ジフカまでの長い道程(その1)
「おはよー」
背中に憑いていた悪霊をユイねえさんに追っ払ってもらったかのような、爽やかな声を出して仮眠室から顔を出した姐御。
同じ部屋で寝られるとは思っちゃいねえが、姐御はマジで厳重に鍵を閉めやがった。しかもユイねえさんが寝ずの番だ。オレたちゃ猛獣じゃねえんだから、何もそこまですることは無いだろう。
「何言ってんの。シャトルはザリオン船の格納庫に停泊させられてるのよ。どこから侵入されるかわからないでしょ」
「乗降口はちゃんとと閉まってやすぜ」
「相手はザリオンよ。ちょっとした隙間からでも入って来るわ」
ゴキブリじゃねえんだ。空気も漏れない宇宙船のどこからザリオンが侵入して来るんだと言いたい。
「あ、おはようございます。姐さん」
ヤスも船と語って朝を迎えている。おかげで一晩中うるさくって、オレも寝不足だ。
「あにい。おはようございます」
シャラくせえ野郎だ。先に姐御から挨拶しやがったな。オレはついでかよ。
ま、そんなちいせえことは気にしない。
「ああぁ、オハヨぅさん」
「寝不足で?」
「そうだ。ほとんど寝てねえ」
「そりゃ、後部座席ですからね」
座席はフルリクライニングだ。ほぼベッドと化する。だから寝心地は最高に良かった。
「で? お前らの調子はどうだ?」
「へい。おかげさまで、ほぼ学習は終わったので、シロくんの神経インターフェースは外すことができやす」
オレより賢くなっていくのは、ほんのちびっと寂しいが、ここは兄貴として太っ腹なところを見せておかなくてはならない。
「そうか。エライぞ、ヤス。その意気でニュータイプの走り屋を目指してくれ。オマエの腕が磨かれりゃぁ、オレも安心というものだ」
玲子ねえさんがオレの肩をポンと叩いた。
「さすが、組長候補のカマイタチじゃない。懐が大きいわ」
「そ、そーすか?」
カマイタチって言うな―。
「それより、朝ごはん頂こうよ」
それよりって……。
「んげっ!」
振り返って仰天満開だ。豚の丸焼きが『でっかい大皿』に載っていた。
堂々と重ね言葉を使っちまうほどに大きな皿だ。それに豚が一匹、丸焼きだぜ。
「艦長からの差し入れです」
オレたちの前に運び込まれてきて、部下が平然と告げてそこから去った。
「朝っぱらからこんなもん、誰が食えるんだよ!」
「…………………………」
食っちまいやがったぜ。
こいつらどんな腹してんだ?
ま、ヤスと姐御が大食いなのは知っていたが、おしとやかなユイねえさんが、豚の太腿に食らいつく絵は見なけりゃよかったな。百年の恋も冷めちまうぜ。
そうだ。メモしておこう。
霊能力者は大食い……だと。
「それより、これ豚じゃねえんだ」
食い終わってから言うのも何だが、アバラだけになった胴体にくっ付いた頭部をよく見て気がついた。鼻と額の中間辺りから長い角が一本突き出ていた。
サイか……小さくてもサイだ。
それを食っちまったかと思うと。
「うー。胃がモタれるぜ」
とにかく朝はご飯と味噌汁派なんだ、オレは。
細かい愚痴をこぼしているところへ、
「1匹で済むとは。オマエら小食なんだな」
と言って入って来たのは片目のザグル艦長だ。一宿一飯の恩義を受けた、この船でいっちゃんエライお方だ。
最近の若い者は当たり前だと思って、挨拶もしねえ奴が多いが、この辺りのところをオレたちヤクザは重んじるんだ。
「組長さん。ゴチになりやした。この恩義、生涯忘れやせんぜ」
「ゴチです。組長」
礼儀にはうるさいオレだ。ヤスも続いて頭を深々と下げた。
「遠慮するな。ところでクミチョウとは何だ?」
「船の長、ようするに艦長って言う意味よ」
オレの後頭部をぽかりとやって、急いで割って入る姐御。
昨夜、寝る前にヤクザ言葉禁止になったばかりだった。シャトルの言語マトリクッスがそっち系に偏るのと、シロくんが覚えるのが嫌だと言う。
でももう遅いと思うんだが……。
乗降口から上がって来たシロくん。
『クミチョウ! そろそろ出発しないと、ケツ持ちがうるせぇ、ってヤロウどもが騒いでヤスぜ』
な。もうどっぷりだろ。
こっちにくるりと旋回してシロくんが付け足す。
『アネゴ。準備はいいっスか? 行きヤスぜ』
その姿を白い目で見たレイコ姐さんから、またもや張り倒された。
な……なんで?
オレたちの平常的な語なのに。
ズキズキする後頭部を摩りつつ、
「それで……何で組長、じゃなかった、艦長がここに座ってんすか?」
後部座席の前2列をフルリクライニングにして、計、4席を使ってふんぞり返るザグルの旦那に尋ねた。
「特別行政区域へ連邦軍の艦隊が入るには、色々と難しい問題があるんだ。こういう小さい民間機で忍び込むのが最もいい」
「ねえ。特別行政区域って何なの?」とレイコ姐さん。
「そうそう。何すかそれ?」
ヤスも操縦席から首をひねり、聞き耳を立てる。
「うむ。あまり他種族の前で公にするコトではないのだが……」
言いにくそうに言葉を濁し、周囲を窺ってから、
「ザリオンは強い遺伝子を残そうとする種族なのは理解しているか?」
あ? オレに訊いてんのか?
オレンジの眼玉がこっちに向いていた。
「痛いほど理解してやすぜ」
「うむ」
ひとまずうなずいてから、
「繁殖は自然の摂理だ。どうしても弱者も生まれてくる」
「そりゃあそうだな。でなきゃ、世の中、オレらみたいな連中ばかりになっちまったら、収まりが利かないだろうな」
「ザリオン星ではどうなってんの?」
「惑星ザーナスだ!」
ぎろりと睨んでから、
「捨てる……」
初めてザグルの囁き声というのを聞いた。
「え? 聞こえないよ」
「ヤス、船と喋るのはいいが、もう少し音量を落せ」
姐御は顔を近づけ、オレはシャトルの操縦席に声をかける。
別にヤスたちの声が大きいのではなく、ザグルの声が小さいからだ。
「弱者はジフカに捨てるんだ」
「ジフカ?」
『ザリオンの母星、惑星ザーナスから2.1ライトアワー(光時)離れた位置にある天体、ジフカです。環境はほぼザーナスと同等ですが、進化の止まった星で、ザリオンの行政区域内にもかかわらず、ほとんど近寄る者もいない特別な地域です。そのため現在は他の天体からの逃亡者や犯罪者の温床と化しています』
ザグルはぎろりと片目でシロくんを見据え、
「言いたくないことを代わりに説明してくれるから、こいつのおシャベリもたまには役に立つな」
牙の端からちらりと小気味悪い笑みをこぼした。
『ザリオンから廃棄されたジフ・ガッ・バンヌは、ほとんどがそこで奴隷として扱われ……』
「もういいだろ、タマ野郎。それはオレたちの恥部だ。これ以上曝け出さないでくれ」
言葉を遮るザグルの肩がやけに小さく見えたのは、驚きだった。
「ジフ、ガッバンヌって何ていう意味っすか?」
船との会話を中断していたヤスが、遠慮がちに訊いてきた。
「ザリオン語で、弱者という意味だ」
どうやらザリオンは強い者しか育てないらしく、途中で挫折した者や生まれた時から身体的に弱い者はそのジフカという惑星に捨てられる――なんと非道な連中なんだ。オレが言うのもアレだけど。
「昔から慣習的にそれをやってるのか?」
ザグルは、突き出た顎を遠慮気味に前後させ、
「ああ、そうだ。だが奴隷ならまだマシだ。何とかメシにはありつけるんだからな。奴隷にもなれないヤツはゴミ集めや残飯掃除などをして、かろうじて生きている」
「ムチャクチャだな。そいつらのことを考えないのか?」
一つしかないオレンジの眼玉を閉じて言う。
「オレたちは戦士だ。戦えない者は死を選ぶか……奴隷となって生涯を閉じるかしかない。奴隷にさえもなれないヤツは仕方ない」
「あんたら、おっそろしい種族なんだな。自分たちの仲間が可愛そうだとは思わないかよ?」
「……思わない。殺してしまわないだけマシだ。ハバラゾーム星系へ行ってみろ、平気で殺してしまう種族と出会える」
ザグルの言葉で船内が凍り付いた。オレたちの倫理観とあまりにかけ離れた世界。ヤクザ界がまともに見えた。
「母国から捨てられた上に、今度は奴隷として生きて行くのね……。何とも気の毒な一生だわ」
「同感だぜ」
さっき食ったサイの肉がやけに胃の中で重く沈んできた。食後に聞く話じゃなかったな。
ザグルは溜め息と共に続けた。
「もともとジフカには、ザリオン帝国が栄えるさらに数万年前に進化した先住民族がいた。理由は分からないが惑星の一角だけを負の次元フィールドで囲い、外から入れぬように封印した地域を残して、その星を発っている。たぶん何かを保管してあると思われるが、誰もそこには入れないのだから、真実は闇の中だ。それと先住民はこれまで一度も戻って来ていない。もっとも今のジフカを見れば戻る気にはならないだろうな、何しろ……」
嫌なところで区切りやがったな、ザグルの旦那。
「何しろ……何よ?」
姐御が白い顔に疑問を浮かべて覗き込んだ。
「今じゃ、バケもんの巣窟だ」
アンタが言うんだから相当にヤバイ星なんだ。何だか急に行きたくなくなった。
『遺伝子操作などで失敗したミュータントの廃棄場所としても有名な天体です』
バジル長官が言っていた、ゴミ捨て場ってそういう意味か。
《ザグル。そろそろ出発しろ。一刻も早く救いに行かなければ、ヴォルティ・アカネとて不死身ではない》
怖いバジル長官の顔がキャノピーに映って、飛び上がりそうになり、ヤスが首をすくめて操縦席の隅に逃げ込んだ。
ったく根性のねえ奴だ。
「ああ。分かった。今から出る。それとオレが連絡するまで艦隊は手を出さないでくれ」
《わかっておる。提督の目があるからな。だが困ったことがあれば必ずワシたちを呼ぶんだ。5分で駆けつけてやる》
《ザグル。オレも行きたいが、その船は狭すぎるんだ》
今度はティラノくんだ。
あんたに来られたら、オレの座るところが無くなっちまう。
《ザグル……》
「どうした、アジルマ?」
《生きて帰って来いよ》
いぃぃぃぃ!?
「ああ。無事に帰れたら、ブラッドワインをおごってくれ」
《いいぜ。樽ごと買ってやる》
ちょ、ちょっと……。
それって、今生の別れって意味っすか?
な、なんか、もっと行きたくない気分になったんだけど……。
ちょっと考え直しやせんか、姐御?
「さぁ。ヤスくん。出発して」
あ、アネゴ……。
オレの意見はスルーっすか?
流れ去る流星のような速度で、シャトル・ユースケはザリオン艦隊の停泊地を離れた。巨大なタンカーの隙間からミツバチが一匹飛び立ったようだった。
『惑星ザーナスからジフカまでなら巡航速度で約4時間12分ってとこだな』
何とも言えない重々しい静寂に沈んだ船内に、シャトル・ユースケの声がやけに明るく響いた。
惑星ザーナス……。ザリオンたちの母星だと言う。
さて。結局ここはどこだろ。だいたいコルス3号星が、どの辺にある星かさえもよく分かっていないのに、ザリオンの船で連中の母星にワープされ、そこからシャトル・ユースケで4時間12分のジフカへ行く。近いのか遠いのか。まったくよく解らん。
「このスピードでは少し速すぎる」
唐突にザグルが唾を飛ばした。
「さっさと行ったほうが、よかねえか?」
と問うオレによく解からないことを言う。
「だめだ。亜光速で飛ぶヤツは撃ち落とされる」
「なんで?」
「速さは強さなんだ。ここから先では目立つことをするな」
「ちょっとぉ。じゃあ今日中に着かないじゃない」
「我慢しろ。そのために食糧庫にギルドを連れて来てある」
「ギルドって何だよ?」
「食糧の肉だ。今朝食ったろ?」
うぇっぷ。またあのサイを食うのか。ご飯はねえの? パンでもいい。
気の毒そうに首をすくめる姐御。ワインは積んでいるくせにそれ以外は何も無い……酒屋の倉庫みたいな宇宙船だな。シャトル・ユースケ。
「それじゃあ。どれくらいのスピードで飛んだらいいんっすか?」
すっかりパイロット然として受け答えするヤス。板に付いて来た感、満載だ。
「光速の5パーセントがギリだな」
『時速5400万キロなら42時間だ。到着は明後日だな』
げぇぇ………。ちょっと堪忍してくださいよ。もううんざりだぜ。




