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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第四章》悲しみの旋律
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  量子力学的特異点を越えた少女  

  

  

「何をそんなに慌ててんすか?」

 俺にはエルの危険性がまるで解らない。

「ええか。量子力学的特異点を超えるって意味解るか? 宇宙の存在を(おびや)かすかもしれんのや」

「そんな大げさな……」


「タマ。裕輔でも解るように具体的に説明できまへんか?」


『本人にまだ自覚はありませんが、時間の流れを変えたり、量子論的に存在するフィールドを自由に操ることが可能だという意味と同義の言葉を放っています』

「だから何だよ? お前の言葉遣いは解かりにくいよ」


『推測ですが。量子論的な核力(かくりょく)斥力(せきりょく)を制する力をエルが持っているとすると、原子核の崩壊、融合を任意に引き起こすことが可能になります。陽子と中性子をバラバラにして原子を水素イオンに戻したり、水素から重い金属原子を作ったりすることができるのです』


「んなバカな。物理学の崩壊じゃねえか」


『最も懸念するのがそこです。物理学が根底から覆されます。ビッグバーンの逆向きの遷移も可能となります』


「んがっ!」

 社長が仰け反った。それほど驚異的なことなのだろうが、理解できる者が誰もいなかった。





 エル保護から5日目。

 とりあえずエルの異常な寿命進行は14歳で止められたのだが、現在の物理学をひっくり返すようなとんでもない能力を目覚めさせてしまったのも、どうやら事実だ。



 人は距離を縮めるために移動する速度を上げて経過時間を短縮することを考えた。しかしこれも限度がある。光の速度が有限であり、普通の物理学で行けばそれを越えることができない。でも管理者は距離限定ならそれを越えることを可能にした。それがハイパートランスポーターだ。原理などはまったく理解に及ばないが、銀龍にあるのは最大3万6000光年彼方まで瞬時に移動できる。


 ところがエルは管理者でさえ成し得なかった時間と呼ばれる特異な領域を超えることが可能なのだ。よく解らないが、シロタマが言うには時間も時空アトムと呼ばれる微小粒子を媒体に伝わるらしく。それら量子論的力をエルは触ることができるらしい。


 現時点で確認されたエルの能力は今のところ次の二つ。

 時間が停止した亜空間チェンバーの中から思考波だけを放出して、実体のないまるで亡霊のような浮遊体となって俺たちの前に姿を現したことと、亜空間内の時間という概念を覆して自由に操っていると思われる量子論的な能力だ。


 保護システムの無い人工知能を操るところに関しては今のところは実害は無い。操られるミカンの意思は横に置いておいてな。

 それよりもシロタマが脅威だと主張するのは、先にも言ったと思うが、量子論的な力、核力や斥力を操ることができると言うやつだ。


 で? 何なんだ、核力や斥力って。


 シロタマからさんざん罵られながらも、突っ込んだ内容の説明受けて俺は愕然とした。

 タマの言う核力とはある意味、引力みたいなもの。バラけようとする原子核をひきつける力さ。斥力は反発力の総称。同電位の物質が反発し合う現象もそう。磁石のN極どうしやS極どうしが逃げあうのはこいつのせい。


 まだ解りにくいと訴えたら、俺でも知っている壮大な例に替えてくれた。

 恒星の核融合は巨大になるほど活発になる。それは重力で自分を圧し潰して原子核同士を近づけるからだ。するとそこに核力が働いて、くっ付かないはずの陽子や中性子が融合して新たな原子が誕生する。これが核融合さ。重力が増せば増すほどドンドン核融合が起きる。


 最終的に自重に耐え切れず星の内部が中心へ突入するが、それを圧し留めようとする斥力によって大部分が跳ね返されて爆発放出するのが超新星爆発だ。その後中心部は斥力の反発によって中性子が潰されずに残る。これが中性子星さ。


 エルがその力をコントロールできるとなったら、内部から圧し上げて維持している中性子星でさえ、いやもしかしたらブラックホールでさえ消滅させることができるかも知れないのだ。

 もしこれが事実なら、エルは神の領域に手が届いたことになる。だがしかしそれは同時にとんでもなく危険なのだ。


 今シロタマがそれを抑制するフィールドを研究中だ。まんがいちその能力をエルが無意識にかつ無秩序に発揮すれば、銀龍が、いやここ周辺の星域まで危ぶまれるのだ。


「ひとまずエルには悟られんように、シロタマは早急に抑制装置の研究をたのんます」

「らじゃ」


「玲子と裕輔はこれまで通りの態度を貫きなはれ」

「あたしには何を内緒にするか、それすら理解できないから楽だわ」

「うらやましい限りだぜ」





 エル保護から10日目。

「ねえ。ゆーすけ。あたしが保護された時のことを話してよ」

 朝、司令室にやって来ると俺の席にエルがいて、楽しげにねだった。


 エルの体は半透明で、座席の背もたれが透けて見えるが幽霊ではない。そこに腰掛ける様は、緑のショートカットヘアで血色のいい肌をしたエルフ族の少女だ。


 もしあのまま実空間で暮らしていたら、おそらく30歳を超え、俺より年上の女性となっているはずだが。目の前のエルは亜空間チェンバーに入った時の姿、14歳の少女だった。


 それよりもだ。ここ数日、この質問ばかりで悩んでいる。自分の生い立ちが気になるのは理解できるが、どのような惑星だったのか答えようが無いのだ。

 俺が見て来たのは凄惨な状況の景色で、まさかそれをそのまま伝えるワケににはいかない。


 そこで優衣に過去のエルフの村へ飛んで見てきてもらったら、という案も出たのだ。

 おそらく森深い場所にあったエルフの町だ。さぞかし美しかったことだろうが。それを語ってやってどうだと言うのだ。必ず行きつくところは、なぜそこが今は無いのかという問題だ。そこにぶち当たると説明に行き詰まる。事実を知られてエルの心に余計な傷を負わせるがもっとも怖い。あの博識あるシロタマ大先生でさえ結論が出せないでいた。仕方が無いので、俺は知らぬ存ぜぬを貫き通すつもりだ。


「わるいな、エル。俺たちはよく知らないんだ」

「どーしていつも同じ答えなの?」


「うーん。俺が知ってるのは、あのカプセルに入れられていたことだけで。たまたま俺たちが見つけたんだよ」

 司令室の冷蔵庫の上に飾られた耐熱性のカプセルを指差す。

 あんな小さなものに入っていたのかと思わせるほど、エルは立派に成長していた。たったの10日そこそこでだ。


「こんな病気だから捨てられたのかな?」

「それはない! お前が大切だから、この中に保護されていたんだぜ」


「何から守るため?」

「うっ」

 墓穴を掘っちまった。この子の洞察力は半端無いから恐ろしいのだ。

 どうしよう。まさかネブラのデスタワーからだとは言えない。


「さ、災害さ」

「何の?」

「えっ? つ……津波かな」


「津波が起きた原因は? 地震? 地殻変動?」

「あう……」


「なぜそんなことまで知ってて、エルフ族の町のことは知らないの?」

「なぁう……」

 誰か助けてくれ。


「きゅりゅぅー」

 何だよ、よりにもよってミカンかよ……。


「きゃりゅりゃりる、るやりゅ」

「ん。解ったよ。シロタマさんの健康診断だろ? いいよ行くよ」

 エルは空を薙ぐ刀の一閃より速い動きでその場から消え、俺はミカンの頭を撫でる。

「きゅら?」


「なんだか知らないが、ミカン、助かったぜ」





 しかしこの事件はこれでは終わらなかった。

「ゲイツさん。あたしの故郷は悪い奴らに破壊されたってほんと?」

「んなっ!」

 絶句だよな。分かるぜ社長。


「ど、どこでそんな根も葉もないことを。誰やそんなでたらめゆうたんは?」

「やっぱり本当なんだ。みんな優しいからな」


 これ以上嘘は吐き通せないと判断した社長は、

「あんなエル。気を確かにして聞くんやで」


 ネブラのことやデスタワーのことは伏せて社長は説明したのに。

 エルは、「ウソがヘタね」と言った。

「な、なんやウソって」

 エルは白磁よりも白い顔に静かな笑みを浮かべた。


「本当にみんないい人なんだ。あたしに知られたくないからってウソを通して。でもミカンちゃんから聞いたわ。みんなとあたしとは共通の敵を持ってるんでしょ?」


「あのヤロウ。意外と口が軽いんだな」

「ううん」

 エルは俺の目を見て緑の髪を揺する。

「ミカンちゃんのメモリデバイスを読んだだけ。あの子に罪は無いの」


「隠し通すことは無理みたいやな」

 社長は肩を落し、玲子は優しげに言う。

「気に病むことはないわ。あなたのご両親については本当に知らないの。でも大切にされていたことだけはあたしが保証する。だって。最初に見つけたのはあたしなのよ。高熱から逃れるようにして、岩の割れ目の奥深くにそっとしまってあったわ。知ってるのはそれだけ。でもね。これからのことは、このお姉さんに任せておきなさい」

 どんと胸を叩いた。


「ああそうさ。ちょとトウが立っているが、とにかくエル、このオバサンに任せればいい。大船に乗った気でいいぜ。必ず病気を治してやる……あちちち」

 俺は玲子に尻を抓られ飛び上がり、玲子は笑いながら告げる。

「何が大船よ。あなたは難破船なの、そういうのは社長みたいに大きな心を持った方が言うのよ」


 このオッサンの場合は尊大な心ではない。こんなじゃじゃ馬を秘書に置いておくぐらいだから、相当に鈍いだけなのだ。



 エルは笑いながら応えた。

「ここがあたしの家でいいの」

「ああぁそうや。明日もみんなで朝食を頂こうやないかいな」

「そうそう。俺は熱めのミソ汁だ」


「あたしはオートミール」


「そうだな。エルの好物だもんな。よしアカネに言っとくぜ。特別うまいのを作れってな」

 思ったほどショックを受けていなかったのが、何よりも幸いだった。





 次の日の昼飯時。受け持った作業が延びて俺だけが食いっぱぐれた時のこと。執拗にネブラの情報を尋ねるようになったエルがやって来て訊いた。

「ねぇ? デバッガーってどんな連中?」

「俺が知る限りでは、感情の無い殺人ロボットの集団さ」


「それが450年未来では500兆になるのね」

「そう。そこでユイが時間を越えてやって来たのさ。最初の一体だった過去のうちに潰してしまえば、500兆のヤカラは消えちまうとな」

「そんなに簡単にいくかな?」

 エルは懐疑的だ。


「いくさ。ユイと管理者は綿密に計算した上で実行に移ったんだぞ」

「同じ次元内では時間の流れは常に一緒。断ち切ることはできないんだよ」

「ぐっ……」

 出たよ。シロタマや優衣でさえ論破しちまうこの子の頭脳に勝てるはずがない。こういう時は話しを逸らすに限る。


「そんな悲しいことを言うなよ。じゃあ俺たちがやっていることは無駄だと言うのか」

 エルはしばらく考える素振りを見せてから、俺が食べようとして持っていた茹でタマゴを顎で示した。


「あのさ。殻を割らずに玉子の中身を出せる?」


「あんがっ!」

 突拍子もないことを言われて、舌を噛んじまった。


「あ、これがいいや。このゴムボールの中と外を裏返して見せてよ」

 と取り出された、軟式テニスボール。

「んげっ!」

 どこから持ち出したのか説明の必要は無い。たぶん思うだけでこの子は何でも具象化できるんだ。


 とにかく受け取って、クルクル裏表を回してみる。

「マジかよ……」

 喉の中はカラカラだった。それはまぎれもなく正真正銘のテニスボールで、宇宙を航行中の船内に存在するようなものではない。


 何もない空間からどうやってボールを出したのか聞き出したいが。それがきっかけになって自身の能力に気づかれてはマズイ。多分このボールは無意識に出したのだと思う。


 悟られないように、できる限り平静を装って当然のことを言う。

「ボールはゴムの皮で封じられてんだ。俺にはできないよ」


「あたしはできるんだよ」

 エルは俺の手からボールを取ると、いとも簡単に内側と外側をくるりと、

「どっげぇ――っ!」

 思わず喉の奥を曝け出してしまった。

 まるでみかんの皮を剥くような仕草でテニスボールをくるんと綺麗に裏返しにして見せたのだ。


「ど……どうやったんだ?」


「三次元からは見えないの。解る?」

 俺は頭を左右にプルプル振った。


 またもや手品みたいに何も無い空間から一枚の紙を取り出し、

「この紙を二次元の世界だと思ってね」

 と告げてから、くるりと丸めて端と端を引っ付ける。


「ほら、こう丸まることは二次元の人には理解できないの。高さと言う次元が存在しないからさ。でも三次元からすれば簡単なこと」

「ということは?」

 何が言いたいのだろ?


「だからね。次元ループを断ち切るには高次元から手を出さなきゃだめなの」

「それで?」

 とてつもなく理解力の乏しい俺に、エルは静かに微笑むと、

「あたしがお手伝いするよ」

「はぁ……さいですか」

 俺は、よく回らない己の悲しい脳ミソに呆れ返った。

  

  

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