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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第三章》追 跡
153/297

  水中都市  

  

  

 方向を水中深くに定めた小型艇は、ハッチが閉められると自動的に動き出す仕組みだった。


「自動操縦なんだ」

 しんと静まり返った艇内に俺の声が響く。


 座席は二列。前の一列は操縦者の席で、ロボットが膝に手を置いて前方のガラス窓を眺めており、奴らは何も言わないが、後部の一列が俺たちに与えられた席のようだ。たぶん四人ぐらいは座ることができる長椅子だった。

 操舵レバーなどが勝手に動く以外はとくに目立つものは無く、視線を捉えて放さないのは、前方の大半を占める深々とした海中の青い景色だ。中心部が濃い藍色。縁に行くにつれて明るい緑の混ざる青色に滑らかに変化してとても美しい。


 手のひらでプヨプヨしたシロタマを弄ぶ玲子の隣に座り、

「こいつらはただの飾りだな」

「あたしもちょっと心配してたんだ」

 と言ってさらに声を落とし、

「優衣はアンドロイドって言ってるけど、どうみたって人形だもん」


「まあな。でもアルトオーネのロボット技術も似たようなもんだぜ。となると、いかに管理者の技術がすごいかって話だぜ」

 サイドポニーテールがよく似合う優衣と、その先で何をするでもなく、ただ目の前の計器類に向かって座るだけのロボットを交互に見比べて思う。

 カラクリ人形と澄んだ瞳の美少女だな。なんどという感想をひねり出していると、玲子の胸ポケットでおハゲちゃんの声がした。


《どないや。中の様子は?》


「別にこれと言って危険な様子はありません。水中艇は遠隔操作でコントロールされていて、動きもしっかりしています」

 事務的な返答をする玲子の横から俺も追加報告だ。


「社長。転送マーカーのロックを忘れないでくれよ。水が滲みてきたらすぐに反転転送を頼むぜ。この中はマジで棺桶みたいなんだ」


《心配せんでもええ。ちゃんとロックしてまんがな。それより二人して同じ棺桶って……ロマンチックやな》


「ぶっ! 変なこと言わないでください、社長」

 ロマンチックって……。もっともあのオッサンには似合わない単語だ。


《まぁええ。ほな新婚旅行や思って楽しんできなはれ》

 とんでもない言葉で通信は締めくくられた。


「ったく。あのオヤジは……」

 俺は湿気た息を吐き、玲子は顔を真っ赤にして下を向き何も言い返せないでいる。


「あの。ワタシも付いてきてよかったのでしょうか?」

 間の抜けたことを優衣が言いだし、玲子は必死になる。

「バカなこと言わないでよ。優衣。今のはセクハラ発言て言うのよ。よく憶えておきなさい。こう言うのが度重なった場合、社長であっても提訴できるんだからね」


(おいおい……えらい部下を持っちまったな、社長。帰ったら裁判に掛けられっぞ)

 本気かどうか知らないが、そいつの横顔を見つめてしまう俺だった。




 やがて水中艇の速度が上がると室内が騒がしくなってきた。船体が巻きあげる無数の泡が、透明感のある硬質な音を奏でて、囁き合うようにして外壁を撫でて行く。低いモーター音がBGMとなり、目をつむっていると、遠くの砂浜に打ち寄せる波の音みたいにも聞こえるのが、とても心地よかった。


「おい……」

 玲子はじっとしていられないのか、医療器具の入ったバッグを開けたり閉めたり、シロタマを膝の上で転がしたり、

「ちょっと静かにしろよ」

 そいつの横っ腹を突っつく。

「やめてよ。セクハラオヤジぃー。触んないで」

 と言うなり、俺の頭にシロタマをぶつけてきた。柔らかな物体は金属製にもかかわらず、痛くもなく、ぽよんと跳ね返ると空中へ放たれ、そのまま操縦席のほうへと漂って行った。


「セクハラ……理解不能?」

 いきなりだった。一眼レンズの人形が振り向いた。


「説明しろってか?」

 とても説明しづらい。裁判沙汰になるのも嫌だし……。

 玲子もロボット相手に説明ができないらしく、黒い目を盛大に泳がせていた。


「性的な言葉でいやがらせをする行為です。主に男性が女性に対して行います」

 的確な言葉で説明したのは優衣さ。


 一眼レンズ野郎は首をかしげる。

「性的……男性……女性……」


 その部分だけをクローズアップされると、何だか赤面しそうだ。


「機能不全を起こした生命体の性別はどちらですか?」

 優衣が尋ねて気づいた。それを訊くのを忘れていた。あと症状とかな。

「お、それだ。それを聴かなきゃ治療もできないよな」

「ばーか。あなたが治療するみたいに言わないでよ」

 治療をするのはステージ3に遷移したシロタマで、なぜかこいつは手先が器用というだけの理由で俺を助手にしちまいやがった。


 俺たちの会話を無視して一眼レンズが妙なことを言った。優衣を指差してだ。

「あなた……同じ」

「それは女性だと言いたいのですね?」

「……はい」

 ひと言だけ返して、また前を向いて止まった。ギクシャクした動きだが止まると1ミリとて動かないのだ。


「ワタシは生命体ではありませんよ。あなたたちと同じアンドロイドです」

 と返す優衣に今度はツインレンズが振り返り、

「あなた……同じ……女性」

 どうやら優衣をアンドロイドと認識できないらしい。


 まぁこいつらの識別能力では無理もない。すべての事情を把握する俺たちでさえも、優衣と茜は生命体だと思ったほうが理解しやすい存在だ。逆に、生命体のくせに時々その気配を消しちまう人物なら、俺の横で、暇そうにさらさらの毛先を指に絡める美人がそうだ。美人ではあるが、こいつは殺人兵器だな。うん。


 俺は目の前でキョトンとしているツインレンズへと体を乗り出し、小声で告げてやる。

「あのな。ほんと言うとこっちはアンドロイドなんだぜ」

「なに言ってんのよ! バッカじゃないの! 私はお腹も空くし眠くもなるのよ」

「おっ、さすがよくできてるな」


「……レイコは高機能で高性能でシュよ」

「シロタマまでくだらない冗談は言わないでよ。本気にされたらマズいでしょ」

「わははは、タマ。面白いじゃねぇか。ちゃんと冗談になってるぜ」

 シロタマは俺の肩辺りを浮遊しながら玲子の顔色をうかがいつつ優衣に近寄り、その肩にぽよんと着地した。


「こいつには浮気癖があるからな。どうする?」


 玲子は鼻の頭にシワを寄せ、いーっと白い歯を剥く、という子供じみた仕草をやって見せ、それからわざと俺から視線を外して、サイドポニーテールを揺らす優衣の肩を抱き寄せた。


「ねぇーユイ。女性の生命体を治療するんだから、やっぱりあたしたちが来て正解よね。コイツだけだった危険だったわ」

「ガキが……」

 女どうしでジャレ合いやがって。いまどき小学生でもそんな幼稚な当てこすりなんかしないぜ。


 でも暇だから相手になってやる。

「俺が患者に手を出すみたいに言うなよ。逆セクハラか?」


「最後の希望だったマナミちゃんにもフラれたしね。弱った病人ぐらいしか手が出せないんじゃないの? あぁぁ怖い。病気になったらあたしどうしよ。裕輔に襲われる運命なの?」


「ばっきゃろー。お前は襲う側の人間だし、お前に病気なんてありえねぇだろ。万年皆勤賞の鉄のオンナがなに言いやがる」

「失礼ね! あたしだって風邪の一つや二つひくわよ」


「いつ、ひいたんだよ!」


 急に黙り込んで、目を泳がせた。

「ほらみろ、記憶がねえんだろ」


「あるわよ子供の頃に……。ふんだ、このスケベ馬鹿」

 言葉に詰まると、こいつはいつもこれだ。


「男はスケベでないと、生きて行けねぇんだ」

 言っておいてなんだが、あまりに大人げ無い言葉だとは思ったよ。でもな、こいつといるとどうしても熱くなるんだ。


「まぁ、まぁ。お二人ともやめてください」

 くいっと、柔らかい仕草で俺と玲子の隙間に腕を突っ込むと、絶妙のタイミングで優衣は俺たちのあいだに割り込んだ。


 その肩越しから、なおも言い返してくる玲子。

「あなたは(むし)なのよ。何するか分かったもんじゃないわ。だいたいシロタマもなんでこんなハエ男に助手をやらせるのかしら? アカネのコマンダーといい。いっつもあなたが選ばれるのはなぜ?」

「知るかよ。きっと俺は機械に『選ばれし者』なんだぜ」

「考えが単細胞的だから理解されやすいのよ。単細胞バカなのよ、バ~カ」


 この野郎。ついに開戦宣言をしやがったな。


「いっちゃあいけない言葉を吐きましたね、このあばずれポンコツ野郎」

「あたしは野郎ではありませーん」

 赤い舌をぺろぺろ。


 挑発的な態度にカチンと来たぜ。

「この! 蛇オンナめ」

「何さ、ハエ男! やるのっ!?」

 妖怪大作戦みたいな状態になった空気を掻き消すように、シロタマがすいっと近寄って来て、ひと言告げた。


『この水中艇の作りでは、中心部の水圧に耐えられません』


「「えっ!」」


 意表を突いた報告モードのセリフに、二人そろって凝固する。

「どういうこと?」

 俺の胸ぐらを鷲掴みにしていた玲子が、丸めた瞳に不安を滲ませた。


 だがツインレンズは振り返り、たどたどしくではあるが、

「安心。浅い、町は……浅い」

 そう言い、再び、マリオネットみたいに首をフラフラ旋回させて正面を向いた。


「──だ、そうですよ」


 玲子は優衣にコホンとか咳払いをして、俺とは真逆の方向へ首をねじり、優衣は柔和に微笑みながら話を逸らそうと努める。

「でも中心部には重力発生装置があるんですよね。そちらのメンテナンスもみなさんがやるのですか?」

「参十参番の仕事……。数年間あと、安定……」


「そうですか。あと数年で新天地に到着ですものね」

「到着……水球星……燃料……」


「それはすばらしいですね」

「ありが……とう」

 レンズだけをギラギラさせて表情の無い顔を前後させた。


「何がすばらしいんだ?」

 ニコニコする優衣に訊く。


「到着と同時に、この水球星は燃料としても使われるみたいですよ」

「よくあれだけの単語の羅列でそこまで分かるなぁ。お前、でたらめ言ってんじゃね?」

「だいたい分かりますよー」

 俺は、へーとか、ほぉーとか感心するだけだった。


 玲子も(えり)に張り付いていたコミュニケーターをいじるが、翻訳機の故障ではないことはシロタマの宣言どおりなので、おそらくこいつらの機能が低いだけだ。こんな連中のアシストで、うまく治療が行えるかどうかが心配だ。




 それから十数分もして。

 退屈しのぎにシロタマを手のひらで丸めていた玲子がふぁりとまつ毛をもたげたので、こっちも釣られて視線を持ち上げる。


「お?」

 濃い藍色で染まっていた水中艇のフロントガラスが、にわかに明るくなっていた。


「様子が変わったな」

 陽の光とよく似た光彩が艇内の中まで射し込み、床や隔壁で揺らぎだした。

「なにあれ。宝石みたい」

 フロントガラスの向こうに現れたのは、水中に浮かぶ銀白色の大きな泡の玉だ。



 それはみるみる変化を経て。


「うあぁ。大きいぃ」

 近づくにつれ、視界をせり上がり全貌を現す。それは光に包まれた巨大な都市だった。


「すげぇ規模じゃねえか」

「ふぁぁ。すごい」

 俺と玲子は同時に嘆息しあった。

 あふれる光のカーテンを揺らめかせて、水中を彩る数々のビルディング。すべてが透き通った一つの泡の中に収まって、目映(まばゆ)い光を放出している。まるで海に沈められた太陽だった。


「到着………」

 一眼レンズのロボットが冷たい態度で前方を示した。


 泡の膜はガラス状の隔壁。一点の曇りもなく磨がかれた無色透明の物質で膨大な数の建造物を包んでいた。そこは深海に眠る壮大な都市、まさに水宮の城と呼ぶべき威容を誇っており、その存在は神々しくもある。



「明るいですねぇ」

 優衣が眩しげに目を細めた。

 過度な輝度に対する調整を瞼の開け具合で行うところは、管理者のアンドロイドに対する開発センスの良さがうかがえる。


「マスターは……暗い嫌い」

 閉所恐怖症かよ。

 レンズの搾りを締めた連中の眼球カメラが黒っぽく見えて、それは目玉にも見て取れる。


 驚きの光景に心を躍らせていると、水中艇はぱっくりと開いた穴から内部に滑り込み、底を何かに擦りつけてすぐに静かになった。


 ドックに到着したらしい。

 入って来た口が閉められると、勢いよく排水されてフロントガラスを透過する光量が増した。そして一眼レンズの野郎が艇内の横っ腹にあるハッチに立ち、

「開け……る」

 と当たり前のことをつぶやいた。


 大きな機械音がしてハッチが開き、想像どおりに強烈な光が差し込んで来た。それはあまりにも強く、薄暗い艇内の照明に慣れた目には、痛みを覚えさせるほどの明るさがあり、俺と玲子は思わず手で遮った。


 眼をしょぼつかせ、ゆっくりと瞼を開く。

「うぅぉぉぉ!」

 視界に飛び込んできた光景に絶叫だ。


「すげぇ~。社長に見せてやりたいな!」

「すごいっ! 何この光。いくらなんでも明る過ぎない?」

 強い光線は皮膚に刺激を感じさせるほどで、何度も瞼を瞬かせて、玲子はとてつもなく高度のある屋根を仰ぎ見た。


 空と言ってもいいほどの奥行きのあるドーム屋根全体から、真っ白な明るい光が差し込み、真夏の太陽を思わせる光量があったが、熱は伝わってこない。冷たく白い光線だった。


「日焼けの心配はなさそうね」

 何をのんびりしてんだか……。


 光に埋まる建物の一部は壁が透明で、その内側までも視界に飛び込んでくる。海の中から見たのと、中に入って見たのでは印象が大きく違う。内部は明るく美しい。整然と仕切られた部屋が並び、同じカタチの建物が最下層から上空かなりの高さまで積まれていた。


 フロアーの壁は無いもの同然で透けて見えているが、個々の部屋は不透明な隔壁で囲まれ、プライバシーは守られているようだ。公共の場は完全に透け放たれ、清潔感あふれる仕様で、すべての人に手の内を見せる姿勢は悪くない感情が湧いてくる。


「見て。あんな遠くまで続いてるわ」

 玲子が興奮して指差す先、建造物のさらに向こうは、ゆるい丘陵へと続き、かすんだ遠方には丸いドーム状の建物が並ぶ景色に変化していた。


「ここが水の中だというのを忘れさせてくれる景色だな」


 広大な空間と眩しいほどの光量は閉鎖感を微塵も感じさせず、時折そよぐ清々しい風は大地を思い出させてくれる。


 空を仰ぐと高層建造物を繋ぐ通路が階層ごとに網の目に広がり、いくつも重なった蜘蛛の巣を下から見上げるようだった。そしてさらに高い部分は、光り輝く(もや)の奥に消えていた。


「これって、エネルギーがもったいなくないの?」

 玲子の質問に、

「エネルギー……今のうちたくさん使う。……新天地……水浸し……」

 一眼レンズをこちらに振り返らせて、ポチポチと答える。


「あぁ。新天地に到着したときに、水の量がちょうどいい具合に計算されてるんだな」

 優衣が言うように耳をそばたて必死で単語の意味を考えていくと、何となく理解できる気がしてきた。


「はい……」

 俺の推測は正しかったようで、ツインレンズのほうがうなずいた。ギクシャクした動きで頭を前後させると、そのままもげる気がしてドキドキするのだが。これは仕方がないか。


「ということは、この星を取り巻く水は700年にわたって、燃料や飲料水に使われてきたので、日々縮んでいくんですね。最初は相当大きかったんでしょうね」

 と尋ねたのは優衣。

「…………………………3倍」

 ひと言の返事にえらく時間が掛かる時もあるのだが、優衣は辛抱強く会話を試みる。


「すごいですねぇ。それを700年掛けてここまで運んできたんですね」

「苦労……した。技術力、マスターすばらしい……尊敬」


 これだけの都市を作り上げた技術力と、その割にいまいち低機能なロボット。

 何だか釈然としない気分なのは、俺の考え過ぎだろうか?

  

  

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