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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第一章》旅の途中
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漂流者

  

  

 暗闇が広がっていた──。

 真空の宇宙空間ではない。ちゃんと呼吸もできたし、足元には固い地面が広がっている。ナナが事前に調べたように、危険な気配は何も無かった。


 暑くもなく寒くもない。空気はカラっと乾燥していて、とても心地よいのだが、俺は込み上げる憤怒に打ち震えていた。あいつはとんでもないことを仕出かしてくれたのだ。


「お腹すいたなぁ………」

 体育座りをした玲子が、抱いていた自分の膝に向かってつぶやいた。

「俺なんか、銀龍に乗ってる時から腹ペコだぜ」

「知らないわよ。それよりなんであなたがここにいるの?」

 鬼のようなことを言いやがるな、このオンナ。


「あのなぁ! ……いや、もういい」

 これ以上大きな声を出すと、すきっ腹に響く。


「銀龍! 応答せよ。銀龍っ!」

 社長はポケットに忍ばせていた通信機に怒鳴っていたが、

「アホか! 応答せんか、ボケっ!」

 最後には地面に投げつけた。


 そらそうさ。もしも銀龍まで通信が届いたとしても3万6000年後だ。返事が戻るまで、あと3万6000年掛かる。

 たぶん俺たちは粉になってんな。


「お好み焼き食べたい………」

「粉で思い出すなよ」

「さっきからうるさいわね。だから、何であなたまでここに来たのよ!」

「お前、狂ったのか! あのガイノイドが俺まで一緒に転送したんだろ。こっちだって犠牲者だ! 文句があるんだったらあいつに言え!」

 そう、すべての原因は腰に両手の甲を当てて、俺たちから少し離れたところで、えらそうに向こうをむいて、背筋を反り返らせている銀髪の少女にある。


 ロボットだが、とてもそうは見えない屈託の無いカワユイ顔をこちらに捻った。

「いっやぁ。それにしてもすごいところですねー。ここはどこれすか?」

「あのな…………」

 怒る気力も失くすほどの笑顔だった。


「おまはん。何が起きたか、わかってまんのか?」

「あ、はい。みなさんと、ご一緒できてうれしいれーす」


 あまりに飄々(ひょうひょう)としているので、ついこっちまで気楽に考えてしまいそうだ。

「なぁ、ナナくんよ。なんでお前まで一緒に来たの? 平気な顔してっけど何か戻る方法があるんか?」

「おやおや。二つのご質問、困りましたね」

「困ってんのはこっちだ。ちゃんと答えろ!」

「あ、はーい。ワらシがここに来た理由はぁ、オートドライブのカウントダウンが始まっていたのに、コマンダーを突き飛ばして一緒に転送されたかられーす」

 嬉しそうに言いやがって。


「ほな自動で戻れまんのか?」と問う社長へ、

「いいえ。逆転転送はオートぢゃありません」

「ほなどうやって、ワシらを戻してくれるんや?」

「はて? 質問の意味が解りませんが……?」

 くるりと元の位置に体を旋回させたナナは、可愛らしい尻をこちらに向けて、いけしゃあしゃあと空へ語る。

「そのうち誰かが気付いて、逆転転送してくれますよー」

 反省の色の無い背中を曝して、怒りも吹っ飛ぶあっけらかんとした答えだった。


『コンベンションセンターは無人です。そのような推測は現実的ではありません』

 こっちはこっちで、超怖ぇ現実的なことを平気で言うし。

「血も涙も無いって、お前みたいなヤツを指すんだな」


『事実を言ったまでです。アンドロイドはウソを吐けません』


「もう一人のお前は、平気でウソを()きそうだぜ………あぁ腹減った」

「管理者らはこういう事故が起きることを想定して無いんか?」


『通常は別のガイノイドが補正するようです』


「メンテナンス中で他は起動していないって言ってたよな………ぁ腹減った」

「となると、どういうことや?」

 再び、こちらに体を捻ったナナが言う。

「半年もすれば管理者が帰って来ますのレ、その時に気付いて戻してくれますよー」

「何だその言い草!」

 むかっ腹が立った。これだけ腹が減っていても、立つ腹がまだあるとは驚きだ。


「俺の腹は半年も待ってくれねぇーワっ!! バカヤロー!」

 ナナは耳に指を突っ込み、肩をすくめて俺の怒鳴り声をいなすという、ヒューマノイドなら当たり前の行為だが、アンドロイドにしては驚きの行動を見せ、俺の憤怒を一瞬で消し飛ばしてくれたのに、

「うっさいわね! あたしはね、今週末に駅前の高級レストランに予約入れてんのよ。無断キャンセルになったら、どーしてくれるの!」

 対面にいる理系に(うと)いオンナの反応は、案に違わずどこかブレていた。


「3万6000光年も彼方にある飯屋の心配なんかすんじゃねーよ」

 もっとおしとやかにしていれば、文句は無いのだが……せっかくの美貌(びぼう)が台無しだ。


「はぁぁぁぁぁぁぁ」

 力が抜けきった情けない吐息をした。一ヶ月前、酔っ払ってドブに片足を突っ込んだ時、以来だ。


「こういう事故が起きたときは、どう対処する規定になってんだよ?」

「はて?」

「そこで首を捻るな。あのな! 俺たちは戻る(すべ)を持っていないんだ。この後どうなるんだ?」

「ワらシわー。学習型のアンドロイドでー、未来の予知はできましぇーん」


 急激に押し寄せる苛立(いらだ)ちを抑え、

「こいう時はどうするか教えてもらっていないのか?」

「ご質問の意味が解りましぇーん」


『管理者製のアンドロイドは学習型プログラムが基本です。学習されていない事案は回答不可能です』


「学習されてないなんて、あまりにも無責任だろ。こんな事故が起きることを管理者は想定してないのか? 科学水準は突出しているくせに、こういう危機管理ができていないとは、遅れた種族だな」

「会社で大ボケばっかりかましてるおまはんに、そっくりそのまま返したい気分やな」

 と俺の首を真綿で絞めるような言葉で咎める社長。

「今回は不慮の事故や。この子を責めてもしゃあないやろ」

 俺も一つや二つ、いや三つも四つも身に覚えがあるので何も言えない。


「そうそう」

 ナナが、社長を盾にして壊れたおもちゃみたいに肩口から首を前後させたので、

「お前は(だーってろ!」つい焦燥めいた怒鳴り声になる。


「あ、はーい」

 条件反射的に首をすくめるナナを社長は意外に優しげな視線で見つめた。


「せやけどマジで何か考えなアカンな。防護スーツ脱いで来とるから着の身着のままや。せめてツールキットだけでもポケットに忍ばせておけばよかったんやけどな」

「俺だって銀龍の作業着一丁だぜ」

 社長はツルツル頭を平手でぴゃしゃりと打って、落ち着き払った口調で命じた。

「こういう時はちょっと腰を据えてやな、全員の持ち物をここに出してみようやないか」

 と言われても、俺のポケットには昨日飲んだ缶ビールのプルトップが二つ。出すのもこっ恥ずかしい。


「あたしはこれだけ………」

 玲子が出したのは髪を結っていた黄色いリボン。

 首の後ろで黒髪をひっつめていたのをしゅらりと抜き去り、頭を振って背中に広げる、その優美な姿に目を奪われる俺、とナナ。

「レイコさんの黒い髪の毛キレイですね………ワラシも黒くて長い髪が欲しいな。それれ。そんなふうにカッコよく帯で巻いてみたい」

 お前のショートヘアではリボンは無理だな。


「それ。ワシが進呈したカーボンナノチューブが編み込まれとるヤツやんか」

「そうです。暴れてもほどけないどころか、頑丈だから武器にもなるんですよ。ほらこうやって首絞めるんです」

 って俺の首で試そうとするので、飛んで逃げた。


「リボンは首を締めるもんじゃねえ。髪の毛を束ねるモンだ!」

 ナナがじっと玲子の動きを観察しているので、

「お前は見るな。今のは学習するな」

 ナナの両目を手で覆うが、ヤツは俺の手を振り払い、しれっと言いのける。

「学習結果は削除できましぇーん。なんでもアナタの言うとおりになる、都合のいい女ではありましぇーん」

「お前………意味解って言ってるのか?」

 ナナはにこやかな顔のまま首を振って否定し、

「意味は……、まだ学習されてないの………」

 溜め息と共にうなだれた。

 疲れる……………。ただでさえお先真っ暗だというのに。


 もう知らん。管理者製のアンドロイドが何を学習しようが、それが原因で歪んだ性格になろうが、なんで俺が気にしなきゃならんのだ。しばらく考えるのはよそう。


 話を戻すぜ───。


「社長でもプレゼントすることあるんだ」

 あのケチらハゲが、珍しいな。

「アホか。有能な人物には惜しみないんや。もしおまはんが何も貰ってないと言うんやったら、それはボンクラな証拠や」


「ぼんくら……? なんすか? それ?」

 俺と社長のあいだを行来するナナの首を力ずくで止めて、

「俺は昨日、これを貰った。ほら」

 アルミのプルトップを出して見せる。


「ほぉぅ。すっごぉい。貴金属ですね」とはナナ。

「マジで驚いているみたいだけど。これはただのアルミニュームだ」

「ほぇ~。熱、電気共に良好な伝導性を持つ軽量金属ですよね」

「お前はどこまで賢くてどこまで抜けてんだ?」

「学習途中なんれす」


『管理者製のアンドロイドは学習型プログラムが基本です』

「二度も言うな、シロタマ。俺だって学習するワ!」


 ナナは「うんうん」と通りがかりの他人みたにな態度でうなずき、肩の力を抜かれた俺は、プルトップのリングを摘まんで社長に差し出す。


「何やそれ?」

「昨日社長に貰った缶ビールのプルトップが2個……」

 ふつうは缶の内側に入り付いて手にする機会はめっきり無くなったモノさ。それがどういうワケか手に残った。

 そう、どうでもいい物だけど懐かしくて捨て切れずにいたのさ。


 貧乏臭いとか、バカとか言われるかと思いきや。

「おー。そりゃエエもんや。何かの役に立つかもしれへんで。先っちょの尖った部分は刃物代わりに、リングの部分はちょっとしたロープの接続金具。そうや、塩水と木炭があったら電池が作れるがな」

「マジっすか?」

「ここでは宝もんや」

 なんか腑に落ちないけど……ナナはそういう意味で『貴金属』と言ったのかな。


 社長もポケットを探るが、何も出て来ず、

「ワシはこの無線機だけや。小銭も無いがな」

 それはお気の毒に。


 手のひらに乗せたのは銀龍専用の通信機。3万6000光年という距離を前にしたら、何の役にも立たない、ただの箱だ。

「雨に降られるだけで俺たちアウトだな………」

 幸い夜空は晴れ渡っていた。


 今の段階では社長の無線機は何の役にも立たない。でも唯一カーボンナノチューブのリボンはロープの代わりになるかもしれない。それに比べてアルミのプルトップなど、クソの役にもたたないだろ。社長の言い分はちょっと大袈裟さ。


 結局、ナナは尻をこちらに向けて夜空の遠望を楽しみ、俺たち3人はそろって沈黙に落ちた。


 ロボットは疲れないのだろうが、こっちは違う。地べたに腰を落とし、玲子は体育座り。俺は仰向けにひっくり返り、手を頭の後ろに回して星空を眺めた。しばらく立っていた社長も俺に(なら)って仰向けでひっくり返った。


 夜空を仰ぐと、薄ぼんやりとした(もや)を透かして、たくさんの星がキラキラしていた。当たり前のことだが、どっちへ目を凝らしても見覚えのある恒星や星座は無い。だが3万6000光年ぐらい離れただけでは、宇宙の構造に変化は無く、夜空には満天の星が輝く、これに関してはどこでも同じだと悟った。


 でっかいな、宇宙って──。


 周囲からやかましいほどに乾いた音が響いてきたので、半身を起こして見渡した。

 遠望をかましていたナナの前に広がった黒い海にも似た景色はすべて同じ種類の植物の群生で、風に煽られて『ガラガラ』と空洞的な大きな音を出していた。

 暗闇なので黒っぽいのではなく、実際に黒に近い濃紺色で、ぶ厚い大きな丸い葉が何枚も重なり、それが風に揺れてぶつかり合い、不気味な乾いた音を出していた。



「お月さまれすー」

 地平線から異様に大きな赤黒い三日月がゆっくりと昇ってきた。

 アーチ型のでっかい月を仰ぎ見るナナのシルエットが影絵のようになり、荘厳な雰囲気をかもし出している。

 ナナは大空を指差し、

「ほら、コマンダー。お月さまー」

 潤みを帯びた無垢な瞳で嬉しげに駆け寄るナナだが、なんて答えたらいいのさ。ロボットのやることはよく解らない。

「自転してりゃ昇って来るだろ」

 当たり前の答えになってしまった。



 その後、次々と二つの三日月が一定の距離を空けて、草っ(ぱら)の向こうから顔を出した。

「三つ目、れーす」

 ナナは月が一つ顔を出すたびに歓喜にまみれ、草原を相手に叫ぶが、その振る舞いはまるで幼児だ。おそらくイクトのコンベンションセンターから外界へ出たのはこれが初めてで、見る物、聴くモノすべてが学習の対象になるんだと思われる。


「こっちは、のんびり月見なんかしていられないんだ…………」

 激しい空腹は焦りの気持ちすらも打ち消しており、打つ手なしの空虚な気分と、あまりに寂しげで、(はかな)げな光景を前にして、いつの間にかアンニュイな気分で満たされていた。


 だが、その中で一人はしゃぐ幼児みたいなナナを見ていると、意外にも絶望感は抱かなかった。これは田吾がよく言う萌え効果なのだろうか。社長がナナを慈しみのこもる目で見るのも同じ気分なのかもしれない。


「萌えと慈愛は違うよ」

「うっせぇ。機械野郎がエラそうに言うな……お前なんかに何が分かる。バカタマめ。それよりお前はテレパスの機能も持ってんのかよ……」

「オメエの顔に出てんだよ」

「あっそ。ごめんね」


 空に昇って行く月の大きさはまちまちだが、最大のものは最初に昇って来たヤツで、空の四分の一近くを占める大きな月だ。この惑星から距離が近いのか、あるいは巨大なのか。現状ではどうでもいいことなのだが、アルトオーネではあり得ない大きさと、三つとも赤くて血のような色彩をしており、それが憂色を濃くする原因になっていた。


 忽然と広場に強い風が吹いて通った。不吉な色合いの月光に照らされた黒い草原が、ガラガラと大きな音をたてて大海原みたいに波打った。


「はぁあぁ」

 珍しく玲子が落胆色の濃い溜め息を落とした。

 冒険、危険が三度の飯より好きなヤツがだいぶ弱気になっている。やっぱ、オンナは女だな。

「さすがに玲子であっても、こうなったら悔やむことがあるんだな」

「なにさ。同じ悔やむにしたって、あなたとは次元が違うの。あたしはN46を持って来なかったのを悔やんでんの」


「……………………」

 絶句したね。マジで次元が違い過ぎるバカだ、こいつ。


 先に言っておこう。こいつは拳銃所持許可書を持つとんでもねえオンナだ。でもって、N46とは、玲子がいつも護身用に持ち歩いている銃のことさ。


 素手でもじゅうぶん危険なのに、一介の社長秘書が護身用にとは言え、そんなモノを、と言いたいだろうが、何しろ特殊危険課なのである。マジで銃撃戦になったこともある。まぁ、あん時は玲子が先に手を出した結果だけどな。な。バカだろ?

 そうそう。先に伝えたかもしれないが、こいつは次期オリンピック選手並みの射撃の腕を持つから、扱いはくれぐれも気を付けてくれ。



「まさかねー。転送のジャマになるから持って来なかったんだけど。あれさえあったら無敵なのになー」

「お前は素手でもじゅうぶん無敵だぜ」

 呆れたバカだ。

「大丈夫、シロタマが何とかしてくれるわよ」

 その上、能天気ときている。


『W3Cとリンクが遮断していますので、現状では何もできません』

 玲子の黒髪の中から出てきたシロタマがそう言った。


「ほらみろ……」

「じゃあ、あなたが何とかしなさい!」

 攻撃的な目でムチャを言い、続いてシロタマがくるりと振り返る──たぶんな。回転したからさ。


 ナナが歩み寄って来ていた。

「お前さ。どーすんだよ。俺たちヒューマノイドは電気じゃ動かないんだぜ。知ってんのか?」

 ナナは満面の笑顔を崩さず、黙って銀色のカップを見せた。そう言やぁ、なんかずっと握っていたな。

「だからぁ、これをお渡ししようと転送台に近づいたらぁ。つるんってひっくり返って………」

「なんだよ、それ?」

 銀色に輝く金属のマグカップとしか説明のしようのないものだった。




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