続・明日があるさ
お待たせしました。マサとヤスの名コンビの登場です。宇宙を舞台にヤクザが大活躍します。
顔の左反面を照らす太陽がそろそろ暑い。そんな夏の気配漂う黄昏時。今日の空はやけに蒼く透き通り、白い雲が茜色に輝いていた。
「ヤスー。退屈だなぁ」
「あにぃ。変なこと言わないでくださいよ。オレたちの今の状況、分かってんすか?」
「わかってるよー。だけどなー。さっきからなーんも変化ねえんだぜ」
「そりゃ仕方ないっすよ。一本道っすから向こうも早々に仕掛けられないんすよ」
「でもよー。どこかで待ち伏せされたらどうすんだ? マズくねえのか?」
「大丈夫っす。サツの無線は傍受済みっすから。連中が待ち伏せる場所の手前で逃げ切りやす。オレの腕だとこのスピードであそこを曲がり切れねえと踏んでやがるんだぜ。あいつらオレを舐めてやすから。ここいらで一発、度肝抜いてやるんだ」
「まーなー。お前が言うんだから任せるけどよ。もうちっと変化がほしいよな」
何しろオレたちはお尋ね者だし。今日は敵対する組をぶっ潰して来たとこさ。マイト2本でどっかーんだ。それがちょっと目立ち過ぎたのか、誰かがサツに通報しやがったんだ。根性のねえ極道だぜ。マイトにビビって警察呼ぶんだもんな。女子高校生か、ってんだ。
と言うことで、オレはヤスの運転する白バンで警察と絶賛カーチェイス中なんだ。な、いいだろ。
さっきからエンジンは絶好調の雄叫びをあげているが、気分は少々退屈気味だった。
「……なあ、ヤス?」
「なんすか?」
「パトカーってこんなに遅かったか?」
「こっちが速いんでさ。何たってナイトロターボ搭載車だぜ。追いつくにはF1クラスのパトカーでないと無理ですぜ」
「そんなの作ったら税金の無駄遣いだろぅなー」
「アニキ、分岐点に差し掛かりやしたから、ちょっと揺れやスぜ。ここで右折しないと、この先にパトカーのバリケードがあるんで……」
「あー。まかせる……ぐげぇぇぇぇぇぇぇ」
すんげえ横向きの重力が襲って来た。首が折れるかと思うほどだ。
「ば、ばか、ヤス。もちっと緩く、あげぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」
うがあぁぁあぁあぁ。
今度は反対方向だ。夕陽がグルングルン回った。
タイヤの軋む音と白煙に包まれるものの、こいつの運転技術はてえしたもんだ。後ろに引っ付いていたパトカーのほとんどが曲がり切れずにコースアウト。田んぼや山林に突っ込んで行った。
「あだだだだ。ムチ打ちなったかも」
「あにい。掴まって。ちょっと飛びやすぜ!」
「ま、マジかよ、ヤス。このスピードでそこへ行くのか?」
「退屈してんでしょ。ジェットコースター真っ青だぜぇぇぇ」
道路はほぼ直線なんだが、急峻な登り勾配が迫って来る。まるで大空へ誘うかのような傾きだ。
「ジェットコースターはちゃんと車輪とレールがくっ付いてるからでぇ……わわわわ」
ぁぐっ!
急激に地べたへ圧される感じがして、
………ぅがわぁぁぁぁぁぁ。
今度は猛烈な浮遊感。
飛んだ。白バンが空高く跳んだぜ。
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
飛んだものは落ちるのが物理法則だ。
「ぬぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――あ?」
もう一度、「ぁ?」
「どした?」
なんかおかしい。
エンジンは唸りを上げているし、角度は下向きだ。だよな?
オレたちは今、絶賛降下中のはずだが。
もういっちょう疑問符をぶっ放す。
「あぃ?」
ヤスの後頭部を張っ倒す。
「痛えーす」
「眼ぇ、つむるな!」
こいつ目を閉じて運転してやがるのか。怖いヤツだ。
というより……。
「おい、ヤス。エンジン止めろ」
「は?」
「何か様子がおかしいぞ」
車は下向きに傾いていたが、景色が変わらない。
「ここどこっすか、あにい?」
「知らねえ……」
綺麗に磨かれた床と壁が車窓外に見える。どこかの倉庫のようだが。
ヤスはクルマの後輪が空転していることに気づき、ようやくアクセルから足を放した。
「ちょっと、マサ! 早くエンジン止めてよ。排気ガスで空気が汚れるでしょ!」
そ……その声は……。
確かにもうもうたる排気ガスだ。辺りが白煙に包まれてかすんでいた。
それとこの角度は何だか怪しい。窓ガラスを開けて後ろを振り返る。
「うぉぉぉ。何ちゅう力だ」
白バンが空転していたのは、片手で後部バンパーを高々と持ち上げられていたからだ。しかもどこかで見たことのある可愛らしい顔の女性にだ。
「おい。ヤス、エンジン切れ」
「へ、へい」
同時にどしんっと後輪が地面に叩き落とされた。
天井で頭を打ち付けそうになり、体勢を整えていたら、
「キーを抜いて降りてきなさい」
サツでもねえのに、この偉そうな口調は、
「あねごぉぉぉ!」
「あー。舞黒屋の姐さん。お久しぶりっす」
ヤスの野郎、兄貴を差し置いて姐御に飛びつくたぁ、いい度胸してんじゃねえか。
オレもドアを開けて片足を降ろす。
「おっ、そうか、なるほどな。ここはどこかの倉庫だ」
立ち上がって周囲を観察するが、記憶にない場所だった。
「どこだ、ここ?」
オレたちの稼業は港の倉庫から始まり、地下街の倉庫で終わると言われるほど倉庫に集まる。だからあの街の倉庫ならどこだって解る。だがこんなに白くて明るい場所は初見だ。
にしたって、何で倉庫に?
俺たちはカーチェイスの真っ最中だったはずだ。
排気ガスが空調の穴から吸い込まれ、やがて澄んでくると共に状況が……。
さっぱりわからない。
それと力持ちでいつまでもニコニコするこの美人さんは、どこかで見たことがある。もしや――。
「白鐘さん?」と尋ねかけて、首を振る。
「にしては、少し雰囲気が違いやすね。白鐘さんのオネエサンっすか?」
「あのさ。マサ……」
姐御は何か言いたげに喉の奥で言葉を転がしていたが、なかなか言い出せない様子。
そこへとヤスが歓喜にまみれる声で飛びつく。
「あー。お豆腐屋の白鐘さんだー。金庫破り以来っすね」
「今ごろ気づいてんのかよ。遅いぜ、ヤス。」
「ワタシはユイといいます」
「へぇ。白鐘ユイさんすか。良い名前っすね。あにい?」
うーん。響きがいいね。白鐘ユイ……。天使に付ける名前だぜ。
「あのさ。この子はね……。もうめんどくさい。それでいいか」
何かが吹っ切れたようで、姐御は困惑する表情を緩めた。
「この子は白鐘ユイよ」
「なんで念を押すんでやす? ユイさんでしょ?」
なんとお美しい。
姐御はオレの溜め息を無視。
「でね。このあいだの子が白鐘アカネっていうの」
「アカネさんですか。可愛らしい名前っすね。あの人にぴったりだ。ね、あにい? 」
ヤスは納得したようだが、確かこのあいだは『シズカ』って言っていたような気がするのだが。
なるほどそうか。姐御は特殊任務だと言っていたので、たぶん偽名だったんだな。オレたちの稼業とどことなく似ていて、こっちもたいへんなお仕事だ。
機嫌の良いヤスはほっといて、オレは辺りを見渡す。
倉庫みたいな場所に窓は無い。いや、出入り口になった大きな鉄の扉に小さな窓があるが、外は真っ暗で星がチラついていた。
いつの間にか陽が沈んだのか――いやしかし美しい。
何がって?
白鐘さんのオネエサンにきまってんだろ。
ユイさんは妹のアカネさんの雰囲気を残しているが、それよりずっと知的な美人だ。どちらかと言うと妹さんは幼さが残るホンワカ少女だったが、この人の深々とした知性あふれる瞳の輝きは息を飲むものがあるな。ちょっとした宇宙がその中に沈むようだ。
むー。完全にオレのタイプだ。姐御とは違った底知れぬ魅力がある。
おっと。見蕩れている場合ではない。それよりここはどこの倉庫だろ。
「いったいここはどこっすか?」
「コルス3号星よ」
「はい?」
「今回は近場ですので、アルトオーネから150光年しか離れていません」と優衣さんは言うが、
「……ヒャクゴジュウ…………こーねん?」
コーネンって何だろ。公演のことかな?
それなら1日6公演のストリップを仕切ったことあるけど、それ以外は聞いたことが無い。
「えっ!? 光年っ!」
どうもヤスが目を剥いたところをみると、やはりオレの考えはかけ離れたところに着地していたようだ。
ヤスの白バンを指差して、もう一度尋ねる。
「あのぉ。白鐘さん、のオネエサン。このクルマなら何分ぐらいの所ですかい?」
白鐘さんは涼しげな声で、
「どれぐらいのスピードが出ますか?」
「おい。何キロ出るかって、お訊きだぞ」
ヤスは自慢げに鼻の先っちょを擦る。
「ナイトロターボっすから、時速320キロってとこすかね」
「まったくすげぇクルマだぜ……はっはっはっ」
初めて聞いたけどそんなに出るのか。マジでモンスターカーだぜ。ったくよー。
ちょっと驚いちまったけど、オレも胸を張り、
「地面を走る乗り物の中で一番速いかもしんねえっすぜ」
と付け足したのに、白鐘のネエサンは薄っすらと笑みを浮かべてこう言った。
「時速320キロなら5億と620万年ですね」
「ふえ?」
ちょっと絶句。何が言いたいんだ、この人。やっぱ妹さんと同じ世界の人なのか?
それともオレの質問の仕方がマズかったのだろうか?
「それって休みなく走ってすか?」
「あ、はい。トイレも我慢して……」
「あの……1光年って何キロっすか?」
と訊くのは、オレよりかはちょっと学のあるヤスだ。
「9兆4600億キロメートルです。150光年ですから1419兆キロメートルです。320で割れば経過に要する時間が出ます」
「……………………」
妙に暗くなったヤスの肩を引き、
「いいじゃねえか。これでひとまず5億年はサツが追って来ねえってことだ」
「そ……そうっすね。これって逃げ切ったって言っていいっすよね?」
「そうだ。エレーぞ、ヤス。さすが族上がりだけのことはあるぜ」
「ありがとうございやす!」
うん、こいつの立派なところは、この切り返しの良さだ。
「警察って、あんたたち何やったのさ?」
「へ? へい。田貫組の事務所をマイト2本で叩いて来たんです、ネエさん」
と素直に応えるヤスに、
「昼間っから花火だぜ。アネゴにも見せてやりたいほど派手だったんだ」
自慢げに鼻を鳴らすオレ。
なぜか姐御は肩を落として息を吐いていた。
と、そこへ、
「玲子……やっぱ人選誤ったんじゃないのか?」
と出てきたのは、あの時の旦那だ。相変わらず髪を短くカットして、今日は松葉杖なんかしてやがる。
「シンスケさんじゃねえか。久しぶりだな」
相変わらずの間抜け面は、どこか焦点が合っていない。さんざん視線を泳がせてから、
「あのさ。実は俺の名は『ユウスケ』って言うんだ。シンスケは……偽名だ。それも秘密裏に動くときの名だから、ここでは伏せといてくれ」
「わかってやすぜ。オレたちもそういうことがよくあらぁ」
そしてさらに釘を刺してきた。
「それから、『シズカ』の名は出さないでくれよ。あれはトップシークレットなんだ。バレると……切られるんだ」
「エンコっすか。オレも何人か詰めたところを見たけど、ありゃ痛いらしいな。よーがす。呑んでおきヤス」
よく分からないが、こっちの家業もたいへんらしい。
「それより、足どうしたんです?」
「根性無いでしょ。ネンザよ捻挫」と横から姐御。
捻挫ぐらいで松葉杖とは確かに根性が無い。ま、オレの知ったことじゃないが。
「で、オレは何をしたらいいんでやすか?」
「さすがマサ。勘がイイわね」
称賛めいた笑みを浮かべる姐御へ、顎をしゃくって白いバンを指す。
「当たり前でしょ。無料であれだけのサツの包囲網から逃がしてくれるわけねえでやんしょ」
「そんなに囲まれてたの?」
「知ってて助けてくれたんじゃねえんすか?」
「ないない」
明るく手を振るなよ……姐御ぉ。
「じゃあ、何でオレたちをここへ拉致ったんすか?」
「ちょっと頼みたいことがあって」
「いやだ」
「何で即答なのよー」
「アネゴと付き合うと、ロクなことがねえんだ」
「なんでよー」
「このあいだもそうだ。オレたちゃ崩れたマンションの中に閉じ込められたんすよ。そのドサクサにピンクダイヤも無くなって、おかしいなぁって、新聞見たら銀行に戻ってたし……」
「でも、瓦礫からは救出されたんでしょ?」
「そりゃあ。ピンクダイヤをオレたちが盗んだなんてサツも思ってなかったから、なーんも咎められなかったけど、あの後、オレとヤスは住むとこ無くなって、しばらくガラクタの隅っこでテント暮らしだったんですぜ。雨降ってくるし……」
「でもピンクダイヤ抱くことができてよかったじゃない」
「抱いただけじゃ、やだぜ」
「お願い。助けてよ」
「やだっ!」
「あっそう……。木村組の幹部に吊るし上げを喰ったときに助けてあげたのは……。誰だったかなぁ」
「うっ、それは……」
まじいぜ。
「何すかその話、あにい?」
「お前の知らないことだ。聞かなくていい」
「聞きたいス。木村組の幹部をやっつけたのは、あにいなんでしょ?」
く、くそ。オレの手柄になっていたのに。
「あれはアネゴが助けに入って来てくれたんだ。しかも幹部十人をあっという間に伸して風のように消えた。連中は誰にやられたのかさえ分からないんだ。で結局オレがやったことになった」
「さすがー、姐さん。シビれるねえ」
「まあさ。古い話を持ち出したくないけど、まだあるでしょ。組のお金をネコババしたのがバレて……」
「せこいっす」
「うるせえ、ヤス!」
「あの時……。締め上げられそうになったあんたを助けたのは……」
姐御はさっとオレの懐に滑り込み、
「組長とのあいだに入ってあげたのは……誰だったかなぁぁ?」
妖艶な瞳で上目遣いにじっと見る姐御。そこから芳しい香りが立ち昇り、思わずクラクラ。
「ついでに立て替えてあげたお金、すぐ返すとか言ってたけど、まだ返してもらってないわ。今すぐそろえてくれる?」
やばい。すっかり忘れてたぜ。
「あ~あれね。確か借りたの連休で銀行開いて無くて……忘れてたな」
「今からでいいわ。お金出しなさい。ガタガタ言ってると首根っこへし折るわよ!」
「くっ……」
ヤクザに凄んでくるなんて、どういう神経してんだよ。この人。




