のカエデを鷲づかみにし、ぐいっと持ち上げてフロアーの表面に叩き落とそうとした。
「カエデさん!」
優衣がデバッガーの首の後ろへ飛びつき、ぼんの窪に細い指を突っ込んだ。
「えいっ!」
気合と共に何らかの部品を抜き取った。
バババ、バリ、バリ、バリ。
首元から大きな音とスパークを散らしながらデバッガーがカエデを手放し、苦しげに体を反らして首筋をまさぐるが、もう手遅れさ。すぐにダランと左右に腕が落ち、ほぼ同時にスキャンエミッターの赤い光が途絶えて両足からフロアーへ崩れた。
愕然とするカエデに歩み寄る。
「今のは確実にお前を狙って来たろ。どうだ、自分が襲われた気分は?」
カエデは大の字にぶっ倒れて首筋から火花を散らすデバッガーを信じられない様子で見つめていた。
「ワタシは操られていたの?」
「ああ。そうだ。やっと気づいたか? これから本気でお前を破壊しに来るぞ」
「ウソでしょ?」
よほどのショックを受けたのだろう。その場で膝を突き、憎々しげに自分の膝頭へ尋ねる。
「ワタシはこの450年間、何をしていたの?」
その気持ちは痛いほどわかる。これまでネブラの中心に立ち、連中を自由に牛耳っていたのだ。だけどそれは虚像に過ぎなかった。
「自ら頂点に登りつめたのではなく、担ぎ上げられていただけだったのですか……」
だがのんびり悔恨などする時間は無い。連中の攻撃は止まないのだ。デバッガーのスキャンビームが床を這ってすぐそこまで迫っていた。
「ユウスケさん。気を」
優衣は急いで自分で漏らした言葉を飲み込み、横っ飛びをしてデバッガーから逃れた俺に丸い目をして見せた。
「ほらみろ! だから言ったろう。合い言葉が単純すぎるって。いいか、まだそれを使う場面じゃないからな、死んでも使うなよ!」
優衣は丸い目をしてコクコクと首を前後に振る。
「分かりました。ユウスケさんも逃げてくださいね」
ああ、逃げるさ。カエデが立ち直るまではそれしか術がないからな。だけど逃げていても優衣の手助けにはならない。
鋼鉄を溶かす熱射にも耐え、宇宙空間の絶対零度寸前の低温にも機能停止を起こさず、隕石の速度で地表に落ちても平然と立ち上がる、驚異のアンドロイド、デバッガー様だぜ。素手の俺に何ができるってんだ。せめて玲子のハンドキャノンでも待たせてくれよ。
「ウッヒャー! 怖ぇぇぇ」
我が身を握りつぶそうと差し出してくるデバッガーのでっかい手から逃れるだけで精一杯だ。
この部屋にはあと4体のデバッガーが残っていたが、それを優衣一人ではこなしきれないかもしれない。
「せぇいっ!」
逃げ惑う俺を襲った一体を足払いにし、背後に回って飛びついた。動きはまさに玲子そのものだ。
だけど首の後ろへ手を回そうとするのを振り飛ばされ、部屋の奥で背中を強打した。
「平気か優衣!?」
こいつがアンドロイドでよかったと本気で思った。ダメージは無く、にこりと微笑んで立ち上がる姿にホッとする。
「首の後ろにパワーコンジットの接続アダプターがあります。ここが連中の弱点です。カエデさんも手伝って!」
カエデはそれでも身動き一つしない。ただひたすら黙考に沈んだ目で床を睨みつけていた。
「カエデ、考え込むな。時間が無い。俺たちに協力してくれるだけでいい……わぁお、優衣よそ見するな! 後ろから来るぞ!」
だいぶ経ってようやく顔だけをもたげたカエデは、静かに首を振った。
「今はまだこの部屋だけですが、異常事態となれば何万と言うデバッガーが動き出します……ストックは無尽蔵ですからね」
「構わない。こっちには考えがある」
カエデの表情は冷めたままだ。小さなロウソクの炎でさえ消せそうにない弱々しい吐息と共に言う。
「ワタシが手伝ったとしてもあまりに巨大……とっても無理」
襲いかかるデバッガーから逃げようともせずに、そいつの首っ玉に飛びつく優衣をぼんやり眺めるだけだ。
気力を無くしたカエデに言ってやる。
「俺たちはそれを成し得る策を持ってんだ。仰天の作戦だぜ」
「作戦……?」
いつもの高圧的な目は消えており、自信無さげな潤んだ瞳がこっちを向いた。
「そうさ。言ったろ。全破壊するのさ。俺はウソを言わんぜ」
「またジョークですか? 笑えませんよ」
部屋に並んでいた大きな装置を片っ端からひっくり返しながら、そして蒸気を吹き出すダクトを振り回して襲い来るデバッガーの足止めをしつつ、中央でうずくまるカエデにもう一度言う。
「ほんき、本気。実を言うとな、俺たちはネブラをぶっ潰すノウハウを知ってんだ」
「ウソばっかり……」
口の端にわずかな笑みを浮かべて、デバッガーから逃げ回る俺の動きを目で追うカエデの表情はまだ疑っていた。
「その前にやることが二つある。頼みを聞いてくれるか?」
「聞いてからです」
「お前まだ迷ってんのかよ!」
漆黒の瞳が俺を見つめていた。
「まず、次元シールドを止めてほしい」
「そんなことしても、たいして効果はありませんよ。ネブラの攻撃力はとんでもなく絶大なのです」
「通常空間で対等に戦うには、この時間流の差がジャマなんだ」
こくんと首を落とし、
「もう一つは?」
「お前、重力制御システムのある場所を知ってっか?」
「当たり前でしょ。ワタシはここに450年いたのですよ。巨大化するネブラが宇宙に散るのを防ぎ、かつ時間の流れをコントロールする。マイクロブラックホールリアクターはワタシの設計です」
「だったら話は簡単だ。その場所を教えてくれ」
カエデの視線が凍りついた。じっと俺を睨んで問う。
「本気で言ってるのですか?」
さらに顔から血の気が引く。すげえな管理者製のアンドロイド。顔色がまるでリアルだぜ。
「無理です。次元シールドはともかく、重力制御はネブラの最重要施設です。それを守るためにたくさんのデバッガーが常に包囲しています」
「何度も言ってるだろ。俺たちはネブラを破壊しに来た。それから行き掛けの駄賃にお前を救い出してやる」
「救う? このワタシをですか? なぜ救われなければならないのです」
「ここが無くなったら行くとこねえだろ。銀龍へ来い。アカネもいるぜ」
「あなたごときに無理です」
「このヤロウ。バカにすんな! それならお前はどうだ。さっきまでの勢いはどうした。お前は神様じゃなかったのか! 頭の上に群がるのはハエでも嫌なんだろ? あー? どうだ何か言え!」
「お願いカエデさん。ワタシたちに手を貸して。ここでネブラを潰せばすべてが終わるの」
「あそうだ。お前が神であることをこいつらに見せ示してやれ! 神様がこんなロボット野郎にひねり潰されていいのか。惨めなもんだぜ」
「惨め……?」
「ああ。恥だ。Gシリーズは宇宙で一人しかいないことを思い出せ。それに比べてこいつらはゴキブリだ。何億、いや何百兆といるんだ。こんな奴らをのさばらせておくな!」
扉が開き、次から次へと現れるデバッガーを排撃する優衣を力の抜けた視線で据え置いていたカエデの目が、みるまに正気を戻し始めた。
「それだけは許しません。ワタシの上に立つことは絶対にあり得ないのです!」
バッ!
カエデはマントを力強く剥ぎ取った。飛びかかって来たデバッガーの頭からそれを被せ、鳥のように舞って背後に回ると、首筋からパワーコンジットアダプタを引き抜いた。デバッガーは2回ほどその場で回転、腰が砕けた酔っ払いみたいにして崩れた。
威厳に満ちた光を瞳の奥に取り戻して、フレアースカートを翻したカエデが直立する。
「作戦とは? ノウハウとは? どんな計画なんですか?」
決然と俺に尋ね、俺は言ってやる。
「ネブラ全体を同時に機能停止させる!」
「ばっ!」
カエデは可愛らしい口をぽっかりと開け、俺の目の中を覗き見てから言い直す。
「バカな! あり得ません」
「それがあり得るんだ」
驚きに揺れた眼差しで瞳を丸めるカエデ。
「優衣。どうだ? カエデは信用できるのか」
「ワタシは信用します」
俺は迷いまくっていた。
もともとカエデはネブラの駒として俺たちの前に現れたのだ。しかも今回は完全にネブラと融合した形で。
「こんな危機的状況で何をウダウダ考えているのです?」
「お前を信じていいものかどうか悩んでんだよ!」
「ふん。助かりたいのなら信じなさい。ワタシは嘘など言いません」
「うはははは。今のは最高のジョークだぜ」
カエデは深々とした黒い目でキョトンとした。
これまで散々騙し続け、最後には俺たちを殺そうとまでしたカエデを信じるのか。そんなのはバカのすることだろ?
だが半面、これほどにまで毅然とした態度でネブラを敵視したカエデを見るのも初めてだ。
自分を神と称するカエデにとって、その上に立とうとするネブラを許さないと言い切ったのは本心かも知れない。
どーする。
後は直感だ。澄んだ瞳ではっきりと言った言葉に嘘は無いだろう。
「よし。信じてやる。お前のその綺麗な目玉にな」
ガバッと優衣へ向き直り叫ぶ。
「起動だ。ロジカルワームを発動!」
優衣は力強くうなずき、天井を破る大声で叫んだ。
「ユウスケさん。気を付けて!」
「なんです、それ?」
カエデは俺に向かって眉根を寄せた。
そりゃ変だろな。今それを叫ぶべき状況じゃないものな。
俺も言い訳めいたことを言う。
「これな……合い言葉なんだ。変だろ?」
「合い言葉?」
「ああ。シロタマが決めたんだ。恥ずいだろ?」
「意味が解りま……あ!?」
戸惑うカエデの周囲が静かに凍りついていた。
俺たちを取り囲んでいたデバッガーが寸刻前の体勢のまま停止していたからだ。
「止まった」
しんと静まり返ったホールを溜め息みたいな優衣の声が響く中、いきなりその空気を切り裂く悲鳴が上がった。
「きゃぁぁぁ――っ!」




