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アカネ・パラドックス  作者: 雲黒斎草菜
《第三章》追 跡
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  死線の果てで  

  

  

 これまで存在していた開放的な空間のおかげで、宇宙にいることを忘れさせてくれていた。だけど今は違う。壁ひとつ向こうに無限の空間が広がっていることを再確認させられた。俺たちがどうあがいても、丸腰では生きていけない異世界が壁一つ隔てた先にある。


 硬直した体を軋ませるように動かすと、社長が重く沈んだ声で囁いた。

「どこまでパーサーに伝わったんやろ………」

 じっと通信機のスピーカーを睨んでいたが、決意を固めた態度に切り替え、

「ともかく防護スーツ着用や。玲子はだいじょうぶやな。田吾、おまはん着たことあるんか?」

「オラもコンベンションセンターへ入る時に一度着たダよ」

「よっしゃ。全員念のため防護スーツ着用や」

 しかし時は遅く、悪魔が綴ったシナリオは次のページへと捲られた。


「やっべーしっ! 外側のハッチが開いていくぜ!」


 最も外壁側のハッチがゆっくりと開き始めたのだ。

 これを仕組んだ奴は俺たちを外に放り出す気だ。つまり、殺意剥き出しなのだ。


「誰かぁぁぁ! ここを開けるダぁぁぁ!」

 閉鎖された極度の重圧に堪え切れず、田吾が取り乱した。

 通路へ続くハッチを激しく叩くが、二重のハッチが閉められ真空対応モードになった庫内から外に声が届くことは無い。


「田吾やめておけ。それより早く防護スーツを着ろ!」

 俺が放り付けたマスクを片手で受け取ろうとしたが、震える腕はそれすらおぼつかない。ガタゴトと床で跳ね返った。


「落ち着くのよ。ほらまず足を入れなさい!」

 玲子に言われて片足をスーツに突っ込むものの、慣れない田吾にはそれすらもたつく。


「だぁ──ぁ。外側が開いたダ!」

 外壁の扉は三重構造だ。その最も外側が完全に開いており、二番目のハッチがゆっくりとスライドを始めた。


 焦った俺たちは手がもつれまくり、さらに着用に手間取る。これは普通の服を着るのとはワケが違う。分厚い素材のごわごわした宇宙服だ。どんなに熟練した者でも10数分掛かる。もう間に合わない。目の前の外壁ハッチは数分で三重の扉を開くことができる。


 通路側のハッチの小窓で動くものを感じて、視線を滑らせた。

「パーサーっ!」

 異変を感じて格納庫の前まで来たパーサーが、外からこじ開けようとする姿だった。

 だが真空モードになったハッチが手で開けられるはずは無く、小窓の中で青ざめ、引きつった血の気の無い顔が見え隠れするだけだ。


「だ、だめだスよー。オラ半分も着れていない」

「田吾、落ち着け。もし外側の扉が開いても、空気がなくなるまで数分ある。それまでに着込めばいいんだ」


 こいつは手先が器用だがプレッシャーに弱い。落ち着かせるためにそう告げてやったのだが、もし最後のハッチが開いたら、その瞬間にこの世で最も激しい嵐よりも強い風が吹き荒れて、空気が抜けていくはずだ。


「……っ!」

 最後のハッチが開く警報が鳴り響き、赤色灯が回転を始めた。万事休す。もう後がない。

 防護スーツは半分も着込んでいないし、慣れた玲子でさえもまだマスクを装着できないでいた。


「開くダぁぁぁぁ」


 田吾の叫び声に続いて、これまでに経験の無い狂風が吹き荒れた。部屋にあったものが渦を巻いて動き出し、足元をすくって抜けていく。立っていられず床に這いつくばった。


「どぁぁぁぁぁ!」

「だめだス!」

「なんでもええ! 何かにしがみ付くんや!」

 床に突っ伏していた体が空気の濁流に圧され、ズルズルと滑り出した。

 粘っこく引き摺る力はもの凄まじく、魔界の大ダコに絡みつかれたように、どんなにもがいても抗うことができない。加えてつるつるに磨き上げられた床には取りすがる物が皆無だった。


 そこへ──。

「みんな集まって、なにしてるんでシュか?」

 床を滑り始めた玲子の顔の前で、余裕をかました声がした。


「シロタマっ!」


「社長! これに掴まって!」

 パーサーが放り込んできたロープにしがみ付くスキンヘッド。床は水平なのに、急峻な傾斜のあるパネルにしがみ付く感じだ。滑り落ちる先は、開き始めた最後のハッチが作り上げていく黒い空白。そこは虚無の空間へと繋がっている。


 突然現れたシロタマに驚くよりも先にロープにしがみ付き、田吾も社長の伸ばした腕に必死に飛びついた。


 最初にシロタマが玲子を引き摺って格納庫から救い出し、次に社長の元へ行こうとするところをパーサーが止めた。

「シロタマ! 一人ずつでは効率が悪い。このロープを引っ張るのを手伝いなさい!」

「もう。仕方ないでしゅね」

 ひと言悪たれを吐いてから、銀白色のボディを円柱状に変形させたシロタマ。そこへとロープを絡み付けるパーサー。


「うぉぉぉ、すげぇ」

 こいつのパワーは想像を越えていた。宇宙空間に引き込まれつつある男三人がぶら下がったロープを一気に船内へ引っ張り込んだ。


 すぐに格納庫の入り口が閉まり、忽然と広がる静けさに激しい呼吸音が折り重なった。


「ひぃぃぃぃ。助かったダよぅ」

「汚ねえなぁ」

 涙と鼻水を一緒に垂らした田吾をひと小突きした横には、通路にぶっ倒れて激しく胸を上下させたパーサーと機長。そしてなんだか頼もしい銀白色の球体。


「宇宙に出るときは、防護スーツを着たほうがいいでシュよ」

「シロタマ!」

 そいつへ飛びつく玲子。

「また助けてくれたのね」

 不必要な言葉を漏らした。


「また?」と疑問の眼差しの社長。

 バカ……玲子の奴。


「い……いえ、こちらの話でして……」

 ザリオンの連中に拉致られた話は秘密裏にしたはずなのに、ばーか。


「シロタマに連絡してくれたおかげで助かったワ、おおきになパーサー」

「違うんです。途中で通信が途絶えたので機長とここへ飛んで来ただけです。連絡はしていません」

 まだ青白い顔を左右に振ってから、パーサーは言葉を続ける。


「ここに急行して社長の置かれた状況に初めて気づき、ただ慌てているところへシロタマが現れて、ここのハッチを開けてくれました。それで機長と協力してロープを投げ込んだんです」


 普段より早口のパーサーを見て、いかに緊張状態に陥っていたのかが身に沁みて理解できた。あと数十秒遅かったら確実に宇宙に飛び出ていただろう。


「どっちにしてもおまはんらの気転で助かりましたワ。そやけど、どないしてこの事故に気づいたんでっか、シロタマ?」


『気づいたのではなく、これは既知なる事象です』と報告モード。

「あ……ユイでんな。あの子が未来の出来事を知らせたんか」


『それに答えることによって、時間規則に反する行為になることをあえてここで犯す気はありません』


「回りくどい言い方だな、タマ」

「どっちにしても助かったわ、シロタマ。ありがとう」


 膝を外に折って床に直接へたり込んでいた玲子がようやく明るい声を出し、田吾はずれ落ちていたメガネを直しながら尋ねる。

「どこから入ってきたんダす?」

「管理者の宇宙船から外を回って、第二格納庫からだよ」

「おまはん、外からハッチの開け閉めができまんのか?」


「できるよ。見てて」

 今はがっちり閉まった格納庫の入り口から奥を示すシロタマ。見ると、開け放たれていた外壁の三重扉が一斉に閉まっていくのが見えた。


『ギンリュウは常にシロタマの制御下にあります』


 と言い放った報告モードのシロタマを社長はちらりと見遣るが、

「そう言われると、なんや胸くそ悪い気分やけど、今回は大目に見るワ。ほなさっきの事故はなんや。まさかおまはんの仕業とちゃうやろな」


『ユイは管理者の宇宙船で作業をしていたロボットのメモリデバイスを分析していて、記憶の改ざんが行われたであろうと思われる箇所を元のデータに復元することに成功しています。その情報を持ち帰る途中で非人道的なタスクはエラーとなり、それが発生する確率はほぼゼロに近い数値になります』


「ほんま、おまはんの報告は回りくどいでんな。何をゆうてんのかさっぱりやで」


 シロタマはすぐに平常時の口調に戻して、

「ユウスケだけなら、あのまま放っておいたでシュ。でもレイコの精神的重圧を解放させるためには助けないといけないと思った」

「なんだよ、玲子の精神的重圧って?」

 俺は宙に浮かぶ球体を釈然としない目で仰ぎ見て、社長はなぜかちょっと切れ気味に言い放ち、

「もうええ。鈍い奴は放っておきなはれ」

「とにかく! アカネが気になるわ。裕輔、見に行くわよ」

 台風一過の街路樹みたいにとっ散らかった黒髪を指で梳きながら玲子も立ち上がる。


「お前はカエデの仕業だと言うのか?」

「決まってるでしょ。あの子以外にこんなこと誰ができるの」


「でも機械系は苦手そうだったぜ」

「そう思わせただけに違いないわ。あなたほんとうに鈍いのね」


「はへ?」

 玲子の言葉に呑まれつつ、首を傾げて俺も直立する。


「待ちなはれ。まだ憶測に過ぎん。別の侵入者の可能性もある。ワシらには敵が多い。デバッガーしかり、メッセンジャーしかりや。それとも新たにカエデの知らん何者かとか。そいつが次の一手を打つ前にこっちは準備しなあかん。シロタマ、管理者のデータを改ざんしたんは誰やと結論付けたんや?」


『53年間、カエデが単独だったという主張から、高い確率でカエデだと思われます』

「何で100パーセントとちゃうんねん」


『ネブラの時空修正は巧妙な手口で仕掛けてきます。現時点では気配が無くとも過去に遡って何か細工をした可能性もあります』

「なるほど……ようわかった。ことは慎重にや。ほな全員司令室で作戦会議や……それと」

 社長は思い出したように、近くの船内通信に飛びついた。


「アカネ、ちょっと無線に出てくれまっか?」


 ひと呼吸ほどの間が空いて、

《あ、はい? 何でしょうか。いまアニメについておしゃべりしていたんですよ》


 社長は茜の声にひとまず安堵し、探るような問い掛けを続行する。

「カエデさんも近くにいまっか?」


 スピーカーから流れる音声がすぐに楓の冷やっこい声音に変わった。

《はい。アカネの横にいます。それよりさっき大きな音がしたんですが、どうなされたのですか?》


「あーあれな。恥ずかしい話やけど転送機が故障しましてな。ほんま古い船であかんわ。ほんでな、シロタマが修理するあいだ、カエデさん帰られへん状況なんや。堪忍な」


《とんでもございません。シロタマさんのお仕事を急かせる気はありませんので、ごゆっくりとお伝えください。はい? あ、はい。あのアカネがコマンダーに伝えることがあるそうです。少々お待ちください。代わりますので……》


 ごそごそする雑音と入れ替わって、

《あのー。コマンダー。メンテナンス情報の変更がありますので、ご足労願えますか?》


「アカネちゃんが『ご足労』って言ったダすよ。新しいガイノイドの教育方法はすごいダな。もう学習の効果が出てるんダ」

 と田吾はにこやかに語るが、俺は薄っすらと違和感を覚えた。でもすぐにかぶりを振る。

 あいつはスポンジみたいに何でも学習しちまうから、その感覚は気のせいだろう、と。


「ほな、裕輔をそっちへ行かせますワ」

 社長は無線を切るなり、

「帰ってきたら二人の様子も報告すんねやデ。ほなら他の者は司令室に集合や」


 いよいよ大事(おおごと)になってきた。俺たちを宇宙へ放り出そうとした奴はいったい誰なんだ。


 玲子は楓だと勝手に断定しているが、管理者製のアンドロイドには秀逸な倫理回路が搭載されているのは、優衣や茜を見たならばおのずと納得できる。自分たちの先祖を滅亡に追いやったドロイドで懲りたはずの管理者が、同じ過ちを犯すはずが無い。楓がそこまで残虐なことをやるだろうか。


 俺の意見も社長と同じだ。敵意を持つ第三者の仕業。おそらくデバッガーが裏で何か細工をしたんだと思う──。

 これを軽視とみるか、図星とみるか、結論はずいぶん先となることをこの時の俺は知る由もない。

  

  

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