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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第三章》追 跡
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  宇宙に散った玲子  

  

  

《あー、ムチャしないで! バッファーフルです!》

 転送されていく優衣に抱き付いた俺の質量増加分の誤差は大きな修正を余儀なくされるはずだ。たぶんパーサーはそれに悲鳴を上げたんだと思うが、咄嗟に飛び込んじまったもんは仕方が無い。もう後の祭りである。


 彼なら何とかしてくれる。という勝手な思い込みが瞬断され、気付くと俺と優衣は第一格納庫の中に立っていた。

 しかもその目の前でハンドキャノンを両手でがっしりと構えた玲子の指がトリガーを引く、まさに寸前だった。もちろん銃口の先には目を剥いたメッセンジャーがいて、両手のひらを大きく広げて助命嘆願を乞うところだった。


「やめるんだ、玲子!」

 俺が止める間もなく奴はハンドキャノンのトリガーを引きやがった。

「バカヤロ――っ!」

 俺の叫びと発射音がぴったり重なった。


 ハンドキャノン発射の反動は凄まじい。制止させようと掛け寄った俺の胸に玲子が飛び込んできた。だが支えきれず二人して後ろへと吹っ飛んだ。

 至近距離から撃たれた光子弾はメッセンジャーに直撃はしなかったが、わき腹から少し逸れたところの隔壁を貫通しており、黒々とした穴が空いていた。


「ぐわわわわわぁ! た、助けてくれ!」

 信じられない光景を目の当たりにする。

 銀龍の隔壁に開いた穴から猛烈な空気が外に噴き出してメッセンジャーに襲いかかったのだ。まるで強烈な吸引機に噛み付かれたようだ。

 手足を振り回して吸いつかれた穴から逃れようと、もがき苦しむが、いかなる力をもってしてもそれはできない。凄絶な吸引力が白衣をむしり取り、髪の毛を引き千切り、目玉が飛び出し、顔があり得ないカタチに引っ張られた。


「見るんじゃない!」

 急いで玲子を背けさせ、俺も固く目をつむった。

 瞼の向こうで凄まじい絶叫がして、一瞬、生臭い血の匂いが鼻孔を突いたがすぐに消え去り、目を開けると赤く染まった亀裂だけが残されていた。


「どうしたの?」

 玲子の背に言う。

「終わったよ」

 弛緩するかと思ったらその反対だった。玲子は体を反転させ、俺の胸を両手で叩いた。


「なんで、来たのよ!」

 俺の前で玲子が暴れていた。だが絶対的強さを誇る彼女の体がとても弱々しく感じる。


「特殊危険課はチームで動くんだろ?」

 俺の言葉に玲子はすぐに静まり、

「ごめん。裕輔……」

 素直に謝った。やがてすがるような目から涙がこぼれ、例えようの無い強い庇護欲が湧き上がり胸が締め付けられた。


 ところがそれで終わりではなかった。

 玲子の腕を引っ張り、轟々たる空気の流れに逆らって優衣の待つエアーロックへ向かおうとした時だった。

 後ろから背筋を凍らせる音がした。亀裂が触手を広げる音だ。振り返ると黒い穴の周りから無数の裂け目が放射状に伸びていた。

「玲子! もっと下がれ。穴が大きくなったらおしまいだ!」

 次の刹那。忽然と大きな音がして裂け目が拡大。黒い面積が急激に広がった。


「まずい! 早く行けっ!」

 後方へ駆け出そうとした俺たちの足に不可視の何かを巻き付けられて、ぐいっと引き倒された。


 船内の空気がさらなる爆流となって噴き出し始めたのだ。

 ズルズルと漆黒の穴へと体が滑って行く。まるで重力が狂っていくようだ。格納庫が徐々に縦に傾きはじめた幻覚に襲われ、床にしがみついた。

 俺と玲子を引き剥がそうとする渦の力はとてつもなく強く、いくら逆らおうとしても体がズルズルと滑って行く。


「こっちへ……」

 滑り出した俺たちを優衣が力強く引き戻した。

 その横を置いてあったロッカーが大きな音を立てて黒い穴に落下して行った。吸い込むなんて表現では生やさしい。まさに落下するだった。


 奔流に飲み込まれ、気付くと3人とも穴の縁まで滑り落ちていた。

 優衣が隔壁の柱を掴んで必死に玲子の体を支える姿を目視しつつ、俺は自分の体勢を整えるのが精いっぱいだ。だけど早くしないと格納庫の空気は1分と持たない。


 優衣の大切な黒い髪が爆流に飲まれて引き千切れていく。それでも穴の縁に両脚で踏ん張り、かろうじて掴んだ玲子の腕を引き上げようとした。だが空気の爆流という魔力のほうが(まさ)っていた。

「先行って!」

「行くか! 玲子、手を出せ!」

 決意の雄たけびが喉から出たのか、そうではなく心の中で叫んだだけなのか、平常心のぶっ飛んだ俺には判断がつかない。


 とにかく伸ばしてきた腕を掴んだ。

「がんばれ!」

 暴れまくる玲子の髪先はすでに宇宙へと触れている。


 玲子の赤い口が再び詫びるように小さく動いた。

「なんであたしの言うことを聞かないのよ……」

「いいか。俺の手を絶対離すな!」

 玲子の言葉を俺は無視した。

 激しいうねりが起こす爆発的な空気の流れに逆らって腕を引き上げる。


「もういいよ。あなたまで巻き添えにしたくない」

「うるさい!」

 再びがっしりと握り合う。

「この難局を乗り越えたらお前と朝まで飲み明かすぜ」

 風に暴れる髪の毛の中心で、朱唇がほほえんだ。

「そんなのいつものことじゃない。もっとおもしろいことをしてよ」

 この期に及んで贅沢なヤロウだ。


「なら……お前にプロポーズするってのはどうだ。そんな光景は絶対に見られない。だから生きて帰るんだ」

「それ、おもしろそうね」

 玲子の腕に力が入った、ように思えた──。

 ウソだろ?

 あいつの腕がするりと抜け、暗闇へと呑まれて消えた。

 あまりに現実離れした衝撃に頭の中が真っ白に。でも喉は反射的に動いた。


「レイコ──っ!」


 叫び声は瞬時に奈落の底へと失せて、今度は俺の足の下が無くなった。

 空気の流れに耐え切れず、隔壁の裂け目がさらに大きく拡大したのだ。


「ユウスケさん!」

 優衣に力強く掴まれた。しかしあっという間に漆黒の闇が展開する。目めまいを起こしそうな澄み切った深みが永久に続く世界が広がった。


「ぐぁ――っ!」

 みるみる肺の中が空っぽになり、強烈に胸が締め付けられ、全身に不快な微痙攣が走った次の寸刻、幕が引き下ろされるように意識が遠のいた。




 俺の脳が不思議な光景を見ていた。


 腕だ……。


 そう、それは俺が玲子に差し出した腕だった。

 無酸素と低気圧が起こした幻覚かも知れないが、あまりにもリアルな玲子視点の映像だった。


 映像はリアルにゆっくりと外に流れ出ると銀龍から離れて行き、色々なものを映し出した。ハンドキャノンで開けた隔壁の穴が、意外と大きく外に捲れていたこと。そこから目映い光りが外にあふれ出していて、俺と優衣がシルエットになっていること。


 静かに小さく遠ざかって行く情景と共に意識の炎が消えていった。

 俺へと寄せられた最後の思考。

 そして停止。


 虚無――。




「えっ!」

 再び現実に戻る。

 俺は優衣から腕一本でぶら下げられており、その視界の端で信じられないものを見た。滑り込むようにして現れたミカンの上に優衣は俺の身体を落としたのだ。


 まさにナイスキャッチ。見事なタイミングで俺をすくいあげた。

 救命ポッドにトランスフォームしていたミカンは、散乱する外壁の破片をすり抜け俺の真下にやって来ると素早く回収。ほととんど瞬間的にガラス製の小さなハッチを閉めた。


 ほんの刹那だけ消えていた意識が覚醒(かくせい)し、気付くとミカンの柔らかな衝撃吸収コアの中に沈んでいた。そして小さな船首に優衣がかろうじて引っかかっている。

 ミカンは敏速な動きで別の格納庫に飛び込み、同時にハッチが勢いよく閉められた。時間にして数秒だ。


 無酸素状態が続いた俺の肺が空気を求めて暴れまくっていたが、ミカンの緊急救命措置は完璧で、言い知れぬ息苦しさからすぐに解放された。

「玲子っ!」

 と叫ぶが、気密室となったミカンの体内から外には聞こえない。代わりに優衣がのそりと立つのが見えた。


 ミカンが飛び込んだのは隣の第二格納庫だった。

 部屋に空気が満ちると駆け寄って来た社長と田吾に取り囲まれ、その上にシロタマが浮遊。

 顔面を覆う小さなガラス張りのハッチが開き、外に飛び出した俺の横でミカンはいつものボディへとトランスフォームを始めた。


「玲子はどないした!」

 泣き叫ぶみたいにして俺に飛びつく社長へ、こっちが反射的に突っかかる。

「まだ外だ! それより何でミカンは俺を助けたんだ! 玲子のほうが先に飛び出たんだぞ!」


「きゅーぅ」

 小さく体を丸めるミカン。


『ミカンを責めるのは間違っています。最も近かったユウスケを救助しています。救命ポッドとしての使命は確実に助かる人命を迅速に(すく)うことです』

 それは冷淡にして冷酷なシロタマの報告モードのセリフだった。


「そんなこと知るか……何でだ。何で俺なんだよ」


 必死で叫ぶ俺の肩を優衣が引き寄せた。

「メッセンジャーが現れてから、曖昧模糊としたモヤモヤとした思考が漂っていた理由が解りました。ワタシに気づかれないようにアカネがホールトしてる間にレイコさんが死亡するという事実にすり替えたのです」


 CPUがおかしくなったのだろうか。こんな時に何を言い出すんだこいつは。

 だけど眼は真剣だ。優衣は爆流で引き縮れた髪の毛を一瞬で頭蓋へ引き込み、次の間で、栗色のボブカットヘアーにイメージチェンジするとシロタマに向かって叫んだ。

「大至急DTSDを再装着することを要請します。それと田吾さんは防護スーツを一組持って来てください」

 床にペタンと座り込んだ優衣はシロタマに背中を開いて見せた。


「今さら船外に吹き飛ばされた玲子を回収しても手遅れや。外は真空なんやで、数秒ももたん」

「心配ありません。74秒以内なら時空修正が可能です。まだ間に合います」


 社長は両手で頭を抱えて膝から崩れるとワナワナと震えだし、優衣はそれへと意味のよく解らない激励を飛ばした。

「安心してください。この一連の出来事は正しい歴史から逸脱しています。今ならレイコさんを救助できるんです!」


「外は真空だって言ってるだろ! 人間は即死状態だ!」

 俺は自分で吐いたセリフをまるで夢の中のワンシーンを見る気分で聞いていた。そう、これは夢だ。悪夢なんだ。


 しかし両手がブルブルと震えて止まらないのはどういうワケだ。夢ってこんなに現実的だったのか。


「だいじょうぶ。まだワタシの記憶にはレイコさんが死亡したことにはなっていません」

 優衣が激しく頭を左右に振る。栗色の髪の毛がふさふさ舞って俺を全否定した。

「何を言っているんだ、お前!」

「ワタシの記憶では、まだこの先もレイコさんが生きています。それはワタシとアカネが長い時間のパスで繋がっているからです。誰かが史実の書き替えをしたんです。完全に入れ替わるまで74秒。まだ修正が可能なんです」


 誰かが意図的にやった?

 そんなことができるのは……。


「ネブラの仕業か!」


 俺は愕然とした。こういう方法でもこのミッションは崩壊するんだ。そう俺たちのメンタルを潰しに掛かって来たのだ。メッセンジャーは単にデプロイされていただけで犠牲者に過ぎない。


 不意に社長が頭をもたげた。ギラギラとした眼は気概(きがい)に富んだ輝きをしていた。ドゥウォーフの惑星で生きる気力を失くした俺たちを奮い立たせたあの時の目だ。


「その話は後にせえ。先に玲子を助けるデ! みんな、ユイの指示に従うんや! 田吾はシロタマを手伝ってDTSDを外して来い。ほんで裕輔は防護スーツを持ってくるんや! 今すぐや。走れ!!」

 田吾はすぐにシロタマの後を追いかけたが、俺の足はまだもつれたままだ。


「こらーっ! なに、ぼけーっとしとんのや! はよ防護スーツ持って来んかい!」


 悄然としていた俺に発破を掛ける社長だが、俺はさらなる悪夢にうなされる。

「あ、あの……それが……まだ全部バラバラのまんまで」

「な、何でや! あれほどやっとけっちゅうたやろ、このボンクラ!」

 社長は真っ赤になった目で俺を睨み上げた。


 息が止まりそうだ。どんなに罵声を浴びせられても弁明のしようがない。それを怠った俺が全面的に悪い。

 やっと気が付いた。未来から手渡された俺のメモはこのことを伝えようとしていたんだ。


「バカだ、俺。もっと詳しく書いておけよ」

 いやそうじゃない。防護服の組み立てをする時間は充分あったはずだ。悪いのはそれをサボった俺だ。


「いったいどうしたらいいんだ……取り返しのつかないことをした……」

 自責の念に押し潰されそうだった。



「あ――っ!」

 脳内でフラッシュがほとばしった。


 あのメモを栽培プラントの中に埋め戻したあと、ミカンに防護スーツの組み立てを教えて時間を潰していたことを思い出したのだ。

 第三格納庫で組み終わった防護スーツが――可能性はわずかだがゼロではない。


「一着だけあるかも知れない!」

 咄嗟に向かいの第三格納庫へと床を蹴った。運が良ければミカンが組み立ててくれている。

 自己の怠惰な振る舞いを恨み、ミカンの行動に祈りを捧げつつ部屋に飛び込んだ。


「誰が組んだんや?」

 俺を追って来た社長の疑問に応える。


「ミカンです」


 頼む! あってくれ!




「あった!」

 爆発的に膨らんだ緊張が一気に飛散し、その場で崩れそうになった。


 一着の防護スーツがきちんと組み立てられ、デスクの上に横向きに置いてあった。

 胸が痛い。燃えるように熱い。身の置き所が無い。穴があったら今すぐにでも入りたい。


 猛烈な後悔と安堵感が襲った。


「おぉ。ちゃんと組まれてますがな。ほんまにミカンがやったんか?」

「信じられない……ミカン……」

 涙があふれて止まらなかった。


「一度しか見せなかったのに……あぁ。教えていない酸素の充填までしてある」

「救命処置に精通しとるミカンの取った行動や。完璧やがな……」

 社長は深呼吸みたいな長い吐息をして、静かに俺へと言う。


「おまはんも咄嗟に玲子をかばって第一格納庫に飛び込んだ気持ちを汲んで、今回の不祥事は不問にしたる」

 社長の言葉が再び胸を貫いて通った。


「はよせえ! もうすぐ時間切れになる。死んでも成功させるんや!」


 俺は防護スーツに飛びつくと担ぎ上げ、第二格納庫へと踵を返す。

「きゅい」と鳴いて顔を覗きこんできたミカンへ早口で伝える。

「ありがとうな。これで俺だけでなく玲子の命まで助けてくれたな」


 体を先に旋回せて俺へと向き直すミカンを社長は優しく抱き寄せた。

「ワシからも礼を言うで。ミカン、おおきにな」


「あと7秒です!」

 待ち構える優衣へ防御スーツを差し出すと、優衣は持っていた玲子の転送マーカをそれへと張りつけて虹色の光の彼方へと消えた。

  

  

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