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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第一章》旅の途中
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高分子再配列キット

  

  

「これわー。エマージェンシーキットれす。未知の場所へ転送する時は常備することが義務付けられてんの」

 むくりと起き上がって社長が訊く。

「もしかして、サバイバルキットでっか?」

「あのぉ。ウィザードを解いてご来場されたんですよね?」

 怪訝そうなナナに、社長は大急ぎで取り繕う。

「え? おぉ。そうや。知っとるで、なぁシロタマ。キミから説明したってくれるか」

 と命じて、自分はぷいと尻を向けて、また寝転がった。


 おいおい。


『エマージェンシーキットとは、サバイバルキットをより高機能化した高分子再配列デバイスが付属している緊急時用キットです。食料と飲料水、医薬品など、何でも作れます』


「へぇぇ、すげぇもんがあるんだ、あ、痛ぇぇ」

 社長はむこうを向いたまま、落ちていた木切れの先で俺の頭をぽかりとやり、赤い月に話しかけるように言う。

「ま、そいうこっちゃ。そやろ? ナナくん」

「あ、はーい。さすがですねゲスト様。そうなんですよ。このキットを転送時に急いで渡そうとして、この惨事に至ったんれすよ」

「何が惨事だ。原因はただのど忘れだろ。最初に渡していればこんなことにならなかったんだ」

「ウダウダゆいなはんな」

「……ユイナはんな」

 社長は厳しい目線を向け、ナナはその背に半分隠れながら唇の先を尖らせた。

「お前が真似すんな」

 漫才の掛け合いみたいなことを繰り返す俺とナナの前に、玲子がすくっと直立する。

「でもスゴイじゃない。ふだんの生活でも便利に使えそうだわ。お料理を作らなくて済みそうだし」

 受け取ったカップの中と底を念入りに覗く玲子へ言い放つ。

「よく言うぜ。料理なんか作ったことないくせに」

 ついでに付け加えると、玲子は料理を作らないのではなく、作れないのだ。


『緊急時の簡易的なキットですので、一般的なフードレプリケーターとは異なります』

 シロタマがいきなり口出しするから、社長はまたまた慌てちゃって、

「そや。簡易的なキットや。レプリケーターとはちゃうちゃう。な? 裕輔」

「あ? あぁ、ちゃうちゃう」

「チャウチャウ? 犬れすか?」

「チャウチャウ? ちゃうちゃう……」

 もはや何を言い合ってんのか解らない。


 玲子はポカンとし、シロタマは呆れてどこかへ飛んで行ってしまった。


「ようするに材料さえ何か入れれば、その分子を再配列して別のモノを作るんだろ?」

「そーでーす。作ろうとする分子が無い場合は作れませんがー、目をつむればほとんどのものが製造可能れーす」

「目をつむればってどういう意味でっか?」

 俺も社長に賛同はするが、

「やな言い方だよな。でもモノは試しだ。俺の空腹は限界まで来てんだ。毒さえなければ何だって食ってやるぜ」

「あたしはお水が欲しいわ」

「わっかりました」

「おいおい、マジかよ」

 ナナはそこらに群生している黒い葉っぱを適当に引き千切ると、無造作にカップの中へ押し込んだ。


「その葉の分子を利用して何ができまんねん」

「そうですねー。お水と食料ができまんねん」


「ナナよー」

「はい?」

「あんまり社長の口癖は真似ないほうがいいぜ」

「どうしてれすか?」

「難しすぎて、逆に使えないぜ」

 苦々しい笑みを浮かべて社長は、

「アホ」と一言言っただけで、カップの中を覗き込んだ。


 そうさ。『アホ』ひとつで何通りもの使い方があるのだ。恐ろしい世界だぜ。




「では、再配列開始ぃ」


「俺はステーキがいいな」

「あたしは赤ワイン」

 と言われ、ナナは鼻にシワを寄せる。

「無茶を言わないでください」

 と言いつつ、カップの取っ手に付いたボタンを押した。


「なっ!」

 俺は大きく口を開けて固まってしまった。

 わずかな起動音がして、中から明るい光があふれ、大量の葉っぱがみるみる沈み、代わりに青い液体が上昇を始めたのだ。


 十数秒後、カップの中はドロドロした青い液体で満杯になった。


「裕輔。手のひらにのせてみぃ」

 と社長が言うのは、とんでもなく粘度の高い物質───食料とも飲料水とも言い難い、つまり物質だ。


 とろりと手のひらに広がる青い物体を凝視する。

 触れずとしても解る背筋に寒気が走るゲル状物質、スライムともいえる半固形の物体に泣き声を落とす。

「マジっすか。これを口に入れるの?」


 ナナはニコニコ。こっちのほうが面白そうだと、飛び戻ってきたシロタマが真上から覗き込み、

『簡易的なキットですので、水分補給と栄養補給の両方を兼ねた、緊急的な食べ物です』


「食べもんじゃねえって」

「飲み物にも見えないわ」

 大きな期待感が損なわれたのだ。俺たちの力の抜けようはひどかった。二人そろってがっくりと肩を落として、溜め息を吐く。


「せやけど。この場合はしゃあないで。飲まず食わずやったら三日ももたん。最低でも半年は生き延びなアカンのやからな」

 管理者が予定通りにメンテに来たとしてだ。


「そうだ。パーサーが探しに来るかもしれないぜ」

 憶測だが間違っちゃいないかも。

「無理やろ。パーサーがなんぼ博学やゆうても、あの開錠ウィザードが解けると思いまっか?」

「あ、そうか………」

 それなりに何でも詳しい人だが──無理だろな。


「いるわよ」

 自信ありげな声だが、たぶん当てにならない。

「W3Cよ。シロタマのマザーシステムなら可能だわ」

「地上百七十二階建てのビルに収納されたコンピューターをどうやって、イクトの裏まで移動させるんだよ」

「あ……」

 こいつマジで言ってたんか。驚きのバカだな。

「映像か何かで送ってさ。指示をパーサーが受けて……」

 途中で言葉が消えたのには訳がある。衛星の裏からはW3Cと通信できないし、シロタマと俺がやってのけた工程を思い出したからだ。映像を見せるだけで解けるような安易な方法ではない。


「とにかく裕輔。口に入れてみなはれ」

「そ。そうだな」

 背に腹は変えられない。飢餓状態なのだ。

 手のひらでプルプル震える青い物体に唇を当て、一気に啜ってみる。


「ふどげぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 全部吐き出した。


「べぇぇーっぺ。何だこりゃ。油じゃねえか」


『この植物の構成分子を再配列して製造した栄養摂取ドリンクですので、これが限界です。身体に害はありません』

 とシロタマが言い、ナナも沈黙のまま、こっくりと肯定する。


 玲子もカップの中の物体に指を突っ込み舐めるが、

「だめぇぇぇ。青ワインでもないわ」

「そんな酒があるか!」

 にしても酒から離れんヤツだな。


 ちなみ玲子はウワバミだからな。これも知っておいて損は無い。底が抜け落ちた酒樽と言っても過言じゃない。超危険なオンナなんだぜ。


 俺たちの素振りを観察していたナナが気の毒そうに口を開く。

「この星の水の分子はアルトオーネとは構造が異なるみたいでーす。重水素がかなりの量を占めており粘度が高く、青い色をしています」

「なんでお前がそんなことを知ってんだ」

「転送前にステータスアナライザーにそう出ていました」

「危険は無いと言ってたじゃないか」

「危険はありませんよー。一度に大量摂取をしない限り」


 宙で静止していたシロタマへ、玲子が何か言いたげに見上げ、タマは淡々と答える。

『ガイノイドは間違ったことを述べていません』

 まるでナナを弁護するかのように素早く近寄ると、

『ここでは水の分子が多重水素から構成されており、理由は不明ですが、非常に粘度が高くなっています』


「ほんまや、ほれ……」

 葉の表面に盛り上がる水滴を社長が指で弾いて見せた。それはプルンと弾力があり、爪の先にくっ付いて青い糸を引いて切れた。


「せやけど。重水素は不安定な物質やと聞くけどな」

 この手の話題に平気で付いて行けるのは社長ぐらいしかいない。


『推測不能の現象です。通常、とても不安定であるはずの多重水素ですが、ここではそれらが交じり合って安定同位体として存在しています』


「同位体って、放射線は出てないんか?」

『危険値には達していません』

 と、(くく)り、地面近くに下りて続ける。

『葉の上に溜まった水溶液には有害な細菌が潜む可能性があります。エマージェンシーキットで作った食料や水は分子を再配列していますので、不純物はありません。完全に殺菌されていて安全です』


 しかしこりゃぁ、ただ事じゃないな。しかも小難しいこと言いやがる。

「おい、タマ。重水素って何だ?」

 玲子の手前、おおっぴらに訊けないので声を落としたのだが、その辺を察してくれる気遣いもなく、


『中性子の数が異なる、同位体原子のことで、』

「あーもういい」

 こんな時に鬱陶しい話は聞きたくない。危険が無いのならそれでよいのだが、どちらにしてもこれでは食糧にはならん。



 社長はしばらく青色の緊急栄養摂取ゲル物質、美味そうな要素がまるで無い物体を眺めつつ、

「鼻を摘んで飲むしかおまへんな」

 カップから手のひらに垂らした青い液体を口へ移動させ一気に流し込んだ。


 さっと顔色が同系色になり頬っぺたが大きく膨らみ、一時停止。

 黒目をぐるぐる回して意を決した社長は、固く目をつむり激しく身震いをしたのち、ようやく飲み下した。

「ま……間違っても、味わったらあきまへんで」

 ハゲオヤジの舌の表面があり得ない色に染まっていた。


「こんな糸を引くものは、食べ物じゃねぇって」

 俺が口にするのを見て、玲子も諦めが付いたらしく目をつむって一気飲みした。

「うぇぇぇ」

 両腕をくの字に曲げ、脇を擦りながら飲む玲子を真似てナナが同じ格好をしたので、後頭部を(はた)いてやめさせる。

「痛いなぁ………」

 痛みなど無いはずなのに、迷惑げに俺に首を捻じるナナ。

「お前に味など分からんだろ」

「分かりますよー」

 と訴えるが、それはあり得ない。いかに管理者製のアンドロイドが優れていても、味覚は生命体特有のものだ。もっともこいつの燃料が俺たちと同じ食物なら別だが、そうなるともはやロボットではなくなる──と、ここで出した結論はだいぶ後でひっくり返される。


 どちらにしても、とてもじゃないが喉を通らない緊急栄養摂取物質は、いくら腹が減っても、もう受け付けないと、腹と頭が宣言をした。



 食料は何とかなったな、と社長は切り出し、

「ワシらは漂流者や。そうなると次にやるコトがおますやろ」

「漂流者が求める物は……やっぱ安らぎれすよー」

 ロボット少女が答えた。その原因を作ったヤツの言葉にしてはお気楽な返答だが、まぁ、的を射ている。

「そういうこっちゃ。安全に身をひそめられる場所が必要や。早急に探さなあかんな」

「今から?」

 訝る俺に、

「ホンマやったら夜に行動起こすんはアカンと思うんやけど。何しろ未知の星や、昼も夜もなーんも分からんのや。それにや。ここが危険でないとも言えん。月明かりもあって意外と見渡せるし、ワシらの体内時計はまだ眠らんでエエちゅうとるし。用心しながら動いてみようや」


 反論する理由は何も無い。それよりこの星の朝がいつなのか、一日が24時間とは限らないし。50時間だったとしてもあと何時間後か。それすら解らない。ここでは時計なんて意味ないし、昼は昼で危険な動物がうろつきだす可能性もある。


 異なる環境と何一つ分からない土地。そこから逃れることもできない、難破船から逃げ出し無人島にたどり着いた……まさに漂流者だ。老人と美女と若者、そしてロボットが一台と一個。


 ………何だこの取り合わせ。


 しかも老人と言っても俺より頭は切れるし声はデカイし。美女といっても野生動物の血が100パーセント混ざった女だし。

 なんかムチャクチャだな。


 でもな、と考えを改める。

 年齢からいけば、最終的にこの惑星に残るのは俺と玲子。男と女………むふふ。

 子孫繁栄、商売繁盛……痛ぇ!

「何をニヤニヤしとんや! しょうも無いこと考えとったら穴に落ちて死にまっせ!」

 切羽詰まることも無く、俗的な妄想に駆られるのは、どうしてもあれだ。玲子とアンドロイドに緊張感が無いせいだ。


 しかしこんな原っぱでくだらん妄想を展開している場合ではない。救助が来るか、逆転転送してもらえるかまでは、嫌でもここに滞在しなければならないのは明白だし、腹の虫は満足したのか、諦めたのか分からないが、今のところナリをひそめている。


 社長は「よっこらせ」と口癖になった言葉を吐いて腰を上げ、玲子は尻についた土を払いながら体を起こした。

「さぁーて行動を起こすか」

 俺も二人に(なら)ってケツを上げる。

  

  

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