ニールの弱点
「ええか、よう聞きなはれや。ワシらはMSKプロトコルを餌にして500兆のデバッガーに新しいロジカルワームの起動イベントを実装させるつもりや。ほんでタイミングを見計らって起動コードをブロードキャストさせまんのや。どや。30ミリセックもあれば全筐体に広がりますやろ。これで連中はしばらく混乱して動きが止まる。その間に弱点を探るために内部へ入るんや。ほれ、カンペキや!」
「ブロードキャストって……そんな無謀な。それより入ったあとはどうするんです?」
「30ミリセックを10万倍にしてみろよ。50分になるぜ。ゆっくりできるだろ?」
「あのですね。ユウスケさんは勘違いしています。10万倍の差があるのは外と中の話で、中に入れば30ミリセックは30ミリセックです。相対的に考えればそうなります」
「なんだよー。せっかく喜んでいたのに」
肩を落とす俺の真上から天の声が。
『ネブラがインプリメントしたMSKプロトコルにコチラから起動コードを唱えると、瞬間に無限ループに入ります。ただしネブラのカーネルも気付くと思いますが、500兆の再起動はかなり混乱すると推測されます。順に復旧したとして、最低でも1時間は掛かります』
「ようはその混乱を利用して、俺たちが何かすればいいワケだ」
その言葉に納得する俺だが、ニールはまだ食い下がる。
「何かって……何をするんです?」
「そんなもん知らんがな。それはおまはんが考えるんや」
「む……無茶な!」
「だからゆうてますやろ。ワシらは無茶をしに来たんちゃう。無理をしに来たんや。おまはんも一緒に行くんや。このまま死にたくないやろ?」
ニールの喉がゴクリと動いた。
「ムチャクチャです……」
「ねぇ……」
歩み寄る玲子。
「あたしたち仲間なんでしょ?」
ニールは一歩たじろぎ、両手のひらを振って否定する。
「いやそういう意味で言ったのではなくてですね。あ。僕のことは放っておいてください……後ろでおとなしくしていますから」
「だーめ」
まるでイタズラ猫を取り押さえるみたいな仕草で、玲子は逃げようとするニールの襟首を捕まえた。
「いやしかし……とても危険でして。もう一度考え直ませんか? それか準備ができたら、僕だけ帰してくれません?」
駄々をこねる子供みたいに拒否を続けるニールに迫る玲子。
「何言ってんのよぉ。もう仲間なんだから、一緒に……ね? いこ?」
やけに色っぽい声に転じた玲子。
このバカ……。
これまでにこの方法で落ちなかった男はいない。こいつの武器は意味不明の精神パワーだけではない。オンナを武器するときがある。単細胞の思いつきそうなことだぜ。
「さ、ミカンはこっちを見ておこうな」
「きゅら?」
俺は興味深げに見入ってるミカンの頭を捻って後ろを向けさせ、ついでに俺も背を向ける。優衣も右へならえさ。ここに茜がいなくて助かったぜ。
「ねぇー。手伝ってくれるんでしょ?」
男心がそそられそうな声が背後から伝わってくる。たぶん社長も成り行きを見てニタニタしているはずだ。
「ね。ニールさん?」
「なっ! な――っ!」
アンドロイドの権威だかどうだか知らないが、マジでこいつは本物の女性に免疫が無いらしい。
「わ――。れ、レイコさん、近すぎー。ダメ。わーー。解りましたよ。協力します」
よし、お色気作戦成功だ。
急いで振り返ると玲子は赤い舌を俺に出して見せた。
「オラ! ニール。俺たちは遅れた種族なんだ。説明は解りやすくだ。いいな?」
今度はタッチ交代。飴とムチ作戦さ。
玲子は俺の後ろに回り、俺はドスの利いた声に切り替えてニールの脇腹をグイグイ突いて迫った。
「ここで拒否れば、野菜飼育室の泥を被せて、上からジェムダの臭い水をぶっかけるぞ!」
「わぁ――っ! ちょっとユウスケさん。それって脅迫ですか」
男をいとも簡単に投げ飛ばす白い指が俺の肩に掛かり、そこから芳しい香りと一緒に首を出す玲子。
「そうよねー。仲間に脅しは無しよ。ねぇ、ニールさん? それならあたしが床ドンしてあげようか? 気持ちいいらしいわよ」
「わー。やめて――」
俺たちの息の合った攻防を気の毒そうに見つめる優衣だったが、助ける気は無いようだ。
「わかりましたって。協力します」
「おーし、玲子。作戦成功だ。おい、ニール。あとでやっぱりやめますは無しだぜ。したら天井からシロタマの電撃ショックが落ちるからな」
待ってましたとばかりに、素早い動きで天井から下りて来たシロタマ。ボディに描かれた口紅模様をくるりとニールへ回した。
「10万ボルトでシュ」
特殊危険課の連係プレイだな。
貧血寸前にまで血の気の失せた青白い顔をゆっくりと俺に見せ、ニールは今の気持ちを吐露する。
「僕は傍観者でいたかったのに……このまま行けば歴史の同伴者になっちゃう」
「同伴かどうか知らねえけど。ここにいる以上は仲間だってことだ。どうしても協力したくないんなら帰っていいぜ」
ニールはキッと俺を睨み、
「故郷の星からこんなに離れて……帰れるわけないでしょ」
「諦めなはれ、ニールはん」
「ぅ……はい」
「よし、落ちた」
首を直角に曲げて俺はシロタマにピースサイン。社長は背後に広がるスクリーンに半身を翻して言う。
「ほれ。明るい未来がほんの目の前に広がってまっせ。ネブラ内部に侵入したあとに何をしたらええか。おまはんなら何か知っとるんやろ?」
そこには六角形が寄せ集まった巨大な集合体がキラキラしていた。
ニールは表情筋をピクピクと痙攣させながら長い時間それを見つめていたが、やがてゆるゆると顔を上げた。
「……ひとつだけ案があります。重力制御システムを破壊するんです。一瞬でぺしゃんこになります」
「それでいこうや。決定やで」
ぽんと膝を打つ社長に飛びつくニール。
「ちょ、ちょ、待って。いつもそんな行き当たりばったりなんですか?」
「うーん。だいたいこんなもんよね」
玲子はさっぱりと応え、
「それが特殊危険課のすごいところダすよ」
ヲタに言われてりゃ、世話がない。
「まだ問題はありますよ。まずどうやって重力制御システムの場所を見つけるか、そして何で叩くかです。こちらには武器があるんですか?」
「パワーブースター付の粒子加速銃とバルク制御ディフェンスフィールドや」
「なっ!」
ニールは社長に目を剥いて見せた。
「それって未来の技術……」
「せや。異星文化の非干渉規約第32条違反や」
ニールは仰け反りながらパアにした手を社長へと向けてコクコクとうなずき、社長はいけしゃあしゃあと言う。
「おまはんが持ち込んだことにしなはれ。密航の罪と帳消しにしたるワ」
「そりゃいいな。お前が持ち込んだのなら異星文化じゃなくなるもんな」
「そ……そんな」
「いやなら、ここで玲子に床ドンでもしてもらうか、刑務所に行くか決めなはれ。罪状はもちろん密航罪や」
そんなのがあるのか知らないが、玲子は楽しげに指をポキポキ鳴らして迫るし、ニールは青ざめて逃げ腰の体勢だし。
切羽詰まった特殊危険課は何をやりだすか分かったもんじゃない。窮鼠猫を噛むってヤツさ。
面白いので俺も黙認さ。
肩を落とし、ニールは床で揺らぐ自分の影に向かって言う。
「だいたいここに積み込まれた粒子加速銃やフォトンビームだって、製造することを禁止した物ばかりだし」
力の無い目線を上げて優衣を見上げるので、俺も言ってやる。
「それが無けりゃ俺たちはとっくにこの世にいない。こっちは感謝してんだ。大目にみろよ」
「ストリームを越える方法を教えた挙句、非干渉規約違反の荷担までさせられ……」
ニールは溜め息を吐くとミカンに言い聞かせるように語る。
「僕はさ、ちょっと見学のつもりで来たんだ。こんなことになるのだったら、来なければよかったよ」
「きゅらりゅ、きゃーりりゅりろ」
「うはぁ……」
ニールはミカンの鳴き声を聞いて肩を落とした。
「何て言ったんだ? ミカンの奴」
「旅は道連れ……だそうです」
優衣に訊いたのだが、応えたのはニール。
「へぇ。お前、ミカン語が解るの?」
ニールは肯定とも否定ともとれない中途半端な素振りをしてこう言った。
「乗りかかった船ですよ。武器の資料は僕が持ち込んだことにしてください」
「やったぁー。ニールさんステキ!」
玲子に飛びつかれるニール。
「ちょちょっと。レイコさん、くっ付き過ぎ」
ちょっち嫉妬心も浮かべながら、俺も言う。
「ついでにグレードアップの手伝いもしてくれよ。しなきゃ。次はこいつの床ドンをお見舞いするぜ」
「わぁ――ぉ!」
跳ねるように玲子から飛び離れると、
「分かりました。なんでも協力します。だから床ドンだけはやめてください」
新型粒子加速銃より床ドンのほうが現実味があると見える。
俺も同じ気持ちだな。
「ほんでシロタマ。MSKの準備は済んでまんのか?」
『MSKプロトコルはパッケージ化してユイのスクラッチパッドに保存してあります。ネブラのネットワークに接続できればいつでも展開できます』
「よっしゃ。ほな行きましょかニールはん。ネブラの次元シールドに穴を開ける方法を教えてくれまっか?」
「ああ。どんどん泥沼に入っていく」
「まだ言ってんのか、気の小せぇ奴だな」
「僕は科学者なんですよ。戦士じゃないんだ」
「ばーろ。俺だって開発課の人間だ。戦士じゃねえ」
社長は楽しそうに言い、
「ここまで来たらエエかげん覚悟決めなはれ」
玲子は自慢げに言う。
「あなたも特殊危険課に入れたげるわよ」
「とんでもありません。協力は今回だけです」
ニールはブンブン首を振った。
自分の命もかかっていることにようやく納得し、渋々ではあるがニールは口を開き始めた。
「銀龍を包み込んでるディフレクターの放射角度を正面に向けてネブラに反射させます。そうすると次元シールドに穴が開きます、あとは時間フィールドストリームを越えればいいだけです。だけど……」
「だけど何よ? もったいぶってんじゃないわよ。早く言いなさい」
お色気作戦は店じまいなのだ。今度はザリオンをも射貫く鋭く尖った目に転じると玲子はニールを睨んだ。
ニールは怯えながら、
「銀龍のボディが通り抜けれるかどうか、すれすれなんです」
「穴の縁に当たったらどうなるの?」
「時間差が10万倍もあるんです。その部分が消滅します」
玲子はすかさず鼻で笑うと、
「シロタマ、ディフレクターを操作してちょうだい」
「お……おい、社長を差し置いてでしゃばるな。お前は司令官じゃないんだぞ」
ニールは懇願の眼差しで、ほぼ泣き叫ぶようにして言った。
「お願いします。社長さんから何か言ってくださいよ」
「あかん。玲子がこの目になったら誰も止められへん」
猛禽類が獲物を見つけた時のような尖った視線だ。ニールが震えあがり俺に助けを求めてすがりつくが、基本、男には触れられたくないので突き放してやる。
「お前らのホロノベルがどんなふうに玲子をキレイに描写したか知らないが、これが本当の玲子さ。どうだ、本物はすげえだろ。これがザリオンを制する目だぜ」
「こ、怖い……」
ここで真実を知ってもらわないと、俺と田吾だけがコミカル路線というのは納得いかない。
「シロタマ。準備できた?」
俺がノンフィクションの修正を願いみているのに、玲子は平然としていた。
『計算完了しました』
「どう? 通れる?」
「この巨体ですよ。機体の周囲に3メートル以上の余裕が必要でしょ。無理ですって!」
『ディフレクターの放射を上下に振動させることで、わずかですが隙間ができます。機体を横倒しにすれば高さに130センチの空間が空きます』
「き……機体を倒すの? 横に? 130センチ? ムリムリ、無理ですって!」
悲鳴に近い声で訴えるニールへ、玲子が大声でまくし立てる。
「銀龍のパイロットをなめんじゃないわよ! あたしたちの映画見たんでしょ。機長は本当に地面すれすれに飛んで、あのドロイドの海を一瞬で吹き払ったのよ。バカにしないで!」
オンナの武器はどこか宇宙の彼方に仕舞い込んだらしい。
ぱんっ、と通信機のマイクを叩くと、
「機長! 今から正面の空間に穴が開きます。機体を横に倒すと130センチほど余裕があるそうよ。その穴をすり抜けなさい」
社長の出る幕無し。後ろでニタニタしたまま、そして機長も晴々とした声で応答する。
《その半分で十分ですよ》
そんなこったろうとは思っていたが、ニールには耐えられない。
「ひ――、なんということになったんだぁ」
情けない声を出して震えだし、優衣に抱えられて近くの椅子に尻を着けた。
それを見て田吾は薄ら笑いを浮かべ、ミカンは悲哀の混ざる眼差しで何か問いかけた。
「きゅきゅぅりゅりる?」
「あぁ。大丈夫ですよ。それにしてもきみはよくこんな連中と一緒で平気だね」
「きゃぁりゅきゅりゅらりりゅ」
ミカンを抱き寄せると頭を優しく撫でる。
「そうだよね。命の恩人だったね」
ニールの野郎、やっぱりミカンの言葉が解るのか、しゃらくせえな。




