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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第四章》悲しみの旋律
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  緊急事態    

  

  

『警告。スーツの空気圧が異常値です』


「お、おいっ! コイツ何か言ってるぞ!」

 防護スーツを管理、制御するシステムの音声が耳を疑うセリフを吐き出していた。


「アカネ! 空気圧異常ってどういうことだ!」

 俺は相当に動揺していたんだろう。茜に聞いたってこいつは首を捻るだけだ。だいたいスーツのメンテナンス係は俺なんだ。

 ついでに言うと、この手のスーツが告げるのっぴきならない事態というのは、たいがいにおいて命に関わることだ。

 今のセリフは、つまり『空気がどこからか漏れてますよー』っていう警告なのだ。


 俺は狼狽えた。

 スーツの外は呼吸に適さない二酸化炭素が充満した大気。しかもミクロサイズの金属粉塵で満ちている。ひと呼吸するだけで肺が喚き倒し、血管は膨れ上がり、心臓が暴発して一巻の終わりに落ちる。だから潜水服のような防護スーツを着込む必要があるんだ。


 オロオロする俺のスーツがまたも警告を発する。

『防護スーツから空気が漏れています。圧力が降下中』


 そしてシステムから次の指示が飛んだ。

『ただちに充填剤を射出します。手と脚を広げて直立し、力を抜いてください』


 こういう緊急的な状況に陥ることはまずありえないが、宇宙は常に危険と背中合わせだ。想定外の出来事であっても対策は練られているし、普通は無視せずに訓練を怠らないものだ。なのに俺たちは宇宙へ出るための特別な訓練など何もやっていない。特殊危険課だとか玲子は名乗るが、寄せ集めのお遊び集団さ。それが遊びの範疇では済まされない危険な目によく遭のは、そういうコトを誘い込むのに長けた奴らが多いからさ――ハゲだろ、世紀末オンナだろ、銀龍ラブの元戦闘機パイロットだろ――マジで俺の苦労はいつまで経っても終わりがやって来ない。


 愚痴を垂れても仕方がないが、どっちにしても防護スーツの修復シーケンスなんて初めての経験だ。四の五の言わず、とにかくスーツのシステムボイスに従って、両腕と脚を少し広げて待った。


 バンッ、と軽いショックに続いて防護スーツが膨らんだ。


『軽度の損傷に対する充填は完了です。念のため至急に整備することを推奨します』


 整備をするのは俺だから、構造に関してはある程度知識がある。防護スーツの表面は二重構造になっていて、穴などが空くと、その隙間に充填材が瞬間に満たされて塞がるのだ。


 スーツは自己診断プロセスに切り替わり、

『スーツ内気圧正常値。バッテリー電圧規定値……』


 順に異常が無いという防護スーツの報告が続き、最後に、

『空気の残量が約15分です』

 信じられない言葉で締め括りやがった。


「やっべー。だいぶ抜けちまったぜ」

 胃の辺りが重苦しくなってきた。


《でも、今撃ち込んで来たのは粒子加速銃です。まもなく転送してくれますよ。だってここにわたしたちがいるのが上では分かったみたいですもの》


 だといいが……。


 木っ端微塵になったガーディアンの黒々とした残骸から、時々噴き出すオレンジの炎が辺りを赤色に染めて、まるで地獄絵図だと、想像しつつ、俺の気分は最悪の状態に……。


 そう。茜の意見は楽観し過ぎている。この大気のせいで転送ビームの焦点が合わないのは確実で、スーツ備え付けの無線機が黙り込んだままなのがその証だ。救助を開始すると言うのなら何らかの連絡をしてくるのが通例だ。


 自分の出した結論が間違っていたことを祈って、トーンスケルチを切ってみたが、スピーカーからはノイズしか聞こえてこなかった。


 まだ15分ある。その間に何かできないか。


 やけに意識は晴れ晴れとしていた。研ぎ澄まされた思考力とでも言うのか――。

 そんな時、一閃を伴ってある記憶が甦った。


(あかね)を絶たてばすべて消滅して歴史が変わる。連鎖的にここでの事象も抹消され我は元に戻る!』

 それはいつかカエデが俺に漏らした言葉だ。

 ここで茜をホールトしてそのままにしておけば、続く時間流の先にいる優衣は存在理由を失い、このミッション全てが消える。


「あはははははははは」

 俺は笑い声と共に頭を振り、突然の挙動に驚いた茜は丸い目を俺に見せた。

《どーしたんですか?》

 そんなことに俺が手を下すはずがないだろ。俺の命に換えてもこいつは守ってみせるって、さっき心に決めたばかりだ。


「なんでもない。もっと素晴らしいことを考え付いたんだ」

 このミッションの原点はまだ他にもあるじゃないか。

 あそこのプロトタイプさ。

 あれが生き残っていたからこのミッションが始まったんだ。簡単に言えば、ここで俺があいつを破壊したら、優衣は未来からやって来ないことになる。来る必要が無くなるからな。そしたらどうなる。連鎖的に俺もここにいる理由が無くなる。


 俺がここに存在するための因果関係を繋ぐ時間項は2つ。茜とプロトタイプだ。どちらでもいい。一つを消せば、故郷の居酒屋で玲子相手にグラスを傾けてる光景と入れ替わるかも知れない。


 死の恐怖に迫られて導き出したアルゴリズムは正しいのだろうか。試す価値はある。ここから半径数百メートル圏内に、このミッションの標的である腐れロボットがいる。茜と協力すれば5分と掛からず破壊できる。それほどあのロボットのキネマティクスコントローラーは出来が悪いのだ。


「やってやろうじゃねえか」

 自分自身を奮い起こし俺は立ちあがった。


《コマンダぁ、どちらへ?》

 異様に燃える目をして一歩進む俺の腕を不安げに茜が引いた。


「決まってんだろ。このチャンスを逃す手は無いぜ。探していたモノが目の前にあるんだ」

《でも、平静にしていないと空気の消費が激しくなります。なんだか興奮気味れすよ》

 ヒューマノイドの健康状態をよく理解する管理者の作ったアンドロイドだ。気を使ってくれるのはありがたいが、やるべきことをやらねば男がすたる、というもんだ。


 何でこんな時に男気を出してんだろ、と俺は噴き出して来たメタ認知に強く(かぶり)を振り、その前で茜は思いもよらぬ発言をした。

《あっそうですよ、コマンダー。こっちの空気をそっちに繋いだらいいんです。わたしは呼吸をしていません。これを使っちゃってください》

 頭の少し上で電球が灯る気配を感じ、

「なるほど。そういう手もあるな。お前、賢いな」

 茜の防護スーツは、この金属紛で充満した中ではバイオ器官が傷付くということで着させているだけで、空気は特に重要視していない。強いて言えば、声帯に呼気を通して声を出すために必要なだけなので、恐らくほとんど消費していないはずだ。ようするに俺にとっては予備タンクみたいなもんだ。


 さっと広がる明るい兆しに、無情の声が響いた。

『空気の残量が残り2分です。スーツに損傷があります』


 まだ穴が塞がってなかったんだ。


『修復プロセスを始めます。充填剤の射出に備えてください』

 ぼんっ、とスーツが膨らんで、

『警告! 修復プロセスは完了できませんでした。システムメンテナンスを始めてください』


 どういうことだ?

『修理できなかったよー。ごめんねー』とでも言いたいのか?


 型に嵌めたようなシステムアナウンスの味けなさに気が滅入り、再び背筋が寒くなる。

 とにかく急いで、茜の背中にあるタンクに俺の供給ホースを接続してバルブを開いた。

 しゅばっ、と音がして空気が循環する。


『空気の残量が残り1時間55分です。消費を抑えるには平静を保つことが大切です』

「うっせえな。アナ塞げなかったくせに、よけいなお世話だぜ」


 しかし気持ちはずいぶん軽くなるもんで。空いた穴の大きさにもよるが、これで小一時間は持つだろう。


「アカネ。助かったよ。礼を言うぜ。お前はいつも俺を助けてくれるよな」


 茜は不安げな表情を瞬く間に消し去り、満面の笑みを膨らませて言う。

《わたしはコマンダーの補助をするのが仕事ですからぁ》


 時々足を引っ張ってくれるけどな……とは口に出さず、それは心のうちに仕舞っておく。


 で――。

 空気供給ホースが外れないように、茜を隣に寄り添わせてプロトタイプがいた場所へと歩み始めた。


「いいか。俺のアイディアを聞いてくれ。ここでプロトタイプを破壊するだろ。そしたらネブラは宇宙から消える。元を断たれたんだからネブラは生まれないわけだ。するとユイはミッションを随行する必要は無くなり俺たちの前には現れない。で、だ。連鎖的にこの危機的状況も歴史から消えて元に戻る。な? どうだ。ちったぁ俺を見直したか?」


 茜は複雑そうな顔をしてこっちを見た。

「おいおい。思いつめた顔すんな。一気に不安になるだろ」

《そうなると、わたしとコマンダーは離れ離れになります》

「あ、いや……」


 そうなるのかな?

 そこまで考えていなかった。


「後のことは後で考えよう。今はこれしか方法がないんだ」

 何もせずに、空気の消費にビクつきながら救助を待つより。こっちのほうがまだ明るい可能性が残る分、正解に決まっている。


 まずは現状の再認識をしてみる。俺たちを襲った巨大デバッガーを瞬時に破壊したのは間違いなく粒子加速銃で、標的の場所が分かったのは茜と優衣だからこそできる技だ。たぶん茜の記憶を頼りにデバッガーの位置を特定したのだと思われる。


 ようするにジフカと同じコトさ。ここで茜に語り掛ければ銀龍にいる優衣に要求が伝わる。向こうからは俺たちに何も言えないが、こちらからは伝えることができる。




「いたぜ……」

 黒い球体を2つ重ねたような、頭デカっちのダルマ体形。不恰好な野郎だが。これがあのスマートな巨人、デバッガーになるのだ。それも450年後には500兆という天文学的な数にな。


 そいつは蒼い光に下から照らされて、背中をこっちへ見せて直立していた。


 そこはかとない違和感を覚える。

「何で光に当ててるんだ?」

《ですねぇ。お店の看板みたいですぅ》


 連中はとても(さか)しいことをやる時がある。

 だいぶ前の話だが、プロトタイプの風体がアルトオーネの居酒屋、『赤・村さ木』のマスコット人形に酷似していることが分かると、奴らはわざと店内にプロトタイプを隠しやがった。おかげでしばらく誰も気づかなかったぐらいだ。



「俺が前に回って注意を引く。そしたらお前が後ろから飛び蹴りでも何でもいいからやっちまえ。ただあいつも貧弱だがスキャンビームを持ってっから注意しろ。まぁお前のほうがはるかに運動神経がいいから逃げ切れると思う」


《あいあいさー》

 茜は元気に挙手をし、俺から離れようとして互いに転びそうになった。


「あぶねえー。ホースで繋がっていたんだ」

 まったく間抜けな話だぜ。茜は空気が無くても動き回れるが、俺は茜の空気が無いと窒息してしまう。


《どうしますコマンダー? わたしをおぶって行きます?》

「そんなバカみたいなことができるか。しょうがない並んで歩くぞ」


 だが、最も安全な後ろ側へ回り込み、茜と揃って唖然となった。

「何だこれ、ハリボテじゃねえか!」

《ありゃりゃ?》


 ダミーだ……。

 あくまでも俺たちをここに誘い込むだけのデコイだ。で寄って来たところへあの巨人兵が襲う算段だったんだろう。


「あ。そうか!」

 鈍いな俺って。

 ガーディアンを撃てるなら、優衣はこのプロトタイプを撃つはずだ。それですべては終わるんだからな。それをせずにガーディアンを撃ったということは、このプロトタイプはデコイだということを茜の記憶から読み取っていたのだ。


 改めて暗闇に沈む高い天井、さらにその先で浮かんでいるであろう、銀龍の姿を思い浮かべる。

「ユイのほうが数手先を読んでんだ……すげえな。お前ら」

 時間のパスと呼ばれる茜と優衣の記憶デバイスを繋いだ時空間ネットワーク。


《むふっ》

 驚嘆の眼差しで見遣る俺に、茜はとろけるような微笑を返して来た。

 今の状況とそぐわない安穏な表情に力が抜ける。


「その超能力でこの状況を何とかしてくれたら、もっと褒めてやんだけだどな」

 茜は子猫が初めて鏡に映る自分を見た時みたいな顔をして、俺のセリフに小首を傾けた。


 こいつ……意味解ってねえな。


 呆れと落胆の気持ちで茜から視線を外し、人を小馬鹿にしたハリボテに移す。


 ネブラの野郎――。

 こんな案山子みたいなヤツで……舐められたもんだぜ。

「ぬヤロー!」

 めらめらと燃えあがる怒りが起爆剤となり、拳をギュッと握る。

 ハリボテ野郎の脳天を殴ってやろうと構えた、次の刹那。


『空気の残量が残り5分です。修復プロセスは完了できていません。大至急メンテナンスを行ってください』

 たぎる憤怒が一気に氷点下へと落とされた。


「ぬなぁっ! もうそんなに無いのかよ!」

 空いた穴は相当デカいんだ……しかも5分だと?

  

  

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