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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第四章》悲しみの旋律
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  転送アクセスアレイ  

  

  

 せっかく防護スーツの修復プロセスを行ったのに、穴は塞がっていなかった。しかも残り5分だとほざきやがった。

「たったの5分で何ができんだよ!」

 見る間に暗雲が胸中に立ち込める。焦燥にかられ思考力がもぎ取られていった。


 ほぼ満タンに戻った空気圧がたったの十数分で空に近い状態になったのだ。

 この5分も正確な時間では無いはずだ。時間はもうほとんど無い。無限の時間を持った優衣ならまだしも、俺にとっては瞬く間に過ぎ去る刹那とも言える時間だ。


 せっかく捻り出した危機的状況からの緊急脱出アルゴリズムが、

「ただのクソになっちまったじゃねえか!」

 激烈な焦燥感は声へと変換され、吐き出すと急激に(しぼ)む。希望の先にあった絶望は俺の思いを粉々に打ち砕いた。


「何をしろって言うんだっ!」


 腰が砕けた。完全に詰んだ。打つ手無しだ。

 最初に膝が震え、それが崩れて地面を突く。続いて尻が落ちた。全身に力が入らず両腕と首をだらりと垂らした。


「こんな白い穴の中で俺の人生が閉じていたのか……死ぬんか、オレ……」

《そんなことありませんよ》

 きっぱりと断言する茜の声に誘われて顔を持ち上げる。


《コマンダーはわたしを守り切ったんですよ。だからおユイさんが未来から来たのです。そうでしょ?》

「こういう時はそうやって元気づけるようにプログラムされてんだな。お前……」

 激しい頭痛に襲われ、声に力がこもらない。あと数分で俺の命が消えるのだ。


《思い出してください、おユイさんの言葉。わたしを守るのがコマンダーの役目でしょ? それならコマンダーを助けるのはわたしの使命です》

「そうだな、これまでそうやって来たよな。でもごめんな。お前には俺を助けることはできないワ」

 そろそろ息苦しくなってきて、声を出すのがやっとだった。


《そんなことありませんよ。何かがありますって》

「優しいな。お前……。でも無理なものは無理なんだって……」

 まだ茜にしてやることがある。さっき不意に思い出したのだ。死んでもこいつを守る方法がまだ一つ残っていた。


「お前だけは俺が何とかしてやるからな」

 最後にやるべきことは一つだけ。防護スーツの横っ腹に張り付いた制御板を引き抜くこと。スーツのメンテナンス中にこれだけはやりたくねえな、と常々思っていた仕組みだ。


 ゴワゴワとした手袋越しにそいつを引き千切った。


 丸めた目で一部始終を見つめていた茜に説明する。

「これを抜き去ると救難ビーコンが出るんだ。そしたら時間は掛かっても社長が救出してくれる。な? これでお前は助かるだろ」


《でも電波は……》


「そう。今すぐは無理だ。でも社長はぜったいにあの手この手と尽くしてくれるはずだ。ただ俺にはその時間がもうない。だから言っておく。いいか、絶対にここを離れるな。救助される側の基本は動かないことだ。解ったな」


『警告! 空気の供給が止まりました。至急メンテナンスを開始してください』

 乾いた声音がまたもや会話を遮った。


 機械の言葉は無慈悲、無感情極まりない。そいつに言ってやる。

「そのメンテナンスの担当者は俺なんだ。お(スーツ)も俺と一緒にこの惑星で朽ち果てるんだよ」


 そしてついにその時が来た。

「なんか視界が怪しくなってきたぞ」

《コマンダー。低酸素症が出てますよぉ》

 茜の悲しげな目に向かって微笑んでやる。これがこの子に対する最後の配慮だ。


 息苦しい。急激に視界のボケが激しくなってきた。

 全身が気だるくて座っていられず、仰向けに寝転がり腹の上で手を組んだ。

「あー。何か楽だ。このまま眠っちまおうかな」

 白いパウダー状の地面が柔らかくてまるで極上のベッドに横たわったようだ。


「……どうでもよくなってきたよ」

 低酸素がもたらすのか窒素酔いなのか、頭痛は続いているが気分だけは爽快だった。


 数分の延命が何になるんだ。いっそのことここでマスクをだな、がばっと外して何か叫んでから息絶えるっていうのはどうだ。茜はその姿を見て何て思うかな。

 吃驚(びっくり)するだろうな。

 あははは。おもしろい。そうしてみるか。


 マスクの脱着レバーへ指をかけ、一気に引き剥がそうと力を掛けた時だった。

 その手を茜が止めた。


 茜。いいんだよ。1分やそこら延命したところで何になる。


 ――――っ!!


 異様な光景に俺は身を凍らせた。茜が自分のマスクを外していたのだ。

「くっ……狂ったか、お前!」

 茜は膝でにじり寄って来ると、端正な面立ちに決意を満たして、俺のマスクに手を掛け脱着レバーを引き上げた。

「ばっ!」

 バカ野郎と開いた口へと柔らかい唇があてがわれ、勢いよく空気が注ぎ込まれた。

 それは玲子の口紅の匂いがした。


 ほんの短い時間だったが覚醒した。

 大気は蒸し暑く、金属粉がねっとりと頬へまとわりついてきた。

 艶めかしい音を上げて唇が離れ、言葉を発する。


「わたしの胸に残された空気はこれで最後です」

 再び茜の顔が急接近して重なる。口移しで飛び込んで来た空気をもうひと吸いした。

 ぺしゃんこになっていた肺が大きく膨み、打ち寄せた波が引くように頭痛が消えていった


 一拍空けて俺は緑の光に包まれ、脳裏の片隅でフラッシュが飛ぶ。


「転送ビームだ!」





「きゃぁ――っ!」

 薄れる意識の向こうで、絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえた。


「こ、の――っ! ヘンタイ野郎! アカネとキスなんかしてぇぇぇ! この子はまだ子供なのよ!」

 精神的成長過程はあるかも知れないが、アンドロイドに肉体的成長過程など無い。と言い返してやりたい気分だったが――それよりも死んだらきっちり天国へ行けるもんだと俺は思っていた。でもこのようすだと地獄のようだ。


「あぁ~。きすってこの救命処置のことですかぁ」

 茜は俺の口からマシュマロのような赤い唇をはがしてから、嬉しげにそう叫んだ。


 それを顕微鏡でも覗く微生物研究員みたいな観察眼で真横からじっと見つめて来たのはミカンだ。

 重ねて――、

「このバカ! スケベ! さっさと離れろ!」

 力の抜けた俺の身体がグイングイン振り回され、最後には足蹴にされた。すげえ剣幕だけど綺麗なエンマ様だ。地獄も女性の進出が目覚ましいのだろう。


 あまりの気持ちよさに、今度はエンマ様の腰にすがり付く。

「あっ、こ、こら。離れろ、裕輔! きゃーエッチ、どこ触ってんのよ」

 エンマ様の尻が柔らくて、たまらなかった。


「こーのー。ス、ケ、ベ、ザルっ!」

 すげえスピードで世界がグルンと回転して、床に向かって背中から激しく落ちた。


「あがっう!」

 この痛み。この切れのある技。


「――床ドンっだ!」

 と叫んで目を見開いた。


「玲子。それぐらいにしときなはれ。せっかく無傷で救助したのにボロボロやがな」

「あ! ケチらっ! しゃ……社長っ!」


「誰がケチや。かまわへん、もう二三発、シバイたれ」

「わぁぁぁぁ。玲子ヤメロ。悪ぃぃ。俺の負けだ。ゴメン」


「コマンダー。よかったぁ」

 と抱き付いて来る茜を引き剥がしつつ、銀龍の転送室を尻でいざって壁へと逃げる。


「冒涜ダすぅぅ。(けが)れ無き純真無垢なFシリーズの唇を奪うとは……」

「奪うって……そんな大げさな。あわわわ。た、田吾、怖い顔するな。落ち着け!」

 今度は目を吊り上げた田吾に迫られた。


「こ……これはキスではない。緊急措置としてアカネの筐体内に残っていた最後の空気をこっちに移したんだ。それだけのことだろ」


 田吾を押し退けてもう一度玲子の怖い顔が、俺をぬんと捉え、

「裕輔! アカネを(けが)した罰は重いわ。絶対殺す」

「そうだす。死刑に値するダよ」

「こ、こらお前ら。こっちは命からがら救助されたんだぞ。なんでここで殺されなきゃならん、あのなよく聞け、俺の防護スーツが破れてだな。酸素が無くなり……ほらみろ。穴あいてんだぜ。アナ……」


「オラたちのアカネちゃんを汚したんだすよ。その不埒な行い、玲子さんの死の鉄拳を受けるのは当然ダす。その映像をコルスの同胞に送るダすよ。そうでもしないとオラの気が治まらない。オラたち同胞の袋叩きがいいか、レイコさんの鉄拳がいいか。どっちを選ぶダすか!」


 いつに無くこの野郎は饒舌(じょうぜつ)だった。

「どっちもいやだ! それより緊急事態だって言ってんだろ。何でこんなタイミングで転送したんだよぉぉ、パーサー」

 寡黙的でいて精悍な面立ちをした男は、ガラスの向こうにある転送制御室で苦笑いを浮かべながら肩をすくめるだけだった。


「ちょーっとみんな。とにかく落ち着け!」

 なんでお前らから猛烈な糾弾を喰らわなきゃならないんだよ。


 身振り手振り、必死になって自身を弁護する。

「まず俺は、超緊急的危機に陥っていた。どうだ聞いてるか、玲子? 間違いないだろ?」

 こいつが一番興奮してやがるからな。


「死の一歩手前で、茜からわずかな酸素を貰っただけだ。そのおかげで脳細胞の破壊は逃れたのだ。そうさ。よかっただろ? 無事だったんだからな。あーよかった」


「そのまま死ねばよかったのよ!」

 相変わらず厳しいね。玲子くん。


「そだ。今晩ビールをおごってやろう。俺が死んだらビールが飲めねぇとこだったんだぜ。そうそう第二格納庫にあるワインも開けような……お前のだけど」

 せっかく救われたのに、なーんでここで助命嘆願をしなきゃならないのだ。腑に落ちんぞ。


 それよりもだ――この危機をどうやって回避するか――そうだ。話を逸らそう。


「しかしよく転送ビームの焦点をあんな深部まで絞ることができたなぁ。エライえらい」

 どこにいたのか知らないが、シロタマが急降下して来ると、憤懣やるかたない口調で、さらに鼻息も荒く、

「せっかく張り巡らせた送信ネットワークアレイ、840個を全部外にばら撒いたでシよ。まったくほんとにもう。苦労ちてギンリュウ中に張り巡らせていたのにでシュよ。大損害でシっ!」


 人ひとりの命が助かったのに、プンプンしてやがる。


「せやで。上からばら撒かれた一個の装置はちっこいけど、数が多いがな。アレイっちゅうぐらいやからな。それ一個ずつを転送ビームのアクセスノードにして順に繋いで行き、ビームの先端を最深部にまで絞ったんや。パーサーのアイディアとシロタマの技術の成果や。ほんでこれは舞黒屋の時期商品にもなるデ。うははは、また大儲けや」


 こっちは商売に走りやがって。俺の命を何だと思ってんだ。


 ばら撒かれた送信アレイの回収は実質不可能なので、それでシロタマはプリプリしているんだ。


 もう少し早くやってくれれば、茜と口移しで空気を貰うなんて騒動にはならなかったのに。

 と考えて優衣の姿へ視線を振る。

 さっきから意味ありげにニタニタしているのが気にかかる。


 玲子は茜の唇を消毒液で拭くという屈辱的な行為を俺に見せつけてから、ミカンと一緒に部屋を後にし、田吾と社長もその後を追う。


「おーい…………」

 無酸素の谷底から無事救出されたというのに、みんなどこかへ行っちまって、俺と優衣だけが司令室に取り残されていた。


「あのさ。ユイ。これはだな」

「ユウスケさん……」

 優衣は艶のあるサラサラの黒髪を背中に払って立ちあがると、

「ワタシを大切に思っていただいて嬉しいです。それと、とってもいい勉強になりました」

 手を後ろで組んで、ぺこりと頭を下げた。


 ドキリと鼓動が跳ね上がる。

 優衣は自分の過去のことを語ったのだ。つまりこの時に(いだ)いた茜の感想だ。


 急激に胸が締め付けられる思いが全身を駆け巡った。それはとんでもなく恥ずかしい気持ちだった。

 穴があったら入りたい。いや、訂正する。


 穴はもうコリゴリだ。

  

  

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