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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第四章》悲しみの旋律
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  エルの亡霊  

  

  

 その晩。

「きゅりゅりゅ……きゅ?」

「……ん?」

 俺の寝床を遠慮がちに()する奴がいた。


「ぅゅ……」

「誰だよ、こんな夜中に?」

 田吾の大いびきが二段ベッドの上から響き落ちてくるので、あいつではない。もっとも田吾のヤロウは、一度寝ると朝まで起きない性質(たち)だから、こんなことはあり得ない。


 俺を揺り起こした侵入者はミカンだった。

 半身を起こして小声で尋ねる。

「どうした、ミカン? 何か不具合でも起きたのか?」


「きゅりゅりゅ……」

 小さな声で頭を振ると俺の腕を掴んでグイグイと引こうとする。


「なんだよ? 何が言いたい? 茜を呼んで来いよ。どうせ、エルに付き添って寝ずの番をしてんだろ?」

 そう。亜空間チェンバーの前に自分の椅子を持ちこんで、門番の如くじっと前で踏ん張っているのだ。



 誘われるがまま、付いてくと、案の定 第二格納庫。

「あ……アカネ!」

 思わず目を疑った。


 チェンバーの前に陣取った椅子に座った格好で長い睫毛を落していた。茜が眠りこけるわけはない。

「ホールトしたのか?」

 優衣はガベージコレクションのため夜中に数時間、人のように瞼を閉じて静かに過ごすことがあるが、茜はまだその機能が上手く働かない。そのためいつまで経っても学習結果が表面化しないと愚痴を言っていた。


「お前が見つけたので俺を起こしたのか?」

 不安げに見つめるミカンに言うと、

「ホールトじゃないよ。あたしが寝かせてあげたの」


「なっ!」


 亜空間チェンバーの上にちっさな足を組んで座る緑色の髪の毛をした少女。

「え、エル! どういうことだ?」


 誰が外に出したんだ。シロタマか?

 真っ先にその言葉が浮かんだ。


「シロタマさんがそんなことするわけないじゃないか。それは、ゆーすけが一番知ってる」

「ダメなんだよ。エル。お前は亜空間にいなきゃ。あっという間に寿命が来ちまうんだ。もうそのことは理解できるだろ?」


「時間剥離症候群でしょ? 自覚してるさ」


「気の毒だとは思うが、今の俺たちにはどうしようもないんだ。だから」

 俺の言葉を待たずしてエルは亜空間チェンバーからふんわりと飛び降りると俺に駆け寄り、

「あはは。相変わらず慌てん坊だな。ゆーすけは」


「なぁ――っ!」

 俺の喉からとんでもない声が出た。


「どうしたんだエル! お前、実体がないぞ!」

 しかし飛びついて来たエルの腕が俺の身体を圧した。実体はある。ただ光が通り抜けるのだ。


「そうだよ。ゆーすけ。あたしのボディは亜空間の中で停止している。でも考えるだけで空気から体が作れるんだ。たぶん分子の再配列が起きて実体化できるんだと思う。でも理屈なんかどうでもいい。ほら見えるだろ。自由なんだよ。好きに動けるのさ」


 風を切るような音がして、瞬時に格納庫の最も奥へ移動。すぐ反転、何よりも早く俺の目前に瞬間移動して戻った。

 かと思うと、弾けるように俊敏な動きで天井を蹴って亜空間チェンバーの反対側へと飛んだ。


「マジかよ。エル。すげえ動きしてんぜ」

 急激に目の前が明るくなった。

 たとえゴーストみたいな状態でも、元気に飛び回ってくれるエルがいればそれでいい。

 ハイテンションになった俺は喜び満ちた気分で手を叩いてエルを迎い入れようとして、我に返った。


 夢だ……。

 これは夢なんだ。


 急激に現実に戻った気分だった。

 消沈する俺の前に瞬間移動して来たエルがそっと顔を覗き込んできた。

「どうしたの、ゆーすけ?」

 白く端正な面立ち。尖った耳がエルフ族の特徴だと言う。まさしくエルはその象徴ともいえる立派な耳をしていた。


「これは夢だよ。エル。俺は夢を見てるんだ。亜空間内のお前と会話ができるはずがないものな……」

 まだ何か言いたそうだったエルに手を振り、俺は第二格納庫を後にトボトボと歩いて自分の部屋に戻ってフトンを被った。






 次の朝。

 宇宙を航行中の船では昼夜が無い。でも人間の生理的周期は何も変わらない。眠くなれば夜で、すっきり起きれば朝だ。

 だがその日の朝はやけに体が重かった。


「タマ……。昨日夢見が悪くてよ。俺の夢判断してくれるか。だいぶ疲れが溜まってんだよ」

「オメエの夢なんか聞かなくたって、どうせ飲み過ぎたせいでレイコにいぢめられたマゾ的な悪夢を見たのに決まっちぇる」


「俺の性格をそこまで知ってくれてるのなら、ぜひ聞いてくれ。お前はヒューマノイドインターフェースなんだろ?」


「ちがう! 対ヒューマノイドインターフェース! 『対』が付いてないとオメエのためにあるみちゃいだろ」

「どうでもいいとこに噛みつきやがるな」

 とは言っても興味があったのだろう。玲子に口紅で落書きされた丸印がこちらに旋回してきた。


「言っちぇみろよ」

「あのな。エルが亜空間チェンバーの外に出てきて、アカネをホールトさせて……」

 そこまで口に出して辺りを窺う。


「そう言えばアカネはどうした? みんなが司令室に出勤すると必ずお茶の配給をするはずなのだが」


「知らねえぜ」

「なー、タマよ、俺の口ぐせを真似るのやめてくんない。玲子に叱られるのは俺なんだぜ」


「叱られたらいいでしゅ」

「のやろー」

 タマに腕を挙げて見せたものの、まだ違和感が半端無い。もう一度、周りを見渡す。


 女連中が一人も来ていない。田吾は遅刻常習犯だが茜と優衣が遅れることはあり得ない。

「タマ、玲子を呼び出してくれ。あいつらが遅れるなんておかしいだろ」


 シロタマは近くにあった船内無線のマイクボタンにボディをぶつけると、

「レイコ。ユースケが司令室に投降しろって言ってるでしゅ」


「ばーか。玲子が白旗なんか掲げるわけないだろ」


 文句一杯の言葉が返って来るかと思ったら、

《裕輔! ユイの様子がおかしいの。いくら声を掛けても起きない。故障したのかな?》

 世にも不思議なことを言った。


「寝過ごしたとしたら、ユイも大したもんだ」

《ばか。冗談言ってるんじゃないのよ。なんか様子がおかしいの。どこか壊れたのかもしれないよ》


「ユイが故障するなんてあり得ないぜ」

 玲子の口調がやけに真剣だったので、俺もマジ顔で応え、タマとそろって部屋へ駆けている途中で社長と出会った。


「どないしたんや。血相変えて?」


「なんだか、優衣のようすがおかしいらしい」

 社長もすぐに踵を返して俺と小走りで部屋へ向かった。


「玲子。どないしたんや」

 飛び込んできた俺と社長へ、

「ずっと声を掛けているんですが……」

 優衣は椅子に座ったままの姿勢で、瞼を閉じていた。


「ユイ!」

 肩を揺すってみるが、まじろぎもしない。


『ホールトしています』

 とシロタマが言い、社長が口を尖らす。

「裕輔、メンテナンスの途中で離れたんちゃうんかい?」

「社長。こいつらのメンテナンスは話を聞いてやるだけなんだ。ホールトなんかさせないし、玲子の部屋でメンテナンスなんかしない」


 それよりももっと重大なことを思い出して、俺の鼓動が跳ね上がった。

「タマ! 一緒に来てくれ。第二格納庫だ!」

「なんや裕輔! ユイはどないしまんねん」

「ホールトただけなら問題無い。それよりもう一人ホールトしている奴がいるかもしれない。もしそうだとしたら、もっと重要なことが起きている」



 第二格納庫に飛び込んだ光景。まさに夢のままだった。

「なんでや。何でアカネまで停止しとんのや?」

 一緒に駆け込んだ社長は怪訝に唸り、俺は確信する。


「夢じゃなかったんだ」


「何の話をしてるのよ?」と尋ねる玲子に昨夜の話を告白しつつ、急いで茜を再起動させた。


 いつものしちメンドクサイ行程を通り、ネムノキみたいな睫毛を上げた茜に飛びつく。

「誰がお前をホールトさせたんだ?」


「え? ホールトしてたんですか?」


 だめだこりゃ。

 しかしどちらにしても、昨夜のことは事実だったわけだ。




 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 玲子の部屋へとんぼ返りして、優衣の再起動も済ませてから全員が司令室に集まった。



「むぅ……。おまはんがウソを言う奴やとは思わんけどな。そんなことがありえるんか? どないやタマ?」


『ユースケの心拍数、発汗量、脳波から推測して、真実を述べているという以外に答えようがありません』

 お前はウソ発見器にもなるのかよ。とかいう嫌味は後回しだ。


「間違いなくエルはその亜空間チェンバーの上に座っていて、俺に喋り掛けてきた。そしてはっきりと亜空間から思考波だけを放出して物質化していると言ってたんだって」


「時間が止まると言うことは原子の活動も停止するんや。ほな脳波も出ぇへん。これは常識や」


『我々の知らない物理的活動が起きているかもしれません』

「ついにシロタマが根を上げる日が来たわけだ」


「ねえ。みんなで何の相談してるの?」

「「「エル!」」」

 驚愕の光景に誰しもが石化。

 半透明で宙に浮かんだボディが陽炎のように揺らいではいるが、確かにエルの姿がそこに。


「お、おまはんどうやって亜空間チェンバーから出てきてまんのや?」

「よく知らない。でもこうやって自由に移動ができるよ」


 鋭く風を切る音を出して部屋の中をランダムに瞬間移動させて見せるエル。それはまさに弾け飛ぶゴムボールだ。床を蹴り、壁を寸前にして跳ねかえると、瞬時に部屋の後部へと。


「お、おい。無茶するな。壁に当たったらたいへんだぞ」

「だいじょうぶ。そっちとは時間の流れが違うから問題無い」

 動きは風よりも早いが平然としていた。


「でもなぜアカネとユイがホールトしたんだろ。お前が原因か?」

「うーんとね。あたしが侵入しようとしたらコントローラーが拒否したんだ。ごめんなさい。アカネちゃん。ユイねえさん」


「なんともないから別にいいれすよ」

 と屈託のない返事をするのは茜で、納得いかないのは俺と社長さ。


「侵入って、おまはん人工知能のどこに入れるっちゅうまんの?」


「うーんとね。ユイねえさんとアカネちゃんは無理だと解ったけど、ミカンちゃんなら簡単。ほら……」

 瞬間、エルの姿が消えた。


「きゅあ――っ!」

 いきなりミカンが走り出し、司令室の壁に激突。それでも前進を続けてミカンは悲鳴を上げる。


「きゅわぅーきゃりゃぁ」


「も、もういい。解放してやれ。かわいそうだ。」

 再び、俊敏な動きで空間にエルが姿を現すと、

「ミカンちゃんだけはコントロールを許してくれるんだよ」


「許しているようには見えないぞ」

 ミカンは茜の後ろに逃げ込んで、そこから丸い目を出した。


「脅かして、ごめんねー。ミカンちゃん」

 エルはミカンを慰めるようにその前で飛び回っていた。


「エル。もう少し詳しい話をしてくれへんか?」

 風を切って俺たちの前に戻るエル。


「時空アトムが次々と積み重なるのが時間の概念なんだけど、それが積み重ならず崩れてしまうのが亜空間。だから時間が発生しない、って言うのが解ったの。そしたら何となく空気中の原子が勝手に動いてこうやって実体化できたの」


「あかんワ。理解不能や」


 空中に静止したタマと交代。エルはそれへと盛んに説明。その間、シロタマは無言を貫き通していたが、

『とんでもなく稀有な現象です』

 とひと言のあと、口紅マークをこちらに曝してこう言った。


『エルは量子フィールドを制御しているとしか思えません」


「なんだよ、量子フィールドって?」

 タマはさらに音量を落とした。

『エルは量子力学的特異点を超えた能力を持っているかも知れません』


「はぁ……。言いたいことはさっぱり解らんが、特殊な能力と言う部分は理解できるぜ」

 他人事みたいに向こうで素振りを始めた玲子をこちらに呼び戻しつつ。

「解からないからって、竹刀を振ることはないだろ」

「こうしてたら落ち着くのよ」


 茜にすがめられながらも玲子はニタニタするだけ。俺は竹刀を取り上げながら言う。

「とにかく一大事なんだ」

「だから何が? エルがミカンを操れること? それとも幽霊みたいに部屋を飛び回ること? あるいはエルの病気が治ったということ?」

 なるほど。言うように疑問だらけだな。俺も横で一緒に竹刀を振っててもいいか?


「アホか! しょうもないことゆうとらんと。ええか、エルはとんでもなく危険な能力があるんや。せやけど幸いまだそれに気付いてないだけや」

 シロタマに思いのすべてをぶちまけてすっきりしたのか、エルは亜空間チェンバーに腰掛けて、茜とミカンを相手におしゃべりに夢中だった。


「シロタマ……ちょっとええか?」

「なに?」

 社長は極限にまで声を絞って、

「エルの能力を封印することはできまへんのか?」


『現時点では不可能です』


 二人が何を懸念しているのか、俺には理解不能だった。

  

  

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