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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第四章》悲しみの旋律
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  亜空間チェンバー  

  

  

 ステージ3の医療モードに切り替わったシロタマが行なった詳しい検査で、エルは時間剥離症候群だと診断された。

 なんだそれ? だよな。そうさそれが俺たち全員の感想さ。


「時間の流れにうまく乗れない病気ですか?」

 今日もやっぱりパイロットアタッチメント持参の機長。

「マジでっか?」

「うそでしょ?」

「宇宙は謎に満ちているのですね」


「あ、パーサー。それオレのセリフ……」

「んだ?」

 集まったクルーそれぞれの言葉だが、共通して懐疑的なのはしょうがない。


「星間協議会のライブラリがウソ書いてるって言うんでちゅか?」

 舌足らずなシロタマを責める気はないが。とても信じられる説明ではない。


「…………」

 俺たちは医務室で茜と遊ぶエルの状況をモニタリングしながら深い溜め息を吐いた。



 両親だけでなく母星までも失くした悲運な幼女エル。待ち構えていたのは寿命わずか25日という悲劇だった。

「せめてご両親と暮らせてあげたいわ」

 と言ってから、玲子が平手打ちををする。

「そうだ。エルを連れてユイが過去に戻ればいいのよ。まだご両親が健在な時代にね」

 ついにこいつの脳ミソは筋肉で埋め尽くされたな。


「両親が健在なら、エルだって生まれた頃だろ? なら多重存在になるぜ」

「違うわよ。生まれる前に連れて行くの」

「お前はほんとに短絡的な考えだな」

「なにさ?」

「エルが生まれる前に両親に託してみろ、すでに子供を授かったことになるんだから、この子が生まれて来なくなるかもしれないだろ」

「そんなこと解らないわ。歴史どおりエルは生まれて来るかもよ」


 頭が重い……。

「そうなったら、どっちがエルになるんだ?」

「あ…………」

 ようやく理解したようだ。目が点になって天井を向いた。


『時間剥離症候群の生命体を異なる時間域へ移動させるのは死期を早める恐れがあります』

 だろうな。

「それなりの設備のある場所はおまへんのか?」


「研究機関はありますが……」と優衣が言い、

「せやな。モルモット扱いはあんまりや」

 社長が肩を落とす。

「どーするよ……」



 真実は時にして残酷なもので。なす術の無い俺たちには言葉すら浮かばない。司令室は重く淀んだ空気が漂っていた。


「エルちゃんが、かわいそうれす。コマンダー」

 ひとまず優衣と交代して医務室から戻ってきた茜が、悲痛な声で俺に訴えかけた。

「俺も胸が締め付けられる思いだ……」

 祈るように手のひらを合わせて、上目遣いに俺を見る茜の銀髪を撫でつつ、天井の隅にぺたんと張り付いて微塵も動かない流動性金属の球体を仰ぐ。

 あの位置で微動だにしないところをみると、あいつも思考に落ちてんだ。


 そんな時、ふと思いついた。

「なぁ、タマ。亜空間に入れたらどうなんだ? あそこは時間が圧縮された空間なんだろ? 時間の流れが極端に遅くなるならエルに影響が出ないんじゃないのか?」


『その考え方で正しいのですが、時間が流れないため距離の概念もありません。つまり入ると同時に反対側に出てしまうことになり、エルに適応させるには無意味な結果に終わります』

「でも出口のないヤツもあるんだろ?」

『はい……。しかし知り得る閉鎖空間はクロネロアシティ周辺にしかありません。あの星域に戻るには時間的ロスが大き過ぎます』

「あ、だよな。あれから何回ジャンプしたか忘れるぐらいハイパートランスポーターを使ったもんな。そのつど8時間の充電を繰り返していたら、先にエルの寿命が尽るか……」


「はぁぁぁ」

 再び重い沈黙に落ちた。誰かの溜め息はアンドロイドにも伝染するようで。

「あはぁぁ~」

 肩を落とす茜の手にはエマージェンシーキットが。その中には乳白色の液体が少し残っている。

 昨日まで使用していたエルのミルク製造機だ。それがたったの10時間で用済みとなった。

 その代わり現在のエルの年齢は4歳に手が届くところまで成長した。見る間に歯も生え、身長も1メートルを超えたので、次の食事からは俺たちとほぼ同じ物を与えるべきだとシロタマが主張するので、すでに茜が準備を始めたところだ。


 そんな時、天井の隅でシロタマがぽつりと漏らした。

『バカザルの意見はあながち間違っていないかもしれません』

 カチンとくる言い方に、食らいつこうとした俺の袖を社長が引き、

「何や? ええアイデアでも浮かんだんでっか?」

「いや。じゃなくて、こいつ俺のことを……」

 社長に諫言(かんげん)しようとした俺の腕をいきなりねじり上げて玲子が割り込んだ。

「バカエロ猿のどこが間違っていないの?」

 よけいな単語がひとつ増えていたが、反論すらできない痛みに顔を歪める。


「ギンリュウのどこかに亜空間チェンバーを拵えるといい」

「なぬー?」

 変な声を上げたのは社長だ。

「そんなことできまっかいな!」


『反物質反応炉を搭載したギンリュウのエンジンからほんのわずかな反物質を流用すれば、小さなエリアに限定されますが、亜空間チェンバーの作成は可能です』

「危険や! 反物質をリアクターから出すことはできひん」


『リアクターと同じものを作りますので問題ありません。それよりもエルの生存期間は残り3週間ほどです。早急に何らかの手段を打たなければなりません』


 対立する二人に急いで割って入る。

「ちょっと。社長。可能、不可能よりも。エルだけ時間の流れを止めるというんだろ。それって生きてるの? 死んでるの?」

 たとえ生きていたって、時間が止まるのだ、生命活動も止まる。つまり冷凍保存みたいなものだ。


「その代わり、その間に対策が取れますワな。特殊な症状を専門にする病院が見つかるかもしれんし。これが銀龍でできる唯一の手段やがな」

「背に腹は代えられずってやつか……」





 エル保護から48時間後。

「ゆーすけ、あそぼ」

 エルを保護してからたったの2日でこの子は言葉を操り、室内を駆け回るようになった。

 ただ、舌足らずな口調で接して来るのは、茜やシロタマから言語を学習した悪影響だろう。まぁこれは仕方がないとして、エルは眠ることなく成長を続け、生まれ持った超絶な運動神経をしており、数度同じことを繰り返すだけですぐに手足が自由になる。そして知能の高さもすばらしく、砂場に撒いた水みたいに知識を吸収していく。そんなスーパーエルフ族にオレたち凡人が付き合えるはずがなく、結局一睡もしなくても平然としていられるシロタマや茜たちに任せてしまうことになる。



 エルは疲れることを知らないのか、玲子と格納庫を駆け回り、休む間もなく茜と踊り、ミカンと早口で話をした。そして何より俺たちをなごませてくれたのは夏の陽射しのような明るい笑顔だった。


「エルよ。どこか痛いとこないのか?」

「無いれしゅよ。なんれ?」

 どこかシロタマと茜の口調を混ぜた感が強いが。

「お前は急速成長してんだ。ふつうなら節々が痛いとかあるらしいぜ」

 と言うとエルは、

「ヒューマノイドの思春期に現れる骨の成長とは異なる現象なのれ、関係ないのれすよ。時間的進行は相対的に早く感じるだけで、こちらの流れはこれで正常なのれーす」


 6歳児に言われたとは思えない難解な返しに、俺、タジタジ。ほぼシロタマが言いそうな内容に茜の口調が混ざったおかしな感じだ。

「わ、わかった。じゃ、何して遊ぶ?」


「かけっこ!」


 元気な声は可愛らしいが。

「あー。駆けっこな。それは玲子とやっとくれ。茜でもいいか。俺はもっと頭を使う遊びがいいな」


「ならボルドーしよ」

 緑のショートカットを翻して、俺の腕に飛び込む小さな幼女、エル。1時間に45日分の成長を遂げるという難病の少女だ。



 頭を使う物で遊ぼうと言ってしまった俺だが、大いに反省する。

「ボルドーか……」

 茜の教育にいいとシロタマがどこかで見つけてきた立体戦略パズルゲームなんだが、マジで難しい。相手のコマの上下左右前後に対する動きを推測して一手を講じないと、うまく進まない超難解なパズルだ。シロタマを相手にすると俺や玲子の脳ミソでは、四、五手で詰まれる。時間にして数十秒。社長で1分ちょい。田吾は問題外で、最初から近づきもしない。

 そのうち慣れてきた茜で数分かな。優衣が相手して20分ほど接戦を繰り返すが、最終的にシロタマの勝利となって終わる。


 ところがだ。エルがシロタマを凌駕した。1時間ほど互いにコマを進めたが、シロタマの動きがぱたりと止まり、エルにこんな無駄な時間を与えるのは成長によくないとつぶやいて、コマをひっくり返して自分の研究室へこもっちまいやがった。もちろん亜空間チェンバーの製作にだが、どうもそれは負け惜しみの言葉にしか聞こえなかったのは、俺だけではないはずだ。



「ボルドーは俺の頭では難しすぎるんだ。お前はなぜあんな難しいゲームを楽々と解くことができるんだい?」

「相対的に流れる速さの異なる時間のせいらと思うの……」

「あぅ。またそれかよ」

「あ。ミカンちゃんだ。ねえあそぼ」

 逃げ腰の俺を救ってくれたのはミカンだった。エルは茜の次にミカンを気に入っている。


「きゅぃらー?」

「ねえ。またお話ししてくれる? ミカンちゃん」


「きゃうりゅ、らきゃりゅりゃりゅり」


「そうそう。管理者の船に乗ってた頃でいいよ」

 もちろんだが、ミカン語は完全にマスターしており、ミカンとのコミュニケーションも完璧である。たった48時間でだ。


「きゃきゃりゅらーりゅらり、ぴゃくりゅらりりゅ」

「うきゃきゃきゃ。ゆーすけがヨダレ垂らしてたのか」


 俺の片眉がぴくぴくした。(カエデ)にとっ捕まった時のことをミカンは話しているようだ。

「あー。その話なら、会議室にでも行ってゆっくりしてもらえ。ここは仕事の部屋だからな。あっちでやれ。な?」


「あの子。あたしたちのことが知りたくて夢中なのよ」

 と横から顔を出したのは玲子。

「ここがすべてだからな。本来ならあの森林で両親と駆け回っていたはずなんだ」

「でも、ひと月だけなのよ」

「ああ。だな」

 どうしても話題は湿っぽくなっていく。




 エルを保護してから4日目。


《ゲイツとユースケはただちに投降ちて、第二格納庫に出頭ちろ》

 いきなり敵陣地に投げかけるような船内通信が轟いたのは亜空間チェンバーの製作に入ってから2日後だった。エルを保護してからトータル4日経過していた。


「ほんま。なんやケッタクソ悪い言葉遣いやな……なんでワシらが降参しなあかんねん」

「ったくだぜ」

 二人そろって文句を垂れながらシロタマの研究室兼玲子たちの道場へ入ると、宙に浮かんだシロタマが待っていた。


「おまはんな。言葉遣いが無茶苦茶やねん! そんなことでエルの教育係は任されへんで」

「シロタマもそれから逃れたい。エルに教えることがもうないでシュ」


「ウソつけ……」


『アンドロイドは偽りを会話に混ぜることができません』

 と報告モードが言ったので、

「お前のは特別だ。入り混ぜた上にあえて吟味して大ウソをこきやがるくせによく言うぜ」


『シロタマが言いたいのは悪意の偽りであり、』

「あーもうええ。エルには時間がないんや。こんなとこでウソの定義を話し合っててもどんならんデ。ほんま」

 社長が割って入った。

「ほんで、これでっか、亜空間チェンバーちゅうのは?」


「そうだよ」

 とひとまず素で返事をしてから、

『仮想フィールドに蓄積する時空アトムの積み重なりを崩すことで亜空間フィールドを実現するチェンバーです』

 一気に捲くし立てたが、何一つして理解できる言葉なかった。


「時間をアトム粒子の積み重なりとして表現される説が最も正しく、それがこのチェンバーで証明されたのれす」

 茜が喋ったのかと思いきや、エルだった。


「ゲイツさん。ありがとうございます。これであたしは眠りにつきます。でもかならず起こしてくらさいね」

「こんな方法しか取られへんワシらを許してや」


 エルは思慮深い面持ちで、

「あたしの病気はこの時代では完治不能なのは理解しました。でもユイねえさんの時代になれば治せる人がいると聞いています。それまでここで辛抱します」

 そしてさらっと明るく言い放つ。

「だって、時間が止まるんれスよ。その時まで一瞬なんだもん。いくらでも待ってみせます」

 12歳にして自分の人生を達観したその考え方に、俺も社長も感服して言葉を失ったのである。





 エルを保護してから5日目。

 すでにエルは推定年齢で14歳を大きく超えるはずだ。しかし亜空間チェンバーに入ってからシロタマの宣言どおり成長が停止。バイオスキャンでそれが確認できた。眠りに入ったエルには気の毒だがこれでひと安心だ。あとはこういう特殊事例を扱っている機関を探して相談すればいい。


 それから少時もして――。

 司令室で胸を撫で下ろした俺たちの前で、ミカンの奇行が始まったのもそんな時期だ。


「きゅやぁぁあぁぁぁあー」

 と叫んで司令室に入ってきたかと思うと、そのまま壁に激突。衝撃はたいしたことはないが、ミカンはそれでも前へ進もうとして壁に腹を付けて押していた。

「ミカンちゃん? どうしたんれすか?」

 あまりにおかしな動きに茜が慌てて駆け寄った。


「きゃぁりゃ、るり、りゃくりゃ」

 ミカンはそう言ってまだ壁を圧し続ける。

「カラダが勝手に動くそうです」

 茜は銀髪ショートヘアを翻して報告。


「システムの暴走とちゃうんか?」

「ミカンならありえそうだな。どれ、ミカン再起動してやるからちょっとおとなしくしろ」

 ミカンの頭のてっぺんに付いたでっぱりに手を掛けようとしたが、

「きゅりゃあぁりりゃ!」

 二本指がついた丸っこい腕で俺の手を払い除けた。そしてでかい声を上げた。


「きゃっきゃーりゅぅ!」


「今の行為も自分の制御じゃないと言ってます」

 茜は困惑した不安げな顔をくれ、社長はシロタマを探して叫んだ。

「シロタマ! ミカンがおかしなったで。ちょっとみてくれへんか?」


 呼んで素直に登場するぐらいなら、誰も目の上のタンコブ扱いにはしない。

 社長は渋そうな表情で玲子に顎をしゃくり、玲子もうなずく。


「シロタマぁ。すぐに来て。用事があるのー」


「――何かよう?」


 頭が急に重くなって、きっかり2秒間、社長とそろって肩を落とした。


 風が流れ込むようにして入り口から飛び込んできたクソタマ野郎に言いのける。

「その差は何んなんだ?」

『重要度の違いによるものです』

 報告モードは冷淡である。

「なんでもええ。ミカンがおかしいんや。どこか故障でっか?」

 壁に阻まれながらもまだ前進を続けようとするミカンの後ろから、素早く出した神経インターフェースが後頭部にあてがわれる。


 ほどなくして。

『ミカンの制御システムは正常です。これは外部からコントロールされています』


「きゃーきゅ、りゃー」

「だからさっきから言ってるだろってさ」


「い、いや。だれがミカンをコントロールできんだよ。お前か?」

「なんでシロタマが。そんなめんどくさいこと」

「メンドクサイって……」


「きゃゆやぁー」

 突然、ミカンがしゃがみ込んだ。わけの解らない束縛から解放されたみたいで、全身の力を抜いて半歩壁から離れて、茜の白い顔を寂しげに見た。

「助かったぁ、って言ってまふ」


「どういうこっちゃ?」

「人工知能を外部コントロールなんてできるものなのか?」

『規模の小さなものではダイレクトにメモリ内をアクセスされてデータの改ざんなどが可能な時代もありましたが。現実では不可能です。ましてやミカンの高機能な自我認識システムを外からハード的手段無しでは不可能です』

「それは今お前がやったみたいに、神経インターフェースのようなものを使わない限り、ということか?」

『はい』


「ほな、今のはどういうことや?」

「きゃりゅら。らいりゅらり」

 ミカンは何か言いたそうだ。


「何て言ったの?」

 玲子の問いに固まる茜に視線が集中した。


「それが……」

 なぜか一旦言い淀んでから。


「エルちゃんが遊びに来たって言ってます」


「「エルが!」」

「アホな。エルは亜空間の中や。時間が止まっとるんや。そんなんありえへんがな」


 この時は誰も信じなかった。あのシロタマでさえ否定したさ。

『亜空間チェンバーは確実に機能しています。理論上、時間の流れは限りなくゼロに近い状態を維持するはずです。その中から人工頭脳に影響を及ぼすほどの思考波を放出することは不可能です』

  

  

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