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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第三章》追 跡
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  玲子と裕輔の繁殖行動  

  

  

 貧富の差を(あらわ)にさられて、いささかショックを受けて食卓へ戻ってくると、優衣と副主任が向き合って談笑中で、遅れてテーブルに着いた玲子はその中に溶け込めず、暇そうに執事に向かって空のティーカップを振っていた。


『はいはい、ただ今』


 小刻みな足の運びで玲子の脇まで移動して、電気ポット野郎を呼び寄せる執事。

『ささ。こちらのお嬢様にもお茶のお代わりをさせてもらいなさい』


 電気ポット野郎が玲子のカップに琥珀色の液体を注ぎ始め、副主任はティーポットの傾きが水平になるのを待って立ち上がった。


「さてそれじゃぁ。オレは病院へ戻るとしよう」


「今日は色々と楽しいお話しありがとうございました」

 優衣が見送ろうと立ち上がる。

「あ、そのままそのまま。あなた様は、みなさんとお茶の時間を楽しんでくれたまえ」

 溌剌(はつらつ)とした声で付け足す副主任。こいつには『ユイ』ちゅう名があるということを教えんといかんな。


「ま、何かあったら、執事に言えばどこでも連絡してくれる。例えばオレの研究室にだって連絡がつくよ」

 白衣を風に膨らまし、副主任は反らした2本の指を優衣へさっと振って見せ、颯爽(さっそう)と玄関へ立ち去った。


 あのぉ~。鳥肌が走るんっすけど――。


 その後をコソコソと追っていく執事の背中を見つめながら、玲子は俺の耳元に赤い唇を近づけてこっそり言う。

「なあに今のセリフ? 意味ありじゃない?」

「少なくとも、俺やお前にくれたセリフではないな」

 改めて俺たちはテーブルを囲んで、出されたお茶をすすった。


 それは意外と美味いもので、全身に浸透する甘みが激動の一日で蓄積された疲れを(かすか)にでも癒してくれるような味だった。



 弛緩した空気の中で、かちゃりとカップを受け皿に戻した優衣が口火を切る。

「あの、ワタシ思うんですけど、副主任は味方に」

「しっ!」

 俺は人差し指を自分の唇に当てて、優衣の言葉を途中で制した。


「どうしたのですか?」

 戸惑いを隠せない様子で、俺の顔を覗き込む優衣。そして、

「誰かいるの?」

 じっと俺の目の中を見て、疑問をぶつけてくる玲子。


「この会話がユビキタスネットワークに広まるとまずい」


 優衣はすぐに気づき、黙して首肯し、事情を知らない玲子は小さな声で訊く。

「盗聴器?」

 なんとも古臭いことを言う。


 優衣がこれまでの経緯(いきさつ)を耳元で囁き、玲子は粋美な面立ちの大まかな基礎になっている瞳を丸めること、数秒、了解の意思をその中に灯らせた。


「だけど作戦が立てにくいわね」

 聞こえるギリギリの音量でそう言う玲子に、優衣が人差し指を立てて合図を送った。


「執事さん。こちらにご足労願えませんか?」


 そいつはすぐに自分の身の置き場となっている玄関からやって来て、頭を垂れる。

『何かご用でしょうか?』

 優衣は偽物の笑みを浮かべている人形野郎に問う。


「一時的で結構ですので、ワタシたちの情報をネットワークから切断することは可能でしょうか?」


 他のアンドロイドはみんな表情のない鉄仮面みたいな(つら)を並べているのだが、こいつだけは、たぶん、ヒューマノイドと会話することを前提に作られているため、固定された笑顔になっている。それが極度に気味が悪い。それなら無表情なほうが声から想像できるだけにまだマシだ。


『どのような理由があるのかは存じ上げませんが。それは不可能でございます』

 笑い顔でそう告げれたら、ますます胡散臭く感じてしまう。


「ワタシたちの種族ではプライベートと言って、公共の場から外れて公開されたくない個人の時間が必要なのです。ですのでネットワーク接続されたままでは落ち着きません。今すぐ切ってくれませんか?」


『いや、しかし……。中央部の判断を仰がなければ……』


「ではすぐに尋ねなさい」

 ユイ効果――優衣に対してここのアンドロイドが従順になる現象はこいつにも通用するようで、

『は、はい。すぐに仰ぎます……です』


 執事が目をつむること数秒。

『やはり、無理だと言う返答がございました』


 優衣は深々と頭を下げる執事に、こほん、と取ってつけたような咳払いをしてから、

「今からワタシとユウスケさんとで繁殖行為を行います。それは神聖な儀式に(のっと)ったものです。ネットワークなどに監視されたままでの行為は不可能。子孫が欲しくば今すぐに切るのです」


「「なんとっ!」」

 俺と玲子が固まった。


「なんと大胆なことを……ユイ」

 申し出は嬉しいのだが。いくらお前ができのいいアンドロイドだとしても――だな。俺にはどうしていいのやら……。


 ごんっ!


「痛ってぇぇ」

 玲子に拳で頭を殴られた。


「ユイ。あなた意味解ってそんなこと言ってるの?」

 その声音は少し怒っている。なんで?


「あ、はい。繁殖行為については、会社で訊いても誰も知らないみたいで、みなさん黙り込んでしまい、未だに学習できていません。レイコさんはご存じなのですね。すごい、さすがですね」


 会社でそんなこと訊かれて、平気で答えるのは田吾ぐらいなもんだ。

「いや、あ……あのね、ユイ」

 迫られた玲子もタジタジだ。


 優衣はさらにエスカレートする。

「助かります。それなら今度、アカネも誘ってお勉強会でも開いてくれませんか」

 やけに明るい口調になり、俺まで巻き込む。

「ユウスケさんもぜひ特別講師でお願いします」


「………………」

 呼ばれれば出向いてもよいが。

 俺と玲子は無性にオロオロした。情けねーぜ。


 オロオロした甲斐があったのか、黙り込んでいた執事が無表情な(つら)をこちらに見せた。

『中央制御から返答です。繁殖行動中に限ってネットワーク切断の許可が下りました』


「おし、じゃあ今から繁殖するか」

 俺は冗談で言っただけなのに、玲子からの蹴りがみぞおちに一発入った。


「ぐはっ……!」


 膝を落としてうずくまる俺に執事が駆け寄り、

『苦しそうですが、いかがされました?』

「だ、大丈夫だ。これは前戯だ」


 もう一発、脳天踵落としが炸裂した。


『いつもそんなに激しいのですか?』

 よく解らない言葉を贈呈してくれた執事に玲子は赤面。優衣は意味も無く少々はしゃいで、俺は頭と腹を同時に摩りつつ、奥の部屋に閉じこもった。もちろん、お供すると言い張った執事は優衣に追い返された。


 言っておくが、部屋で行うのは気色のいい儀式ではない。作戦会議だ――作戦会議。何度も言うが、作戦を立てるための会議だ。

 玲子の表情がまだ硬い――なに考えてんだこいつ。


 それにしても、ユイ効果はこの星の中枢にまでも通じることが判明した。その反面でさらに謎も深まることに。

「ユイにだけ従順とは、どういうことだろ?」

 さっぱり解らない。


 さっぱり――、と言えば、

「ここに来る前に見た、あのモヤモヤした幽霊みたいなものは何だったんだろうな?」

「この星に閉じ込められた人の怨霊よ。幽霊なのよ」

「お前まだそんなこと信じてんのかよ。年いくつ? そろそろ卒業しろよ」


「幽霊、亡霊の(たぐ)いじゃなければ何なのよ」


「…………」

 しばし考えるが、

「わからん……」

 今のところこれが唯一俺の出せる回答さ。


 玲子は大げさに溜め息を吐いて、背中でたゆむポニテをゆさりと振った。

「それならまだ、幽霊のほうがマシじゃない」

「お前のは非科学的だから、この件に関しては何言っても却下だ」


「ひどーい。あの影みたいにモヤモヤしたものは幽霊に決まってんの。ねえユイ?」


「あの……」

 言いにくそうにモジモジする仕草は、何かを語ろうとしている。


「何だか解るの? 言って?」

 玲子に(うなが)され、重たげに朱唇を開いた。

「亡霊とか幽霊とか、450年後のワタシがいた世界ではファンタジーのジャンルにしか残っていません」

 と言ったので、

「ほらみろ。非科学的じゃねえか」

 否定する俺に優衣は頭を振る。


「でも、こいう現象を時空震の亡霊とかゴーストと呼ぶ人がいます」


「へへーん。あたしの勝ね」

 まるでガキの寄り合いだ。

 俺と玲子が口を挟むとちっとも話が前に進まないので、自主的に聞く側へ回る。


「大きな時空修正が施されると、時間項が未決定な内はとても不安定な状態なのですが、ジャンクションに近づくほどにはっきりとしてきます」


「出た――またその話か」

「裕輔、静かに!」


「例えばここにティーカップが3つあるとします。誰かが過去へ時間跳躍して、このうちの1個を割って捨てたとします。どうなると思います?」

 玲子は目を逸らし、参加拒否の姿勢を示すので俺が代わりに答える。


「カップを割って捨てた途端。ここにあるどれか1個が消える……だろ?」


 優衣はサイドポニーテールの先っちょを背中に払ってうなずき、

「ですね。でもまだ割っていない時点から。割ろうと手を伸ばして、実際に割って捨てるまでのあいだ、つまり時間項が未定値を示す時にさっきの亡霊みたいな現象が起きるんです」


 何とも胃の中がひっくり返りそうな気分に(さいな)まれるが、このまま何も反応せんわけにはいかないので。

「割って捨てた瞬間がジャンクションだろうから、割るという原因が確定するまで、そのカップの行方は未定だわな。だから未来に存在しているカップは半透明のモヤモヤしたものになる……」


「はい。今の解答は85点です」

「何だよー。中途半端な点数だな」


「今の話しでは過去に戻ったブランチ点周辺がジャンクションに当たります」


「脳の中が痛くなったぜ。ブランチ点て、なに?」

「過去へ時間跳躍をした瞬間がブランチ点で、実際に歴史的改変を行った点がジャンクションです」


 本気で頭の中が熱くなってきたよ。優衣。

 それだとジャンクションは結果次第と言うことになるけど、それでいいのか、と訊くと、


「原因から結果へと水の流れのように考えると、そのような間違った考えにたどり着きます。原因は結果があってこそ発生するものです」


 うへぇ~。

 脳みそ沸騰しそう……。


「未来へ飛ぼうが過去へ飛ぼうが、多かれ少なかれ、歴史は変化します。でも注意深くすればジャンクションを発生させずに済みますので、ゴーストも出ません。しかしさっきのは、あきらかに時空修正によるゴースト現象です」


 これ以上喋らせておくと、本気で頭痛薬が欲しくなるので、適当なところで結論を求めることにした。

「簡単に言うと、あの幽霊が出たと言うことは誰かが時空修正をすると言いたいのか?」


 優衣は力強くうなずき、そして言う。

「おそらく、間違いありません。近いうちに何か起きます」


「それもこの近くで……ね?」

 やっと会話に参加する気になった玲子。高揚した頬を瞬く間に赤らめ、「問題は……誰が何のために行ったかよね」

 科学的な議論には不参加を表明するくせに、サスペンスぽい話しになると目の色を変える。


「誰がやったか……そりゃ簡単な話だ」

 そうさ。時空修正なんて、やたらめったら手を出せる話ではない。


「ユイ……お前だ」


 しかし虚しく首を振る。

「現時では必要性を感じられません」


「そうか。アカネがこの場にいないから、お前の未来を見る目が利かないんだ……」


 嫌な汗が背筋に浮き出た。予測できない事態だということだ。となると、このようなシチュエーションを可能にする者と言えば。

「デバッガーか……」

「メッセンジャーもいるわよ」


 だいたいこの宇宙には、簡単に歴史を覆せる奴らが多すぎるんだ。

「宇宙の創世記以前、ビッグバーンも何者かが時空修正をして発生させたという説もあります」

「まじかよ……。宇宙って必然の産物なのか? となったら、時空修正をしたヤツの宇宙はどこにあったんだ?」


「はーい。そこまで裕輔! あなたの頭では考えられませーん」


 玲子は、対面し合う俺と優衣のあいだを手のひらで遮断して、

「じゃあ明日から行動に移すわよ。いい?」


 なんでこいつはすぐに仕切りたがるんだ。だから俺はつい熱くなる。

「お前へのは闇雲過ぎる。何をどう行動に移すんだ。何かを調査するのか? それにしては俺たち、ここのシステムに慣れていないぞ」


 続いて放ったれた優衣のセリフは意外なものだった。

「ここは一つ協力者を得るべきだと思います」

「協力者って、誰よ?」

「あいつか……」


「あいつって誰よ?」

「お前、鈍いな」


「あなたに言われたくないわ。ニブチンのくせして」

「へっ! 俺が鈍いというのならお前だってその仲間だ」

「なにさ!」

「ちょっと、お二人ともやめてください。今は繁殖中なんですよ。こんなに騒ぐものなのですか?」


「「うっ……」」

 そろって黙り込んだのは言うまでもない。




 でもって優衣は、漆黒のガラス球みたいな瞳を潤ませて言う。

「医療センターの副主任は味方になるんじゃないでしょうか?」


「どうだろうね。仮面を付けるような人物は信用しないほうがいいわ」

 玲子は真面目に答え、俺も賛同する。

「あいつはザリオンをこの星のマスターだと、俺たちに偽った野郎だ。カエデと同じでウソが吐けるアンドロイドは信用できない」


「ウソにも色々種類がありますから……」

「およ? 意味ありげな言葉っすな、ユイ?」


 やっぱ付き合っちゃう?


「ねー。どうしたの? なんかユイ、意味深なんだけどー」

 やっぱ鈍い奴だな。ま、お前には生涯関係ねえよ。隣の部屋で竹刀でも振ってろ。


「どうゆうことよー?」

 玲子はしつこく喰らい付いて来たが、ことごとく蹴散らしてやった。


 で、結局のところ結論だ。


 明日は俺と優衣とで幽霊調査。今言った時空修正を誰がやるのか、その証拠、あるいは気配でもいいから探すことに決定。玲子は武器になるものを見つけることになった。あいつらしいというか、あいつしかできないというか、反論の理由も浮かばず全員一致で可決した。

  

  

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