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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第四章》悲しみの旋律
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  450年前のコンピュータウイルス  

  

  

「でも450年も時間が経つことになるのですよ。450年と言えば相当な年月です」

 落ち着き払ったパーサーの平淡な声が耳に染みる。

 そう。俺たちに不安がよぎるのはその年月の経過なんだ。


「ネブラのコンパイラもそのことを知っていて、とっくに駆除していませんか?」

 どんな時でも整然と質問するのは、この人は常に穏やかに澄み渡る聡明な思考の持ち主だからだ。俺や田吾みたいに濁った煩悩で満たされた者とは区別しないといけない。


「ロジカルワームも起動せん限り、カーネルから見たらただのサブルーチンや。ウイルスとの区別はつかんのや」


 パーサーは満足げにうなずき、

「そうですね。バグ(不具合)のあるプログラムもそれが動かない限り、バグとは認識できませんから」

「バグだらけのプログラムを組むヤツがここにおる。せやろ、裕輔?」


 何で名指しにするかなー。

 確かに開発課に配属された当初、俺もコーディング作業を手伝わされたことがあったけど、あまりにもバグが多いため、すぐに下ろされたのは記憶に新しい。


「それに関してはよく理解できましたが。450年も知れずにというところが、とても信じられません。情報というものはよほどのコトをしない限り、いつかは漏れてしまうものです。何か対策を打っていたとか聞いたことがないのですが」

 慎重派のパーサーの言いそうな台詞(セリフ)だ。無鉄砲な玲子とはまるで逆の性格をしており、ある意味俺はこの人の慎重なところが好きだ。


「ご安心ください。すでに対策済みです」

 パーサーの不安を払拭したのは優衣だった。


「連中は過去からの情報を時空間スキャンで監視しています。それは広く空間を伝わる電磁波です。同じスキャンを利用する管理者でさえも気付いていませんでしたので、この方法は大成功だったと思っています」

「なるほど」

 とパーサーは手のひらを打ち、端正な優衣の顔を指差して言う。

「それがMSKプロトコルだと言うのですね。電磁波を使わず情報を伝える……」

 ぐいーんとはでに両腕を回して胸の前で捻じり合わせると、

「うまい手を考えたもんです」

 大きくうなずいて見せた。


 クサいよ、パーサー。


 芝居じみた振る舞いはこの人のクセみたいなもので、表情をあまり表に出さない代わりに体が勝手に動くようだ。


 人の変な癖を言いだしたらこの特殊危険課では切りが無い。それよりもパーサーは優衣がMSKを作り上げた瞬間を見ていないにも関わらず、それを察するところなんか、ちょっとすごいよな。それに比べて、一緒に見てきたはずの喧嘩上等オンナは、服のホコリ取りに精を出していた。


 優衣は楽しげにうなずき。

「メロディに情報を混ぜて送ると言う方法は、音楽自体をよく理解していない管理者には意味不明でしょう。またネブラもあまり興味を持つ題材ではありませんから。ね、こうやってシロタマさんと情報交換したって、未来には伝わらないのがMSK通信のいいところです」


 MSKに関しては、まったくもって意味不明で、横で聞いている俺たちにさえ伝わらん。


「旋律偏移変調でしたっけ? 私も驚きましたよ。マルチスペクトルにフェーズシフトを施した圧縮データを詰め込み、その上あの美しいメロディですからね」

 腕を組んだ姿勢で、むふぅと鼻から息を抜くパーサーだが、俺には何が言いたいのか皆目見当もつかない。まるでシロタマがぶっ放す説明の丁寧版を聞いているようだ。


 一連の難解な話を聞いていて、口を出すタイミングを失っていた玲子が、ようやくチャンスが廻って来たかのように服の肩から手を離し、

「じゃあさ。ネブラへ行って起動コードを唱えに行きましょうよ」

 その秀麗な面立ちの割に、お馬鹿な意見を出した。


「やっぱりな。単細胞め」

「なにさ。ラーメンばっかり食べてると塩分の取り過ぎで脳細胞が破壊されるわよ。あ、もうされたんじゃないの?」

「あるわけねえだろ。お前こそ朝からあんなこってりしたもん食うな」


「何言ってんの。朝食はその日一日の出発なのよ。栄養取って何が悪いのさ」

「そのうちに田吾みたくブクブク醜くなっていくぞ」

 迷惑そうな田吾の目がこちらに向くが知ったこっちゃない。


「ばーか。あたしは鍛錬のおかげで体脂肪率13パーセントを維持してんだからね。それよりあなたのお腹こそ大丈夫? だいぶ出てきたんじゃないの?」

「うっせぇー。人のことはほっとけ!」

「だったらあたしのことをとやかく言わないでよ」

 むー。色っぽい唇を突き出しやがって。

 触ってみたいが、首の骨を折られるのは嫌だ。だが引き下がるのはもっと嫌だ。

「言い出したのはお前が先だろうが!」


「うっさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーい!」

 社長の絶叫に、茜とミカンが同時に耳を押さえ、パーサーが肩をすくめて田吾がほくそ笑んだ。


「未来がひっくり返るような大発見をしたと言うのに、次元の低い喧嘩をするんやないっ! シロタマの時もそうやし。原因は裕輔やな。ほんま、おまはん歳いくつや、恥ずかし無いんか。毎回毎回、おんなじこと言わしよってからに」


 うーむ。いい年こいて同じセリフを言わせるとは……俺もたいしたもんだぜ。



「アホか、ほんま……」

 捨て台詞にも似た短い言葉を俺と玲子に浴びせて、赤い色彩に変化させたスキンヘッドの裏側を曝け出した。



 優衣と対面した社長はすぐに落ち着き、

「500兆のデバッガーがどないな方法で宇宙空間を漂ってるんかはよう分からんけど。おそらく社会的なコロニーを作っとるやろな」


「社会的?」

 前髪を弾いていたパーサーの手が止まる。

「社会的なコロニーと言えば……あれですか?」

 さもありん的な言葉で濁す。

「そうや。昆虫におるやろ。アリとかハチとか」


 そう聞くと思い出すのは一つ。

「女王様がいるんすかね?」

 と田吾が言い、女王と聞くと、つい優衣を見てしまうのは、こいつはクロネロア帝国の女王だったこともあるからだ。意外と様になっていたよな。


 口を出したのは、例のごとくシロタマで。

『繁殖の因子となるのがプロトタイプです。性別はともかくとして、その考えは妥当な判断です』

「おまはんに褒められても、いっこも嬉しないな」

 社長はシロタマのセリフを受け流し、パーサーはちらりと宙に留まる銀白色の球体へ目を遣って、

「となると監視も厳重でしょう。どうやって女王様に謁見(えっけん)するか、ですよね」


 ゆっくりと降下して来たシロタマが、赤い口紅マークを回転させながら言う。

「今回も同じ手が使えるデしゅ」

「そうか。玲子の料理か……今度は何にする? ポーク(ブタ)も喰わないビーフシチューなんてどうだ?」

「なにさ。そんなの作ったこと無いわ!」

「めんごメンゴ。ブタも喰わないじゃない。ブタでさえ喰えない、だ……あ、すんません」

 またもや社長に睨まれた。


 首をすぼめて小さくなる俺の肩口から報告モードの声が。

『MSKプロトコルをネブラに提供することを推奨します。連中にとって音楽は未知の分野であり、かつ新たな通信プロトコルは必ず興味を示すでしょう』


「でもよ。こっちの切り札が無くなっちまうぜ」

「裕輔くん。ネブラが消えればMSKプロトコルだって隠す必要はありませんよ」

 パーサーから正論をかまされ言葉を失う。

「それで? 具体的にどうします?」

 パーサーは知的な光を帯びた眼差しで空中のシロタマを捉えた。


『ウイルスの起動コードに連鎖クラスを実装(インプリメント)し、MSKデータの中に忍び込ませます。一度でもMSKプロトコルを使用すると起動コードが再生され、それが伝播します』


「ほんまや。順に伝わるのではなく、一斉にや……」

 社長は握っていた拳を大きく広げてこう言った。

「ボンッ! やがな」


 それでボンバーワームか。


「みんな忘れてないダすか?」


 銀龍のモデラーこと、田吾の声が部屋を突きぬけた。

「フィギュアのことかい?」と水を差してから、

「忘れていないぜ。時期商品は青いツインテのFシリーズだろ?」

「違うダ!」

 えらくマジ声だ。

「何だよ、田吾ぉ?」


「今の時代ではまだネブラは生まれていないダ。450年先ダすよ。どうやって未来へ行くんダ?」

「そりゃあ、ユイの時間跳躍で……あっ」

 俺たちの体は跳躍のダメージに耐えられないところまで来ていたことを、すっかり忘れていた。


 これは優衣が最初に警告したコトで。

 管理者が作ったDTSDで時間を飛ぶと、感情サージに晒されて回数ごとにそれがひどくなる。このあいだ起きたメッセンジャーの騒動で俺たちは5回の跳躍を果たしており、中和剤無しでは実質命に関わるところまで来たのだ。


「ほんま。次やったら死人が出ますわな」

 社長がちらりと田吾へ視線を振るのは、メタボ体型の奴ほどダメージがひどいからで、前回最後の跳躍で田吾は限界を超えて脳死寸前まで行ったのだ。でもメッセンジャーがこれ見よがしに置いて行った中和剤のおかげで助かった。


「でもさ。飛ぶ先は未来でしょ。管理者の人に頼めば、中和剤を分けてくれるんでしょ?」

 玲子の言葉に優衣の表情がみるみる明るくなり、それ以上にはしゃぎ出したのは茜だ。

「そうレすよねぇー」

 おバカさんは嬉々としてぴょんぴょん跳ねつつ、

「よかったですねぇ。ミカンちゃん、未来へ行けますよ。珍しい野菜の苗を買って帰れますよぉー」

「きゅりゃーりゅ、きゃりゅり」


 二人で意味不明の舞いを披露し始めた極楽連中に、優衣は厳しい言葉を投げかけた。

「アカネは留守番です!」

「えっ!」

 ぱたっと動きを止め、急激に表情を暗くした。


「……やです。わたしだけ。どうしてですかぁ?」

 今にも泣きそうな表情は悲哀の色に濃く染まっており、気の毒で見るに忍びない。


「ねぇ、おユイさーん。連れてってくらさいよー。未来なら危険はありませんでしょ?」

 俺は強い憐憫の情を覚えた。茜の曇った顔は胸に突き刺さる。


「いいじゃないか、ユイ……」

 ここはコマンダーとしてひとつ強く言わなければ、という使命感に掻き立てられ、俺は茜を背に隠しつつ、

「何でアカネだけが、ダメなんだよ?」

「だめなんだよぅー」

 背中にすがりついた茜が口先を尖らせて顔を出した。


 優衣は茜を一瞥するが表情は緩まず、さらに厳しさを上塗り。

「アカネの存在は時間流の羅針盤でした。しかしこのような方法で未来を知ることを管理者は禁忌としています。なぜなら歴史の流れを都合の良いように制御できるからです」


「良いようにも、悪いようにも使えるよな。だから……管理者にばれるとまずいというワケか」


 優衣の表情はいつもにも増して厳しかった。そして決然と言い切る。

「アカネは連れて行きません!」

「……っ」

 そう言われると、コマンダーとて言い返す言葉が無い。


 MSKプロトコルだけでなく粒子加速銃もそうだ。優衣はちょいちょいやばいことをしている。それでかたくなに拒否するのかと、この時は思っていた。でも実際はもっと異なる視野へと向いていたのだ。


 そっと上目遣いに俺の表情を覗き込んでくる茜に、ほんの少し首を振って「ダメみたいだぜ」と促す。

「……………………」

 はかなげな表情のまま、無言でミカンを連れて部屋を出て行ってしまった。



 悄然とする茜の後ろ姿が可哀想で胸が痛い。


「どうしてもだめなの?」

 玲子は悲しそうに、かつ非難するような眼差しで尋ねるが、答えは同じ。

「アカネからはワタシと同じ輻射波が放出されています。管理者にこのことが発覚すると必ずネブラにも伝わり、あらゆる時間域で破壊工作が始まります」


「あらゆる時間域って?」とはパーサー。

「あ、はい。例えば初めてミッションの説明に伺った会社の会議室での出来事から、今この作戦会議の瞬間にまですべてのシーンにデバッガーが登場することもあり得ます。何の対策も無いワタシたちの前に数百億という数のデバッガーが現れたら……」


「そ……それは恐ろしい」

 それっきり言葉を失くした俺たちは、誰一人として口を開く奴はいなかった。

  

  

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