妖魔復活
バシュュ――――ッ!
噴き昇る蒸気の中で傲然と立ちはだかったのは、まぎれもない管理者の宇宙船と一緒に自爆したカエデだった。
胸部を異様に強調させたノースリーブハイネックのニットトップに膝までのフレアスカートを着込み、その上から羽織った真っ赤なマントを水蒸気にバタバタとなびかせていた。
「か……カエデさん」
場違いな服装に息を飲む優衣へ、カエデは音も無く歩み寄り、
「破壊されたはずのワタシがここに立っているのが、そんなに不思議ですか?」
ふんと尖った鼻を鳴らした。
「あのとき言ったでしょ。ワタシは不死身だと……」
赤いマントに噴き上がる蒸気をはらませて、高姿勢な態度で仁王立ちする少女。俺を憎々しげに睨み付けるその姿は茜と全く同じだが、気性は正反対。忘れもしない。
「小悪魔め……。お前がネブラのインターフェースだと言うのか?」
飛びつかんばかりに迫ろうとする俺の左右から、数体のデバッガーが現れてカエデをかばった。
カエデは平然としており、
「この二人はワタシの旧友です。下がりなさい」
ペットの子犬たちを叱るのと同じ仕草で両手を少し広げてデバッガーを制した。するとどうだ。連中は赤いレイビームを左右に振りながら素直に後ろへ下がり、スリットの中にあるスキャンエミッターの輝度を落とした。
動きを見届けたカエデは、マントを翻して優衣と対面する。
「自爆のコンマ1秒前にお前は私から離れたであろう。甘く見ていた証拠だ。ネブラはその後、爆発のコンマゼロ2秒前に私を回収した」
「無理です。歴史のジャンクションに限りなく近づくことは大きな反発力を買うはずです」
「それを強行したわけだ、ユイ。だからこのような身体になった」
マントを払い、カエデは両手両足を広げて色の違う腕と脚を見せた。
「まさかあなたがネブラ側についていたとは、あの時は考えもしませんでした。でもその事実を議会から知らされて、いつかは再会するだろうとは思っていましたが……そんな姿になっているとは……」
「蔑むな、ユイっ! 私の半身が砕けたのは自爆寸前の刹那の時間流から引き剥がすために起きた事故だ。だがこうして再生できた。これは名誉の傷なのだ」
俺は派手な衣装を指差した。
「それにしたってお前、ファッショナブルじゃないか。ガイノイドスーツはやめたのか? 茜のことを散々こけ下ろしていたくせに」
カエデはそんな俺を珍しい物でも見るような目をして言う。
「あなた、いつの話をしているのです。あれから450年経ったのですよ。その間に異星人文化を知る機会も色々ありましたからね。いろいろ……と」
遠くに思考を馳せる間が空いて、カエデは別の人格を出した。
「でもさぁ……ほらこうして3人で集まったんだから思い出話でもしない?」
「しない。俺は悪夢でしかない。それよりお前は本当にあのカエデなのか? あの爆発で無事だったとは、まだ信じられねえんだ」
カエデはふと顔を曇らせ、
「過去のコトを今さら蒸し返す気は無いわ。もうどうでもいいもの」
再び明るい表情に戻し、
「どう? 見てよユイ。すごいでしょ。これがアタシのユートピアよ」
部屋の隅でずらっとかしこまって並んだデバッガーたちへ自慢げに手を広げ、さらにとんでもないことを言いやがった。
「ここまで育てるのに苦労したんだから」
そのセリフは俺を惑わした。めまいが襲うほどに混乱させられた。
450年掛けてネブラを育てたのはカエデなのか。ならあの時本当に船と一緒に破壊していたら、俺はここに来る必要はなかったのだろうか?
んなバカな……。
「ネブラのクイーンは自分だと言いたいのか?」
カエデは体を旋回させて俺と向き合うと、声音に凄みを利かせ体の色を激しく変化させた。
「当然だろ。あのダルマ人形とも言える貧弱なロボットが、銀河を支配するまで巨大化するわけが無かろう」
奴は俺が抱く懸念を嘲笑するかのように赤黒い斑点を皮膚一面に広げたのだ。そうカエデ特有の現象は健在で、その姿はまさに夢魔だ。おぞましい姿に身が震えた。
吐息で曇らせたガラス窓が元に戻るみたいに、短い時間で頬の色みが元の白に変わり、
「それにしたって、ユイ。久しぶりねー。元気だった? ね、ね、再会を祝ってお茶でもしない?」
切り替わりの早さも元のままだ。まるでクラスメイトに話し掛ける口調で優衣に駆け寄り、彼女の両手を握りしめた。
だが優衣は何も言わずミドリムシの生態でも観察するような目で見つめるだけだ。
カエデは優衣の冷たい態度など気にもせず、
「ほらぁ。ユウスケさんも一緒に。ね?」
幼さの残った少女が小首を傾けたみたいな仕草。裏の形相を知っているだけに背筋が粟立つ気分だ。
「こんな湿気の多いところでお茶などしたくないな。それよりネブラ流の対ヒューマノイドインターフェースって何だ?」
再び息を吐き、見下した態度に戻る。
「あなたの頭の悪さにはあきれてものが言えません」
何重人格なんだこいつ。
「うっせーな。いちいち口に出して言うな」
「インターフェースはマシンと人間とのあいだに入って仕事をするからインターフェースです。お解り?」
「俺だってお荷物だとは言われて久しいが、これでも開発課の人間だ。それぐらいの基本は知っている。だからと言って500兆のデバッガーを従えるネブラのあいだに入るって、ちょっと逸脱してんだろ」
カエデはマントを拡げると、すべらかな曲線をしたボディを自慢げに見せ、
「必要に応じてこのように切り離されますが、普段はさっきみたいにネブラの中核に取り込まれてますの」
背後に並ぶ装置へ振り返り、手を差し伸べた。
そして言う。
「で、今日は何の御用件で?」
俺たちに向き直り、さらりと言い放す不可解な言葉に首を捻る。
人格だけでなく記憶も切り替わるのだろうか。さっきまでの会話はどうなったんだ。聞いて無かったのか?
不快な気分に文句の一つも言ってやろうとする俺の前に優衣が出た。「落ち着いて」と、たしなめる雰囲気を俺に滲ませつつ、平然と話を進めていく。
「今日は和平協定のご相談に伺いました」
「ウソおっしゃい」
奴は即答で切り捨てた。
「ウソなもんか。俺たちはネブラに連行されて来たんだぞ」
「本当ですよ、カエデさん」
「さっき貢物を持ってとか会話したのを忘れたのかよ?」
訝しげな目でこっちを眺める様子は、本気で知らないようだ。
この態度が真実だとしたらカエデとネブラは隔離されている。いや、それ以上にひどい、操られているだけなのかもしれない。つまり体のいい駒なんだ。
「俺たちはネブラに新たなテクノロジを進呈する代わりに、この銀河を立ち去ってもらいたいんだ」
何度目の力の抜けた溜め息だろう。カエデは大袈裟に呼気を吐くと、
「やはりバカの考えることはバカバカしい話へと向かうようですわね」
バカバカうるせえな。
「じゃあ、その条件をネブラが承諾してここを引きあげたとしましょう。ですが別の銀河へ行きますよ。今度はそっちへ行って頭を下げるつもりなんですか?」
「うっせぇっ!!」
堪え切れない激憤に駆り立てられて俺は怒鳴った。
「ゆ、ユウスケさん。冷静に!」
優衣に制されて急いで深呼吸する。これではいつもの玲子だ。
「ここでのカエデさんはどのよう立場なんですか?」
「何度言わせたらいいの。頂点に決まってるでしょ。ワタシは神なのよ」
優衣は変わらず平然平淡としており、カエデも冷静だった。
「すごいですね。でもこんなに大勢の信者を持って毎日大変でしょう?」
「そうでもないわ。ただこの人たちはヒューマノイドとコミュニケーションがうまくとれないらしく、その役をワタシが務めるの。つまりネブラと生命体の間に入る、対ヒューマノイドインターフェースというわけなの」
さすが優衣だ。うまくカエデの心に入って行く。何を言われても動じず、確実に情報を引き出す。たいしたもんだ。
俺は嘆息と共に優衣の横顔を眺めて自省する。
しかし状況が忽然と変化した。
うつろな目で天井を見上げてカエデの動きが停止。続いて空間を震わす強い波動音があたりに響き渡った。
《先ほどカラ続く無意味ナ会話は無駄ダ。早急に時間芸術の説明を求メル》
その声は銀龍の側壁を直接震わせて語ってきたのと同じ重低音だった。
ようするにこれがネブラだ。カエデが次々と人格を変えてくれるおかげで、話が進展せず痺れを切らして直接語り出したのだ。
「カエデの意思は尊重しねえのかよ?」
音の聞こえる天井付近に向かって問う。
《対ヒューマノイドインターフェースに意思ナド無意味ダ。時間芸術トハ何か? 説明を始メロ》
駒として扱われるカエデが可哀想だ。あの子は真剣に自分の桃源郷を見つけたと思っているのに……。
「音楽の三大要素はご存知ですか?」
優衣は静止したカエデに悲哀に揺れる眼差しを当て、声音は宙に向けた。
《我々はネブラだ。無意味なモノはインプリメントしていない》
「とか言ってるクセに、管理者の手から離れたガイノイドを未練たらしく利用してるじゃねえか」
《そのアンドロイドは我々ネブラの意識ヲ具現化したモノ。お前タチの世界でも似たモノヲ見てキタ。居酒屋のユルキラや映像ノ中にも大勢イタ》
「アイドルですか?」
「カエデがアイドル? 悪趣味だねえ、お前ら」
《カエデとハ何カ?》
「お前らが手足に使ってるガイノイドに付けられた固有の名称だ」
《我々には固有ト言ウ分類はナイ。それは対ヒューマノイドインターフェースでしかナイ。ネブラの一部》
「そんな扱いしてると、いつか謀反を起こされっぞ。ま、俺は関係ねえけどな」
《無意味ナ会話ハ直ちに停止シロ。9万4130ミリ秒の無駄が生ジてイル》
「94秒ぐらいなんだ。ケチらハゲと同じこと言うな」
《ケチラハゲとハ何カ?》
どうやらネブラは底知れ無い好奇心があるようだ。幼児のそれと同じだな。何もかも興味の対象になるわけだ。これはいい時間稼ぎができるかもしれない。
「分かった。お前らの要求をすべて飲んでやる。だから銀龍と連絡させてくれ。そうでないと、あっちにいる宇宙の帝王に小言を言われるんだよ」
《宇宙の王とはネブラのコトダ。他には存在シナイ》
「ああ。ところがな、こっちにも一匹いてんだぜ。そりゃすげえ奴でさ。煮ても焼いても食えねえんだぜ」
《帝王トは国家の支配者ダ。それを栄養補給ノ対象にスルノカ?》
「あー。そうか。お前らジョークの表現ができないんだよな。そっかー。だとしたらこっちの帝王のほうが上だぜ。何しろブラックジョークの塊だ。あはは、うまい。まさに固まってんだぜ。球状にな」
《ジョークとは何ダ? オマエとのコミュニケーションには無駄が多スギル。無意味な会話は削除シロ》
「話が固いヤツはモテねえんだぜ。もっとフランクに語り合おうぜ」
「――黙りなさい!」
カエデが再起動され、無理やり中断させられた。
「くだらない会話をして時間稼ぎをしようとするのは見え見えです。さっさと説明を始めなさい」
くそっ。カエデが相手になると一筋縄ではいかなくなる。どうにもこいつは苦手だ。理路整然と詰んでくる口調はインターフェースには持ってこいの人選かもしれないな。
ひとまず、「ばーか」と切り出しておいて、
「お前らがいきなり俺と優衣をここに呼び出すからこうなっちまったんじゃないか。シロタマと話しをさせてくれ。あいつと優衣とでないと説明ができない」
再びカエデの首がほぼ直角に曲がり、焦点を失った目が閉じた。
《許可ヲ出ス……》




